パパのおよめさん
アリアハン国の大通りを、小さな影と大きな影が共に歩んでいた。その目指す先は定かではないが、通りに面した雑貨屋や軽食屋をひととおり冷やかしている辺り、特別目的地があるというわけでもないかもしれない。
黒髪の少女が装飾品を手広く扱っている店にとことこ向かうと、同じく黒髪の男性はそのあとにゆったりと続く。そして、少女が装飾品を片っ端から手にとって品定めしている様を、笑みと共に見守る。
「パパ! このネックレスどうかな?」
「おー、似合うぞー。可愛い、可愛い」
商品の一つに照準を定めた少女は、それを身に着けて男性を――父親を振り返る。
すると、父親は満面の笑みで応え、おもむろに懐から財布を取り出した。そして、手早く店主を呼び支払いを済ませる。
「まいどー。つか、娘に甘すぎじゃないのか? ジェイお父さん」
店主は形式的な挨拶を口にしてから、本音を父親であるジェイにぶつける。
すると、ジェイは舌を軽く出して鬱陶しそうに返した。
「うるせぇよ。可愛い娘に非常によく似合うネックレスを買わずに済ます親なんているか」
「パパ、ありがとー。だいすきー」
「おー、パパも大好きだぞー」
「へいへい。とんだ親馬鹿だな」
ジェイの返答とその後の親子の会話に、店主は呆れたような口調で呟く。しかし、直ぐににやけた笑いを浮かべて先を続ける。
「エミリアにも何か買ってやんねぇと機嫌損ねんじゃねぇのか? ほれ、これなんかどうだ? 最近入荷したんだが、クリエイターがまだ有名じゃねぇから比較的安いぜ。石はそこそこだが、まあデザインは悪くねぇし、娘だけじゃなく妻にもサービスしてやんなよ。なぁ、旦那さん?」
そう言って店主が指さした先には、五千ゴールドという札が下げられた指輪。薄い青色をした宝石が長方形型に切り取られ、その四隅を白銀の金属に支えられている。その回りにある指輪やイヤリングが一万ゴールドを軽く超えていることを思えば、確かにお買い得にも感じた。
しかし、娘に買い与えたものが数百ゴールドであることを考えれば、その十倍をゆうに超えるそれに手を出すことは少々はばかられる。ましてや、別に記念日というわけでもないのだ。
「……それは次の機会にするとして、千以下くらいのもっと手ごろなのはないのか?」
店主の薦めはキッパリと断りつつも、妻の――エミリアの機嫌を損ねそうなのは事実であるため、もう少し懐具合に見合った品物を所望するジェイ。
そんな彼の様子に店主は苦笑し、いくつか希望に沿う品を紹介する。
同じく指輪だが、宝石は特にはまっていないシンプルなもの。ハート型のわっかがついているネックレス。小さな赤い宝石で装飾されているイヤリング。他にも数点似たような品々。
その中からジェイはネックレスを選んだ。お値段が手ごろだったのは基より、今まで首もとの装飾を為す品を送ったことがないことに思い至ったからだった。
「まいど。今度はエミリアの誕生日の時にでもごひいきにどうぞ」
ジェイの財布から飛び去った金銭が店主の手のひらに納まると、彼はにんまり笑顔で言った。
どうにも上手く乗せられたようでジェイは気に食わなかったが、品物自体には満足していたので何も言わない。
くいくい。
と、そこで、ジェイの股下くらいまでの背しかない娘が、腕を上げてジェイの服の裾を引っ張った。
「ん? 飽きたか? 他の店を冷やかしに行くか?」
ジェイが視線を下に向けて言うと、彼女は首を左右に振った。
「ううん。それはだいじょうぶ。それより――」
そこでちょいちょいと手招きする少女。
ジェイは腰をかがめて彼女に耳を寄せる。
「ふむふむ…… オッケー、いいぞ」
「ホント!」
「ああ。おい、そっちのイヤリング、来月の二十日までキープな」
少女との内緒話を終えると、ジェイは店主にそのように声をかけた。彼が指さす先には三千ゴールドほどのイヤリング。太陽の光を受けて輝く白銀の石が目立っていた。
「キープって…… ああ、アイちゃんの誕生日、来月か。五歳になるんだっけ?」
ジェイの突然の申し出に面食らった店主だったが、言葉の途中で得心するに値する事実を思い出す。そして、少女――アイに瞳を向けて訊いた。
アイはにっこり笑って受け答えする。
「はい。ようやく一けたの半分です。おとうとのアルフもわたしの五日あとに一回めのたんじょう日をむかえるし、らい月はいわいごとが多くてうれしいです」
「ああ、アルフくんも来月が誕生日だったっけ? それでジェイが再来月の末、エミリアが三ヵ月後の半ばに誕生日だろう? 君ん家は来月どころか数ヶ月ほど誕生日ラッシュだな」
「そうですね。おばあちゃんもおりょうりでうでをふるうって言ってたし、とってもたのしみです。エイミーおばあちゃんも久しぶりにくるみたいだし」
そのようなやり取りをしていた店主とアイ。しかし、不意に店主が苦笑いを浮かべる。
そして、しばらくすると口を開いた。
「アイちゃんがこれで四歳ってのは信じらんねえなぁ…… 姪っ子が同じく四歳だが、泣くわ喚くわ暴れるわで惨憺たる有り様だぞ。アイちゃんの爪の垢を誕生日に贈ったろうかね」
冗談めかして彼が言うと、今度はジェイが苦笑する。
「いや、こいつだって家じゃ我侭言うわ駄々っ子だわで大変だぞ? この間だって、アルフばっか構っちゃやだーって叫びながら、俺の脇腹にダイビングキックを――」
「パパ!」
そこで頬を紅潮させてアイが叫ぶ。そして、ダイビングキックとはいかないまでも、助走をつけた勢いのあるパンチがジェイの脇腹を襲った。
「ぐおっ! つぅ…… と、いうわけだ。まあ、こういうところはこういうところで可愛いと家族内でも好評だが」
ジェイは痛みで顔を歪めるが、直ぐに頬を緩めて親馬鹿振りを発揮した。
呆気に取られていた店主も頬をほころばす。もっとも彼のそれは、もはや此度の会話において何度浮かべたか分からない苦笑によって齎されたものであり、ジェイの頬のほころびとは完全に異なるものだった。
「そ、そうか。まあ確かに、完璧であるよりも多少欠点があった方が可愛いというか……」
店主は辛うじて話を合わせた。さすがに彼の瞳には、脇腹を殴られた直後に相好を崩すジェイの様子は異常に映ったが、本人がいいのなら適当に流しとこうという方針を採用したらしい。
そして、不自然と思えるほどに急速な話題変更を試みる。
「しかし娘か。うちは息子しかいなくてちょいと寂しいんだよなぁ。そうだ、アイちゃん。うちの子の嫁に来ないか? 三食昼寝つきを約束しよう」
店主は冗談めかしてそのように言った。ジェイが一気に不機嫌になったが、そこは気にしない。昔とある理由で彼と相対する――というよりは、一方的にやられていたのだが――ことが多かったため、彼の不機嫌顔には慣れていたのだ。
先程の騒ぎの尾を引いて頬を膨らませていたままだったアイは、店主が更にどうだいと訊いたのに対して、頬の小山をしぼませて口を開き、
「んー、さんしょくひるねつきはうれしいけど、わたし、パパのおよめさんになることにしてるから。ごめんなさい」
そう応えてぴょこんと頭を下げた。
そして、店主、ジェイともに衝撃を受ける。
「何だよ、この天然記念物! 今時あり得ねぇえだろっ!」
「アイはいい子だなあぁあ! よっしゃ! もう一個欲しいアクセサリー選べ! 買ったる!」
大声を上げるいい年した男性二名。通りを歩いていた人々は何事かと視線を送り、大多数は、ああ、と納得して何事もなかったかのように歩き出す。アリアハンでは日常茶飯事らしい。現在の店主の立ち位置にいる者が毎回異なるという違いはあるが、そこはまあ重要ではない。
さて、アクセサリーの追加購入を許可されたアイはどうしているかというと、嬉しそうに鼻歌を歌いながら物色を始めた。キョロキョロと辺りを見回す大きな瞳。それを貼り付けているあどけない顔。そして、その顔を保持している頭では次のようなことを考えていた。先に注意しておくが、悪気はない。五歳の今の段階ではという注釈はつけなければならないが……
――おばあちゃんに教わった、パパのおよめさんになるの大さくせん、あいかわらずすごいこうかだなぁ
アイの口から『パパのおよめさんになる』発言が飛び出すたび、馬鹿みたいにはしゃいでいるジェイ。そんな彼を一度でも見た者ならば誰でも、次のように考えることだろう。
できるなら一生涯、『パパのおよめさんになるの』大作戦はアイと祖母だけの秘密にしておいて欲しい。
そして今日も、アイは大好きなパパからのプレゼントを手に入れた。
ネックレスとバレットだった。
来月は誕生日。先程の予約分だけで済むのかどうかは、まだ分からない。