彼の希望

 デルコンダル王国――ラダトーム王国から遠く南東に在る四方を海に囲まれた島国。しかし、王城のある首都が内陸の山麓にあることから、漁業よりは農業に力を入れている、人間の住まう国として一番の規模を誇る大国である。
 このところ、魔族の住まう国であるラダトーム国へ戦争を仕掛ける計画が進んでいる、という物騒な噂や、化け物を生み出す研究を国家単位で行っていて、それに起因して城では夜な夜な不気味な叫び声が聞こえる、などという気味の悪い噂が流れているのだが、観光に訪れた他国の者で賑わっている大広間を眺めている分には、そのような影をうかがい知ることは出来ない。
 ひゅっ!
 その人ごみの中に、転移魔法ルーラの光の軌跡とともに降り立つ者がいた。
 ざわっ!
 魔法を使う者は例外なく魔族である、というのが常識であるため、行き来していた者たちの間にはざわめきと共に緊張が生まれた。
 しかし、そのざわめきの因となった人物は、全く気にしていない風に目的の場所に向けて歩みを進める。その動きに合わせて、人の溢れていた道が開けていく。明らかに避けられているそのような状況でも、その者は無表情に進み続ける。
「魔族はどこだ!」
 ガチャガチャ。
 その時、完全武装をした兵士達が、鋭い目つきでやってきた。
 隅で縮こまっていた者達の内一人が、ルーラで降り立った男を指差すと――
「め、メイバン様っ! ご無事だったのですか!?」
 兵士達は目を見開いて叫び、その後、瞳に涙を浮かべてメイバンに近寄る。
「ラダトームに潜入し、そのまま…… そうお聞きしておりましたゆえ、このように再びまみえることとなり、我ら兵士一同――」
 むせび泣きながら、兵士達のまとめ役と思しき中年の男性が声をかけた。しかし、その言葉は遮られる。
「メイバンっていうと数年前に陛下が養子にした…… この国の王子は魔族だったのか……」
 汚いものでもみるような目つきで、二十代半ばくらいの男性がメイバンを見た。これには兵士達が色めき立つ。
「貴様! メイバン様になんたる無礼な!」
「メイバン様を魔族などと一緒にするな! メイバン様は――」
「いい。気にしてはいない。それよりも、君」
 目つきも鋭く男性を叱咤した兵士達を、淡々とした口調でメイバンが止める。そして、そのままの口調で男性に声をかけた。
「僕は魔族ではないが、奴らと同じ化け物だ。君の認識は改めなくていい」
「は?」
 言われた男性は、咎められるかと身を固めていたのだが、メイバンの言葉に虚を衝かれた形になり呆けた。
 当のメイバンは、そんな男性の様子を気にかけるでもなく、目指していた場所に向けて再び歩みを進めた。
「め、メイバン様。どちらへ?」
「城だ。父上に話がある」
 自分のペースで王城を目指すメイバンと、そんな彼を重い装備に苦労しながら追いかける兵士達。
 しばらくは、そんな一同を話題にしてざわめいていた広間であったが、数刻の後には日常のざわめきに戻っていた。

 デルコンダル城は非常にシンプルな装丁をしている。ラディアント=デルコンダル王は見栄による無駄な装飾を嫌い、民から集った税も民のための設備を建設する資金にあて、還元している。加えて、対外政策へも優れた才覚を発揮し、この国とならぶ大国ベラヌールとも良好な関係を続けている。
 しかし、彼は魔族を極端に嫌う。この点に関して言えば、行き過ぎという評価が正しいだろう。そのような彼の性質が、ラダトームとの戦争を計画していると噂される要因でもある。もっとも、魔族を嫌う者が多いこの国では、その点までもが、人々が彼を支持する理由となっているのではあるが……
 こんこん。
「失礼します」
 がちゃ。
 ノックをしはしたが、メイバンは部屋の主であるラディアントの返事を待たずに扉を開けた。
「め、メイバン! 帰ってきたということは、まさかラダトームの化け物どもを――」
 初めは驚いていたラディアントであったが、メイバンが無事帰ってくることの意味を考えその表情を輝かせる。しかし――
「いえ。ラルスもルクセファールも、リシティアートも健在なままです」
 メイバンの口から紡がれた言葉は、ラディアントの期待を大きく裏切るものであった。
「な、なんだとっ! 貴様! 何のためにかの国まで行ったと心得ている!」
「化け物どもを屠るため…… しかし、僕では力及びません。父上、僕のような化け物を他にも?」
 目つき鋭く叱咤したラディアントであったが、メイバンの言葉を聞いてにやりと口の端を上げた。
「なるほど…… 数で責めればということか。わかった。こっちに来い」
 そう言って、壁に向かって歩き出す。
 そのままでは壁に激突してしまうところだが――
 かちゃかちゃ。
 がたっ。ごー。
 ラディアントが壁の一部に手を置いて何かの作業をすると、壁の一部が奥へと引っ込み、その後左へスライドしていく。その壁の更に奥には、地下へと続く階段。
「来い」
「……」

 ぎゅあぁあぁぁああぁあ!!
 くきゃあぁぁあああぁあ!!
 けけけけけけけけけけけ!!
 メイバンとラディアントが地下へ辿り着くと、そこでは異形の者達が、檻の中で足の竦むような叫びを上げていた。
 獅子の体に人の頭をのせた生物。三メートルはあろうかという化け物鳥。牛のような角を生やしたごつい体の人型生物。
「この通り、お前以来完全な人型のままでの成功例はいないが…… 統率を取る者さえいれば、こやつらの強大な魔力も役に立とうよ」
「……この者たちは、元は普通の人間だったのですね。……なぜこのような」
「我らの研究は、生物に無理に魔力を注入する。個体によっては拒絶反応を起こし、このような奇形の化け物となるのだ。どうだ。これに比べれば、お前などははるかにましな化け物だろう?」
 意地悪く笑いながら言ったラディアントには取り合わず、メイバンは苦渋の表情で口を開いた。
「この者達はどのような?」
「皆、死刑囚だ。お前のように養子にしてまでというのは、拒絶反応を起こす可能性が低そうな者だけだ」
 ラディアントの答えを聞いたメイバンは、硬い表情を崩さずに沈黙し、異形の者達を見回した。
 どの者も恐ろしい形相をしていた。しかしメイバンには、そんな戦慄を覚えるような顔から、悲しみしか見出せなかった。
「……罪を犯した者とはいえ、このような――」
「確かに私も本意ではない。しかし、魔族どもを滅ぼす上で最大の障害となる化け物どもを屠るためだ。多少の犠牲は仕方があるまい」
 その言葉を聞いたメイバンは眉を歪め、辛そうな表情になった。
「多少の犠牲は仕方がない…… そう……だな。だから僕は――」
「なんだ?」
「いえ」
 不自然に言葉を区切ったメイバンにラディアントが訊き返すが、メイバンはそれに適当に応えてから話題を変える。
「それよりも、研究の資料も全てここに?」
「ああ」
「では、研究に携わる者も、あそこで作業している者達で全てですか?」
 そう言ってメイバンが指差した先では、白衣を着た者達が十数名、それぞれ何かの作業を行っていた。
「そうだ。このような研究、外に知れてはまずい。研究者はここを出ることもなく、ひたすらあのように作業を続けている」
 応えてからラディアントは、いらぬ事を話した、と呟いてメイバンに鋭い視線を送った。
「……そんなことはいい。メイバン、今度こそこの化け物どもを連れてかの地に向かい、我が期待に応えてみせよ。それが叶わぬ時は、潔く散れ。今回のように戻ってくることは許さん」
 どう聞いても暴言であるその言葉に、メイバンは憤るでもなく無表情で――
「ベギラマ」
 ぶわあぁああぁぁああ!!
 閃光が地下の暗闇を貫き、白衣の集団に突き刺さる。轟々と燃える炎が静まると、そこには黒く巨大な塊が十数体転がっていた。
「次は……」
「め、メイバン! 何を――」
「これ以上僕のような化け物を創らせるわけにはいかない。多少の犠牲は……仕方がない」
 そう言って、メイバンは次に大量の資料に向けて炎を放った。
 ぶわっ! ぼぉおっ!!
「や、やめろ! やめろぉお!」
 ラディアントはメイバンから離れ、机の上にあったボタンを押した。すると、異形の者達を入れた檻が開放される。
「お前達、こいつを殺せ!!」
 そして、ラディアントはその自由になった者達に命じた。しかし――
「どうした!? なぜ動かない!」
 異形の者達は一人としてラディアントの指示を聞かなかった。大人しくその場に留まり、メイバンをじっと見つめる。
 メイバンはその様子を悲しそうに見つめ、
「このようにしか救いを与えられない僕を、許してくれ」
 そう呟いて紅蓮の炎を生み出し、異形の者達に向けて放る。
 ぐぎゃ嗚呼あああぁああぁぁあああああぁあ!!
 断末魔の叫びが地下を反響し、そうして黒い塊が新たに転がった。
 地下には、一組の親子だけが残されることとなった。
「きっさまぁあ! この国の希望を、よくもぉお!」
「ラダトームを滅ぼすための希望、というのが正しい表現でしょうね」
 激昂し、叫んだラディアントに、メイバンは相変わらず淡々と応えた。
「それは同義だ! かの国を滅ぼすことこそ、我が国の希望!」
「それも違います。それは貴方個人の希望だ。魔族を嫌う者こそいても、その全てを駆逐することを望んでいる者などそうはいない。ましてや、戦争ともなればそれを望むものなど――」
「しょ、所詮化け物は化け物の味方か! 魔族の滅亡こそが世の真理! 人間の安寧に繋がるのだ!」
 メイバンの冷静な意見を遮って、ラディアントが狂ったように叫ぶ。
 実際に狂っているとしか思えないその叫びに、メイバンは哀れみの瞳を向け、
「今後も同じように研究を続けるというなら、その度に、僕の命が続く限り破壊をもたらしに来ます」
 慇懃に言葉を紡いだ。
 ラディアントはそんな彼を憎憎しげに見詰める。
 それを見返しながら、メイバンはほんの少し弱弱しく微笑む。そして再度口を開いた。
「二度とお会いしないことを願っております」
 そこで魔力を集めだすメイバン。
「失礼します、……陛下」
 ひゅっ!
 瞳に憎しみでも怒りでもなく、悲しみのみを携えた男は、光の軌跡を生まずに瞬時に姿を消す。
 一方、残されたラディアントは、瞳にギラギラした怒りのみを携え、悔しそうに唇を噛む。しかし、荒れ果てた地下を見回すと――
 がくっ。
 諦めたように瞳を伏せて座り込んだ。

 その日から、城で夜な夜な不気味な叫び声が聞こえる、というデルコンダル国の黒い噂の一つは囁かれなくなり、戦争を起こそうとしているという噂までも冗談半分の頼りないものに成り下がったと聞く。