第3話『地を駆け回る者』07

 ぱあんッッ!!
 スタートダッシュは上々だ。魔法使い姿の鵬塚は後続をどんどんと引き離していく。
 運動部の面々はハンデとして、アンカー以外が動きづらい格好を義務づけられている。サッカー部や野球部は、メジャーチームのマスコットキャラクターの着ぐるみで統一しているようだ。あんなんで走ったら熱中症になるんじゃねえか、おい。
 他の運動部も、同じく着ぐるみや十二単など、走るのに適していない衣装を身につけている。奴らとの差をアンカーまでにどの程度ひろげられるかが勝利の鍵だろう。
 その点、我ら文芸部はかなり有利と言える。運動部と同程度、もしくは、彼らよりも性能の高い星選者殿が、ほぼハンデなしの格好で走ることができるのだ。
 タタタタタタタタタっ!
 軽快な足取りでこちらを目指して駆ける魔法使い。彼女は真剣な瞳を携えて、杖を握る左腕と、バトンを握る右腕を懸命に振っている。彼女に続く者たちは軽く20メートルほど離されている。
「……み……すく……!」
「おう!」
 手渡されたバトンをひっつかみ、俺は駆け出す。走るのは苦手だが、部費アップというのは俺も楽しみだ。まとわりつくスカートを手で払いつつ、駆ける。
「泰子姫ー! 可愛いぞー!」
 ちっ。あの声は太郎か。あとでぶっ飛ばす。
 たったったったったったったっ!
 普段、決して履かないスカートのせいで上手くスピードに乗れない。後方から追い上げてくる足音に焦る。くそっ!
「泰司ーっ! 気合い入れなさいっっ!!」
 第4走者の尚子の声が左側から響いてくる。んなこたぁ、わかってるっ!
 だだだだだだだだだだだだだだっ!
『文芸部がスピードを上げました! スカートをめくりすぎて体操服が見えているっ! お姫様にあるまじきはしたない行為!!』
 やかましい。こっちは淑やかさなぞ気にしてる場合じゃねえんだよ!
「岬!」
 ぱしっ!
 はぁ、はぁ、はぁ。
「よお、お疲れ。姫」
 にやにや笑いで声をかけてきたのは太郎だ。
 うっせ。
 阿呆には構わずに息を整えて、岬の姿を目で追う。文芸部員らしく体力が残念なことになっている後輩は、しかし健闘していた。100メートルの後半で失速していたが、それでも2位に落ちるだけで尚子まで繋いだ。
 あとは、あの残念な女がアンカーにつなげるだけだ。
 とっとっとっとっとっとっ。
 覇気の無い足音が聞こえてくるかのようである。相変わらずあの女は運動神経が残念だ。それでも、全力を尽くしているのは疑いようがない。本を買うための部費がかかっているのは元より、鵬塚の初体育祭を素晴らしい思い出で彩るために。
 しかし、心のありようだけで身体能力が上がるわけもなし。また1人に抜かれた。現在、1位は吹奏楽部、2位は天文部、3位につけているのが我らが文芸部だ。
 ……くっ。まずい。今サッカー部と野球部にも抜かれた。1位との差は20メートルほど、運動部どもとも僅差だ。
「っ! ご、ごめんっ! 真依!」
 弱冠涙ぐんでいる我らが部長殿から、勇者スタイルに着替えた鵬塚にバトンが渡る。勇者鵬塚の表情は非常に険しい。これ以上ない程に真剣だ。そして、彼女の口はこう動いた。
 ――まかせて
 びゅっ!
 風が駆け抜けた。着ぐるみを身に纏わない運動部のアンカーたちが猛スピードで文化部連中を追い上げるのは当然としても、腰に剣を差している鵬塚が彼らに並んでゴールを目指すのは圧巻である。
『おおっと! 1度は5位まで転落した文芸部! しかし、第1走者を務めた鵬塚選手! 続けざまにアンカーに身を投じているにもかかわらず、そのスピードが衰えることはないッ! 着ぐるみという制限から解放された運動部たちにも負けず劣らず、1位吹奏楽部、2位天文部を追いかける!』
 放送部の実況に呼応して、リレーのレーン脇に集っている生徒や教師が歓声を上げる。ちらりと目をやると、ハンディカムを構えた鵬塚兄もまた、妹の名を叫んで身を乗り出している。
『サッカー部、野球部、文芸部が、吹奏楽部と天文部を追い抜いたっ! そして、ゴールまではせいぜい10メートル! この結末はいったいどうなってしまうのかっっ!!』
 しぃんと静まりかえる八沢高校のグラウンド。そんな中、数名の駆ける音だけが響き渡る。皆、手に汗を握りつつ呼吸すら忘れて見入っている。
 ぱあんッッ!!
 ゴールテープが切れて、火薬銃の音が鳴り響いた。
『ゴオオオオオオォオオオオオォオオオルっっ!! 勝者は――文芸部だああああああああああああぁあああああああああああぁあああああぁあッッッッッ!!!!!』
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおぉおおおおッッッッッ!!!!!』
 凄まじい歓声が八沢高校周辺を駆け抜ける。近隣住民が何事かとこちらを窺っているぞ。ちょっとは近所迷惑について考えるべきじゃないか? 流石に。
「……み……すく……ッ! ……う……ちゃ……ッ!」
 走り終えたばかりの勇者鵬塚がこちらへと駆けてくる。元気なやつだ、まったく。
「おう。お疲れ」
「真依っ! 真依っ! ごめんね! あたし、いっぱい抜かれちゃって!」
 適当に挨拶を返した俺とは対照的に、騎士尚子は涙ぐんで勇者に抱きついている。勇者と騎士のカップリングとはまたマニアックな。
 フルフルっ!
「……で……て……り……と……」
 殊勝な奴だな、鵬塚は。繋いでくれてありがとう、だとよ。
「……あ、あたしの方こそありがとうだよおぉ!」
 この青春劇場いつまで続くんだ? 1位になったのは感動的と思うのだが少しついていけない。とっとと昼飯にしようぜ。
 とんとん。
「……なんだよ、岬」
 肩を軽く叩いてくる竜人の後輩に尋ねる。
「僕の胸で泣いていいっスよ?」
 別に泣いてねぇし。……ぐすっ。

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