一.大丈夫なのかこの国は、と思わせるような出だし

 ラダトーム城謁見の間。時の王ラルス16世の御前で跪く一人の少年がいた。彼の名はアジャス。かつてこの世界の危機を救ったというロトの血を引く者だ。
 今再び危機に陥っているこの世界のためにラルス陛下が呼び寄せたのだった。
 そして、今現在この世界が陥っている危機とは……
「アジャスよ。そなたをあの偉大なロトの血を引きし者と見込んで頼みがある」
「はっ、なんなりと」
 厳かに発せられた王の言葉に、アジャスは畏まって声を返す。
「そうか! 実はの、儂の可愛い娘ローラが竜王に攫われてしまったようなのじゃ! どうか助け出してきて欲しい!」
「はい!」
 アジャスは大きく返事をしてから、更にラルス国王を見詰める。
「おお! さすがはロトの子孫じゃ! では、さっそく出発するがいい!」
「は?」
 思わずアジャスは間の抜けた声を上げる。それというのも――
「どうかしたか?」
「いえ、その…… 竜王を退治するとか、秘宝である『光の玉』を取り戻すというのはよろしいのでしょうか?」
 世間は竜王や光の玉の噂で持ちきりだった。特に光の玉に至っては、竜王が自身の魔力を増強するために奪った、と専らの噂で、その結果齎されたのは他大陸との完全なる隔離。竜王はその強大な魔力でアレフガルドの大地のみを切り離したのだった。
 そのように民間においても為されているような話が、賢王と噂されるラルス陛下の耳に入っていないわけはなく、アジャスはそれについての命が下されないことに大いに疑問を持ったのだった。
「そうじゃったな。それもあったか…… よし、アジャスよ! 竜王と光の玉のこともついでに頼むぞ!」
 本当に忘れていたかのように、そして本当にどうでもよさそうに命を出した賢王ラルス16世。
「……はぁ」
 それに対して、アジャスが再び間の抜けた声を出したのも、仕方がないというものだった。

「アジャス様」
 嘘のような謁見を終え、アジャスが城の廊下を歩いていると、女中の一人が後ろからやってきて声をかけた。
 アジャスは知らないが、彼女はローラ姫がいなくなるまでその世話を任されていた者である。
「何か用ですか?」
「ひとつ、知らせておかないといけない大事なことがあるんです」
 声を顰め、本当に重要そうに真剣な顔で言う。
 アジャスは先ほどまでの冗談のような展開で緩みきっていた脳みそを引き締めにかかる。
「大事なこととは?」
 すっかり真剣モードになって女中に話の先を促した。
「実は――」
「実は?」
 ごくっ……
 アジャスは喉の渇きを紛らわすために唾を飲む。
 女中は真剣そのもので声を顰めつつ、それでもしっかりとした口調で――
「ローラ姫は家出なんです! 別に攫われていないんです!」
「はあぁぁあ?」
 王に相対していた時と違って、大声で、心もち不機嫌そうに聞き返すアジャス。
「実は竜王の噂が出始めた頃、ローラ姫は城の生活に大層退屈なされてました」
 アジャスの不機嫌な声を軽くスルーして語り始める女中。
「ほおぉぉぉ…… それで?」
 取り敢えず相槌を打ってみるアジャス。
「それでつい冗談半分で言ってみたんです。『竜王に攫われたことにして家出してみたらどうですか』って…… そしたら次の日の朝、書き置きがあって…… 家出するから、お父様――ラルス陛下に適当に言い訳しといてね、って」
 …………………………
 そこで二人の間に落ちる長い沈黙。
 その沈黙を破ったのは――
「お前が元凶かああああぁぁぁぁ!」
「ああぁぁあ! ごめんなさい! ごめんなさ〜いっ!」
 アジャスの怒りの叫びに、ひたすら謝り倒す女中その一の姿があった。

 アジャスは深い闇の中、城の廊下をしのび足で歩いていた。
 偶に見張りの兵士がいるので、それをやり過ごすために気配を消して隠れたりもしている。
 何故彼がこんな泥棒のようなことをしているかというと……
 まず昼間の女中とはローラの家出の事実を他の人に言わないことを約束した。実際、事実を公表したところで彼にメリットはないし、寧ろローラの帰還を実現させた時の評価が、『竜王からの奪還』から『家出娘の発見へ』格下げされるだけだ。
 そして、そこで彼はある事実に気がついた。即ち、ローラの顔を知らないということ。
 それに対しての解決策としては女中がある意見を出した。ラルス陛下秘蔵のローラ姫の肖像を貰ったらどうか、と。
 しかしその肖像は秘蔵というだけあって、まず貸し出しの許可が出ることはないという。そうなるとやはり――
「まあ、姫を見つけるためだ。後で返せば文句はないだろう……」
 アジャスは何とか忍び込んだラルス16世の部屋で、それがあると思しき場所を探りながら呟いた。陛下は夜中にかかわらず未だ仕事をしているようで、部屋には誰もいなかった。
 ちなみに鍵は針金でちょちょいと開けるという器用さを見せていたりもする。
「ん? これか……」
 それらしいものを手に取り、窓際で月明かりに照らして確認する。
 そこに描かれていたのは、美しいという形容がこの上なく似合う少女。ラルス陛下が何よりも優先しようとする気持ちもわからなくはない。
「ん? 貴様、何者だ!」
 そこで部屋の扉が開かれ、光源を持った兵士が大きな声で叫んだ。
 アジャスは顔を見られないように予め用意していた布で顔を覆い、窓ガラスを勢いよく破って外へ飛び出す。ラルス国王の部屋は3階だったが、近くにあった木をうまく使って無事地面に降り立つ。
「出あえ、出あえ〜! 曲者だ!」
 先ほどの兵士が騒ぎたて、アジャスは沢山の人が集まってくる気配を感じた。そんな中ゆっくりしている訳にもいかず、急ぎ足で城下へと向う。
「親馬鹿王と家出姫が治める国、か……」
 辺りを照らす月を眺めながら走り、アジャスはそう呟く。
 はあああぁあぁ……
 そして大きくため息を吐きつつ、真実を知れば誰もが抱くであろう当然の感想を心の中で呟いた。
 ――大丈夫なのか? この国は……