グランディアとロートシルト
「エミリア! しょう――」
 どがっ!
 恐らく勝負だ、とでも叫ぼうとした少年は、一人の少女――エミリアによって生み出された氷塊が頭上から落ちてくるのをまともに食らい、倒れこんだ。彼は頭を押さえてうずくまり、声にならない声を上げている。
 エミリアはその様子を一瞥してから、ゆっくりと家路についた。

 がちゃ。
「……」
「こら、エミリア。帰ってきたら『ただいま』くらい言え」
 無言で帰ってきたエミリアに、彼女の兄であるアランが軽く注意した。エミリアはそれを受けても何も言わず、カウンター――彼女達の家は海神亭という宿であり、そこのカウンター――の中に入り込み、そこから扉をくぐって奥へと向う。
「今日は何もしてないだろうな」
「……さあ」
 店番をしつつ固い声で訊いたアランに、エミリアは適当な言葉を返す。その言葉の主はなぜか少し――ほんの少しだけ頬を緩めつつ、奥の部屋へと消えていった。

 しばらくして、海神亭店主アロガンが帰ってきた。
「ただいまー。店番ご苦労、アラン」
 そう言いながらカウンターの中に入り込み、アランの頭を撫でるアロガン。アランはそんなアロガンを見上げつつ声をかけた。
「お帰り、とうさん。ねえ、ちょっと聞きたいんだけど……」
「ん、何だ?」
「また、エミリアが何かやったっていう話出てなかった?」
 その質問を聞いたアロガンは、そういえば、と呟き、手を打ってから話し出す。
「オルテガんとこのジェイがまた喧嘩売ってきたそうだが、いつも通り返り討ちにしたとか何とか…… 元気に育ったもんだよな、うん」
 その言葉に対し、アランは疲れた声を出す。
「やっぱそうか……って、父さん。感心してないで、エミリアに注意とかしてよ」
「元気でいいじゃないか、と言いたいところだが、確かにこのままだとその内大怪我をさせそうではあるよなぁ」
 とはいえ、今まで何度か彼が注意してきているにもかかわらず現状が変わっていないのだから、再度口で何か言ったところでどうにかなるとも思えない。
 しばらく腕組して思案した末、アロガンはある考えに至り、
「アラン、また店番頼むな」
 そう言ってから出て行った。

 明くる日のこと。
「よしっ! 勝負だ、エミリア!」
 今回は完全に言葉を吐き出すことに成功する少年――ジェイ。そんな彼に、エミリアは瞳を細めて訊く。
「……その女はなに」
 と、ジェイの傍らにいる少女を指差した。
「妹のケイティだ。一度お前にあってみたいっていうからつれてきたんだ。ほれ」
 そう答えてから、ケイティの背中を押してエミリアと相対させる。
「え、えと、ケイティ……だよ。こんにちは、エミリアちゃん」
「……」
 エミリアは、ケイティを一瞥してから、しかし興味がなさそうに視線を逸らした。そして口の中で何やら呟き――
 ひゅっ!
「どわっ! あぶなっ!」
 昨日と同じようにジェイの頭上に氷塊を生み出した。ジェイは、二度目ということで少しは注意していたのか、ギリギリのところでかわし眉を吊り上げる。
「いきなりなんてずりぃぞ!」
「……さっき勝負っていった」
 叫んだジェイにエミリアは淡々と返し、そして続けざまに氷塊を生み出していく。勝負という言葉を口に出した段階で始まっているということだろうか?
 ひゅっ!
「うわっ!」
 ひゅっ!
「ちょ、まっ!」
 ひゅっ!
「なんの!!」
 と、三連続で襲ってきた頭上からの氷塊を何とか避けた……まではよかったのだが――
 ひゅっ!
 ぼがっ!!
 正面から襲いきた氷塊で頭をまともに打ち、倒れ伏すジェイ。
 頭上からの攻撃を繰り返し行い、その直後に違う方向から更に攻撃することで避けづらくした、というところだろう。エミリアは倒れたジェイに視線を送ってから、
「私の勝ち。帰る」
 とだけ言って、その場を去ろうとした。しかし――
「お、お兄ちゃん……? お兄ちゃん!」
 ケイティが発した焦りを含む叫びに歩みを止める。エミリアが彼らに瞳を向けると、ぐったりとして動かないジェイの姿が目に入った。
 彼女は足を竦め立ち尽くす。
 そこで女性が一人通りかかった。
「あら。どうしたのかしら? ジェイ」
 やや棒読み気味にそう言ったのは、ジェイとケイティの母。
「おかあさん……」
 涙声でケイティが呟いた。
 母はケイティの隣にしゃがみ込み、ジェイの様子を窺うような仕草をとる。そして、
「あらあら、大変。このままじゃ死んじゃうわ」
 やはり、大根役者がセリフを言うように棒読み気味で言った。
「ええ!?」
 ケイティは顔を青くして叫ぶ。
 エミリアも青くなって立ち尽くしている。そうしてしばらくすると、
 ダッ!
「いや…… いやだよ…… 死なないで」
 ジェイの元に駆け寄って、涙を頬に伝わせながら弱々しく訴える。そして、ピクリともしない少年の名を――
「ジェイ」
「はいよ」
 呼んだエミリアに応えたのは、当の本人。顔色もよく、何の問題もないように見える。
「初めて名前呼ばれた気がするな」
 彼はばつが悪そうにそう言って笑った。
 ばらしてしまうと、今までのは演技である。一度大変な事態に陥ればむやみに魔法で攻撃しなくなるのではないか、と考えたアロガンが、昨日の内にジェイとその母に頼んでおいたのだ。もっとも、先ほどのジェイは本当に軽く気絶していたのだが……
 ちなみにケイティは何も知らされておらず、本気で兄が死ぬかと思っていた口である。まあ、それも真実味を増すための作戦ではあった。
 ただし、エミリアは動転しているためか、そういう細かいことには気付かず、しばらくすすり泣いていた、が――
「あいの力ね!」
「……は?」
 突然顔を上げて、元気一杯叫んだエミリアに、ジェイは訝しげに問い返す。
「私のあいがジェイを救ったのね。私たちはもう結ばれる運命なんだわ!」
「はぁ? ちょっとまて。何でそうなるよ! つかお前、おれのこと嫌いなんじゃねぇのかよ?」
「大好き!」
 戸惑い気味のジェイと、珍しく満面の笑みのエミリア。二人のちびっ子がいちゃつくのを楽しそうに見ながら、
「後は若い二人にまかせて退散しましょうか、ケイティ」
 と母が言った。声をかけられたケイティは、
「え? えと……」
 戸惑い百パーセントで、それでも母についてその場を離れていった。

「アロガンさん、あれでよかったかしら?」
「ええ、まあ……」
 建物の陰からからエミリア達を見張りつつ、アロガンは少々不満げながら肯定の言葉を返した。個人的に気に食わない事態が発生してしまったようである。まあ、それは気にせずに……
「それにしても、ジェイが本当に気絶していたのには少し驚きましたわ。とっさに気付けしましたけど」
「気絶してたんですか? すみません。うちのエミリアが」
 不機嫌そうな表情を携えていたアロガンは、ジェイ気絶の事実を訊き、真剣な表情になってわびた。
「まあ、気絶くらい気になさらないで下さいな。逆に本当に死んだみたいになってよかったでしょう?」
「はあ」
 おおらか過ぎる発言に、アロガンは苦笑してそう返した。
「……」
「アラン?」
 アロガンはそこで、息子の様子がおかしいことに気付く。何やらぼーっとしている。その視線の先を追ってみると――
「あ、あの…… アランくんっていうの? 私、ケイティ。よろしくね」
「う、うん。よろしく……」
 笑顔で言ったケイティに、アランは頬を染めて簡単に答えた。
 この二人が会うのはほぼ初めてである。ご近所であるし、親同士の仲がいいのでちょっと見かけるくらいのことはよくあるようだが、きちんと真正面から挨拶などを交わしたのは初めてである。
 というわけで『一目』惚れかどうかはわからないが、取り敢えずアランが惚れているという事実は間違いなさそうな状況である。
 その日、二人のちびっ子の恋が始まったわけだ。

 ちなみに、エミリアの魔法がジェイに向けられることはなくなったが、その分他の者――主に、ジェイに害を及ぼす者にその矛先が向けられることになった。結果として、『むやみに魔法で攻撃しなくなるのではないか』というアロガンの思惑は外れたわけである。