注意書き:
この文章はニコニコ動画でアップされた『イーガー・ビリーバー』を基にした二次小説です。
著作権は全てそれらの製作者であるアヒル軍曹Pさんに帰属します。
Eager Believer ― 年の差狂奏曲
01.7さいと14さい
みなさん、はじめまして。ボクは秋山迅といいます。小学2年生、7さいです。自分のことをどこにでもいる普通の小学生だと、つねづね思ってます。
けど、最近はちょっとだけそのわくからずれちゃってるかもしれません。というのも――
「あっ」
いたた。つまづいて転んでしまいました。ひざから血が出てます。
さすがに痛いですけど、ボクももう7さいです。このくらいではさわいだりしません。もちろん、泣きもしませんよ?
さて。どこまで話しましたっけ? ああ、そうそう。ボクが普通のわくからずれちゃってるっていう話でしたよね。
その理由は――
「迅くんっ! 大丈夫!?」
たったったったったっ!
……『理由』が向こうからやってきてくれました。
ボクのしせんの先では、金ぱつで青い目のお姉さんがこちらに向かって走ってきます。グリーンのワンピースの上にピンクのカーディガンをはおっているのですけど、さいきんの気温を考えると、ワンピースはともかく、カーディガンはあついんじゃないでしょうか。あとの特徴としては――そうですね。頭の大きなリボンが印しょうに残ると思います。こちらもピンク色をしていて、まあ、かわいらしいかっこうといえるでしょう。
それにしてもずいぶんタイミングよく現れたと思いませんか、彼女。たぶんですけど、先の曲がり角からこちらをうかがっていたんじゃないかと思います。なんというか、ボクらはそういう関係なんです。残念なことに。
「痛くない!? 痛いよね!? ほら! あたしの胸の中で泣いて! ね?」
お姉さんはさんざんさわぎたてたあと、両うでを大きく広げてこちらに期待のまなざしを向けてきます。正直、そんなまなざしを向けられても困ります。
「だいじょぶだからほっといてってば、リン」
「えー。ダーリンをぎゅっと抱きしめるチャンスだと思ったのに」
……聞こえないフリを決め込むことにします。
改めて紹介しますね。このぶっ飛んだお姉さんの名前は、鏡音リン。中学2年生で、14さいです。金ぱつで青い目なことからもわかりますけど、じゅんすいな日本人じゃありません。イギリス人と日本人のハーフらしいです。
ボクが普通ではない理由のさいたるものが、このお姉さんです。
ボクこと秋山迅7さいは、なぜかこの14さいのお姉さん、鏡音リンに気に入られてしまっているんです。この間は、けっこんして、とまで言われました。正直、ついていけません。
……………………
「リン。近い。離れて」
考えごとをしていたら、いつの間にかリンの接近をゆるしてしまいました。さいきんはあついですし、めいわく以外のなにものでもありません。
ついでに言うなら、学校の友だちにでも見られた日にはうつになります。
「えーっ! いいでしょ? もう少し近づきたいっ! 物理的な意味でも、精神的な意味でもっ! うふふー」
ここまで言うことがぶっ飛んできた場合、そうそうに逃げ出すのが得策です。リンにつきまとわれはじめて2ヶ月になりますけど、これ以上つきあうといつもろくな目にあいませんでした。
というわけで、逃げます。
だっ!
「え、迅くん? そんなに急いでどこいくの?」
リンは突然のことに驚いたようでした。
けど、直ぐに楽しそうに笑います。
「あははっ。分かった。鬼ごっこね。でしょ? 捕まえたらぎゅっとしていいってことだよね? うふふー」
そんなことは言ってません。ひとことも言ってません。
だっっ!
7さいというじゃくはいながら、走りには少しばかり自信があります。いくら14さいが相手とはいえ、やすやすとつかまりはしません。
「だ、ダーリン速いってば! なんでそんなに一所懸命走るの! もっとゆっくり走ってくれないと、ぎゅってしてあげられないよ?」
してもらいたくないのです。そこは年長者として、口にしなくてもさっして欲しいところです。でも、さっせないというのなら、勇気を出して口にするしかありません。
「嫌なんだってば! わかってよ! 帰ってよ!」
「じ、迅くんひどいっ! そんなに嫌がらなくてもいいじゃない! ……そ、そっか。自分のこと『あたし』とか言うから? わかった! 直す!」
直されても困ります。どうでもいいです。そもそも、どうしてそんなけつろんになったのでしょう。わけがわかりません。
テレビで、『あたし』は不人気だ、という放送でも流れていたのでしょうか? 正直、さんどうしかねます。
たったったったったっ!
「待ってよ! 待ってってばあ! わたし! わたし! ほら、直したよ! ねえ!」
問題はそこじゃないです。直っても直らなくてもどうでもいいです。
ちなみに、こうして脳内でのみつっこんでいるのにはわけがあります。相手をするとよけい付きまとわれる、というけいけんそくがあるからです。なるべく相手にしないのがベストです。
「待ってよぉ! ねえってばぁ……」
リンの声が遠ざかっていきます。このままいけば、無事に逃げられそうです。ふぅ。
たっ……
とうとうリンの足が止まりました。これで安心で――
ぐすっ。
たっ……
困ったことに、ボクの足も止まってしまいました。いつも思います。リンはずるいです。
くる。
回れ右して歩き出します。向かう先には14さいのお姉さんがいます。
かん違いしないでもらいたいのですけど、ボクはこの自分の行動に全力で逆らいたいです。正直このまま逃げ出したいのです。
でも――
「じ、迅くぅん! うぅ……ひっく」
泣いてる女の子を置いて逃げ出すなんて、やっぱりダメだと思うんです。はあ。自分のしょうぶんがうらめしいです。
…子供らしくないですか? よく言われます。
「リン」
「じ、迅くん……」
「抱きつくのなし。変なこと言うのなし。ダーリンって呼ばない。そのほか、じょうしき的な行動をこころがけてくれたら、とりあえずいっしょに帰ってあげる」
ボクの言葉を耳にすると、リンはげんきんにも表情を輝かせます。そして、うふふーといつもの一風変わった笑い方を見せます。今泣いたカラスがもう笑った、というやつですね。
「じゃー帰ろ。迅くん。大好き、ラブラブだよ。わたしの可愛いマイスイートダー……おとと。言ってないよ。セーフだよね。えーとじゃあ代わりに――マイスイート迅。……うふふー。呼び捨てにしちゃったぁ。あははっ。ずっとわたしだけを見てね。約束だよ? うふふー」
……やっぱり逃げだしたいです。全力で。なぜにこうも思考かいろがぶっ飛んでいるのでしょう。
ねがわくば誰か代わって下さい。せつじつに、そう思います。
02.鏡音家
「ただいまー」
「おかえりー。って、あれ? リンちゃん、学校行ってた――わけじゃないみたいだね」
家に帰ると、ミクちゃんが緑の髪をはずませつつ階段を下りてきて、出迎えてくれた。ていうか、学校なんて行くわけないし。あんなとこ行くだけ無駄だもん。
ミクちゃんはわたしの従姉妹で、フルネームは初音ミクという。うちの近くの高校の2年生。彼女の両親がお仕事の都合で転勤することになった時に、ミクちゃんだけがこっちに残ってうちから高校に通っている。
ちなみに、今日は高校の創立記念日らしく、わたしみたいにサボってるわけではないみたい。
「うん。迅くんの下校の時間だったからー」
そう応えると、ミクちゃんは、ああ、と納得顔で時計を見た。そうしてから笑顔を浮かべ、柔らかな緑の髪を揺らす。
綺麗な髪だなーと思う。わたしの髪は少しくせがあるから、とてもああはならない。
あんな風に笑顔も髪も素敵だったら、迅くんももっとわたしを好きになってくれるのかなぁ。
「迅くんは元気だった?」
尋ねたのはミクちゃんだ。
わたしは頷く。
「うん。元気で素敵で優しくてかっこよくて可愛かった」
「そっか。よかったねー」
「うん!」
ミクちゃんと話してると楽しい。
これがレンだったら最悪。まず間違いなく馬鹿にされる。最近は特にその傾向が強い。迅くんの話をすると十中八九、暴言が飛ぶ。正直うざい。
ちなみに、どうでもいいと思うけど、レンというのはわたしの双子の弟で、鏡音レンというのがフルネームだ。当然ながら、わたしと同じ14歳、中2。
あーそれにしても、レンうざいレンうざい。
「でも心配だね」
「え?」
レンうざいと脳内で連呼していると、ミクちゃんが突然言った。突然すぎてよく分からない。
「何が? ミクちゃん」
「んーとね。迅くんがそんなに素敵だと、同じクラスの女の子にもモテてそうだなぁとか思って。くすくす。リンちゃん大変ね。ライバルがいっぱいよ、きっと」
素敵な笑顔を浮かべてミクちゃんは言った。たぶん冗談交じりの発言なのだろう。
けど、わたしには『迅くん超モテモテ』の様子が苦もなく想像できてしまう。全然冗談なんかじゃない。120パーセントくらいの確率でありえることだ。
だって、迅くんはあんなに素敵なんだもの!
「……わたしが一番迅くんを好きなんだもん。こんなに想ってるんだもん。他の女が近づくなんて絶対許せない。明日からは小学校内での様子も――でも、中学生って用務員になれるのかな。いや、侵入すればいっか。いやいやそれよりも、そもそも迅くんを連れ去って2人だけの楽園を創るとか……」
「犯罪はダメだよ?」
さすがに止められた。
そして、続けてミクちゃんは――
「あとね。ヤンデレって結構萌えだけど、リアルにいたら引かれると思うの、私。だからちょっと押さえ気味でいこ。ね?」
素敵な笑顔でそんなことを言った。
「? う、うん?」
?? ヤンデレ? 萌え?
ミクちゃんの言うことは、たまによく分からない。
03.彼女の本気と彼の勘違い
スーパーで買い物をした帰り道、私は迅くんに会った。以前に1度、リンちゃんと一緒にいるときに会っただけだったけど、話だけはいつも聞いているから、こちらの心境としてはすっかりお馴染みな相手、という気分だ。
「迅くん。お買い物?」
彼もまた、スーパーの袋を手にしていた。おつかいだろうか。
迅くんは私の言葉に肩を跳ね上げ、こちらを恐る恐る見た。しかし、私の顔を見ると安心したように胸をなでおろした。
「ああ、あなたはたしか……ミクさんでしたよね? こんにちは」
「こんにちは。どうかしたの?」
「あ、えっと、いえ、なんでもないです。とつぜんだったので少しおどろいただけです」
明らかに挙動不審な迅くん。私の方を見ずに、きまずそうにしている。
たぶん、リンちゃんかと思ったんだろう。
うーん。怖がられてるよ、リンちゃん…… オワタ\(^O^)/
ってふざけてる場合じゃないかぁ。リンちゃんの幸せがかかってるもんね。
でもまあ、この件に関してここで追求したり、問いただしたりするのはよそう。
「おつかい?」
無難な質問を選んでみた。
すると、迅くんも明らかにほっとしたようで、笑顔で頷いた。
「はい。カレールーとお肉を。今日はカレーみたいです」
「へー、よかったねー。カレーおいしいよね」
カレーは飲み物だ――じゃなくて、日本の宝だ。
「ええ。カレーなら1週間くらいつづいてもおいしく食べれます」
「だよね。私は葱をたっぷり5本くらい入れるのが好きなの」
「そうそ――え?」
「あ。そういえば、葱いっぱい買ってきたんだ。よかったら3本くらい――」
スーパーで厳選したとっておきのうち3本を買い物袋から取り出そうとする。すると、迅くんは慌てた様子で手と首を振った。
「いえいえいえ! けっこうです! わるいですし!」
「そう? 遠慮しなくてもいいのよ?」
言ってみるも、迅くんは断固として辞退した。遠慮深い子。
きょろきょろ。
「どうかしたの?」
何やら周りを気にしている迅くんに、尋ねる。
すると、迅くんはやはり挙動不審な様子で慌てる。
「あ、いえ、その……」
……私がここいる以上、リンちゃんの存在が気になるのは仕方ないのかな。一緒に買い物に来てる、なんて状況は十分ありえるわけだし。それにしても――
さすがに口を出さずにいられない。リンちゃんは本当の妹みたいなものだもの。なるべく泣いて欲しくない。
「リンちゃんのこと、嫌い?」
「え!? あの、その……」
ちょっと意地悪な質問だったかもしれない。でも、そこははっきりしておきたい。
「――嫌い、ではないです。でも、その……」
内心、ほっと胸をなでおろす。最悪の結果は免れた。
とはいえ、イコール好きというわけじゃないだろう。しょぼーん(´・ω・`)といったところかな。
おっと。脳内で絵文字遊びしてる場合じゃなかった。迅くんが何やら言いづらそうにしている。
重要な情報を聞き出すチャンスかもしれない。
「なあに? よければ教えて。勿論、リンちゃんには内緒にするから」
ひと声かけると、迅くんは決心したように頷いた。
「年上だからってからかってくるのが、ちょっと…嫌なんです」
? リンちゃんが迅くんをからかう? 正直、何のことかと……
考えてもよくわからなかったので尋ねてみた。すると――
「小学2年生のボクを好きだとか、けっこんしてだとか、どう考えてもからかってるでしょう?」
うわ。そもそもそこが――本気だっていうの上手く伝わってなかったんだ……
でもまあ確かに、普通に考えれば、中学2年生が小学2年生に真面目に告白したり、求婚したりはしないかも。
それに――迅くん自身が恋に不慣れなんだろう。7歳だしなぁ。
というか、よくよく考えるとすごいシチュだなぁ。ショタにもほどが…… 日本オワタ\(^O^)/
ああ、いけないいけない。ついつい某掲示板サイトのノリが舞い降りちゃう。自重しろ、私。
さて、どうしよう。ここで私がリンちゃんの本気ぶりを熱弁しても……だし。だよねーって同意して適当に流す? いや、それもダメか。
うーん、と。やっぱちょっとフォローしとこっと。
「そうかもしれないね。でもさ」
「え?」
「そうじゃないかもしれないよ。私はリンちゃんのことをよく知ってるけど、リンちゃんじゃない。同じように、迅くんだってリンちゃんじゃないもの。リンちゃんがどんな想いを抱いているかなんて分からない。違う?」
尋ねると、迅くんは少しばかり考え込んで、そうだと思います、と同意してくれた。
「でしょ? だったら、そんな風に決め付けないであげて欲しいの。もう少しリンちゃんを信じてあげて欲しい。この想いは、私がリンちゃんのことを大好きだから生まれるものだけど、迅くんにも少なからず、そう想って欲しいわ」
そう口にし、迅くんを真っ直ぐ見つめて微笑む。
すると、迅くんは曖昧に笑んだ。そうしてから、
「ぜんしょします」
と、言ってくれた。
うーん。政治家の受け答えみたい。どうなんだろう。お姉ちゃん、少しは役立てたのかな?
かーかー。
カラスが夕焼け空に鳴いている。帰らなきゃ。
04.静観する者
「えー! ミクちゃん、迅くんとお話したの!? ずるいっ!」
「リ、リンちゃん? とりあえず包丁は手放そっか? お姉ちゃん、ヤンデレは見てるだけの方が萌えるわ」
ミク姉とリンが台所で騒いでいる。
今日の食事当番はミク姉だけなのだけど、リンも手伝っているようだ。
しかし、会話の内容は若干物騒である。何事だろう?
「何騒いでんの?」
台所に顔を出すと、リンがミク姉を葱で殴っていた。といっても、ぺしぺしと弱い音しかしていないので、どちらかといえば微笑ましい。
「ふえーん。レンくーん。リンちゃんがいぢめるよー」
「葱で殴られるなら本望なんじゃねえの、ミク姉」
「いくら葱でも殴られるのはいやぁー」
ま、そりゃそうだ。さて――
ぱし。
振り下ろされた葱を右手で受止め、左手でリンの右手を取る。それで、我が双子の姉の動きは止まった。
「その辺にしといたら? リン」
「いや! わたしの迅くんに色目をつかったミクちゃんは、あと50葱叩きの刑だもん!」
「ぷぎゃー(^Д^)」
凄んだリンに、ミク姉は妙な声を上げて逃げ出す。
「落ち着けってば、リン。あとミク姉はネット用語控えて。やや腹立たしい」
そう声をかけると、ミク姉は懲りずに、しょぼーん(´・ω・`)、とか口にしてた。もう無視しよう。
「で? リンはまだあの小学生を追い掛け回してるわけ? 頭おかしいんじゃないの?」
「な――なによ! レンなんかに言われたくないもん! 迅くんは素敵だもん!」
今の論点は秋山迅が素敵かどうかではないのだけれども…… 俺の姉は少し、いや、かなり変だ。
「はいはい。素敵でもすだちでもいいけど、相手は小学生だぞ。常識って言葉知ってるか? あ、馬鹿じゃ知らねえか。はっ」
「は、鼻で笑ったぁ! レンの馬鹿ぁ!」
「お前がな。俺たちはただでさえ見た目で目立つのに、そんな風に常識知らずで発言が吹っ飛んでるからいじ――」
っと。まずい。
ミク姉に視線を送ると、彼女ははらはらした様子で俺らを交互に見ていた。そして、俺が彼女の方を見ているのに気づくと、不思議そうに首をかしげた。
ふぅ。気づかなかったか。まあ、ほとんど口にしてないから大丈夫だとは思ったけどさ。
リンは目の前で口を尖らせている。
危なかったとはいえ、ちゃんと口外しなかったんだ。そう不機嫌にならないで欲しいものである。
「これ以上ここにいたら馬鹿が移る。飯できたら呼んで」
と、早々に立ち去ることにした。
あのまま言い合いしていたら、また口が滑りそうだ。
「べーっ! レンのばあーか!」
「レンくん。お姉ちゃん、ツンデレは大好物だけど、もうちょっとデレが多いほうが嬉しいかも」
背中に浴びせられた女性陣の声。うんざりした。
ばたん。
部屋の扉を閉めて、ベッドに横になる。
手を伸ばしてプレイヤーの再生ボタンを押すと、ロードローラーを乗りこなすという内容のクールな歌詞の曲が流れた。最近のお気に入りの1曲だ。
瞳を閉じて考え込む。
リンがいじめられだしたのは、今年の4月だった。
中学2年生になり、新しいクラスが始まった頃合。リンのクラスには目立ちたがりのいち女子生徒をリーダーとしたグループがあった。そして、その女子は見た目が最高に目立つリンを仲間に入れようとした。
そこまではまだよかっただろう。問題だったのはその先だ。リンは――その誘いを断った。しかも、かなり感じ悪く。
女子グループのリーダーをするような女子は、まず間違いなくプライドが高く執念深い。偏見かもしれないけれど、少なくともリンが敵対した相手はそうだった。
4月はまだ、そのグループの人間が無視する程度のものだった。
しかし、5月、6月になるとその空気が伝播していき、クラスの大多数がリンを無視するようになった。そして悪いことに、いじめの内容は無視だけにとどまることはなく、物が隠されたり、陰険な悪口の書かれた手紙が何通も下駄箱に入れられたり、と悪質だった。
リンが学校に行かなくなるのに、長い時間は要さなかった。
けど、リンはそれほど暗くなりはしなかった。そのおかげか、ミク姉と両親には、まだいじめの事実は気づかれていない。登校拒否の原因は、勉強地獄が齎した軽いうつ病ということになっている、一応。
勿論、ずっとそうだったわけではない。学校に行かなくなる直前は極限まで鬱屈していて、自殺でもしやしないかと心配になったものだ。一度などは、リンがカッターナイフを片手に部屋に佇んでいたのを見た。
そこまで追い詰められていたにもかかわらず、最後に登校した日の放課後に家に帰ってきたリンは、なぜか終始ご機嫌だった。
派手すぎる髪と瞳が気持ち悪い、と陰口を言われてから黒く染めていた髪や茶のカラーコンタクトを入れていた瞳も、普段どおりの金髪と碧眼に戻っていた。
何かあったのか尋ねても、リンは機嫌よさそうに、うふふー、と笑うだけで、何も教えなかった。
ただまあ、おそらくはあの秋山迅が関係しているのだと思う。彼女との会話の中に『迅くん』が増えたのは、まさにあのタイミングだったから。
まあ、元気なのはいい。それはいいのだが、さすがに小学生を追い掛け回すのは――法治国家の国民として不安だ……
「レンくーん! ご飯できたよー!」
ミク姉の声が聞こえた。
くんくん。
……ミク姉が当番の日は、俺の部屋まで葱の香りが漂ってくるのが困りものだ。いやまあ、いい香りなんだけどさ。限度って、あるよな?
05.はじまるボクら
「じっんっくーっんっ!」
いつものほうかご、やはりというかなんというか、リンにつかまってしまいました。大手をふりふり、軽いかけ足でこちらに向かってきます。
「いっしょに帰ろ! うふふー」
「やだ」
はっきり断ると、リンは泣きそうになってボクにつめよりました。
「ミクちゃんとはいっしょにスーパーから帰ったんでしょ。なんで! なんでミクちゃんだけ!?」
なんでと言われても、ミクさんはリンよりもぶっとんでいないから、といったところでしょうか? まあ、ミクさんもたまにおかしいですけど。
「何でわたしじゃダメなの? 笑い方が可愛くないから? ならそれも直すよ?」
「ちょ、ちょっと――」
「それだけじゃダメ? ならそれ以外も、何だって直すから! 迅くん好みの女になるから! だから!」
まいどのことながらすっかりぼう走しています。こうなってしまったらこちらの話は通じませんし、この場にとどまってもふりまわされるのがオチです。
というわけで、聞こえないふりで逃げ出すのが吉です。
「じ、迅くんっ! やだよ! 聞こえないふりしないで! そんなにわたしが嫌? わたし、わたし――」
すでにリンは涙声です。うぅ。良心のかしゃくにさいなまれてしまいます。
とはいえ、ここで立ち止まるわけにはいきません。ここは心を鬼にして――
たっ。
一歩をふみだすと、背中でリンの、あ、という声が上がりました。
「ねぇ! ねぇってばぁ!」
その叫びはひつうです。でも、きっとこれでいいんです。
リンだってきっと本気じゃない……はずなんです。
そんなことを考えながら足をすすめます。自分でも意外なほど、その足取りはおもかったですけど、それでも、リンをついにふりきろうかというその頃合に――
「あらぁ? 鏡音さんじゃない?」
「か、重音…さん……」
とつぜん、近くの中学校の制服に身を包んだお姉さんたちがやってきました。リンの言葉を信じるのなら、先頭を歩くお姉さんはかさねさんというようです。
あ! リンが知り合いと話しはじめようという今はチャンスです。これで気づかれずに――
「くすくす。似合いもしない金髪と青い目で、よくも外が歩けるわね。学校じゃ分相応な髪色と目の色にしてたのに、どういうことかしら? こんな人が同じ中学だなんて、恥ずかしい」
……ん?
「ほんとほんと」
「信じられないよねー」
「きもーい」
「うざーい」
…………んん?
重音さんに続いて、お姉さんすう名がいじわるな笑みとともに言いました。その内容は、決してこうい的ではありません。
…………………………
「ねえ、テトちゃん。こんなキモうざな子ほっといて行きましょ? 視界に入るだけで不愉快でしょ?」
「そうね。じゃ、鏡音さん。二度と会いたくないわね。死んでくれれば嬉しいわ」
くすくすくすくすくすくす。
いじのわるい笑いがどんどんでんぱんしていきました。この場にいる人は、ボクとリン以外、みんなそんなさいていの笑い方をしています。
そして、すたすたと何食わぬ顔でさっていこうとしました。
ボクはリンをぬすみ見てみました。すると――
「…………………………」
ボクにいつも見せている笑顔とも、そして、泣き顔ともちがう顔がそこにはありました。
だからボクは――
だっ!
いきおいよくかけ出します。わきめもふらず、目標に向けて。
そして――
がんっ!!
思い切りジャンプして、体重ののったけりをくりだしました。
重音とかいうばかに向けて。
「いたぁ…… な、なんなの?」
「あやまれ!」
「なに? この子」
「こ、この子だよ! テトちゃんを蹴ったの!」
とりまきその1がボクを指さしていいました。
けど、そんなやつは無視です。こういう手合いは、リーダーを倒さなくちゃいけないって、まんがにかいてました。
がしっ!
たおれてる重音の足をけります。えんりょは無用です。
「いた! な、何するのよ!」
がしっ!
さすがに相手は中学生です。ボクのけりなどでは、それほどダメージがなかったのでしょう。とくにひるむでもなく、ボクの足をつかみます。
そしてボクは、軽々ともちあげられてしまいました。
「じ、迅くんっ!」
「あんた! なめてんじゃないわよっ!」
リンの心配そうな叫びと、重音のいらついた叫びがかさなりました。こんなときだけど、重音と比べて、リンの声はきれいだな、と思いました。
「ほら。謝るならまだ許してあげるわよ?」
重音が感じわるい笑みをうかべ、言いました。
……もちろん、あやまるなんてまっぴらごめんです。
「うるさい! おまえこそ、リンにあやまれ!」
「どうして私が鏡音さんに謝らなければいけないの? みんな、わかる?」
「えー。わかんなーい」
「いみふめーい」
くすくすくすくすくすくす。
むかつく笑い声です。リンの笑い方のほうが100万倍くらいすてきです。
リンの金色のかみだって、青い目だって、こいつらがばかにしてるものは全て、ぜんぶぜんぶきれいだし、すてきです。
はらを立てながらそんなことを考えていたら、とつぜん思い出しました。
2ヶ月くらい前、学校の帰り道でないているお姉さんがいました。すごくかなしそうで、ボクはむしできませんでした。
黒いかみに青い目という彼女の見た目のアンバランスさにおどろいたのを覚えています。
だから、ボクはたしかこう言いました。
「わあ。お姉さん、目きれい」
「え?」
お姉さんは本当におどろいていました。少し前まで、ひっしで目をかくして、コンタクトがどうとか呟いていたのですが、すっかりどうてんして慌てていました。
「どうしたの?」
「……だって、そんな綺麗だなんて。皆、この目とか髪とか、気持ち悪いって――」
「えー。それはないよー。すっごいきれいだもん。宝石みたいだよ」
ただ正直にいっただけだったんだけど、お姉さんはそのあと、すごく嬉しそうに笑っていました。きらきらと光る青色が、たとえとかじゃなくて、本当に宝石に見えたのが印象にのこっています。
そしてその青には見覚えがあります。本当に今さらですが、ごく身近にずっとあったんです。
あれは、リンだったんです。
「わあああぁああーっ!」
めちゃくちゃにあばれると、重音はいっしゅんひるんで手を放しました。ボクはかいほうされ、宙に放たれます。
がっ!
地面に体をぶつけましたが、きにせず重音に体当たりをします。
重音は少しだけよろめきましたが、やはりボクていどの力では、体格のちがう中学生にたちうちできないようです。よろめかせるのがせいいっぱいでした。
そして――
「この――!」
重音がうでをふりあげました。
なぐられる! そう思いました。
けど……
「――――やめてええぇえええぇええぇえっっ!!」
リンの叫び声がこだましました。
そして、それからすう秒がたち、すぐに人があつまってきました。やじうまがだいたすうのようでしたが、重音たちをひるませるにはじゅうぶんでした。
「に、逃げるわよ!」
たったったったったっ!
さいていな集団は、ふりかえることもなく走りさっていきました。
まだ7年しかたっていないですけれど、今まで生きてきたなかで、1番みにくいそんざいを見たと、ボクは自信をもって言えるでしょう。
重音たちがいなくなると、やじうまたちもぱらぱらといなくなりました。ボクとリンがすわりこんで放心しているだけのこうけいに、きょうみをなくしたのでしょう。
そうしてから、すう分がたちました。リンがおおげさにさわぎだします。
「あぁーん。よかったぁー。迅くん、よかったよぉー」
「リン。苦しい」
きつく抱きしめてくるリンに、ボクはつかれた声をぶつけます。じっさいつかれてました。
はぁ。さっさと帰ろう。
すたっ。
「じゃあね」
立ち上がって、ひろうゆえにごく短く言うと、リンはとても傷ついたように見えました。さきほどよりも、ずっと。
とても胸がいたくなりましたが、なぜリンがそんな顔をするのかわかりません。
「……嫌いにならないで」
「え」
「あたし――わたし、いじめられてたよ。すごくなさけなくて、ずっと泣きたかった。こんなこと、迅くんに知られたくなかった。絶対嫌われるから」
……いんがかんけいがいまいちしっくりきません。いまの話の中に、リンを嫌うりゆうがあったでしょうか?
「でもね。迅くんの存在がわたしの全てなの。みんなが否定したわたしの髪や瞳を、この存在を迅くんが認めてくれたあの日から、君はわたしの全て。迅くんの一番近くにいたい。ずっとずっと、隣で笑顔を見ていたい。いっしょに笑っていたいの。……大好き、なの」
そこまで口にして、リンは泣き出してしまいました。
正直、どうしていいかわかりません。
こまりはててたたずんでいると、頭の中にミクさんの言葉がよみがえりました。
『リンちゃんを信じてあげて欲しい』
……ボクは今まで、リンのことを見ていなかったのでしょう。リンのまっすぐできれいなひとみにあっとうされて、ずっと目をそらしていました。それは、リンの言葉もなにもかも、信じる気がそもそもなかったからなのだと、そう思います。
ボクが7さいで、リンが14さいだという、どうしようもないとしの差が前ていとしてあり信じられなかったというのはもちろんですが、それでも、ボクがリンをないがしろにしていたのは事実です。
そして、いますこしだけ、リンを信じて、その目と言葉を正面からうけとめてみようと、そう思いました。ボクはにげちゃいけないのだと、そう想いました。
「リン」
かがやく金のかみがゆれ、うるんだ彼女のきれいな青い目が、ボクに向きました。
ボクは大きくしんこきゅうし、口を開きます。ボクの気持ちを伝えます。
「ボクは――今のリンが嫌い」
「あ………………………」
「ボクは、自分のことをわたしっていう子が嫌い」
「え?」
「それに、笑い方をむりやり変えようとする子も嫌い。ボクにあわせて、全てを変えようとする子が大嫌い」
ボクの言葉に、リンは目をぱちくりさせています。その様子が、少しおかしいです。
そんなことを思いつつ、続けます。
「でも、金のかみと青い目がとてもとてもきれいで、自分のことをあたしっていったり、うふふーって変わった笑い方をしたりする、そんな不思議な子のことは――嫌いじゃない」
リンはボクを見て、ほうけています。
ボクの言いたいことがつたわっていないのでしょうか? もっとはっきり言い直しましょう。
「つまり――ありのままのリンのことは、嫌いじゃないよ」
………………………………………ぼんっ。
リンの顔がまっかに染まりました。ゆげがあたまから出ています。よくわからない反応です。まあべつにいいですけど。
正直なところ、ボク自身がリンを好きなのか、それはまだ分かりません。そもそも、男女間の好きというものが、分かりません。
でも、リンの気持ちは――リンがボクを好きだといってくれるその気持ちは、もう疑いません。信じることにします。そして、受け入れたいと想うんです。
リンはしばらくまっかな顔で放心していました。でも、1分ほどたつと――
「あたしあたしあたしあたしあたしあたしあたし! うふふーうふふーうふふーうふふーうふふーうふふー!」
とうとつに叫びだしました。
というか、とうとつすぎる上に、ないようがおかしすぎます。たしかに、あたしっていうのとか、笑い方がかわってるとか、そういうところが嫌いじゃないとは言いましたよ? 言いましたけど、だからといって、さきほどのように叫ぶのはいかがなものでしょう?
……ふぅ。ここまでおかしくなると、ぼう走を止めるのはむずかしいでしょう。
さきほどあんなことを言ったそばからなんですが――逃げさせてもらいます。
だっ!
「あー! まってー! あたしのマイスイートダーリンっ! うふふー!」
西からやわらかな陽の光がボクらをてらしています。それは今このときをいわってくれているみたいでした。
ボクらは今、ようやくはじまったのかもしれません。