過ぎ去りし時が戻り来て

 山深き地。風がそよぎ、葉を揺らす。枝に止まった鳥のさえずりに、山犬の遠吠えが重なる。空は青く澄み渡り、外に出れば思わず頬を綻ばしてしまうだろう天気であった。そのような環境において、小屋にこもり作業をしている男性がいる。彼は、つい先ほど飛来したアイディアを元に、とある魔法の道具を作成していた。小一時間ほど作業を続け――
「できた……」
 男性は嬉しそうに呟いた。その手の中には砂の入った小瓶が納まっている。
「さて、効果の程を確かめたいところだが…… このところ外出していなかったし、ついでに遠出することとしようか……」
 独り呟いて、外套を羽織り外出の準備を始める男性。
 そして――
「ルーラ」
 飛翔魔法を唱えて、窓から飛び出した。
 がちゃ。
 と、男性が小屋を発った直後、彼がいた部屋の扉が開く。
「あら? お父様?」
 湯気が立ち上るカップを持った女性は、部屋の主の不在を確認し、首を傾げた。

 船舶の発着を再開したアリアハン国の港は、人の出入りが盛んだった。荷降ろしを行う船夫。観光に訪れた親子。これから旅行へ出かけるらしい風体のカップル。それぞれが騒がしく行き交い、あまりの五月蝿さにきらめく波も顔を顰めて閉口していることだろう。
 そんな港の一角にある船舶を舫うボラードに腰掛け、一人の少年が欠伸をしていた。彼の瞳は人ごみを見渡していたが、そちらへの興味は皆無と思われる。特にすることがないので取り敢えず眺めている、といったところだろう。
「暇だなぁ」
 予想を裏付けるように少年が呟いた。
 しかし、そのような彼の怠惰な日常は、直ぐに壊されることになる。
 とことことこ。ぽて。
 彼の目の前を通り過ぎようとした少女が、見事に彼の目の前で転んだ。
 少女の存在など全く気にしていなかった少年も、足元に転がる人間を無視しようとは思わないようで――
「大丈夫か?」
 声をかけて手を差し伸べる。すると、少女はその手を取って顔を上げた。
 と――そこで瞳に入ってきた情報を脳で処理すると、少年は戸惑いで眉を顰める。そこにいたのは……
「ケイティ……いや、昔のケイティにそっくり過ぎ……」
 彼の妹が十歳に満ちるかどうかという頃にそっくりな少女であった。ちなみに少年の名はジェイという。
「ふ、ふえ……」
 そこで、膝を擦りむいた痛みからか、突然泣き出しそうになる少女。大きな瞳に涙を溜め、今にも大声で喚きそうである。
 ジェイは、そのようなところも昔のケイティにそっくりだ、と苦笑しながら考え、なだめ始める。
「ほら。そんくらいで泣くな。飴やるから。甘いぞ」
 そう声をかけ、懐から紙に包まれた飴玉を取り出す。少女はその小さな丸い固体を瞳に入れ、取り敢えず泣き出すことだけは避けた。とはいえ、その顔には相変わらず悲哀があった。
 ジェイは少女の口に飴玉を放り込んでやり、そうしておいて、彼が行使できる数少ない魔法のひとつである下級回復魔法を唱える。
「ホイミ」
 柔らかな光が生まれ、少女の膝にできていた傷口が塞がっていく。
「わあ……」
 少女は目を丸くして一部始終を瞳に入れる。
 そして、すっかり傷が塞がると、尊敬の眼差しをジェイに向けた。
「あ、ありがとうございます。お兄さんは魔法使いさんですか!?」
「んー、いや、俺が使えるのは今のホイミと、あとはメラくらいで、魔法使いなんて立派なもんじゃないよ」
 ジェイは苦笑して応える。そして、改めて少女を見た。彼女は、見れば見るほど昔のケイティに似ていた。
 そして、あまりに似ているため――
「……母さん。実はもう一人生んでたりして」
 などと呟いた。彼は、もう一人妹がいたのでは、という愚考を頭に浮かべたのである。まあ、本気ではなかったが……
「?」
 そのようなジェイの様子に、少女は小首を傾げて顔に疑問符を浮かべた。
 そんな少女の様子に気づいたジェイは、馬鹿な考えを振り払い、少女の目線に合わせるためにしゃがみ込んで、声をかける。
「さて。それで、お母さんかお父さんはどうした? まさか迷子か?」
 訊かれた少女は首を振る。
「迷子じゃないです。ここにはお兄ちゃんを探しに来たの」
「お兄ちゃん?」
 そこでジェイは、ますます子ケイティとかぶるな、と苦笑しつつ思い、
「なら探すの手伝ってやるよ。暇だし」
 そう声をかけてから、少女に名前を問うた。
 しかし、それに少女が答える前に――

「もう…… ジェイは何処にいるのかしら……」
 アリアハンの大通りを、落ち着きなく視線を巡らしながら歩く少女がいる。海神亭というアリアハン唯一の宿屋の娘、エミリアだ。宿の店番をさせられていた彼女は、先ほど漸く解放されたところだった。そして先の呟き通り、ジェイを探している。
 しかし彼女は、彼よりもまず先に、最近見知ったとある顔を見つける。本来であれば無視してもいいのだが、彼の手に納まっている瓶に少なからぬ興味を抱いたため、声をかける。
「忠犬キースじゃない。その手の中のものは何? 貴方が作った魔法具?」
「えっ? あ、ああ。エミリアくん」
 そう声をかけられた青髪の男性、キースは、驚いたように目を見開いてから苦笑し、軽く右手を上げた。そして、左手に持っている瓶を持ち上げて嬉々として説明を始める。
「これは――そうですね…… 『時の砂』とでも名づけましょうか。振りかけた対象の時を戻す効果を持つ砂ですよ」
「時を戻す?」
 キースの言葉を耳にしたエミリアは、訝しげに彼を見る。そして、先を続ける。
「魔法具の効果は現存する魔法の効果に準拠するはずでしょう? そんな風に時を操る魔法なんてあるの?」
「人に伝わる魔法が全てではありませんからね。竜族やエルフだけが知る魔法というものもあります。もっとも、その魔法は老いを永続的に止めるというようなものでもありませんから、不老不死というわけにもいきません。せいぜいが、小一時間だけ若き時を取り戻すくらい。まあ、老人が若かりし日を懐かしむ時に使うか、筋力魔力共に最盛期の頃に戻って戦闘を有利に進めるか、そんな使い道です」
 キースの長い説明を耳に入れ理解し、エミリアは頷く。そして、改めて瓶の中身に興味を持った。
「で、その瓶の中には、その魔法の効果を付与した砂が入っているわけよね。効果の程はどうなの?」
 訊かれたキースは得意げに胸を張り――
「ばっちりでしたよ。試しに七年ほど若返らせてみましたけど、期待通りの効果でした。まあ、唯一気になるところを挙げるなら、記憶まで当時のものになった点ですか。そこは修正を加えて――」
 と、つらつら語った。しかし、それをエミリアは遮る。
「ちょっと訊くけど、誰で試したの? あんたの娘?」
 そのように声をかけると、キースが答えようと口を開く。けれど、その口から言の葉が漏れ出るより先に――
 たったったっ、ぽて。
 港の方角より駆けてきた少女が転んだ。
「う、うう〜。痛い……」
 少女が顔を歪めて、瞳に涙を溜めると――
「大丈夫か? ほら、薬草」
 先行して駆けていた少年が彼女に歩み寄る。頭をなでつつ優しい声をかけてから、彼は懐より薬草を取り出して手当てを始めた。
 少女は大きな瞳に涙を溜めているものの、少年が傍にいるからか泣き出しはしない。どちらかといえば、安心しきっているとも言える表情を浮かべている。
 さて、この子供たちを目にしたエミリアは、先ほどから口をあんぐり開けて呆けている。そうしてしばらくすると――
「……へたれ竜族」
「え? えーと、私のことですか? 何でしょう?」
 声を押し殺し俯いて言の葉を発したエミリアに、キースは戸惑いながらも応える。
 すると、エミリアは元から鋭い目つきを更に鋭くし、キースを見上げた。
「えっ! す、すいませんっ! いつの間にやら気分を害するような――」
 気おされしたキースは即座に謝るが……
 エミリアが右腕を大きく振り上げる。空中には巨大な炎が生まれ出で――ということはなかった。
「ぐっじょぶ!」
「……へ?」
 彼女はキースの目前に突き出した右手の親指を勢いよく立て、瞳を輝かせつつ叫んだ。ぱっと見たところその表情は不機嫌そうであるが、彼女との付き合いが長い者であれば、近年稀に見る上機嫌であることが知れただろう。
 そして、そんなエミリアの様子にキースが戸惑っている間に、彼女は勢いよく踵を返して彼の元より遠ざかる。その向かう先は――
「うわ!? だ、誰だ!?」
「うーん。今のジェイは超絶かっこいいけど、この頃のジェイも可愛いわね。いい子、いい子」
 エミリアは少年――子供のジェイを腕に抱きながら笑む。ご満悦、といった表情で彼の頭をなでまわす……が。
 ぱしっ!
 ジェイはエミリアの腕を払って、抱擁から逃れる。そして、
「逃げるぞ、ケイティ! こいつ変態だ! このままじゃ何されるか分かったもんじゃねぇ!」
「う、うん。お兄ちゃん」
 妹を引き連れて勢いよく駆け出した。
「あ…… 行っちゃった…… 残念」
 エミリアはその後姿を見送り、息を吐き、唇を尖らせて呟く。しかし、直ぐに口元に笑みを浮かべて、再びキースに対峙した。そして、彼の手の内にある瓶を指差す。
「よし、へたれ。私にもそれ使いなさい」
「え? それは構いませんが……」
 展開についていけていないキースは戸惑った声を上げ、言葉を切る。エミリアは察し、簡単に説明を加える。
「ジェイの記憶が昔のままで私を見知ってないから逃げられたわけだし、その砂で私もその頃の姿になればラブラブできるでしょ? だから、とっととその道具を私にも使いやがれ」
 エミリアの早口で威圧的な言葉に怯えながらも、キースは状況を理解する。理解はするが……
「で、ですが、エミリアくんの記憶も昔に戻るんですよ? ラブラブできたとしても、今の貴女としての記憶はありません。それでも――」
「うるさい。そんくらいジェイへのラブパワーでどうにかするわよ。いいからさっさとしろっ!」
 今度こそ、両腕より灼熱の炎でも生み出しそうな気迫のエミリア。そんな彼女を目の前にし、キースが逆らえるはずもなかった。
 慌てたように瓶の蓋を外し――
 びゅっ!
 そこで突風が吹いた。その上、キースはうっかり手を滑らせ、瓶を大きく傾けてしまう。砂は全てとはいかないまでも、三分の二ほどが零れ落ちた。その結果……
「んっ……」
 エミリアは顔の前に手を置き、眉をしかめて声を漏らす。
 まず風下にいた彼女に砂が降りかかった。そして、砂粒の流れはそれでは留まらず、更に突き進む。その進路上には、ジェイらと同年代の男女数名と道具屋の親父がいた。当然、エミリアを含めた数名は――
 ぼんっ!
 ちょっとした物音と共にエミリア、そして男女数名組が一気に縮む。いずれも、十歳に達していないだろう子供となっていた。子供たちは一瞬きょとんとして辺りを見渡したが、直ぐに元気いっぱい駆け出した。かつてのように、遠い昔にしたように、何かの遊びに興じようというのだろう。
 一方、親父はそれ程変わらない。勿論、小皺がところどころ消え、黒髪の中に疎らに混じっていた白髪もまた消え、見た目は若干だが変わっている。しかし、基本的に生活習慣が昔から――少なくとも七、八年程前からは――変わっていないのだろう。しばらく訝しげにしていたが、直ぐに先程までと変わらない動作を始めた。数年来変わらない日常なのだろう。
 とまあ、それはいいだろう。それよりも気になるのはエミリアの動向だ。彼女は真っ直ぐに、先程ジェイとケイティが逃げた方向に向かっていった。
「もしかして本当に記憶がそのままなのだろうか…… 気になるな……」
 そう呟いて、キースはエミリアの背中を追った。

 フードを目深に被り、足早にアリアハン城とは逆方向へ進む者がいる。その者はわき目も振らず繁華街に向かっていた。しかし――
「申し訳ありませんが、お戻りいただけますか? 姫様」
 突然、路地から声が聞こえ、足を速めていた者は立ち止まる。その者は声をかけられた通り、ここアリアハンの姫君であった。名をティンシアという。ティンシアがゆっくりと声がした方を向くと、そこには見知った顔があった。
「……見つけるの早すぎだよ。リア」
「伊達に長い付き合いなわけではありません。姫様の向かわれる先くらいは分かります」
 声を掛けられた女性――リアは、路地から歩み出てティンシアの前まで進む。そして、おもむろに手を上げ、ティンシアが被っているフードを脱がした。
「さあ、帰りますよ。魔法学の先生がお待ちです」
「えー、ちょっとだけ買い物したっていいじゃない。朝から、歴史学、統計学、哲学、エトセトラ。ちょっとくらい休憩しても――」
 指を折りつつ朝からのスケジュールを思い出したティンシアは、それだけでうんざりしたのか表情を歪めた。
 しかし、リアは呆れたようにため息を吐いただけで、やはり、帰りましょう、と口にした。
「……リアの頑固者。ちょっとくらいさぼっても――」
 唇を尖らせて言葉を紡いだティンシア。しかし、その言葉は最後まで続かない。というのも……
 ぼんっ!
「…………………………ティンシア?」
 リアは目の前で起こったことに疑問を抱かずにはいられない。即ち、ティンシアの体が一気に縮んでしまったという現状に。
 当のティンシアは、右手の人差し指を口にくわえ、辺りをきょろきょろと見回してから、目の前のリアをどんぐり眼に映し出す。そして、小首を傾げて舌足らずな声で、
「おねえしゃん、だあれ? あたらしいじじょのちと?」
 と、可愛らしく訊いた。
「……!」
 リアは衝撃を受けたようによろめく。
 そして――
 ぱっ! だああぁあぁああっっ!!
 ティンシアを抱えて、城へと駆けた。そして、ティンシアと共に彼女の部屋へ引き篭もる。
 偶に部屋の外に出てくるリアは嬉々とした表情を浮かべ、勢い込んで誰彼構わずに子供服を所望して回っていたという。

 アリアハンの町の西門近くは緊迫した空気が流れていた。そこここで火が燻り、草木の焼ける臭いが鼻をつく。怪我をした者はいないようであったが、だからと言って、炎が飛び交う現場を歓迎する者はいないだろう。
 この炎が、ケイティを苛めようとした少年少女数名の尻を燻ったのは数分前。しかし今、炎は苛めから救われた当のケイティに向かう。もっとも、それは牽制のようなもので、ケイティ自身に直接向かうことはなかったが……
「ジェイのばか! いっつもケイティケイティって! ジェイは私とケイティ、どっちが大事なの!」
 炎を生み出している少女――エミリアは、目つき鋭く叫んだ。
 数分前に苛めっ子全員を撃退し終えた彼女は、ジェイとその妹に瞳を向けた。その視線の先では、彼らが仲睦まじく手を取り合い、顔をつき合わせて微笑み合っていた。魔法に秀でた少女は、それが気に入らない。
 ジェイはケイティを背に入れ、エミリアを説得しようと試みるが――炎が飛び交っていることからも分かる通り、功を奏してはいない。
 そんな彼らの様子を遠巻きに見ている者の一人――キースは、先程の判断は早計だったことを知った。エミリアもやはり、記憶ごと時間を遡っているようである。それは、先程――エミリアがまだ小さくなっていなかった時、ジェイがケイティと仲睦まじくしていた際に、エミリアが特別憤っていなかったことから分かろう。成長するにつれ、エミリアも少しは妥協という言葉を知ったらしい。
 と、そんなことはともかく、小さなエミリアは全く落ち着く気配を見せない。ジェイ達に直接炎が及ばないよう配慮するくらいの自制心はあるようだが、それでもあちこちに炎を放つというのはいただけない。
「どうなってるんだ…… アリアハンの白き魔女が再臨だなんて……」
 野次馬の中には、悲壮な顔でそのように呟く者達もいた。
 アリアハンの白き魔女というのは、幼い時分にエミリアが冠していた渾名である。呟いた者は、昔彼女に燻られた口なのかもしれない。
 と、その時、その白き魔女の手元が狂った。ケイティが足を竦めている場所の手前に炎を放るつもりが、感情の高ぶりによるものか、放った炎はケイティに直撃するコースを取る。しかし――
「ケイティ、危ないっ!」
「あ…… お兄ちゃん、ありがと」
 ジェイが手を引いて駆けることで、ケイティは炎の有効範囲から逃れることに成功した。ジェイ、ケイティともに、胸を撫で下ろす。
 そして、エミリアもまた安心しているようであった。炎を生み出す手も止まり、ほっと一息吐く。ゆえに、一時的に平和な時が訪れる。しかし、それは本当に『一時的』であった。
 攻撃の手が止んだことで、ケイティはエミリアの機嫌が――そもそも、なぜ悪くなったかも彼女は分かっていないのだが――直ったと思った。そして安心したのだろう。彼女の瞳からは雫が零れ落ちた。
 先程から世話を焼いているジェイがそのような彼女を放っておくはずもなく、彼は優しく微笑んでケイティを胸に抱き、その頭を撫でる。そして、もう大丈夫だ、と声をかけた。
 魔女がお気に召さないだろう光景が広がる。当然のごとく――
 ぶわああぁあ!
 炎の飛び交う時が再び訪れる。
 しかし、その攻撃は専らジェイに向かった。さすがのエミリアも先程の不手際を意識して、牽制の攻撃であってもケイティを避けるようにしたのかもしれない。それに気づいたジェイは、ケイティを自分から遠ざけてエミリアとの攻防――エミリアが攻だけ、ジェイが防だけという変わった攻防だが――を続ける。
 そんな彼らの様子を、いまや安全圏でおろおろと見つめるケイティ。
 と、そのケイティが突然――
 ぼんっ!
 大きくなった。
「ああ。ケイティくんはもう効果が切れましたか」
 きょとんとしているノーマルケイティを目にし、キースは言った。そして、やはり効果は大体一時間くらいですねぇ、と呟く。
 とすると、ジェイが元に戻るのにあと数分、エミリアが元に戻るのには更に数分ほどかかることになるだろう。ケイティが元に戻っても、もうしばらくは騒ぎが続きそうである。
「……えと。どういう状況? これ」
 いち早く時を取り戻した少女は、遠い過去に見知った子供達が暴れている光景を見にし、訝しげに呟いた。元凶である一竜族が、責められることを恐れて説明を放棄したため、応える者はいなかった。