望みの変遷

 僕は、気が遠くなる程の時を生きて、戦闘の訓練を積み、自分の進む道を自分で決め、肉体的にも精神的にも凄く強くなった気でいた…… でも、無性に辛くなる時がある。悲しくなる時がある。
 父さんはあの日、死んだ。
 姉さんも、母さんも、今は側にいない。
 母さんと会えないのは僕が選んだ結果ではないけれど、姉さんと会えないのは僕が選んだ結果――僕自身で決めたことだ。
 それなのに、どうしてこんなに――

 ある青年が紅く染まった手を川で洗い流していた。そこに染んでいるのは血液。彼はつい先程人間を何人か殺したのだ。
「ゾーマ」
 ふいに、背後から青年に呼びかける者がいた。二十代後半程度に見える男性だった。
 青年はそちらを一瞥しただけで、特に返事もせずに手の洗浄作業を続ける。
「返事くらいして欲しいものだがね」
「……何の用だ。説教なら聞かないぞ」
 苦笑して言った男性に、青年は振り返り漸く言葉を返す。
「なに。昔取ったきねづかというやつで、私はちょっと珍しい魔力の使い方を知っていてね」
 男性のもったいぶった物言いに、青年は目つきを鋭くする。
「話が見えん。用が無いなら姿を見せるな、鬱陶しい」
「これは随分だね」
 厳しい言葉をかけられた男性は、苦笑してそう呟く。
 青年はそれに取り合わず、男性の横を抜けていこうとした。
「意思を有した道具の製造――興味はないか?」
 ぴく。
 青年は微かに反応を示す……が――
「……下らん」
 そうとだけ呟いて、男性には目もくれずに歩み去った。
 残された男性は……
「ふふ。相変わらず、素直じゃないな」
 口元を押さえて笑いに耐えながらそう言い、姿を消した。

 ある国に在る数十年前に廃れた神殿。今は当然誰も手入れを行うこともなく、偶に若者がたむろしているくらいである。
 青年はそこで一心不乱に作業を続けていた。
 加工のための炎と水の魔力、そして意思を与えるための強大な魔力と緻密な操作。
 男性にその方法を聞かなかった彼は、自力で研鑽を積み、一年の後にこうして実行に移したのだ。
 その努力の集大成が今ここに生れ落ちようとしている。
 しゅうぅうぅぅう……
 熱を帯びた金属が、水の魔力によりその熱の放出を始める。勢いよく吹き出た蒸気が天井に上り詰めた。
「形状はこれでいいか…… あとは――」
 独白してから青年は再び集中する。
 強大な魔力を集め、その全てを出来上がったばかりのものに注ぎ込む。その過程で、特定の操作を織り交ぜることも忘れない。
 しばしの集中を経て――
『……我は……』
「ふぅ…… 成功か」
 定着した魔力。発せられた声。彼の狙い通りに意思を有した武具が生まれた。
『……主は?』
 問われた青年は、笑みを貼り付けて黄金色に輝く武具を見詰める。そして――
「僕の名はゾーマ。君を生み出した者だ」
 彼がそのように言葉を紡いだのとほぼ同時に、神殿の外では――街では騒ぎが起きだしていた。
「魔物だー! 魔物が出たぞー!」
「何だ、この数は……! 幾らなんでも異常だぞ!」
 そこかしこからその様な叫びが上がる。
 青年はゆっくりと神殿の窓際に移動し、そこから外を眺めた。
 なるほど確かに、彼の視界の内には数え切れないほどの魔物が集まっていた。
「こいつは……まずったな。外部への魔力干渉にまで注意が回らなかった。まあ僕が持つ分には、魔物が際限なく増えようがどうしようが知ったことではないが、こういう街中では激しく近所迷惑だな」
 青年は窓に腰掛けて足を組み、右手を額に当てて考え込むように瞳を閉じた。
 そして、しばらくすると面倒そうに立ち上がる。
「取り敢えず、後始末くらいはするか…… 君にも手伝ってもらおうかな」
 そう口にすると、手の中にあった武具を右手に嵌めて神殿の扉へ向かう。
『手伝うとは――』
「僕がある力を君に注ぎ込む。そうしたら君は、それを強めたいと強く望んでみてくれればいい。それで上手くいくはずだ」
 そのように簡単に説明を終えると、青年は目にとまった魔物に対して近寄り――
「いくぞ」
 とだけ呟いて、武具に対して戦闘のためのある力を注ぎ込む。一般に気功と呼ばれる力の光を……
『……』
 武具は、とにかく先程言われたように願う。すると――
 しゅっ!
 武具の刃の部分――爪のような部分に沿って光の刃が生まれる。
 それを確認した青年は、その刃を魔物の胸目掛けて突き出した。
 それは意外な程にすんなりと魔物の胸に吸い込まれる。そして、青年がしばらくしてから勢いよく抜き放つと、胸に穿たれた穴からは鮮血が飛び散る。
「次だ」
 一体の魔物を屠っただけでは満足せず、青年は続けて気功を武具に注ぎ込む。
 武具はやはり同じように願い――
 ぶわっ!
 今度表出した効果は先程とは違った。武具からは衝撃波が打ち出された。
 その奔流は魔物数体を一気に飲み込み、そのまま息の根を止める。
「攻撃の形態に幾つか種類があるのか…… こいつは僕も予想外だな」
 先程生まれた衝撃の波が、魔物のみならず延長上にいた人間をも飲み込むのを見詰めながら、青年は呟いた。人間が巻き込まれようと、特別気にした様子も無い。
 たっ!
 そこで彼は、突然宙へと飛び立つ。
 しばらく上昇を続け、街全体が見渡せるほど高く上がったらば視線をめぐらす。街には全体的に魔物が出現しているのが見て取れた。その事実を認識した青年は――
「これでは面倒にも程があるな…… さて――」
 その様に呟いてから目を閉じ、集中を始めた。彼の周りに魔力が集まる。そして……
「イオナズン」
 青年が爆発系最上位魔法を紡ぐと、彼の周りには数千とも見て取れる小さな光の粒が生まれ出た。それらは青年の手が前に突き出されるのに伴い、街中に散らばる。
 そして、街のあちこちで響く炸裂音。
 その大多数は魔物を屠り、少数は誤爆を起こして人間や建物を粉砕した。
 しばらくしてその爆音が消え去ると――
「さて…… ここにいてはまた魔物が現れてしまう。行くか」
 青年はそう呟いて、中空から掻き消えた。

 生まれたばかりのものは疑問を持った。
 ゆえに、訊いた。
『おい』
「ん? 何だ?」
『主はなぜ我を生み出したのだ』
 それが、心を与えられた武具の抱いた疑問。
 青年はとても強い。武具が彼の気功の力を増強することができるとはいっても、彼にとってその程度の増強が有用だとは到底思えないのだ。
 問われた青年は一度武具の方を見てすぐにその瞳を逸らし、しばし逡巡してから口を開く。
「僕は……きっと寂しかったのだろう。僕は家族と離れ、友と呼べる者もいない」
 そこで彼は武具を真っ直ぐに見詰め、きっぱりと言った。
「僕の家族……そして友となってくれ。グレリアビス」
 素直すぎる言葉に、武具は言葉を失う。
 そして、しばしの沈黙の後――
『……それが我の名か? ふん、最低な名だ』
「ははは、口の悪さが姉さんに似ていて実に好ましいな」
 武具のひねた答えに、青年はそう言って可笑しそうに笑った。
『……変わった奴だ』
 武具に顔というものがあって表情を作れるのであったならば、今彼の顔には呆れのこもった微笑が浮かんでいたことだろう。

 ある森には数多の魔物が溢れていた。近隣の村の作物を食い荒らし、時には人を襲う。人々は困り果てていた。
 しかし、当の森には、魔物をものともせずに暮らしている者がいた。
『おい』
「ん? 何だい、グレリアビス」
 他に誰もいない小屋で語りかけられたにもかかわらず、その小屋の唯一の住人はそのように訊き返した。
 それに対しても、どこからともなく声が響いた。
『魔物が発生する因は我なのであろう? 何か対策を立てようとは思わぬのか?』
 謎の声の疑問に、首を傾げてから青年が口を開く。
「なぜそんな必要が? 魔物とはいえ、誰も彼も襲うわけではない。こちらに敵意がなければ、向こうだって無駄な戦いなど避けるさ。現に、僕達に向かってくるのは偶々機嫌の悪い奴か、腹が極限まで空いた気の毒な奴くらいじゃないか」
 そのように言葉を紡いだ青年の視線の先には、黄金色に輝く武具が。
 そして、その武具が置かれている辺りから、ふぅ、という溜め息のような音が漏れた。
『我と主は被害に遭わずとも、近在の人間共が迷惑しているのではないか? 発生の因である我が言えた義理ではないが、この森の魔物数は異常であろう。森に足を踏み入れ数分と経たぬ内に、豪傑熊さんとこんにちは、などというのが珍しくないなど、近くに住む者にとって脅威以外の何ものでもあるまい』
 つらつらと紡がれた言葉。
 その言葉の発生元は、やはり卓の上に置かれている武具のようであった。武具が言葉を発するというのはいささか信じがたいが、このまま発声者不明の謎の声と認識し続けるよりは都合がいいので、声の元を武具にしてしまうとしよう。
 さて、武具の言葉に青年は軽く息を吐いて、ゆっくりと口を開く。
「そうかもしれないが、それは僕が君の魔力を抑える理由にはならない。どの程度抑えればいいのかも分からない上に、どの程度まで抑えてしまうと君の意識がなくなってしまうのかも分からない。そのような不安を抱えつつ、どうでもいい人間共のために君を――大事な友人を危険に晒すわけにはいかない」
 真っ直ぐな視線を向けつつ青年が紡いだ言葉に、武具はしばし押し黙ってから空気を振動させる。
『ならば我自身の魔力を抑えずにどうにかする術はないのか?』
 その振動を鼓膜で受け取った青年は、特別考えを巡らすでもなく口を開く。
「さあね。先にも言ったが、人間共なんてどうでもいいし、そんな方法を模索する気なんて起きないよ」
 肩をすくめてその様に言ってから、青年は笑った。
 ふぅ……
 それを受け、武具は再び溜め息のような音を漏らし――
『ここに住まう者達はかつて主を蔑んだ者達とは異なる。同様な性質の者達であるという予想を完全に否定できはせぬにしても、今のところ彼らは主の憎むべき相手とは成り得ぬ』
「そうだな」
『それを理解していたとしても、主はこの事態を収拾するつもりはない、と?』
「ああ。そうだ」
 武具の問いに、一切の躊躇なく素早く答える青年。
 その後、しばらくの沈黙があり――
 ふぅ……
 みたび武具から漏れ出た息。
『つまり、唯ひたすらに面倒だというだけか。やれやれ。少しは親切心というものを出してみたらどうだ』
「只今完売売り切れ中」
 そう答えて可笑しそうに笑った青年に対して――
 ふぅ……
 武具は四度目の溜め息を吐いた。

『今日は親切の在庫があるようだな』
「まあ少しはね」
 応えながら、青年は手に光を生み出す。その手を軽く振ると、前方で魔族――彼らが買い物に来ているのは魔族の国であった――を襲っていた魔物の一匹を炎が飲み込む。
 続けて青年がもう一方の手を振ると、後方で建物を壊していた猿の化け物が凍りついた。
「僕が買い物に来たせいで魔物が出たんだから、その後始末くらいはするさ。姉さんもよく言っていた。手前ぇのケツは手前ぇで拭けって」
『……主の姉は、本当に女なのだろうな』
 武具の言葉に、青年は一度目を見開いてから笑い出した。
「ははははは! どうかな? 僕も少し自信がない」
 そのようにしばらく笑いながらも、青年は手から衝撃波や光弾を生み出し魔物を屠っていく。
 ふぅ……
 青年のそんな様子に武具は、既に習慣になりつつある溜め息を吐いた。
 と、そこであることに気づく。
 即ち、彼らを敵意のこもった瞳で見詰める者達の存在に。
 そしてそれは、魔物から向けられるものではなかった。その国に住まう魔族たちのものだった。
 それというのも、どちらかといえば青年が加害者側に属しているためであった。
 青年は確かに魔物を倒している。それは間違いない。しかし、それと同時に魔族も多数殺していた。意図的にということはないだろうが、それでも魔物への攻撃に数多の魔族が巻き込まれていた。
 これでは敵意を向けられない方がおかしい。
『おい。もう少し術を調整してはどうだ?』
「ん? 魔族連中を巻き込むからか? まあいいじゃないか。僕らの知り合いという訳でもない」
 武具の注意に青年は、気にすることではない、というように淡々と言った。
『……人間に対してだけでなく魔族に対してもこうとはな』
「僕は平等で公平なんだ」
 呆れたように呟いた武具に、青年はおどけた様子でそのように言ってから、少し大きめの光弾を生み出して放った。
 その光弾はやや離れた箇所で暴れていた巨大な石像を砕き、その砕けた際の破片が周りの魔族や建物を襲う。
『氷結魔法を行使すれば、もう少し穏やかに倒せるだろうに……』
「姉さんに倣って派手に演出してるのさ」
『……まったく。主の姉がどのような者かは知らぬが、傍迷惑な者だというのは確かなことらしい』
「正解」
 その様に言葉を交わしながら、今度は武具に気功を込めて衝撃波を生み出す青年。
 その衝撃波は魔物のみを飲み込み、その魔物に襲われかけていた魔族の少年には傷一つつけなかった。
「……僕は全く気にせずに打ち出したんだが――やるな、グレリアビス」
『主といると、せめて我だけでも気を使わねばならんという気になるわ』
「それはそれは…… 均衡が取れていて結構なことで」
『ふん。偶には立ち位置を変えて欲しいものだがな』
 と、話を展開させながら、ある時は盛大に周りを巻き込み、ある時は周囲に一切の被害を出さず、国に発生していた魔物の大半を倒した青年と武具。
 そして――
「後は自分たちでどうにかできるだろう。僕らは帰ろうか、グレリアビス」
『不平を言われる前に逃げる、の間違いではないのか?』
「さて、どうかな?」
 呆れが多分に含まれた声質で武具が訊くと、青年は口の端を上げて応える。そして、瞬時にその場から消え去った。

「人間の国を二つと魔族の国を一つ、滅ぼしに行くぞ」
 青年が出し抜けに紡いだ言葉に、武具はしばし黙した。
 しかし、しばらくすると――
『いきなり何だ? ちょっとしたちょっかいを出すくらいならば今までもあったが、滅ぼすとはまた穏やかではないな』
 武具の言うとおり、彼らは時に魔族を、時に人間を殺したりもしていた。
 しかしそれは、それ程大規模なものではない。魔族を騙って人間を数人殺し、人間を騙って魔族を数人殺す。そうして魔族と人間の対立の構図を作り出した。
 そして、青年はそれをゲームと呼んだ。対立を続け、最終的にこの大地に残るのが魔族か人間か、それを見極めるためのゲーム。二つの異なる種族が存在するからこそ、そこに溝が生まれる。ならば、どちらか一方になるまで殺しあえばどうか? そのように考えた青年が始めた、何の工夫もない短絡的なゲームだ。
 しかし今、青年は言った。魔族と人間の国計三つを滅ぼしに行くと。これは二つの種族の対立よりは寧ろ、全く正反対の事態を生み出しかねない行動だ。
「力を持ちすぎた者達がいる。その結果、人間が魔族を、魔族が人間を奴隷にしているようだ。僕は、そういうのは好かん」
 武具の質問に、青年はきっぱりとした口調で言い切った。
 その内容にも釈然としないものを感じ、武具は続けて言葉を紡ぐ。
『ならばその奴隷を解放してやればよいだけであろう。何も国を滅ぼさずともよい』
 もっともな武具の言葉。しかし、青年はゆっくりと首を振った。
「そのような悪癖はそうそう消えるものではない。今この時奴隷を解放したとて、奴隷を扱う者達を残さず八つ裂きにしたとて、近い将来必ず同じことを繰り返す。だからこそ、力を持ちすぎたその国まるごと滅ぼさなければならない」
 それは、かつて蔑まれた者として、同じように蔑まれる奴隷を救いたいと願うゆえなのか。それとも、かつての自身の環境と似通った現状そのものを憎むゆえなのか。前者であれば奴隷は助かろうが、後者であれば奴隷も滅びに含まれよう。
 いやそれとも、彼は大々的に平等に殺すことで、彼らの憎しみを一身に受けようとしているのかもしれない。彼らが一つにまとまる機会を生み出そうとしているのかもしれない。そうであるなら、残酷でありながら、何と優しい者であろうか。
『恒久的に全ての憎しみを受けることなど不可能だ。まだ、どちらか一方を狩り尽くすという選択肢の方が現実的と思うがな』
 武具は青年の意図を予想し、そのように言った。
 それを受けた青年は肩をすくめて苦笑する。
「深読みし過ぎだ。僕だってそこまでする気はないし、できるとも思ってない。けれど――」
 青年はそこで言葉を止め、瞳を細めて寂しそうに笑った。
 そして、再び口を開く。
「とにかく、深読みのし過ぎだ。今回は本当に腹が立っただけだよ。急に滅ぼしたい欲にかられたのさ」
 青年は、弱冠軽い口調で言葉を紡ぎ、
「……ついて来るか?」
 しかし最後には、真剣さを瞳に携えて武具を見詰める。
 このまま突き進めば、青年に訪れるのはどう控えめに見ても不幸な境遇だろう。表面上は取り繕って見せても、今以上に辛い思いをするだろう。
 それゆえ、武具は彼を止めたいと思った。
 しかし、現状を続けることもまた青年にとっていいとは言えない。ならば――
 武具はそのようにも思った。
 そして結局、彼らは魔族の集う国――ダーマ国を目指した。

 紅く照らされる空。
 その下では、煌々と燃え上がる炎が建物を焼く。人を焼く。
 先刻までダーマ国だった空間。
 そこにいる生物は、もはや青年と武具のみであった。
 青年はまずダーマ国全土に爆発系魔法を散り散りに放った。それらは轟音と共に建物の大半を倒壊させた。それにより、国の大半の者はこの世を去った。
 そして、生き残った者達を青年が魔法で、気功で屠っていった。
 そのようにして、数刻の後には一つの国が消えたのだ。
 炎が踊る音以外は何も聞こえない滅びの地。
 そこで青年は思った。
「なあ、グレリアビス。存外、滅びこそ最も平和に近いのやもしれないな」
 誰も争うことすら、悲しむことすら能わず、ただただ横たわる。
 滅びは、青年の言うとおり、ある意味で平和であった。
 武具もまた、間違っていると知りつつも、そのように思った。
 だから――
『そう……なのかもしれんな』
 つい、そのように応えた。

「待て、ゾーマ! ここで会ったが百年目!」
 ふいに声をかけられた青年は訝しげに振り返る。するとそこには、剣を構えた男が一人いた。
 その存在を確認した青年は、剣を向けられているというのに表情を明るくした。
「あぁ、久し振りだな。確か……スソオノだったか?」
『いや確か、スサオノではなかったか?』
 少し考え込んでから自信満々に言った青年を、武具が正す。しかし――
「スサノオだっ! 同僚を殺られた恨み、今日こそ晴らしてくれる!」
 正しい名を叫んでから、目つき鋭く宣言して切りかかるスサノオ。
 青年はそれを避けたり、魔法で防いだり、武具で受けたりしている。
 スサノオは、以前青年が襲ったある村の自警団の一員だった。他の団員達は青年の攻勢に力尽きたのだが、スサノオだけはその卓越した剣の腕で独り生き残ったのだ。そして、青年の後を追って旅に出、幾度かの邂逅を重ねて現在に至っている。
「なあ、スサオノ。これから行く所があるんだ。というわけで、今日は遠慮してくれないか」
 スサノオの攻撃を悉く防いでいる青年は、にこやかにそう声をかけた。名前を再び間違えたのはわざとだろう。
「ふざけるなっ! 仇討ちしようという奴に、今日は遠慮とか後日改めてなんて話が通るか!」
 声をかけられたスサノオは、こめかみに青筋を立てて叫んだ。そして剣を横に薙ぐ。
 キィンッ!
 青年は武具の爪でその一撃を受け、更に腕を思い切り一振り。
「ぐっ!」
 スサノオは簡単に吹き飛ばされて地面に転がる。しかし直ぐに立ち上がり――
「って! 飛ぶな! 逃げるな! ずるいぞ!」
 彼が青年を地上で見止められず、空を仰ぐと、そこには悠々と飛び去る青年の姿があった。
 声をかけられた青年は、スサノオを見下ろして苦笑し、声をかける。
「逃げる者に逃げるなと叫んだところで仕方がないだろう? なに、用を済ませればまた相手をしてやるさ」
 そう言って、スサノオには追う術のない速さで飛び去った。
「待てーーーっ!!」
 後には、スサノオの叫びだけが木霊した。

『分かってはいたが、人間自体を嫌っているわけではないのだな』
「さあね」
 空を舞っている中、かけられた声に青年は簡単に応えた。
 そんな青年の視界の先に巨大な城が現れた。どこか宗教的な装飾がなされた城。
 人間が多く住まう国ランシールである。
「さて。こちらもぱぱっと滅ぼすとしようか」
 そう呟いた青年の手には光が集う。そして、その手を軽く振ると――
 ドドドドドドドドンッッッ!!!
 光弾が国中に飛び散り、激しい炸裂音を響かせる。
 国のそこここで爆発が起こり、建物が倒壊する。それに起因して聞こえる悲鳴。ランシールの昼下がりは、一瞬で地獄絵図と化した。
 青年はその惨状を無機質な表情で見下ろし、それからゆっくりと地上に降り立つ。
 そして、目に付いた者達に炎を、氷を、閃光を浴びせていく。
『……』
 武具は特別何も言わない。
 青年も何も言わずに殺戮を繰り返す。
「……メラゾーマ」
 ぶわあぁあ!
 路地裏に逃げ込んだ親子に向けて炎が放たれる。
 紅蓮の炎は彼らに迫り――
 すっ。
 静かに消えた。
「……随分と懐かしい魔力だ」
『何……?』
 口元を歪めて呟いた青年と、その言葉を受けて訝しげに呟いた武具。
 そして、炎が侵食するはずだった路地裏へ続く小路には、金の髪と瞳を持った女性が立っていた。
「ゾーマ!」
 女性は厳しい目つきで青年を見る。
「久し振りだね、姉さん」
 対して青年は柔らかい笑みを浮かべた。
 その笑顔を見た女性は、瞳を更に鋭くして声を荒げた。
「久し振りだねじゃない! 何してんの! ダーマを襲ったのもあんたなんでしょ!」
「……まあね。それで? 健気にもこの国を守りに来たの? 姉さんは僕よりも人間を嫌っていると思ってたんだけどね」
 青年が言うと、女性は苦々しげな表情になり言葉を搾り出す。
「正直、人間は気に食わない。けど……」
「それ以上に、僕が気に食わないかい?」
 女性の沈黙に青年が続く。
 その言葉に女性は驚いたように目を見開く。
「そんなんじゃない! あたしは――」
「いいんだよ。それよりも興がそがれたな。残りはまたにするか。じゃあね、姉さん」
 声を荒げた女性に青年は苦笑して返し、軽く手を振って――消えた。
「ゾ、ゾーマ! 待って……!」
 残された女性は手を伸ばして声をかけるが、伸ばした手は空を掴む。
 そして、しばらく俯いて黙り込んでいた女性。彼女もまた、未だ泣き叫ぶ者が絶えない地から消えた。

『あれが主の姉か』
「ああ。僕も久し振りに会ったよ」
 ランシール国から少し離れた所にある森の一角。そこで青年と武具は話をしていた。
 青年は武具の言葉に懐かしそうな瞳を携えて返す。
『主の話から考えていたよりも随分とまともな印象を受けた』
 意外そうな口調で言った武具に、青年は苦笑を返す。
「それはあの一瞬だったからだろう? グレリアビスも、もっとじっくり話せば姉さんの奇抜ぶりが分かるさ」
『そう言うのなら、もう少しゆっくりして欲しかったがな』
「……そうだな。すまない」
 武具の軽口に青年は少々押し黙り、辛そうに言葉を紡いだ。
 かつて、彼は自発的に姉の元を去った。その意図は幾つかあった。逃げるため、そして独りで背負うため。
 ゆえに、先には早々に去った。関わりを最小限にするために。
『なに…… 別に良い。気にするな』
 詳しくは分からないまでも、何かを感じ取った武具はそう返した。
 彼は、青年が独りで背負っていくことに耐えられなくなったがゆえに生まれた存在。だからこそ青年の気持ちに敏感なのか…… それとは関係無しに、青年を想うがゆえに敏感なのか……
 そんな武具の態度に青年は微笑み――
「っ!」
 しかし、そこで驚愕の表情を浮かべて天を仰ぎ見る。
『? どうした?』
 武具は訝しげに青年に訊いた。
 それに対して青年は沈黙のみを返す。そしてしばらくすると――
「今日は……懐かしい魔力が目白押しだな……」
 そう呟いた。

 人間と魔族の英雄を統合し、国々を襲う悪魔に立ち向かう精霊の噂は直ぐに青年達の耳にも入った。その精霊は、精霊の中でも特別の存在――神と謳われ、精霊神と呼ばれた。
「まいったね。まだランシールは滅ぼしきれていないし、アトランティスに至ってはいっさい手を出せていないというのに、精霊神か……」
 武具の爪を研ぎながら、青年はそう漏らした。
『とはいえ、その精霊神のおかげで人間と魔族は協力を始めた。主の望みは叶ったのでは――』
「僕の望みは」
 武具の言葉を遮り、青年は言葉を紡ぐ。
「僕の望みは滅びだ。お前が何を考えているのかは知らんが、僕の望みは――それだけだ」
 言い切った青年は武具の手入れを終え、立ち上がる。
「さあ。アトランティス国に向かうか。滅びを与えるために……」
『……ああ』
 青年の言葉に、武具は少し辛そうに応えた。

「……ゾーマ」
 人間、魔族の英雄達と共にゾーマを迎えたのは、噂にある精霊神であった。その瞳に浮かぶのは――
「……精霊神、だね。邪魔をするつもりなのか?」
 青年の言葉に、精霊神は目を見開き、表情を歪める。一度瞳をきつく瞑り、そして言の葉を紡いだ。
「勿論、そのつもりよ。私は、そのために来た」
「そうか…… なら、まずは邪魔な奴らを消させて貰う」
 青年は呟くと同時に手に光を宿す。
 そして――
「イオナズン」
 その小さな呟きにより、精霊神の後ろに控えた者達には破壊の光が降り注いだ。幾名かは何とか防ぐが、多くはその命の灯火を消した。
「少し……残ったか」
「くっ。手加減をしている場合でもないようね。仕方ない。魔道生物を――」
 そう呟き、精霊神は懐から小さなカプセルを二つ取り出した。
 彼女が簡単にそれらの操作をすると――
『あ〜、やっと外に出られた』
『……ふふふ』
 能天気な声と不適な笑いが響く。しかし、その声の主らの姿はなく、ただ、邪気のない強大な魔力と、それとは正反対の邪気ばかりの強大な魔力が感じられた。
 少し呆気に取られた面々であったが、精霊神は直ぐに正気に戻って言葉をかける。
「R、S! 私の名はルビス。今そこにいる子を大人しくさせるために、貴方達の力を貸してくれないかしら?」
 女性の言葉を受けた魔力達は、片方は充分な手加減とともに青年に向かう。片方は動くこともなく留まった。
「な、なんだこいつはっ!」
『ごめんね〜。僕ら、君を止めるために来たんだよね〜。でも安心して。殺したりはしないから』
 戸惑ったように叫んだ青年に、Rと呼ばれた魔力は友好的に語り掛ける。その上で、多大な魔力を操り青年を縛り付けた。
「くっ! 動けん!」
「R、そのまま! 今、魔力封じを――」
 ばんっ!
 精霊神が対象の魔力を封じる呪を紡ごうとした時、青年に纏わりついていたRという魔力が四散した。
 不可視であるため明確ではないが、Sと呼ばれていた魔力がRを吹き飛ばしたようであった。
『S…… 何を――』
『……ふん』
 Rの苦しげな呟きにSは適当に応え、青年と共にその場から消え去った。

 青年と武具は魔力の塊と対す。魔力は可視なものではないため、それは幾分間の抜けた様子であった。
「つまり――お前は僕に力を貸すと」
『そうだ。私の力を使って滅びを齎すのなら、という条件がつくがな』
 応えたSの声に、青年は考え込む。
『主、何を考え込んでいる。この者の禍々しく強大な魔力を感じ取れぬわけでもあるまい。手を出すべきではない』
『黙れ。武器如きが』
 武具が青年に注意を呼びかけると、Sは淡々とした口調で言った。
 それに対しては、青年が目つきを鋭くする。
「お前こそ黙れ」
『……これはこれは』
 青年の頑とした物言いに、Sは実体があるとしたらば肩を竦めたことだろう。
「さて、それはともかく、力を貸すと言うのならお言葉に甘えようか」
 と、厳しい表情を和らげ、何気ない口調で言った青年。
 そんな彼に、武具は声を荒げる。
『おい!』
 しかし、青年は悪びれもせずに言葉を紡ぐ。
「グレリアビス、君も見ただろう? 母さ……精霊神と共にいたRという魔力。あれはとてつもなく強大だ。対抗するには、このSの協力がいる」
『それは……!』
 確かにそうであった。Rの魔力になす術もなく捕らえられた青年。まともに対したのでは相手になりはしない。加えて、精霊神もまた青年に対するのだ。ならば、Rの相手としてSは必要だった。
 しかし、武具はなおも反対する。
『いや、そいつの力を借りずともよい方法がある。もう馬鹿なことなど止めればよい。国を滅ぼすなどという馬鹿なことは――』
「それで。アトランティス国の馬鹿どもを放って置く、と。それは出来ない。滅ぼさなければならない」
 それは、未来の救いのための滅びか。全ての滅びのための滅びか。
「だから、手を貸してくれ。S」

 どおんっ!
 アトランティス国の王城に雷が落ちた。更に続けて、強力な魔法が国中に散る。
 しかし――
「魔法がかき消された…… この国中に精霊神と共にある者達が散っている、といったところか」
「そういうことよ」
 青年が呟くと、彼と同じく宙を舞って女性が現れた。
「姉さん…… 精霊神と共に在ることを選んだんだね」
 瞳を細めて言ってから、青年は口の中のみに、それでいい、と響かせる。
 彼は望むことを止めた。失うことを恐れなくなった。そして、背負う覚悟を決めた。だから――
「なら、僕と姉さんは戦うことになる」
 彼は望まぬ道を進む。
 微笑むように言った青年を瞳に移し、女性は顔を歪める。そして、叫ぶ。
「――っ! ……どうして! もう止めればいいじゃない! こんなこと、止めればいいじゃない! そうすれば、滅びを求めずただ逃げるというのなら、あたしは、あたし達は共にいてあげる! 誰があんたを責めて追いかけたって、あたし達は側にいる! 護る! もう、目を逸らさないから!」
 必死の叫び――その言葉がぴったりと当て嵌まる音の波であった。
 それゆえか、青年は寸の間迷う。覚悟を忘れ、迷った。
 そして――
「ぐっ……!」
「ゾーマ?」
『どうした?』
 苦しそうに声を漏らした青年に、女性は訝しげに呼びかけ、武具は慌てた様子で訊く。しかしそれに応えたのは……
『結局は人の子…… 私はごっこ遊びに興じる気はない。ゆえに、悪いな。こいつの体は私が使わせて貰う』

 奪われたある一人の魔族の体。嘆く者達に、滅びの力はその触手を伸ばす。
 対して、世界そのものが邪悪な魔力に対抗しようと力を現出させた時、海上の一大陸が全ての者の母へとその身を沈め、還った。

 そして、それからしばらくして、滅びを齎す魔力に対抗するために、世界に住まう者達の共同戦線が張られた。
 幾度かの昼と夜を繰り返し、彼らには一応の勝利が齎された。
 勝利と呼ぶことができるのかと、多くの者が悩む勝利が……

 精霊神がRやSと名づけられた魔力を持ち込んでからしばらくが経った。この地には、既に精霊神もRもSもいない。
 ある一地方にある農村の民家では、一人の魔族が眠っていた。その瞳が数日ぶりに開かれる。
「……よく僕を殺さなかったものだ」
『主の姉や、あとは例のしつこい人間――スサノオが皆を説得したのだ』
 起き抜けの青年の呟きに、常に彼の側にいた武具が言葉を返す。
 その声を聞いた青年は、安心したような表情を浮かべ、彼の名を口にした。
「グレリアビス……」
 武具はその呼びかけに応えることなく、簡単に言葉を紡ぐ。
『姉は定期的に様子を見にきている。しばらくすれば来るだろう』
 そして、武具が言葉を紡いでいる中、青年は起き上がる。窓辺に歩み寄りそこから顔を出す。
 すると、辺りを歩いていた者達が彼の存在に気づき、その表情を一変させた。
 緊張で強張る顔。恐怖で歪む口元。憎しみで刻まれる皺。
 その全てが物語っていた。彼自身がしたこと。彼と共にSがしたこと。世界から失われてしまったもの。
 それは覚悟が出来ていたはずの結果。望みどおりに向けられる眼差し。
 それでも苦しいと思うのは、苦しみとは違う暖かさを知っているから。心を癒す存在を感じるから。
 理由の全てがそれで説明されるとは思わない。それでも、この苦しみは相対的なものであるはずだ。苦しみが絶対的なものであって欲しくなど、絶対にない。
 だからこそ、この苦しみは本当に全てを捨てることで消え去るのだと、そう信じた。無理やりにでも、そう……信じた。
 ならば、青年の――弱い心を持つ者のするべきことは一つ。全てを捨てること。全てとの縁を切り離すこと。
 彼は決意し、ただ独りの道を歩む。
 しゅっ……
 静かに消えた青年の背中。
 それを確認した武具は、眠ること能わぬその身で、生まれて初めて夢を見ているのかと、そう思った。

 それから幾年。ある国にて武具の封印が為された。
 あるものから魔力を借り、空間から魔力を排斥する効果の術を行使した。この方法は、本格的な封印を為す前にも、魔力を操る手熟れ数名によって行われており、一応効果があることは確認できている。その前段階の試しでは、術を行使する者の力が弱かったためか、完全に魔物の発生を抑えるには至っていなかった。しかし、今回元とした魔力は充分なものであったため、その効果は長きに渡り続くはずだという。
 こうして、武具は封じられ暗い箱の中で長き時を過ごすこととなった。