望みしその先に

 陽は何ヶ月もの間照り続け、大地を潤す恵みが齎される気配はない。
 作物は枯れ、貯水所は干上がり、人々の顔には疲れが、そして不安が浮かんでいた。
 ここは遥か東方の地ジパング。他国との交流をあまり取らず、古代から独自の文化を育んできた、通称『黄金の国』。
 しかし勿論、かの地に黄金が溢れているわけもなく、そこに住む人々もまた、他国の民と変わらないごくごく普通の者達である。
 その黄金の国は、先にも述べた理由から危機に直面している。すでに食糧が不足しているのは明白で、加えて水分ですら使用量に制限をかけなくてはならないほど。
 ここでは、神通力――魔法の力の強い者が当主となるのだが、その当主でさえもこの事態を好転させることはできずにいた。
 その者の名はヒミコ。ジパング国始まって以来の神通力を持つと謳われる女性である。

 白い装束に身を包み、自身の屋敷にある祭壇に祈るは当主ヒミコ。
 一切の雑念を捨て、祈り続けるその後ろ姿からは、魔力の感知をすることができぬ者にも感じ取れるほどの強い力をみることができる。
 しかし――
「なぜ…… なぜだ! 雨を降らす、それだけのことがなぜできぬ!」
 小一時間ほど集中を続けていたヒミコは、雨の気配を感じることができないことに絶望し、声を荒げた。
「わらわの力が足りぬばかりに…… 民は皆、今も苦しんでいるというのに……」
「ヒミコ様、一度休憩を取られたほうが…… お体を壊されては元も子もございませぬ」
「休んでおる時間などない! こうしている今も苦しんでいる者がおるのだ!」
 心配そうに声をかけてきた警備の男性に、ヒミコはイラついた様子で怒鳴る。しかし直ぐに、単なる八つ当たりでしかないその暴言を恥じたのか謝辞を述べた。
「すまぬ…… 許してくれ」
「いえ。それよりも水を持って参りますね」
「いや…… 水も不足している今、そう易々と――」
「ヒミコ様は朝から一度も水分を取っておられぬではありませんか! ここは是が非でも譲れませぬ!」
 と、今度は男が声を荒げた。とは言っても、そこに内在していたのは優しさ。
「いくらこの国の当主にあらせられるとはいえ、貴女様はまだ十八歳を迎えたばかり。あまり無理をなさいますな」
 先にも述べたが、この国では魔力の強い者が当主となる。
 ヒミコは生まれ持って強い魔力を持っていたため、この国での成人年齢、十六歳に達するのを待って直ぐに当主に選ばれた。
 彼女のもったいぶった物言いはその時から彼女自身の意思で使われるようになったものであり、当主としての威厳というものを十六歳の少女なりに考えてみた結果なのだろう。
「……すまぬ。貰うこととしよう。だが、量はそう多くなくてよい」
「はい。存じております」
 ヒミコの言葉に笑顔で答えてから、男は一礼して部屋を出て行く。
 祈りを捧げるための部屋には、ヒミコが一人残された。その顔には濃い疲れの色。
 しかし、彼女は男が去った後、再び祭壇に向き直る。男が戻ってくるまでの間も祈りを続けるつもりなのだろう、彼女はゆっくりと瞳を閉じ――
「天候を操るには少しばかり力が足りぬようだな」
「それでも何とかせねばならぬのだ」
 突然上がった侵入者の声にも驚かず、瞳を閉じたまま答える。
「珍しい反応だな。大抵は驚き、悪い時は斬りかかられたりするのだが……」
 先ほどまでこの部屋にはヒミコと警備の男性しかいなかった。そこで第三者の声が上がったのだから、たしかに驚くことが普通なのであろうが……
「御主の強大な魔力、気づかぬわけがあるまい。それでいて、御主には邪気のようなものが感じられぬし、特に警戒する必要もないと判断した」
 ヒミコがそう答えると、侵入者の男は――
「人が好いな。まあいいか、僕にとっては好都合なのだから」
 軽く呆れてから、肩をすくめてそう呟いた。
「それで、わらわに何のようだ?」
「ちょっと力を与えてやろうと思ったのさ。強い魔力を与えようとね」
 そう言ってから、男は懐から紫色をした球体を取り出す。そこから感じられる魔力は相当なもの。ヒミコ自身が持つ魔力を遥かに凌駕する。
「……そのようなもの、人に制御できるとも思えぬ」
 一瞥し、危険性を察知したヒミコは、男の誘いを断る。しかし、そこには強い迷いの気持ちが内在していた。
 男は瞬時にそれを窺い知り、誘惑を続ける。
「そう。たしかにそうだ。歳のわりに賢明な女だ。だが、力が欲しいのだろう? 制御は難しくとも、強い意志、そして貴様ほどの魔力を持つ者なら――わからないぞ?」
 ヒミコにとって、その誘惑はこの上もなく魅力に満ちたもの。
 民を救うための、今のところ最もよい方法だった。
「……魔力さえ足りていれば、雨を降らすこともできるのか?」
「そのようなことは造作もない。精霊に誓って嘘ではないさ」
 ヒミコの問いに、男は不敵に笑ってそう答えた。

 ざあああぁぁぁぁああ!!
「雨だ! 恵みの雨だ!」
「やったぁ! ヒミコ様、ばんざーい!!」
 明くる日、日照り続きだったジパングには、本当に久し振りに激しい雨が降りそそいだ。そして――
「やりましたね! ヒミコ様!」
「皆、遅くなってしまいすまなかった。許して欲しい」
 興奮冷めやらずヒミコの元へやってきて口々に礼を言った者達に、彼女は軽く微笑んで謝辞を述べる。
「何をおっしゃいます。こうして雨を降らして下さったのです。何の不満がありましょう」
「そうですわ。これでまた、作物も無事育つようになります」
 ヒミコの周りに集まった者達の顔には、一様に笑顔が浮かんでいた。
 彼女が愛し、そして望んでいたもの。
 強い疲労感を隠しながら、ヒミコはそんな彼らの様子を眺めていた。
 そして、そんなヒミコを離れた場所から遠目で見詰めているのは、昨夜彼女の屋敷に侵入し、力を与えた男。
「取り敢えず制御には成功したようだな。人間にしては中々やる。だがいつまで持つか…… 英雄の魂の糧にならないといいが」
 そう言って楽しそうに笑い、それでいて何処か悲しそうに俯く。
 彼の求めるものが何であるのか、それを知る術はない。

 それから二十年間、ジパング国を襲った災の悉くはヒミコによって取り除かれてきた。
 幾度も訪れた水不足、食糧危機、その他にも魔物の被害など、それらの全てを強大な神通力で解決に導くヒミコの噂は、遠く西方のエジンベア国にまで轟くこととなっていた。
 しかし、ある年の暮れ。ジパング国領内の一農村に八つ首の龍が現れ、村人全てが食い殺されるという事件が起きた。
 それに対し、ヒミコが採った対策は人々を戸惑わせる。
 即ち、一年に一度生贄を差し出し龍――おろちの荒魂を沈めよ、と。
 民はその言葉に耳を疑いながらも、ヒミコを信じるが故に従った。
 そのようなことが五年続き…… その事態に終止符を打ったのは、他国より来た旅人達であった。
 数年来、人々を苦しめ続けたおろちの死…… しかし、そこにあったのは喜びのみではなく、ひとりの女性――この国を、そして民をこよなく愛し、そしてそれ故に苦しんできた女の死。
 彼女の死は正しいことだったのか、そして彼女の選択は間違っていたのか。その疑問に、適当な理由をつけて結論付けることは容易だ。
 しかしそのようなことは無意味であろう。
 彼女が死んでしまったこと、彼女が人々を心より想っていたこと。それだけは純然たる事実であり、真実であり、そしてそれこそが全てなのだから。
 下らない評価は、後世の者達に任せればいい。
 今は、ほんの少しの喜びと、それ以上に大きな、辛い悲しみをただ感じていればいい……