望郷の果て
「すまぬ……」
「謝る必要などありませぬ、兄上」
沈痛な面持ちで声を絞り出した男性に、もう一人の男が苦笑して返す。一国の王とその弟の会話。
「しかしガヴィラ――」
「私は裁かれねばならぬことをしたのです。これは当然の罰…… いえ、私が犯した罪の重さを考えれば、寧ろ軽すぎる罰です。その上謝られたのでは立つ瀬がありませぬ」
そう言って笑うのは弟――ガヴィラ。
彼は、兄――ライラス国王の裁量によって国外追放が決定していた。しかし彼の言うとおり、その罰は罪に似合わぬ軽いもの。本来であれば彼は、極刑を言い渡されてもおかしくないのである。
ただ、事件のことを知る者がごくごく一部であることや、被害者らしい被害者もいなかったことなどから、ライラスは事件の公表を行わず、その罰を国外追放で止めたのだ。
「現状でも身内びいきと判断されかねぬのに、兄上がそのような様子では、家臣一同にいらぬ不安や野心を抱かせぬとも限りませぬ」
ライラスはしばし沈黙し、
「……わかった。これで別れだ」
そう言ってから、寂しそうに微笑み右手を差し出す。
ガヴィラはそれを一瞥してから、大きく笑って、差し出された手を強く叩く。
「さらばです。兄上」
そう言ってから、ガヴィラは早足で部屋の扉に向かい、ノブに手をかける。それをゆっくりと回し、開け放った扉から出て行った。
「ふう。何を血迷っていたのだろうな、私も」
野を行きながら、ガヴィラは独り呟く。
彼はライラスと別れた後、家臣の一人にルーラで他国へ送られてきたのだ。その家臣も戻り、今では独り、かすかに街が見える方向に進んでいる。
「権力など、何故あぁも欲していたのか…… 大事なのは民の暮らしだと知っていたつもりだったが、一時の欲に溺れてこの様だ。笑い種にもならん」
彼と兄は、その父から教えられた。民の平和を、笑顔を守れと――
しかし今回、彼はその教えに背いた。私欲に溺れ、実の姪をかどわかし、王権を兄から脅し取ろうとしたのだ。結果としては未遂に終わり、大事にならずに済んだ。ただし、それは結果論であり、場合によっては大規模な争いを生み、多くの死者を出していたかもしれない。
「不思議なものだ。メルを誘拐してまで欲した地位―― 今となっては、なぜそれほど執着していたのかわからぬ……」
そう言ってから、彼は遠く、空を見る。方向的にそちらには彼の故郷がある。
しばらくそちらを見詰めていたガヴィラであったが、苦笑してから進もうとしている方向に視線を戻した。
「ふっ、何を未練がましい。悔いてばかりいても仕方あるまいに…… 兄上の配慮で救われたこの命、精々その厚意に恥じぬように生きるとしよう」
呟き、ガヴィラは一歩を踏み出す。遠目に見える街まではまだまだ距離がある。
「君、明日から来なくていいから」
その日の仕事を終えたガヴィラに、食事処の店主はにこやかにそう言った。いくら今までろくすっぽ働いたことがなかったガヴィラでも、それが解雇を意味することくらいはわかった。
街に到着したガヴィラは、その当日より仕事を始めたのだが、どれも二日ともたなかった。飲食店の接客ばかりを選択していたのも悪かっただろう。育ちが育ちだけあって、言葉遣いの端々に偉そうな雰囲気が漂うのである。気の短い客は――いや、短くなくとも腹が立つ。
「……そうか。世話になった」
ガヴィラはそう答えて、重い足どりで店を出て、宿に向う。一応は貰えた給金も、その宿代にほとんどを持っていかれ、まさにその日暮らしとなるのは目に見えている。
帰り道、彼は明日の職探しの方針を考える。ここに来て漸く彼は、自分が接客業に向いていないのではないかと気付いたようで、明日は皿洗いで売り込もうと考える。
しかし、ガヴィラは気付いていない。一度も皿洗いをしたことのない者が、仕事でいきなり大量の皿を洗うのはかなりの無茶であると――
まあ…… 本人がやる気満々であるため、他人にできることは精々が、明日働くはずの仕事先に閑古鳥が住み着いていることを祈るくらいである。
「オッサン、金置いてけや」
その時、ぼーっと歩いていたガヴィラの前に一人の少年が立ちふさがった。所謂、カツアゲというやつだ。
少年は鋭い目つきでナイフを構えている。
「悪いのだが、昨夜と今夜の宿代分しかない。他を当たってくれ」
「ふざけんなっ! だったら、その宿代置いていきやがれ!!」
「妙なことを言う小僧っ子だ。それでは代金を踏み倒さねばならなくなってしまう。そのようなことはできぬ」
表情を変えずに淡々と話すガヴィラ。さすがに少年は頭にきたようで、
「知るかよっ!」
そう叫びながらナイフで切りつけてくる。
ガヴィラは向ってくるナイフを寸前で避け、それを握る少年の手を掴み捻り上げる。
「うっ」
カラン。
少年は軽い呻きを漏らしナイフを落とす。
ガヴィラも一応王族。護身術のひとつも身に着けてはいるのである。というより、そんじょそこいらのチンピラには負けない程度の腕はある。
「感心せぬなぁ、少年。金銭を得たいのなら、それに見合う労働が不可欠だ。いや、というより、君の歳ならば親が面倒を――」
「親なんかいねぇよ!」
ガヴィラの言葉を遮り、少年は一層声を荒げてそう言った。
「それどころか、家族と呼べる奴なんか一人もいねぇ。俺は一人だ。それで、この歳で生きようと思ったら盗みでもするしかねぇじゃねぇか!」
「……そうか。私と同じだな」
「ああ?」
少年に憐憫の瞳を向け言ったガヴィラに、当の少年は不機嫌な面持ちと声で聞き返す。
「何が同じだ! オッサンの家庭の事情なんか知らねぇがな。オッサンは立派な大人じゃねぇか! 俺と違っていくらでも働ける! どうにでもなんだろ!」
ガヴィラを親の敵のように睨みつけ、力の限り叫ぶ少年。
それを見たガヴィラは軽く微笑み、捻り上げていた少年の腕をゆっくりと放した。解放された少年は、跳んでガヴィラから離れる。
「なんで放したっ?」
「いや、つい可笑しくてな」
「馬鹿にしてんのかっ!」
腹をよじらせて答えたガヴィラに、少年は拳を握って相対し叫ぶ。しかし、ガヴィラは首を振って――
「そうではない。『立派な大人』のはずの私がまともに職に就けないのが可笑しかったのだ」
「は?」
少年が間の抜けた声を上げる。
「私はこの歳まで仕事らしい仕事などしたことなどなかった。そのせいとは言わぬが、どうにも接客というのが不得手で――」
「あんた、何か偉そうだもんな。そりゃ、接客は向かねぇよ」
しみじみと言ったガヴィラに、少年は鋭いツッコミを入れる。
「やはりそうか。ならば明日は皿洗いでもしようか、と思っていたのだが……」
「あ〜、駄目駄目。たぶんあんたは、皿割りまくって天引きされる。働いて給料もらうどころか、借金作りかねねぇよ」
ガヴィラは天引きというのが何かわからなかったが、後に続いた借金という単語で大まかな内容を窺い知り、困った顔になる。
「そうか……? しかしそうすると私は何をすれば」
「ん〜、体力に自信はあるか?」
「ああ、鍛錬は日常的に行っていたゆえ、そこは問題ない」
ガヴィラは城にいた時分、近衛兵隊長などに手ほどきを受けていた。基礎体力は一般よりは高いだろう。
「そうすっと、工事仕事なんかいいんじゃねぇか? 偉そうでも、やることやりゃあ文句もそう出ねぇだろ」
最近、この街では道路整備が盛んだ。工事の働き口は探せばいくらでもある。斯く言う少年も無差別に頼み込んだ口だ。当然撥ねつけられたが……
「って、何で和んでんだ! 俺!」
そこで頭を抱えて叫ぶ少年。追いはぎしようとした人物と和やかに話しているというおかしな事態に漸く気付いたようだ。
「ははは、中々面白いな、少年」
「うるせぇよ! 金よこさねぇんなら俺は帰る!」
叫んで踵を返した少年を、ガヴィラは呼び止める。
「少年」
「ああ?」
「どうだ。家族のいぬ者同士、『家族』にならぬか?」
突然のガヴィラの提案に少年は目を丸くする。
「はあ? オッサン、馬鹿か? 何でそうなんだよ」
「私は君が気に入った。それだけだが?」
そうガヴィラが答えると、少年は愈々顔の呆れ色を強くする。
「あんた、どんな暮らししてたんだよ。何か色々おかしいぞ」
「そうか? ああ、私はガヴィラ。君の名は?」
ガヴィラは少年の言葉に軽く答えてから、漸く話し相手の名を訊く。
「へ? ギーアだけど…… って、俺は!」
思わず答えてから、ギーアは妙な話の展開に断然抗議しようとした――が。
「……いや、やっぱいいかもな、その話。取り敢えず今夜はオッサンの宿でお試しお泊りといこうぜ」
笑みを浮かべてそう答えた。
ガヴィラが大層喜んだのは言うまでもない。
それから八年。結局、ガヴィラとギーアはずっと共にいる。
あの日――ガヴィラがギーアに『家族』になろうと言ったあの日、ギーアはガヴィラが寝ている隙に持ち物を盗んで消えるつもりでいた。
しかしガヴィラが、金がないにも拘らず中の上程度の宿に泊まっていたため、ギーアはつい我慢できなくなり、下の下クラスの宿を紹介した。他にも世話を焼いている内に、彼はすっかりガヴィラとの暮らしになじんでしまったのである。
今では働き口を自由に選べるような年齢に達したギーア。仕事に励み、まっとうな暮らしに身を置く真面目な青年になっている。ガヴィラの影響があったかどうかは――
「ガヴィラさん。これプレゼントです」
「プレゼント? 私の誕生日はまだだが……」
仕事から帰ってくるなり、綺麗に包装された箱を差し出したギーアに、ガヴィラは不思議そうな視線を送りそう言った。
「違いますよ。今日は貴方と『家族』になった日ですから」
「ああ、そうか」
「私がこんな風にまともに暮しているのも貴方のおかげです。どう感謝すればいいか……」
畏まって言ったギーアに、ガヴィラは苦笑して声をかける。
「よしてくれ。私はもう、君を息子のように思っている。そのように畏まれてはむずがゆいよ」
そう言ってから少し沈黙し、
「それに、感謝したいのは私も同じだ。君がいたからこれまで強く生きられた」
「ガヴィラさん……」
「守る者がいる。それだけで強くなれる。それは王も民も同じだな」
微笑みながら言い、そしてそこから苦笑気味に唇を歪め、さらに続ける。
「今では接客も皿洗いも何でもできるようになったしな」
「料理も上手くなりましたよ。昔は炭を作ってましたからね、ガヴィラさん」
と、ギーアも苦笑して続けた。
二人は笑い合う。
ひとつの家族の形がそこにはあった。
見ろ、魔なる子よ。あそこの者の願い叶えてやらんか?
「あの者か? 現状、あれで楽しそうであるし、僕らが手を出さずともよいと感じるが……」
お前の計画には大量の魔力が必要だ。かのものを遣って強い絶望を生み出し、私の力を増大するのがよいと思うが? 大規模ないさかいを生み出し易いあのような人物はそうおらんぞ。
「それは…… ふぅ、まあいいだろう。僕も人の道を語れるような人格者ではない。実際、魔力を集めておきたいのも事実だ。その話乗ろう」
ならば一時的に体を貸せ。あの者を一つの欲求のみに過剰に反応するように操る。今のままでは話を持ちかけても効果はないだろう。
「構わんが…… 悪趣味だな」
ふっ…… 何を今更。
それからしばらく後、サマンオサ国に暗雲がたち込める。
その暗雲を吹き飛ばしたのは、数年来行方知れずになっていた第一王位継承者メルシリア=デル=フォーン=サマンオサだった。
そして、それからまたしばらく経ったある日。
「ガヴィラ、入るぞ」
そう一声かけてから部屋に入るのは、サマンオサ国国王ライラス=デル=シリア=サマンオサ。
「兄上……」
「……すまない」
表情を歪め、言葉を搾り出すライラス。
そこでガヴィラはやはり苦笑する。いつかのように……
「八年前を思い出します。尤も、今回は相応の罰が用意されたようですが」
そう言って、瞳に悲しみを映し俯く。
「ただ、民を守るべき立場に、今はそうではないとはいえ、かつてそういう立場にあった私が、多くの民を殺めた。死をもってしても償えるとは思えませぬ……」
「……………」
ライラスは長く沈黙した後、訊く。
「なぜ、なぜあのような真似を…… 今のお前を見る限り、あんなことをするなど考えられん!」
ガヴィラは再び苦笑してから答える。
「正直、私にもわかりませぬ。意識はありました。しかし、自分を抑えることができなかった」
それを聞いたライラスは、少し表情を明るくして――
「魔法の道に明るいものが、ある程度の心の操作は可能であると言っていた。だとすれば……」
「いえ。そうだとしても、これは私の罪です。かつて罪を犯しておきながら、この国を追放されておきながら、ここに帰りたいと願っていた私の愚かさゆえの罪」
ガヴィラの言葉に、ライラスは眉根を寄せて俯く。
「それを――そのような純粋な願いを、罪と言ってくれるな」
「……………」
今度はガヴィラが長い沈黙。
ライラスは一度両目を手で覆ってから、すくっと背を伸ばし、毅然とした態度でガヴィラに相対す。
「此度の処刑。公開はせずに内密に行う。民には此度の反乱の主犯を貴族の一人であるとして説明し、ガヴィラ=デル=アイゼン=サマンオサの名は出さぬようにする」
「……感謝します」
微笑むガヴィラを、ライラスは苦渋の表情で見詰める。
「……そろそろ処刑の時間だが、最後に願いなどはあるか?」
「ギーアは……助かりますか?」
ライラスを真っ直ぐと見詰め、ガヴィラは問う。
「極刑は免れた」
「そうですか」
ガヴィラは息を深く吸ってからゆっくりと吐いた。
「だが、自分でお前の後を追うかもしれんぞ」
ここに来る前に見てきたギーアの様子を思い出し、ライラスはそう答えた。
ギーアはひたすらガヴィラの心配をしていた。ガヴィラを許してくれと、彼の罪も自分が被ると……
「……では、伝言を頼まれてくれますか? 兄上」
「いいだろう」
「何があろうと生きてくれ、息子よ…… そう、伝えて下さい」
ライラスは苦笑して、
「わかった」
と答え、
「来世というものが本当にあるのなら、再び相見えることを願おう」
微笑んでそう言った。
「その時は、また兄上の弟として生まれたく思います」
ガヴィラの言葉に、ライラスはただ頷いて、二度手を叩いた。
ぱん、ぱん!
「……はい」
「死刑囚を処刑台に」
部屋に入ってきた兵士に、そうとだけ告げて部屋を出て行く。
「また会いましょう…… 兄上」
見えなくなった背中に、ガヴィラはそう呟いた。
その日サマンオサ国民は、名も知らぬ貴族の死の知らせにより、悲しみを和らげた。
そして蛇足ながら、数年の後、第二王位継承者ガヴィラ=デル=アイゼン=サマンオサが、他国の文化を学ぶ諸国漫遊の折に事故死したとして大々的に葬儀が執り行われた。その御遺体は損壊が激しく、民衆の目に触れることはなかったという……