東方妖々夢 SIDE STORY 01 : 紅より賜りし尊き宝
現世の者達は伝承や霊異、妖怪の実体を解明、あるいは抹消し、自身の意識の片隅に追いやった。何者もそれらを妄信することなく、怪の権威は見事に失墜し果てた。
しかし、この世の片隅に存在する地――幻想郷と呼ばれる地では、未だ不可思議な物達の権威は保たれたまま在る。その地に住まう人々は、魔や神との境界を見極め、それらとの共存の道を行く。
その幻想郷の一角に、紅に染まる洋館がある。生物の血液を主食とする魔物の住まうその館は、季節外れの雪に彩られて白く染まりながらも、紅く、雄雄しく、堂々と佇んでいる。
その名を紅の魔が住まう館――紅魔館といった。
紅魔館の玄関口には三名の少女達がいた。女官姿の少女は日傘を差し、他二名を陽の光から護っている。
そこで、護られている少女のうち、金の髪を頭部の左側でのみ結わえている者が口を開いた。
「雪ばっかりで飽きちゃったぁ…… ねぇ、お姉様。雪って春でも降るものなの?」
彼女の問いかけを受け、やはり陽の光を避けている少女のもう一方が――青い髪を短くまとめている少女が応える。
「普通は降らないわ。けれどまあ、この世に生れ落ちて早五百年。偶にはこういう年もあるのではないかしら?」
そのように結論付け、それから両腕で体を抱いた。そうして彼女は、うんざりした風に首を振り、金髪の少女に瞳を向ける。
「それよりも、フラン。飽きたというのなら中に入るわよ。寒くて敵わないわ」
青い髪の少女――紅の悪魔、レミリア・スカーレットがその妹であるフランドール・スカーレットにそう声をかけた。
それを受け、フランドールは一度不満そうに頬を膨らました。しかし直ぐに、自身も寒気に我慢できなくなったようで、頷く。
「はぁい。あーあ…… 早くお花見っていうのをやってみたいなぁ。ねぇねぇ、お姉様。お花見って桜という花が咲いたらやるんでしょ」
無邪気な問いに、姉は微笑みと共に妹を見つめる。
「ええ。そうよ。うちの庭には植えていないけれど、そうね…… 博麗神社にはあったわね」
「じゃあ、暖かくなって桜が咲いたら、わたしでしょ。お姉様でしょ。咲夜にパチュリーに美鈴に、それから霊夢や魔理沙や、あとあの黒い妖怪とか冷や冷やしてる妖精とか…… みーんなでお花見しようね! 楽しみだなぁ」
つい先ごろにあった事件の頃より親交のある者達を指折りしながら数え上げ、フランドールは嬉しそうに笑った。
レミリアもまた、その様子を目にし、笑む。そうしながら、フランドールの背に手をかけ、紅魔館の中へと誘う。
「ええ、そうね。……ほら、早く入りなさい。風邪を引くわよ」
声をかけられた妹は、はぁい、と返事をし、素直に戸口を潜る。
戸外にはレミリアと、女官姿の少女――十六夜咲夜が残った。そして、
「咲夜。春を――取り戻してきなさい」
「畏まりました、お嬢様」
咲夜は自身の部屋で春奪還のための準備をしている。彼女には空間を自由に再構成する能力が備わっていた。例えば、六畳一間の部屋をあたかも大豪邸のようにしてしまう力である。
彼女はそれを利用して、女官服のポケットに必要なものを詰め込んでいる最中であった。女官服の替えを三着と、武器としての銀製ナイフを数百本。更には、クナイを百本ほど。
そうして咲夜が着々と準備を進めていると、部屋の扉を叩く者がいた。咲夜は準備を続けたままで、訪問者に入室を促す。
そこで現れたのは――
「邪魔するわよ」
「お、お嬢様! 申し訳御座いません。ばたばたと慌ただしい姿を御前に晒しまして――」
「はいはい。そんな細かいところまでいちいち気にしないの。それより、準備は済んだのかしら?」
尋ねられると、悪魔の犬は慇懃な所作で頭を下げた。
「はい。武器を多数と、念のために着替えを三着。もういつでも出立できます」
その答えを耳にし、悪魔は嘆息する。
「こうして訪ねたのが無駄にならなくて幸いと思うべきか、それとも、妙なところで抜けていると呆れるべきか、悩みどころね」
「……お嬢様?」
訝しげにしている咲夜におかしそうな視線を送り、レミリアは右の手で彼女を招く。
咲夜は首を傾げながらも主の側へと寄り、要求されるままに腰をかがめた。
彼女達はちょうど、お互いに顔を付き合わす体勢になった。そして、レミリアは咲夜の首筋に腕を回す。
「外は寒いのだから、これくらいは身に着けておきなさい」
咲夜の首には、毛糸で編まれた布――上質のマフラーが巻きつけられた。レミリア自身の手によって編まれたものだという。
そのマフラーに手を触れ、咲夜は目を瞠る。
「何よ。その意外そうな顔は。無駄に五百年も生きているのだもの。編み物のひとつやふたつ出来るわ」
頬を膨らまし、レミリアが言った。
咲夜は慌てた様子で、両手を振るう。
「い、いえ。そうではなくて、その…… とても、嬉しかったので……」
「そう」
レミリアが不敵に笑む。
それを目にし、咲夜もまた笑みを浮かべる。そして、マフラーに手をかけて――
「ありがとうございます、お嬢様」
微笑みと共に謝意を表した。
そして咲夜は、微笑み返す主に深々と礼をしてから部屋をあとにする。そのままの足で玄関口に向かい、春奪還のために旅立った。
そのようにして発った彼女は、春を幻想郷に満たすことを完遂したあとでも――暖かくなったあとであっても、その首筋に主からの恩賜品を身につけたまま、彼女の家たる紅魔館の門を潜った。
出迎えた当の主が呆れ顔を貼り付けていたのは、言うまでもない。