ムオル村誘拐事件の顛末

 ロマリア国。イシス国。ポルトガ国。元ダーマ国。多くの国の領土で分かたれる大陸の東端に、小さな村がある。
 その村はムオルと呼ばれ、主要都市から遠く離れているためか『最果ての村』などとも呼ばれる。そのように呼ばれるだけあって、このムオルを訪れる者はあまりいない。特産品のようなものもないため、商人ですら滅多にやってはこないのだ。
 しかし、暗雲立ちこめ、決して天候に恵まれているとはいえないある日の午後に、ひとりの僧侶がその地を訪れる。よく澄んだ青空のような瞳と、同じ色の長い髪、そして、落ち着いた物腰に柔らかな笑みを携えた女性だった。
 村の男性は、その女性を瞳に映すとほぅと溜め息を吐くが、現在陥っている緊急事態ゆえにそのような態度を自重する。
「アリシアさんとか申したかの?」
 緊迫した面持ちの老人――雰囲気から察するに村長だろう――がゆっくりとした口調で問うと、女性は頷く。
「はい。とあるものを探しながら旅をしております」
 アリシアはしっかりとした口調で返し、軽く微笑む。
 村長は笑みを返すこともなく、
「旅をしている……と。では、かなり腕は立つのでは御座いませぬか?」
 アリシアの言葉を受けて、彼女に期待のこもった瞳を向ける。
 そんな村長の様子を怪訝に思いながらも、アリシアはやはり軽く笑んで応えた。
「私自身に降りかかる災いを振り払う程度の能力はある、と自負しておりますが…… 差し出がましいようですが、何かあったのでしょうか?」
 後半で眉を顰め、訊いたアリシア。
 すると、村長は渋い顔で現状を語りだす。
「つい先刻のことです。儂の自宅の扉にこのような紙片が挟まれておりました」
 そう言って村長はアリシアに、乱暴に破られた状態の手のひらサイズの紙を差し出す。そこには走り書きで――
「……『ガキどもは預かった。返して欲しければ五十万ゴールドを用意しろ』ですか。つまり、誘拐?」
「そのようです。調べたところ、行方の知れない子供が六人。女の子が四、男の子が二という内わけです」
 アリシアの問いに、村長は深く頷いて先を続ける。
 村長の言葉によると、数日前に村を訪れたガラの悪い輩が三名ほどいたという。その者達は村を適当に見て回ったあと宿屋に一泊し、直ぐに出て行ったらしい。しかし、この村を観光で訪れる酔狂な輩がいるとは思えないため、あれは下見だったのではないか、というのが村人たちの間で囁かれている噂なのだとか。
 また、身代金に関しては、この村中から集めたとて五十万ゴールドなどという大金を用意することは叶わないらしい。これが主要都市であれば、いや、せめて大富豪の別荘でもあれば、五十万ゴールドくらいなら用意できたかもしれないが、世間様からずれた時間軸で過ごしている最果ての村の住人たちでは、十万ゴールドをかき集めるのがやっとだったらしい。
 こうなってくると、誘拐犯を一網打尽にして子供達を救い出すしか手はないと思われるのだが、残念なことにその力がないのだとか。勿論、果敢にも挑もうという者もいた。しかし、やる気や気合だけで物事が為せるわではない。そこに実力が伴わなければ、状況は悪化しないとも限らないのだ。そして、この村の住人達に、その実力はなかった。
 そのように困り果てたところへ現れたのが、アリシアだったのだ。彼女は飛翔魔法で村に降り立ったでもなく、たまにやって来る船舶に揺られて来たでもなく、遠路はるばるその足でここへと至った。少なくとも、道中襲い来る魔物達を退けるだけの実力は有していることになる。
「お願い致します。アリシア殿。少ないですが謝礼も用意致します。どうか…… どうか儂らを助けては貰えぬでしょうか」
 ひと通り現状を語った村長は、深く深く頭を下げ、そのように口にする。彼の周りにいた者達も、悲痛な面持ちで頭を下げる。涙をこらえ、顔を歪めている女性もいる。
 そのような頼まれ方をされてなお、無視して自分の用事だけを済ます程、アリシアも無情な人間ではない。彼女は二つ返事をし、子供達を助けに向かうことを約束した。

「兄貴。こんな寂れた村で五十万ゴールドも掠め取れるんですかい?」
 ムオルの村はずれにある林の中、縄で縛りつけ、口に猿ぐつわを噛ませた子供達を足元に転がしながら、貧相な顔立ちの男が言った。
 声をかけられた頑強な体つきの男は、薄ら笑いを浮かべて口を開く。
「ばーか。そんなん無理に決まってっべ。ただまあ、一応要求しときゃ、ちょっとくらいは用意すんだろ?」
「なるほど…… それで足りない時は――」
「こいつらを売り飛ばして……って寸法ですね」
 兄貴と呼ばれた男の言葉に、訊いた男は納得顔で言い、それにもう一人いた男が続いた。
 兄貴は、ご名答、と口にしてから大きく笑い、
「まあ、五十万用意できたって、こいつらは売り飛ばすがなぁ」
 そう次いだ。
「へへへ。いやあ、兄貴は悪ですねぇ」
 下っ端らしい男その一がいやらしい笑みを浮かべて言うと、兄貴はやはり嫌な笑みで返す。
「褒めるんじゃねぇよ。しっかし、あの村もしけてるよなぁ。年頃の娘でもいりゃあ変態親父に高く売れるし、顔のいい優男でもいりゃあ変態マダムに高く売れるってのに。まあ、ガキもそれなりに需要はあるが、ただ、ちょいと安いんだよなぁ」
 そこまで口にし、子供達を瞳に入れる兄貴。
 汚れた瞳を向けられた子供達は、大きく綺麗な瞳に光をためている。
 その中の一人――小さな女の子に目を止めた兄貴は、なぜか呆れたように溜め息を吐いて地面にどかっと座り込む。そして口を開いた。
「しっかし、世の中にゃ妙な趣味の御仁がいるもんだよなぁ。こんなチビッ子相手で、どうしたらやらしい気持ちになるのやら…… まあ、暗殺者養成のためとかっつー需要もあるみたいだが、この間六歳のガキ売り飛ばしたジジイは――アレな趣味な奴だったよな?」
 ごく普通の口調で、全く普通ではない内容の話を下っ端たちに振る。
「そう聞きましたねぇ…… さすがに気の毒な気もしますよね」
 下っ端その一は、常識人のようなことを今更口走る。それに下っ端その二も続く。
「そうだぁな…… あんな変態じゃなくて、子供がいなくて養子を欲しがってる金持ちに売ることもできるわけだし。ただなぁ」
 腕を組み、兄貴同様地面に座り込んで呟く下っ端その二。
 そして、下っ端その一も座り込み、更にその二の後を継いだ。
「変態の方が金の出しっぷりがいいんだよなぁ」
 結局のところ、一番の優先事項は金のようである。
「お前らその辺にしな。中途半端なこと口にすんな。どうせ俺たちゃ悪事を働くしかできねぇんだ。悪なら悪らしく、悪に撤しろ」
 中途半端な優しさを見せた下っ端達を、兄貴が諌める。もっとも、下っ端が見せた優しさのようなものも、子供を売り払うことが前提になっており、優しさのやの字も見受けられないというのが一般的意見であろうが……
 がさっ。
 そこで聞こえた足音。
 兄貴や下っ端は直ぐに立ち上がる。身代金を村の人間が持って来たと判断したのだろう。村人相手に警戒する必要もないと思われたが、万が一に備えたというところか。
 しかし、その警戒は直ぐに解かれることとなる。
「五十万ゴールドをお持ちしました。子供達を解放して頂けますか?」
 身構えた状態の誘拐犯達に、穏やかな口調で問いかける女性――アリシア。
 そんな彼女を瞳に入れた男達は一瞬呆気に取られ、それからいやらしい目つきで値踏みを始める。先程の会話から察するに、彼女もまた誰かに売り飛ばそうと算段しているのか…… もしくは――
「卸す前の確認ってのは大事だよなぁ?」
 兄貴は下っ端相手に、そのような意味のよく分からないことを訊く。
「まったくその通りですよねぇ。俺らにもまわしてくださいよ」
 しかし、下っ端二名は理解したようで、それぞれアリシアの左右に歩みを進めつつ言った。
 そんな彼らの様子にアリシアは不安そうに怯える。
 そのようなことはお構いなしに、おもむろに下っ端の一人が彼女の手を取ると、
「いやあぁあ!」
 そのように、アリシアは甲高い悲鳴を上げた。そして……
「へ?」
 そこで兄貴の間の抜けた声が上がる。彼の瞳には、空中でくるりと一回転して跳んでいく下っ端その一が映っていた。
 そして更に――
「止めてえぇえ!」
「どわああぁああぁあああ!!」
 下っ端その二も軽々と跳んでいった。
 投げ飛ばしたアリシアは瞳に涙を溜めているものの、息も整っており、大の男を投げ飛ばすという重労働を為したばかりとは思えなかった。
 その様子を目にし、兄貴は震え上がる。が、それでも、アリシアの見た目が少女然としているためか、未だ認識が甘かった。懐からナイフを取り出し、そのような粗末な武器を手にしただけであるにも関わらず、優位に立ったと勘違いした。
 やや慣れた様子でナイフを構え、
「そこまでだ! 死にたくなきゃあ、大人しくするんだな!」
 そのように叫んだ。
 大の男を余裕で投げ飛ばす者にその程度の脅しをかけても利かないと思われたが、予想に反してアリシアは怯えた表情を浮かべる。しかし、果敢にも子供達の元へと駆け寄り、兄貴との間に立ちはだかる。
「この状況でまずガキの心配とはねぇ。恐れ入るよ。今となっちゃ、俺らの興味は専らあんたに移ってんだがねぇ」
 相手を怯えさせることに成功したためか、兄貴は場の主導権を握ったような錯覚に陥り、再び下卑た笑みを携えてアリシアを見る。ゆっくりとした足取りで近づいていった。
 一方、そんな視線をぶつけられたためか、アリシアは口元が小刻みに震えている。恐怖のために上下の歯が噛み合わないのか、それとも……
「なあに。こっちとしても大事な商品を手荒に扱う気はねぇ。あんたが暴れたりしなきゃ――」
「スクルト」
 兄貴の言葉の途中で何か呟くアリシア。
 それを何かの合図と勘違いした兄貴は、再び焦った表情を浮かべる。しかし、しばらく経っても何も起こらないことを確認すると――
「さて。そんじゃ……」
 と呟きつつ、アリシアに詰め寄ろうとする。
 段々と近づいてくる兄貴を見詰め、アリシアは意を決したように拳を固め――
「えいっ!」
 思い切って兄貴に体当たりをかます。
「どわっ!」
 兄貴は突然のことに受身も取れず、地面に尻餅をついた。
 そしてアリシアは、その隙をついて子供達を拘束していた縄を外し始める。一人目を解放し、二人目の縄を解きにかかった時――
「このアマァ!」
 体勢を立て直した兄貴が、ナイフを振り上げてアリシアに襲い掛かる。アリシアの頭部に迫り来る刃。そのままでは、鮮血が土や草や樹木を朱に染め上げる未来を迎えることになったであろう。
 しかし、邪な刃はアリシアの髪の毛一本にすら被害を出すこと能わなかった。兄貴のナイフを握っていた手は、見えない壁のようなものに勢いよく弾かれる。
 兄貴は不可思議な現象に戸惑うが、直ぐに次なる凶事を引き起こそうと試みる。
 逃げ出そうとした子供の長い黒髪を勢いよく掴み、自分の方へ引き寄せる。そして、ナイフを突きつけ、叫ぶ。
「こいつの命が惜しければ――」
 順調に悪者の道を駆け上がろうとした兄貴。しかし、その道はすぐさま踏み外すこととなる。アリシアの素早い行動によって。
 ぱあぁんっ!
 隼のような素早さで飛び出したアリシアの綺麗な一撃が、兄貴の顎を襲う。そして、脳をいい具合に揺らされ、とうとう彼も弟分達同様に意識を手放した。
「物理障壁魔法をかけているとはいえ、子供相手に刃物を向けるなんて感心しません……!」
 相手が持っていたナイフゆえに緊張していたのか涙目ながらも、アリシアはきっぱりとした口調で言う。そして、地面に落ちたナイフを震えた手で拾い上げ、それを使って他の子供達の縄も解いていく。
 すっかり全員を解放し、子供達を拘束していた縄で誘拐犯を縛り上げると、アリシアは漸く安心したのか、地面に足を投げ出して座り込み、深い溜め息を吐く。そして、
「ふぅ…… 申し訳程度に習った護身術でもなんとかなるものね。バイキルトとかの肉体強化魔法を駆使したとはいえ……」
 と、震えた声で小さく呟いた。
 こうして、最果ての村における誘拐事件は事なきを得たのだった。

「お礼ということで、是非俺とお付き合いを!」
「いや! 是非私と!」
「いやいや! 僕と!」
 誘拐犯をキメラの翼でダーマ神殿へ更迭したあと、ささやかな祝賀会が催された。すると、アリシアに押し寄せる未婚、もしくは既婚男性の群れ。それに伴い、そこここで奥さんらしき方々が鋭い視線を飛ばしているが、つい先刻までの状況と比べれば平和な光景だった。
「えーと……」
 アリシアが困り顔でジュースをチビチビ飲んでいると、それを見かねた女性陣が男性陣をひと殴り。
「村の恩人を困らせるんじゃないよ、この助六!」
「あんたみたいな不細工にこんな美人がなびくかい!」
「つか、いい歳して何してんだよ、ロリコンども!」
 口々に怒りをぶつけ、男性陣を引っ張っていく女性陣。
 アリシアは助かったと感じる一方で、ロリコンという単語に苦笑を禁じえない。
「なんだかんだで、実年齢の上では同い年くらいかも……」
 そのように呟きながら、三十も後半に至っていそうな男性を目で追う。
 彼女の言葉を信じるなら、アリシアは三十をとうに過ぎているということになるが……
「お姉ちゃん!」
 と、疑惑が晴れる間もなく、今度は子供達がアリシアの元へ駆けて来る。
 アリシアは、引っ張られていく男性に向けていた苦笑いを消し、柔らかな笑みを浮かべて子供達に瞳を向ける。
「なあに? どうかした?」
 アリシアの視線の先には、誘拐犯達に拘束されていた子供達が全員揃っていた。彼らは互いに肘でつっつき合いながらぼそぼそと耳打ちしている。そうしてしばらく経つと――
『ありがとー、お姉ちゃん!』
 全員が声を揃えて満面の笑みで言った。
 アリシアはそれを受けて非常に感激し、同じく満面の笑みを浮かべて子供を一人ずつ抱きしめ、どういたしまして、とそれぞれに応える。そのまま時が過ぎれば、感動の一場面として終わることができたのだが……
「ポポタ。お姉ちゃんのにんめい式やろうよ」
「任命式?」
 一人の女の子が一人の男の子に向けて声をかけるのを聞き、アリシアは疑問の呟きを発する。勿論、任命式というものが何なのか理解できなかったわけではない。その単語が子供の口から突然発せられたことに疑問を持ったのだ。
 しかし、じっくり事情を聞いてみると、それは彼らの間で流行っている遊びであるらしい。何か凄いことを成し遂げた子供に名誉ある呼び名を与えるという。
 勿論、アリシアはその名誉を喜んで受け取ることにした。
 そして、ポポタと呼ばれた少年が、こほん、と咳払いをしてから大声を出す。
「えー、では、僕らを救ってくれたお姉ちゃんに――」
 そこで数秒溜めてアリシアや他の子供を見るポポタ。適度に緊張感が高まったところで――
「ポカパマズの称号を授与します」
 高らかに宣言する。
 パチパチパチパチパチ!
 子供達の間で巻き起こる盛大な拍手。ところどころで指笛などの音も入る。
 しかし――
「……ぽかぱ……え?」
 笑顔のままで首を捻り、小さく疑問の呟きを口にするアリシア。最果ての村のセンスについていけないらしい。
 そんなアリシアの様子には構わず、子供達は長い拍手を終えてからアリシアの手を取って遊びに連れまわしだした。ただ走り回ったり、ままごと遊びを始めたり、話をせがんだり。
 その間も、彼らのアリシアに対する呼称はポカパマズ。それを口にする時の様子を見ても、彼らが多大なる敬意をもっていることは間違いがない。ゆえにアリシアは思わずにはいられなかった。
 ――最近の子供のセンスにはついていけないな
 と。
 このようなセンスの格差が世代によって生まれるのものなのか、地域によって生まれるのものなのか。それは定かではない。