第1話『星に選ばれし者』10

 空や海や草木などの自然物、家や道や電柱などの人造物が共にすべて闇に埋もれてしまうような頃合い。そんな時間帯に俺はようやく帰路についている。
 二時間ほど前、鵬塚兄が手料理をご馳走するなどと言い出したのだ。俺は迷惑だからと建前を口にしつつ、内心では男の手料理なんぞ食いたくないわい、とか考えて断ったのだが、結局押し切られた。そして、それをたっぷり食ってくつろいだ結果、こんな時間になったというわけだ。
 まあ、鵬塚兄の料理は存外美味かったし、鵬塚所有のゲーム機で遊んだり漫画を読んだりできたのも中々楽しかった。さすが去年まで学校も行かず暮していただけあって、暇潰しのためのアイテムが多分にあったのだ。特にゲーム機は、現在発売されているもので揃っていないものはないのではないか、というくらい沢山あって、頼まれなくとも今後は鵬塚宅に足を運ぶ可能性が高まった。今度中古ゲーム屋をあさるとしよう。
 それにしても、結局のところ鵬塚が抱えている厄介事というのは何なのだろう。
 家までまだ距離があるので、俺は暇潰しも兼ねて考えてみることにした。
 正直なところ、病気の線は薄いと思う。鵬塚兄の反応を見た限りでもそうだが、先ほどゲームをしていた際の様子からしても違う気がする。コントローラの代わりに、実際に体を動かして画面中のキャラクターを操るゲームがあるのだが、鵬塚は鈍くさいなりに結構激しく動いていた。身体的な病気を抱えているというのなら自分でも気をつけるだろうし、あのように動き回ることはないのではないか。
 また、精神的な病気を抱えているようにも見えないと思えてきた。確かに内向的でまともに人の目も見やしないが、それでも、しっかりと地に足ついている印象がある。聞き取りづらい声とはいえ主張は一応するし、何より、学校で誰からも声をかけられなくなったあと平然としていたというのは、精神的な病など抱えていないことの証明となり得るのではないか。考えてみれば、俺らが通う八沢高校に転校してくるまでも、世間話にすら参加できない状態で各所の高校を転々としていたのだ。そんな精神的に辛そうなことを懲りずにやってのけてきた奴が、精神的な病にかかっていて不安定、というのは考え辛い。
 そうなると、あいつはどんな事情を抱えているというのだろう。正直、病気でないとなると、俺の貧困な想像力では太刀打ちできない。早々に諦めて他のことを考えつつ帰った方が建設的か。とはいえ、他にどんなことについて思索したものか。ぱっと思いつかない。
 ……何も考えずに、そこら辺の様子をぼけっと眺めて暇潰しするとしますかね。先ほどまでは住宅街と言えるほどに家屋が密集していたけれど、今は周りに畑や林が多い。それなりに自然豊かな風景が広がっている。もはや見慣れた帰路の風景とはいえ、暇潰しくらいにはなるだろう。幸い今日は晴れているため、見上げれば星空も見える。
 暇潰しの手段を見つけた俺は、さっそく近道のために通る畦道の左側に目を向ける。田んぼがどこまでも広がる様子は見慣れたものだが、夜ともなると少し雰囲気が違っておつなものだった。ただし、水というのは空を映す鏡のようなもので、夜ともなればひたすらに暗い。少しばかり怖いとも感じた。あの暗い水の中から女の霊でも出てきた日にゃ、トラウマ決定だ。
 もっとも、そんなことは起こり得ない。霊なんぞいるわけがないんだからな。俺はそう思いながらも、監視するように暗い水を見詰めつつ畦道を行く。そして、特に何も起こらずに無事抜ける。
 そこで左に曲がり、林に沿って伸びる道路を進み始める。今度は右手に見える鬱蒼とした林に目をやる。いつもなら蝉が五月蝿く鳴いているのが印象的なのだが、今日は静かにしているようだ。一方で、気の早い秋の虫の声が多少聞こえてきた。天にはきらめく星と月。地上には風情漂う音色。なるほど、これを風流と呼ぶのだろう。
 もっとも、昼間ほどではないにしてもまだまだ気温が高く鬱陶しいため、風流とやらに酔いしれようという気には到底ならないのだが……
 そういえば――林を見詰めるうちに記憶が蘇った。
 そういえば、ここの林の少し奥には小屋があるのだ。現在では使われていないらしいが、まだまだ雨風を凌ぐ程度のことは可能で、倒壊する心配もない。それゆえその小屋は、近隣のやんちゃな子供が隠れ家にしていることもある。
 しかし、俺がまだ幼い時分、そこの小屋にはおどろおどろしい噂があった。曰く、その小屋では昔殺人事件があって、今でも小屋には血のついた斧が残っているとか何とか。そして、その事件で殺された女の霊が出るとか出ないとか。当然、俺を含めた悪ガキどもは肝試しに行った。ま、何も無かったし、何もいなかったけれど。
 そのあと暇な奴が独自に調べたんだが、結局その噂ってのがそもそも眉唾で、過去の新聞をいくらあさっても、その噂に該当する事件は存在しなかったそうだ。俺も爺ちゃんに訊いてみたが、笑い飛ばされて恥をかいた。
 というわけで、今俺の視線の先にある小屋ってのは、正真正銘清廉潔白な何処にでもある至極普通の小屋であるわけだが…… 正直、夜中に見ると何でもない小屋だと分かっていたとしても、弱冠であるが怖いものである。突然あの小屋の扉が開いて女の霊が……って、さっきも似たようなことを考えていたな。しかも、霊が決まって女だ。
 まあ、仮に呪い殺されたりするんなら、男にされるよりも女にされた方がいいってもんだろ、男として。それが綺麗なお姉さんとかならなおよし!
 ……がた。
 びくっ!
 小屋の扉が……開いた。
 いや、待て。ここは冷静に考えよう。あの小屋の中から現れるのが霊などという胡散臭いもののはずがない。そんなもんはいない。きっと、昔の俺ら同様に肝試しに来た奴らさ。そうじゃないなら、隠れ家にしている子供がうっかり居眠りして、こんな時間になって慌てて帰るところなんだ。それも違うというなら、そうだな……あの小屋も一応持ち主がいて、その人が定期的に掃除に来ているのかもしれない。そして、今日がその日だったんだ。そうだ。そうに違いない。
 ざっ、ざっ、ざっ……
 って、足音? しかも複数だ。幽霊には足はないだろうし、何よりここの幽霊は独りぼっちのはずだ。なら、人間――肝試しに来た奴らか? まったく、暇な奴らがいるもんだぜ。
「おい。誰かいるぞ」
「そ知らぬふりをしていれば大丈夫だ」
 顰めた声で肝試し組が会話をしているようだ。鵬塚の決して聞き取れないだろうあの声になれた俺にとっては、顰めた声でもばっちり聞き取れてしまったがね。勿論、鵬塚の声の低さへのなれだけでなく、夜の閑静な場所だから、という原因もあったとは思う。
 さて、林から出てきたのは三人組の男だった。全身黒ずくめという怪しい格好がまず目を引くが、それよりも俺にとっては、そいつらがいい年をしたおっさんだったことに驚いた。こんな年の人達も肝試しなんてするんだなぁ、と。しかも、女っ気がないというのも凄い。成人した男三人で肝試しをして楽しいものなのだろうか。俺には理解できない。
 そんなことを考えているうちに、オッサン達は林から出て、俺の進行方向とは逆向きに道路を歩いていく。ま、オッサンが歩くのを目で追ってもいいことなんて皆無だ。とっとと先を急ごう。
 かちゃ。
 ? 何だ?
 音がしたのは後ろだ。つまり、オッサン達がいる方である。何とはなしに振り返る。そこには、電燈に照らされたオッサンの一人が黒い物体を拾っている、という光景があった。オッサンはどこにでもいそうな顔をしていた。ガラは悪そうだったが、サラリーマンです、と言われれば問題なく信じる顔立ちをしていた。
 彼が、頬に傷があってサングラスをかけているパンチパーマの男、といういでたちであったなら、手の中におさまっているものをすんなり受け入れることもできただろう。しかし、事実は先述した通りだ。それゆえ俺は、ああ、最近麻酔銃ってはやってるんだな、とか阿呆なことを考えてしまい、行動が遅れた。
 だっ!
 おっさんの一人が駆け出した。俺に向けて。
「へ? って、痛えな! 何するんだよ!」
「あんなもん見られたんじゃ、大人しく返すわけにはいかないからな。悪く思うなよ、坊主」
 俺の手を捻り上げたオッサンが言った。
 ……この展開、もしかしてあの銃、人を殺せちまうモノホンの銃? 麻酔銃を持ってるくらいでこんな行動に出ないよな、たぶん。
「ちょ、待てよ。俺何も見てないぜ? 近眼なんだ。な?」
 そう言い訳してみるも、オッサンは俺の言葉を無視して懐に手を入れ……

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