二.捕らぬ狸の皮算用を体現した勇者の一日

「しっかし、このガライの街の墓はでっけぇよなぁ」
「ああ。それに奥には銀でできた竪琴があるらしいぜ」
「へえ、そいつはいい値で売れそうだなぁ」
 と、馬鹿丸出しの会話が聞こえてきたのはラダトームから北西にあるガライの街の宿屋兼食堂でのこと。
 アジャスは肖像を盗んだ後ろめたさがあったからか、さっさとラダトーム城下を出てこの街へと足を伸ばしたのである。
 そして着くなり宿で部屋を取り、そこに備え付けの食堂で適当に頼んだのが十数分前のこと。しばらくしてきた軽食をつまみつつこれからのことを考えていたところ、先のような会話が耳に入ってきたというわけだ。
 しかし、彼はそれを聞いたからといって特に思うところもないようで、黙々と食事を続ける。まあせいぜい、墓参りが大変そうだな、という感想を持つくらいのものだった。
「ふぅ、食った食った。さて、お勘定……」
 と小さく呟きつつ懐を探ったアジャスは、直ぐに顔を青くして慌てふためく。
 まあ早い話…… 財布を落としたようだ。
「どうしました? お客さん」
「い、いやぁ。実は部屋に財布を忘れてきたみたいでね。今日は疲れてるからこれから直ぐ眠りたいんで、明日宿代を払う時にまとめて払ってもいいかな?」
 極力平静を装ってやや早口で捲くし立てるアジャス。
 ウェイトレスの少女は疑うことも無くにこやかに、
「わかりました。じゃあ、おかみさんに伝えときますね」
 と言って他の客の相手に戻る。
 アジャスは眠くて眠くてしょうがないというようにわざとらしく欠伸を連発しながら、彼が泊っている二階の部屋へと足早に向った。
 そして扉を開けて部屋に入るなり――
「おいおいおいおいっ! どうするよ、俺! あの財布には全財産が……」
 さほど多くないとはいえ、旅を続ける上で当面は困らない額が入っていた財布。それを落とした衝撃は相当なものだったようで、なぜか床を転がりながら騒ぐアジャス。
 ただ、大声で騒ぐと宿の人間に聞かれかねないことを考慮してか、声だけは小さかった。
「どうする…… 剣を売るか? いや、駄目だ! あれは昔から愛用してる大事な剣…… とすると服? って、素っ裸で歩くつもりか、俺! 落ち着け!」
 独り言が白熱してきて、怪しさ大爆発のアジャス。彼の自宅だったなら、家族にからかわれることは確実だっただろう。特に彼の兄はそういう嫌がらせに情熱を注ぐたちなので、ここが自宅でないことはアジャスにとっては幸運以外の何者でもなかった。
「そうだっ!」
 そこでアジャスが瞳を輝かせて起き上がる。
 彼の頭の中では、先ほど聞こえてきた食堂での会話が煌々と輝いていた。

 かちゃかちゃかちゃ。
 アジャスは暗闇の中手探りで作業を進めていた。
 ここはガライの墓の入り口付近。奥まで行けば松明をつけても問題ないだろうが、ここで明かりをつけてしまっては気づかれる可能性が高い。
 そう、彼は宿で話題になっていた銀の竪琴を盗みに来たのだ。その理由は勿論、金。
「銀色の竪琴なんて、絶対高く売れるもんな。これで宿代と飯代も問題ないだろ」
 扉の鍵を開けようと奮闘しながら、そう嬉しそうに呟くアジャス。この前の肖像の件といい、もはや盗賊にしか見えない。
 かちっ。
 そこですんなり開いてしまう鍵。
「よっし! 後は中に入って扉を閉めてっと」
 アジャスは行動を実況しながら道具袋から松明と火打ち石を出そうとする。
 暗闇の中での作業なので手間どってはいるようだが、直ぐに火をつけることに成功し光源を得る。そして――
「よし、行くぜ!」
 気合一発、叫んでから彼は奥へと歩を進める。
 途中魔物が出てはきたが、その悉くを地に伏せ順調に進んでいく。
「魔物がうようよいる墓ってのもすごいな…… これじゃ墓参りも一苦労だろうに」
 宿にいた時よりも実感を込めてそう呟き、剣を上段に構えて向ってくる骸骨に向けて閃光魔法ギラを放つ。
 彼は剣技を主とした戦い方をすることが多いのだが、魔法もそれなりに使える。傷を癒すホイミや今使ったギラ、あとは移動に便利なルーラやリレミトなど。他にも使えはするが、簡単で使いやすいのはその四つくらいだ。
「しかし本当に広いな。帰りはリレミトを使えばいいとしても、夜明けまでに目的の物を見つけられるか……」
 そうアジャスが呟いた時、松明の光が何かに反射して彼の顔を照らした。それに顔を顰めてから、彼はその元となった物を探す。
 視線を巡らし、瞳に飛び込んできたのは――
「あった! すっごいな! ほんとに銀色だ」
 アジャスは見つけた銀の竪琴に駆け寄り、それを手に取る。しばらくそれを、逆さにしたり横にしたりして眺めていたのだが、直ぐに……
「おっと、早く戻んないとな…… さぁて、いくらで売れるかなぁ?」
 弾んだ声を出してから、彼は脱出魔法リレミトを使い、次の瞬間にはガライの街の入り口へと降り立っていた。

 がんがんがんっ!
 早朝のガライの街の道具屋は少々騒がしかった。というのも――
「うるせぇぞっ! 何時だと思ってんだぁ!」
「悪い、悪い。だがな、そっちにもメリットのある商談なんだぜ?」
 怒り心頭で飛び出してきた道具屋の店主に、アジャスは悪びれもせずにそう言った。彼の言う商談とは勿論、銀の竪琴の売買のこと。
「はぁ? 馬鹿言ってんじゃねぇよ。お前みたいなガキの相手してる暇なんざ、俺にゃあねぇんだよ。帰った、帰った!」
 しかし店主は、アジャスを胡散臭そうに一瞥してからさっさと奥へ戻ろうとする。
「待てってば。ほら、これ」
 そう言いながら、アジャスが道具袋から銀の竪琴を取り出す。
 ぴくっ。
 店主はその見事な輝きと装丁に足を止める。
「ま、まあ、悪くない品だな…… だがな、楽器は音がよくてなんぼだぜ?」
「まかせとけって。ほら、この通り」
 ぽろぽろろ〜ん……
 アジャスが弦を軽く弾くと漏れ出た柔らかな旋律。
「ほぅ…… ふむ、それならかなりの値で買い取っても元は取れそうだな……」
「マジ? よっし、これで食いぶちには当分困らねぇ」
 店主の好感触な反応に、アジャスは軽くガッツポーズを決めて呟く。
 店主はそんなアジャスを苦笑ぎみで見詰めてから、店の扉を開いて商談のために彼を迎え入れようとする。
「よし、中に入って――」
 そこで店主の声、視線、表情、すべてが止まった。中でもその視線はある一点に注がれている。即ち、アジャスの後ろ。
「どうしたん……」
 アジャスは店主の視線の先に瞳を向けつつ、疑問の声を上げる。その声も後半は飲み込まれていったが……
 彼らの視線の先にいたのは――
「へ、へぇ〜。すっごいなぁ、この竪琴! 魔物まで呼び寄せるその美しい旋律は驚嘆に値するゼ♪」
 表情を引きつらせながらも、おどけた声で強がりにも似たセリフを吐くアジャス。
 そこにいたのはドラキー3匹とドロル2匹。
 勿論、アジャスにとってみればこの程度の相手は何の問題にもならない。しかし――
「そんなもん買い取れるかああぁぁぁああ!」
「やっぱりかあああぁぁぁぁあああ!!」
 店主とアジャスの叫びが早朝の空にこだました。

 その後アジャスは、魔物達を怒りのふんだんに込もった攻撃で打ち倒し、心身ともに、というか心が特に疲れた状態で宿に戻った。
 そしてそれから一週間。彼は食堂で皿洗いのバイトをして食事代と宿代、それから当面の旅費を稼いだのだった。