仲良しになる前に
ある日の昼下がり。ここアリアハンでは、これまでとは正反対の光景を見ることが出来た。
すたすたすたすた。
すたすたすたすた。
ぴた。
ぴた。
「なあ、エミリア」
「なぁに? ジェイ」
ジェイが声をかけると、彼の後ろにぴったりとついてきていたエミリアは満面の笑みを携えて応えた。話しかけられただけというのに、非常に嬉しそうである。
一方、ジェイは戸惑った表情。
「何でついて来んだ? 今日は別に勝負する気もないぞ」
そのように訊きながらも彼は、その答えの内容を九割がた知っていた。
つい昨日まで彼らは勝負――いわゆる喧嘩をするのが常という関係だった。大体が、ジェイの方から一方的に勝負を挑み、エミリアに一方的にやられるという結末を迎える。そんな関係。
そこから転じて今現在のような関係になったのは、まさに今日からだ。
昨日のこと――ジェイは勝負のあとでエミリアからの告白を賜った。
今日のこと――ジェイが出かけようと玄関から飛び出したら、エミリアが家の前で待ちかまえていた。
そのような流れにおいて、エミリアがこれから勝負しようとジェイについて来ていると考えるのは、余程の阿呆だけだろう。
当然、エミリアの答えも――
「そんなのもちろん! ジェイをあいしているからよ!」
といったもの。
はぁ〜……
大声で為された再度の告白を耳にし、深く溜め息を吐くジェイ。まあ、それも仕方がない。
彼とてエミリアが嫌いなわけではない。しかし、このところ勝負という形で喧嘩まがいのことをしていたのも事実。すぐに友好的になれというのも無理がある注文だ。
ましてや、ジェイも八歳という微妙なお年頃。女の子から告白されたとて、つい意地を張って突っぱねてみたくなるというものである。しかし、相手は無差別に魔法を使うと巷で噂のエミリアだ。下手を打ったらどうなるか、考えるまでもない。そうなると彼に出来るのは、先程のように溜め息をつくくらいのものなのである。
「それで? これからどこに行くの? デート?」
落ち込み気味のジェイを軽くスルーして、エミリアは普段の無表情など忘れたかのように満面の笑みで訊いた。
それに対し、ジェイは疲れたままの表情で口を開く。
「妹のとこ。来てもつまんないと思うぞ」
「いもうと? そういえば昨日あった…… ケイティだっけ?」
「そ。ま、そういうわけだから、ちょっと急ぐぞ」
「え? ジェイ。そういうわけってどういう――あ、まってよ」
説明不足のまま走り出したジェイ。エミリアは少し遅れてそんな彼を追った。
「ひっく…… うう」
「さっすが泣き虫ケイティだな! すぐ泣きやがる! おっもしれぇの!」
「あっはは、ほんとね! ちょっとつきとばしただけなのにさ」
「きゃはははは」
倒れこみ、瞳から雫をこぼしている女の子を、数人の子供達が見下ろしていた。男の子三名と女の子二名。疑いようもなく苛めというやつだ。
「ひどいよぉ…… なんで――」
ぺし。
涙を拭いながら抗議した女の子の頭を、子供の一人がはたく。
「ひどいだぁ? おれはかるーく押しただけだぜ? そんなんでこけるお前がどんくさいだけだろ? おれのせいにすんなよな」
男の子は口元を歪めて意地の悪い笑みを浮かべ、そのようなことを言った。
そして、それに一人の女の子が続く。
「そうそう。知ってる? そういうのを『せきにんてんか』っていうのよ?」
「おー、ものしりじゃん」
「まねー」
仲間うちで楽しそうに笑いあう苛めっ子達。
ひっく。ひっく。
その間も、女の子はすすり泣く。
と――
「おらあぁあ! 手前ぇらあぁあ!」
ばぎぃいぃぃい!
「ぐへぇ!」
「きゃあぁあ!」
突然現れたジェイが男の子一人を殴り飛ばすと、女の子二人が叫び、残りの男の子二人が立ちすくむ。
「お兄ちゃん!」
「よお! 待たせたな、ケイティ」
泣き顔から一転、笑みを浮かべて叫んだ女の子――ケイティに、ジェイが軽く手を上げて応えた。
そして、表情を堅くして苛めっ子達を見る。
「さぁて。お次はどいつだ?」
腕まくりしつつ一歩一歩前に出るジェイ。直ぐに一人の女の子の前に至る。
女の子は一瞬怯えた表情を浮かべるが、直ぐに軽く笑んだ。
「ジェ、ジェイ? まさか女の子をなぐったりしないよね?」
それを聞いたジェイは、その顔に爽やかな笑みを貼り付け――
ぱあんっ!
「きゃっ!」
平手で彼女の頬を張る。
「知ってるか? 『だんじょびょうどう』って言葉を」
「やべぇ! とりあえず全員ちれ!」
容赦のないジェイを目にし、苛めっ子の一人が声を上げた。制裁を受けていない三名が慌てて四方へ散る。
「ちっ! めんどうな!」
散り散りになった苛めっ子達を目で追って悪態をつくジェイ。嘆息し、一人の男の子を狙って追いかけようとしたが――
「イオ」
ひゅひゅひゅ!
どがががんっ!
突然飛び来た光弾が、苛めっ子連中それぞれを追う。そして、見事着弾した。
「……な、なにが」
「はぁ…… はぁ…… 私のジェイに、はぁ、なまいきな口を利くちびっこどもね」
かろうじて意識を手放さなかった男の子が言葉を搾り出した直後、息を切らせたエミリアが途切れ途切れに言の葉を紡いだ。そして、肩で息をしながらジェイに近寄る。
そんなエミリアを瞳に入れ、男の子は戦慄する。
「アリアハンの白きまじょだと…… ジェイとはてきたいかんけいにあるはずのそいつが何で……!」
「すぅ〜、はぁ…… 覚えておくのね、ちびっこ。今後、私のあいするジェイにめいわくをかけたら……」
「ひぃ」
だっ!
自分達よりも背が遥かに小さく、歳も若いエミリアが睨みを利かせると、意識を保っていた苛めっ子三名は脱兎のごとく逃げ出す。残念ながら意識の無い男の子と女の子が一人ずついたが、ジェイ、エミリアは放置する。
「ね、ねぇ。大丈夫?」
しかし、ケイティは苛められていた当人だというのに、エミリアのイオを食らって気絶した女の子をゆすり起こそうとする。
「お前なぁ。そんなやつ放置しとけばいいじゃん?」
「で、でも、お兄ちゃん。このままなんて――」
「ん、んん……」
そこで目覚める兆候を見せる女の子。
「ふぅ。ほら、すぐ目ぇ覚ましそうだし、そいつが目を覚ませばそっちの男だって起こすだろ。俺らはさっさと帰ろうぜ」
ケイティの人の良さに嘆息しつつジェイが言い、そこで彼女の手を引いて連れて行こうとする。
「そ、そうだね」
彼の言うとおり女の子が直ぐに目覚めそうであるためか、ケイティは心配そうに彼らを見つつもジェイに続いた。そして、ぎゅっと強くジェイの右手を握る。
「あのね…… ありがと。ごめんね」
「おう! 気にすんな。いつものことだろ?」
「……うん」
弱々しい笑みのケイティに、力強い笑顔を向けるジェイ。系統は違えど、共に笑みを浮かべて見詰め合っている様は、はたから見ると充分に仲がよく映った。そして、それを面白く思わない者が一名。
その者も足早に二人に追いつき、ケイティが握ったのとは別の、ジェイの左手を握る。
「うわっと! な、何だよ、エミリア」
「ケイティだけずるいわ。私も」
「恥ずかしいから止めろ!」
「やだ!」
エミリアの手をジェイが振り払おうとしたので、エミリアが彼の腕にしがみついて粘る。しばらくそのようなやり取りを続けると――
「あ、あの……」
「なに!」
遠慮がちに声をかけたケイティにエミリアが食って掛かる。
ケイティはびくっと縮こまるが、何とか持ちこたえてエミリアに弱々しい笑みを向けた。
「エミリアちゃんだったよね? さっきは助けてくれてありがとう」
真っ直ぐな笑みを向けられたエミリアは、一瞬言葉につまり不機嫌そうに返す。
「……べ、べつに。ただ、いとしのジェイにあいつらがなまいきな口きいてたから――」
「でも、ありがとう。お兄ちゃんも、エミリアちゃんのことじゃけんにしないであげて? 悪気があってやってるわけじゃないんだし……」
「う…… ああ」
そこで矛先をジェイに向けるケイティ。それを受けたジェイも、妹の言うことに頷いてそれ以上エミリアをつっぱねようとはしない。
握られたままの自分の手とジェイの手を見詰め、それからケイティに瞳を移すエミリア。今まではその瞳に強い敵対心が宿っていたのだが、今彼女の瞳には大いに友好的な光が生まれていた。
「ケイティ」
「え、え? 何? エミリアちゃん」
声をかけられると、少し怯えを含んだ態度で訊き返すケイティ。
しかし、それに対するエミリアは、まあ一見すると不機嫌そうではあるのだが、よくよく見ると分かる微かな笑みを浮かべていた。そして、その口から吐き出される言葉も――
「さっきみたいにいじめられたら、私にも助けを求めるといいわ。とくべつに助けてあげる」
というもの。
それを受けたケイティは、笑みを浮かべる、が……
「ただし! いくらいもうととはいえ、あまりジェイと親しくしないこと! わかった!?」
「え、あ、うん」
態度を急変させて言ったエミリアに、ケイティは再び身を堅くする。そして、握ったままだったジェイの手をぱっと離す。
しかし、それにはジェイが反発した。
放された妹の手を自分から握りにいき、文句のために口を開く。
「なんでそんなことお前に指図されなきゃなんねぇんだ!」
「だめなの! ジェイは私だけを見るの!」
「だから勝手に決めんな!」
「え、えっと……」
再度言い合いを始めた二人に、ケイティは戸惑った様子で困った笑みを浮かべた。
と、そこに――
「ああ、エミリア。ここにいたか。親父がちょっと手伝って欲しいことがあるって――」
少し先にある曲がり角を曲がって、エミリアの兄であるアランが駆け寄ってきた。
そして、言葉の途中で昨日知り合った少女を視界の隅に見止める。
「あっと! 君は、確か、ケイティだったっけ? その、えっと、やあ!」
激しく動揺しつつ、アランは少々間の抜けた挨拶をケイティに向ける。
それを受けたケイティは、笑みを携えて対する。
「こんにちは、アランくん」
笑みを向けられたアランは、顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせる。しばらくそのように対していたのだが、ふとケイティの服などがところどころ汚れていることに気づいた。
「ど、どうかしたのか? 服が汚れているようだけど?」
「あ、これは、その……」
「兄さん、知りあい? どうもね、ケイティはいじめられっ子ぽいわ。さっきバカどもにつきとばされてたのよ」
ケイティが、苛められていたことを正直に言うのをためらっていると、横からエミリアが無神経に言い放った。
「な!」
それを聞いたアランは、先程まで恥ずかしさで赤くしていた顔を、別の感情で赤くする。即ち、怒りという感情で。
そして、真剣な瞳をケイティに向けて、その肩を弱冠強く掴み、声をかける。
「もしまた苛められたら俺に言え! 俺が守ってやる!」
そのように力強く宣言され、ケイティは無言でこくこくと頷く。そして、やはり軽く笑んで――
「えへへ。ありがとね、アランくん」
かけられた感謝の言葉に、アランは再び違う理由で顔を赤らめ固まる。
そんな彼をケイティが不思議そうに見詰める、という光景を見ながら他二名は――
「兄さんはいがいとせっきょく的ね」
「ひたすら俺の腕にしがみついてるお前が言うか」
という感想を漏らす。
そして、ジェイは腕をぶんぶんと振ってエミリアの腕を振りほどこうとする。一方、エミリアはそれを阻もうとぎゅぅっと強く腕を絡ませる。
「今日はもうはなれないわ」
「うわ、うぜ。なあ、アランだったよな。何とかしてくんね?」
ジェイは、このままでは本当に一日中ひっつかれることになりそうだと思い、エミリアの兄であるアランに助けを求める。
しかし、アランは気の毒そうな表情を浮かべて瞳を逸らす。
「思い込んだら一直線。それがそいつのいい所でもあり、悪いところでな。そういうわけで、俺にもどうにもできないよ」
その言葉に深く溜め息を吐くジェイ。
そんな兄の様子を見たケイティは――
「が、がんばって! お兄ちゃん」
両の拳を胸の前に掲げて、真剣な様子で激励した。
その激励がエミリアにも届いてしまったのか、結局彼女が粘り勝ちし、ジェイの腕にエミリアの腕が絡んでいるという光景はその日一日、ジェイ宅の夕飯が終わるまで続いた。そして、共にテーブルを囲んだエミリアとジェイの母はすっかり仲良くなり、ジェイは母親からも、エミリアちゃんと早く暮らしたいわぁ、などという言葉での精神的攻撃を頻繁に受けるようになるのであった。