夢の世界に彼は三日拒否られ、彼女は常に受け入れられた

 ラダトーム王国の郊外にある一軒家。そこには一風変わった者達が住んでいた。
 もっとも、見た目が変わっているとか、性格が破綻しているとかそういうことではない。中にはそういった者もいはするが、大概はごくごく普通の常識人達である。
 その中でも特筆すべきは、この国にて勇者の意味を持つロトの称号を受けた少女――ケイティ。先にも述べたとおり、ごく普通の常識人であり、見た目も性格もそこここにいる年頃の少女と変わらない。しかしそこはそれ、ロトの称号を有するということで何かと目立っていた。
 他にも、彼女と共に偉業を成し遂げたと噂になっている者達が数名、その一軒家には住んでいた。
 現在ラダトーム国衛兵隊に籍をおいており、その類まれなる剣の腕で一目置かれているアラン。
 器量よしで性格よし、近所――といっても街まで少し距離があるため遠いが……――の独身男性の注目を集める魅惑の女性アリシア。
 そのアリシアの父親で、気弱な性格と若々しい姿でマダムを虜にしているキース。
 そして、ラダトームの酒場を色々な意味で荒らし回り、派手な噂が絶えないアマンダ。
 このように、勇者ロトが住まう建物には、彼女と同様に何かと目立つ経歴の持ち主達が暮らしていた。
 しかしそれも、今日をもって終わりを告げることとなる……

「ケイティさーん。開けてくださーい」
 ケイティがそろそろ夕飯の準備でも始めようかと動き出した時のこと。玄関から彼女を呼ぶ声が聞こえた。
 野菜の皮を剥こうと、たどたどしい様子で操っていた包丁を置き、彼女は玄関に向かう。声を耳にした時点で、扉の外に立つ人物には予想がついていた。
 がちゃ。
「どうしたんですか? アリシアさん」
 扉を外に向けて押し開けつつ、ケイティは訊く。
 しかし、その疑問に対する答えを聞くまでもなく、アリシアが自分で玄関の扉を開けなかった理由は明らかになった。
「えっと…… どうしたんですか? その両手いっぱいの野菜やらお菓子やら……」
 扉の前に立っていたアリシアは、絶妙なバランスで様々な食料品を抱えていた。顔に疲れが見えないため、自身にバイキルトをかけているのではないかと予想できる。
 それはともかくとして、なぜ彼女が両手いっぱいに食品を抱えているかが問題だ。もっとも、ケイティには少し心当たりがあったが……
「教会にお手伝いに行って来たのですけれど、その帰り道で、少し多く買ってしまった食材をお裾分けすると言って皆さんが色々と…… えっと、これはアギトさんからでこれがシリウスさん。こちらがロキアさんで、こっちがサニアさん」
 玄関口に荷物を置いたアリシアは右から順番に指を向け、そのひとつひとつについてお裾分けした人物の名を口にする。その大半は――というか、最後に出たサニア以外は二十代半ばくらいの独身男性。まあ、気を引くための貢物というやつである。
 それならば宝石や服飾などを送ればよさそうなものだが、そこはそれ、以前アリシアがそういう類のものを全て断ったため、今回はサニアがお裾分けをするのにかこつけて、彼らも競って『お裾分け』をしたのだろう。ちなみにサニアというのは、ケイティ達がここに住まうようになってから何かとよくしてくれている近所の女性である。
 ケイティは自分の予想と違わなかった事実に苦笑しつつ、特別言及することもなくそれらを有り難く貰うことにした。毎日の食費も馬鹿にならないため、こういった予期せぬ収穫は本当に有り難い。もっとも、食費が馬鹿にならないのはケイティ自身のせいなのだが……
「今帰ったよ」
 と、ケイティとアリシアで食品を運んでいると、開け放ったままであった扉を潜る者がいた。その両手には、シチューの入った鍋やらコロッケの並べられた皿やらが。
「お、お父様。どうしたんですか、それ?」
 似たような状態で帰ってきた自分は棚に上げて、アリシアは玄関を潜ったばかりの男性――キースに訊く。
「最近食事が前衛的になりがちだといった感じの世間話をしていたら、料理上手な主婦の方々が昨晩のおかずのあまりを分けて下さってね」
 笑顔でそう答えてからキースは、鍋を指差して、
「これはライアさん」
 コロッケの皿を指差して、
「こっちがリトアールさん」
 先程は陰になっていて見えなかった唐揚げの乗った皿を指差して、
「そしてこれがリリィさんだね」
 と口にした。
 ケイティは、凄い親子だなぁ、という感想を持ちつつ、そちらも有り難く頂くことにした。食卓が潤って嬉しい者の筆頭が彼女なのだ。
 それはともかくとして、ケイティは違う点について言及する。
「ところでキースさん? 食事が前衛的というのはどういう意味でしょう?」
「え゛。いやその…… 何故そんな弱冠怖い声色なのかな? 前衛的というのは褒め言葉だよ、ははは」
 ケイティの非難交じりの言葉に、曖昧に笑って誤魔化すキース。
 このところ食事を作っているのはケイティだ。しかしその手で生み出されたのは、砂糖菓子のように甘かったり、海水に漬け込んだかのように塩辛かったりするご飯や、あり得ない程に辛かったり、苦かったりするスープ。彼女の作品は確かに前衛的だっただろう。
 とはいえ、ケイティはその全てを自分で責任を持って食べきったのだから、途中でリタイヤしたキースにあのように言われるのは心外だった。というわけで、
「……そうですか。褒めていただけて嬉しいですよ。ところで、そんなにお裾分けをいただけるとは思ってなかったので、まだ作り始めですけど既に夕飯の準備を始めてしまったんですね。というわけで、その分はキースさんに食べさせて上げます。勿論、全部食べてくれますよね?」
 笑顔のままで怒気を発し、そのように言った。
 今夜の彼女の作品は、意識下において前衛的なものとなりそうだ。
「た、楽しみにしてるよ」
 引きつった笑みで応えるキース。その瞳はあり得ない程に激しく泳いでいた。

「……おーす」
 キースが涙目で、辛さと甘さと酸っぱさを兼ねそろえた吹かし芋を食している時、眠そうな目をこすりつつ二階から降りてきたのは、露出の多い服を着た金髪の女性――アマンダだった。
 彼女は夜中に起き出して夕飯を食し、それから昼間まで遊び歩いて眠りに帰るというのが日常だ。
「おっはー、アマンダ」
「お早う御座います」
「……おはよーございます」
 元気に挨拶したケイティとアリシア。そして、何とか挨拶を搾り出したキース。
 アマンダは食卓を瞳に映し――
「キースが食ってるもんはともかく、それ以外はまともそうね? 貰い物?」
 と訊いた。
「いや……まあ、そうなんだけど、まともなら貰い物っていう発想は私に喧嘩売ってるわけ?」
「そんな感じ。さて」
 瞳を細めて睨みつけつつ言ったケイティに適当に応え、アマンダはつまみ食いを始める。そして、コロッケを二、三、口にすると――
「んじゃ、あたし早速出かけるわ」
「もう? 毎日毎日、よくもまあ…… で、また昼帰り? 鍵は閉めていいんだよね?」
 コロッケを大量に食しつつ呆れた様子で訊いたケイティ。
 アマンダはそれに応えようとし、なぜか一瞬躊躇した。しかし、直ぐに口を開き――
 どがしゃあぁあんっ!
 そこで突然窓が大破した。
「な、何?」
 久方ぶりに緊迫した様子で、数名が立ち上がり構えを取る。
 しかし――
「よーっす! 俺様の到着だー!!」
 窓から入ってきたのは茶髪の少年だった。
 それを目にした一同は構えを解く。
「ドルーガくん…… あー、まー、久し振り……」
 飛び散った窓ガラスを瞳に映し、脱力して言葉を返すケイティ。
「久し振り……なのはいいのですが、もう少し平和な登場でお願いできますか? ドルくん。それからモルさん」
 アリシアは挨拶を返しながらも、窓から侵入する少年と女性に弱々しく意見する。
 少年はドルーガという名で、竜族の真祖という稀有な存在だ。そして、女性はモルといい、ドルーガに仕えるエルフである。
「ああ、アリ姉! 次からは気をつけよう! と、それはともかくだっ!」
 ドルーガは特に反省するでもなく叫び――
「窓の弁償はいたします。それよりも、この度窺いましたのは、ドルーガ様のお住まいが決まりましたので、よろしければキース様とアリシア様も一緒にどうでしょう、というお誘いに」
 ドルーガの後を継ぎ、モルが慇懃に言葉を紡ぐ。
「まあ、弁償してくれるなら――って、はい!?」
 ケイティはまず弁償という単語のみに反応したが、直ぐにその後の言葉をも理解し驚愕の声を上げる。
 誘われたアリシア、キースもまた――
「そんな突然…… というか――」
「いったいどこに住むことになったんですか?」
 疑問をぶつける。
 ドルーガは得意げに胸を張り、
「この間キース兄達が暴れた城だ! あのシックな感じが俺様のハートにヒット! ヒット!」
「テンション高ぇなぁ」
 叫んだドルーガに、アマンダが冷めた瞳を向ける。
「なにぶん初めての引越しですから。少々興奮気味なんですよ。ああ、はしゃぐドルーガ様も可愛いですねぇ、ふふ」
「ああ。はいはい」
 頬に手を当ててうっとりとするモルに、アマンダが冷めた瞳を向ける。
 と、そこでケイティが――
「あの城ならどんだけ人がいても問題ないだろうけど…… えと、私とアマンダは?」
 誘われなかったことに疑問を抱き、訊いた。
 ドルーガのノリのいい性格からいって、全員を誘わないというのは妙に思った。まあ、その言葉に甘えるかどうかは別にして……
「ん? だってアマンダ姉は来ないだろ?」
「おうよ」
「へ?」
 びっと親指を立てて言うアマンダと、間の抜けた声を上げるケイティ。
 そして――
「さっき言いかけたんだけど、あたし家出るから」
 アマンダは適当な口調で言う。
「はい!?」
「いやだって、何かこの家飽きたし」
「何それ! ここ以外に当てとかあんの!」
 突然のことにケイティは目つきを鋭くする。しかしアマンダは――
「んにゃ。なんつーか、適当に全国ふらり旅でも、と」
「無・計・画っ!!」
 あっけらかんと言うアマンダに、ケイティは強い口調で叫ぶ。
 しかしそこで、いつもはノリで生きているドルーガが言い合いを止める。
「まあまあ。アマンダ姉は昔からこんな感じらしいし。あとな。ケイティ姉を誘わない理由は……なんつーか俺様もよく分かんねぇんだけど……」
 珍しく歯切れ悪い言葉を紡ぐドルーガ。
 その後をモルが継ぐ。
「私が誘わないように進言いたしました。余計なお世話とも思いましたが、お二人の邪魔をなさるのもどうかと思いましたので」
 その言葉の意味を知れなかったケイティは、首を傾げる。
「邪魔……って?」
「ですから、貴女とアランさんの――」
「なっ!」
 眩い笑顔と共に紡がれたモルの言葉に、ケイティが顔を紅くして言葉を失う。
 しかし、それに対する抗議は――
「ま、待って下さい! だからって、この家にケイティさんとアランさんだけなんて!」
 アリシアが継いだ。
「まあまあ、いいじゃな――ぐばっ!」
 キースはそんなアリシアを止めようとするが、何故かアマンダが拳を彼の右頬に打ち込み沈黙させる。
「……えと、アマンダ様? 何故お父様を?」
 訝しげに訊いたアリシアに、アマンダは軽薄な笑みを向けた。そして、
「まあ、なんつーか…… ノリ?」
 と、適当さしか窺えない口調で言った。幾名かは呆れた表情を浮かべるが、特に言及しない。いつものことといえばいつものことだからだろう。
 そして、そこでアマンダは表情を一変。いやらしい笑みを浮かべ、咳払いをしてから――
「あっらあぁあ。ならケイティがドルーガ達の城に移って、アリシアとアランをこの家に残しましょうか? ねえ、モル?」
 声をかけられたモルは、アマンダとは違い健康的な笑顔を浮かべる。しかし……
「そうですね。それもよろしいかもしれませんね。私も、アリシア様の幸せは常日頃から願っておりますし、どうしてもというなら想い人と同棲生か――」
「ちょまああぁあぁあ! モルさん、その辺でえぇえ! いいです! ケイティさんとアランさんがこの家に住むの、私も大賛成でえぇええぇぇえすっ!!」
 ひたすら笑顔で何やら言っていたモルも、耳まで真っ赤に染めて叫んだアリシアを目にすると言葉を止めた。
 そして、視線をケイティに移し、
「まあそんなわけですので、アリシア様とキース様はお引越しということで」
 にこやかに言った。
 それに続いてドルーガが、
「ま! そう寂しがらなくてもいいぞ、ケイティ姉! どうせしょっちゅう遊びに来るしな!」
 元気に叫ぶ。
 すると、アマンダも下卑た笑みを浮かべて……
「あたしも偶には様子見に来たるから。つか、今夜にでも様子を――」
「アマンダ様…… その先はちょっと……」
 アリシアが引き続き赤い顔で遮ると、アマンダは含み笑いをするだけにとどめて先は続けなかった。
 そして、
「んーじゃ、またその内にね。今夜は勘弁しといたるわ。ぶわあっはっはっはっはっ!」
 親父全開の笑いを残して姿を消した。
「アマンダ様……」
 頭を抱えるアリシア。
 と――
「きゃっ!」
 そこでアリシアと気絶したキースを小脇に抱えて、ドルーガが窓の縁に足をかける。
「ま、とにかく今日はこれでな、ケイティ姉! でゅわっ!」
 勢いよく飛び立つドルーガ。
「では私もこれにて。どうぞ素敵な夜をお過ごし下さい」
 慇懃に言って静かに飛び立つモル。
 家に独り残されたケイティは――
「えぇえええぇえ! 私何から突っ込めばいいのおおぉぉおお!!」
 取り敢えず、一番気になった点を叫んだ。
 彼女がこの時ほど、とある姫君に気に入られたがゆえに逃亡生活を続けている、突っ込み役として定評のある某盗賊の存在を切望したことはないという……

 がちゃ。
「ただいまー。いやー、疲れたぁ。キースさん、お茶お願いできますか?」
 しばらくして玄関から現れた白髪の青年――アランは、いつも帰ると出て来るキースのお茶を要求した。
 午前中はとある貴族の地方視察に警護として同行し、午後からは訓練漬けの一日を過ごした彼は、とんでもない疲労を癒すための命のお茶を心の底から欲していた。
 しかし、雑用のプロフェッショナルが入れる命のお茶が齎されることはない。代わりに、一人の少女がなれない手つきで用意を始める。
「お、お帰りなさい。アランさん」
「あー、ただいま。あれ? キースさんは?」
「えと、ちょっと今日いなくて。はい、お茶です」
 アランは出されたお茶を受け取り、
「サンキュ。いないって…… どっかいったのか? なら、アリシアはどうした? アマンダは――あいつはいつもいないか」
 彼にとって別の意味での癒し茶を口にしつつ、アランは辺りをキョロキョロと見回して訊いた。
 訊かれたケイティはびくっとして固まり、それから極力軽いノリで現状の説明をする。
「ちょっと色々ありまして、今日からこの家は私とアランさんだけが住むことになったのでした。てへ」
「ふぅ〜ん」
 ケイティの説明にアランは軽く反応し――
 ぐびぐびぐびぐび。
 お茶を勢いよく飲み――
 ぶふううぅぅううううぅぅうっ!!
 勢いよく吐き出した。
「ちょっ! なっ……げほげほっ!」
 そして激しく咳き込む。
「だ、大丈夫ですか? アランさん」
「な、なんとか。それより……」
「だから、さっき言ったとおりです。今日から……二人きりでして……」
 ケイティは軽く頬を染めて言う。
 それを耳にしたアランは、頬を染めるどころか真っ赤になる。
 …………………………
 しばしの沈黙。
 それを破ったのは――
「あ、あっはっはっはっ! その、なんだ! 人が少なくなったのは寂しいが、まあ家が広くなったのは悪くないんじゃないか!? と、そうだ! 俺明日早いんだ! ぱぱっと寝るな! おやすみっ!!」
 わざとらしく大きな声で言うアラン。そして、自室に足を向ける。
 ばたんっ。
 そして、素早く扉の奥へと消えた。
 残されたケイティは目蓋をぱちくりと上げ下げし、
「そうだよね。あの時告白されたくらいで、あれから何があったわけでもないんだし…… まー、これが普通の展開だよね。うんうん」
 胸を撫で下ろして息を吐くケイティ。そして、大きく伸びをして――
「いやあ、緊張して損した。さて、明日のアランさんのお弁当の準備しなくちゃ。今度は失敗しないぞー」
 そう独りごちながら台所に向かう。

 ところ変わって――
「……今日からしばらく眠れんかもしれん」
 自室のアランはそう呟いてから、スライムが一匹、スライムが二匹、と数えだす。
 しかし、そのカウントが功を奏すことはなかった……

 更にところ変わって――
「ちっ…… つまらん。ま、アランだし、仕方ないけど……」
 物陰に潜む影はそう呟いてから、金の髪を揺らして、消えた。


 ラダトーム国の大聖堂が、ロトの称号を有する勇者の祝い事によって賑わうのはそれから五年後の春先である……
 大多数の者は、ようやくか、と心の中で呟いたとか。