三.情報は役に立たないものの方が多いと知った温泉地の午後

 天気のいい朝、アジャスは温泉地マイラを発った。
 彼がマイラに着いたのは昨日の昼過ぎのこと。それから今日の朝までゆっくりと休んで、そしてこれから目指すのは南の沼地から入ることができるという洞窟。
 なぜそのような場所へ行くかという問いに対する答えは、昨日彼が行った情報収集の中に隠されている。
 というわけで、昨日の彼の様子を紹介していこう。

「ここがマイラか…… 一度来てみたかったんだよな」
 アジャスは辺りを見回しながらそう呟いた。
 彼は温泉とか紅葉とかそういう年寄りくさいものに強く興味を示すたちだった。それでいて、いままで彼の両親は、旅行代が勿体無いという理由で彼をこの地に連れてくることは決してせず、結果彼は今日まで一度も温泉を目にすることができなかったのである。
「まず宿に部屋を取って、あとは…… ああ、憧れの温泉……」
 どこか遠くを眺めながら、陶酔しきった表情で頼りなく歩を進めるアジャス。完全に危ない人である。
 そんな危ない人たる彼は、あらゆる者に敬遠されることになると予想されたのだが……
 その危ない人に近づく者がいた。
「そこを行く少年。ちょいと待ちんさい」
「ん? 俺か?」
 明らかに自分の方を見て待ったをかけた老婆に、アジャスはまともな脳みそを取り戻して聞き返す。
「そうじゃ。突然じゃが、お主の顔には、やがて美しい女に愛されるという相が出ておる。幸せ者じゃのぉ、ほっほっほ」
 本当に突然に妙な占いを聞かされる。
 とはいえ、いい内容なのだからそれほど悪い気もしないようで、アジャスは謙遜の意を込めて冗談を口にしてみた。
「ははは。それでその美しい女っていうのがおばあさんだったりするんでしょう?」
「……………ぽっ」
 困ったことに、図星だった。

 何とか老婆のアタックをやり過ごして、アジャスは漸く宿へと辿り着いた。
 どうやら宿に泊った客は温泉への入湯料がタダになるようで、さっそく彼は憧れの温泉に向う準備をしていた。
 鎧兜を脱いで身軽になり、着がえやタオル、石鹸など必要と思われるものを荷物から出すか、あるいは売店で買って、いよいよ向おうとした…… その時――
「そこのお兄さん。ちょっと待って♪」
 再び呼び止められるアジャス。今度の声の主は露出の多い若い女性。
「……何ですか?」
 さっきの老婆の件もあるので、少し疑心暗鬼になっているアジャス。しかしそれでも立ち止まって聞き返す。
「パフパフしていかない? 一回20ゴールドよ♪」
「えっ!」
 アジャスも健康な男子ということだろうか、目の前の女性の露出された肌などを改めて見てその頬を赤らめる。
 しかしそのことに照れくささを感じたのだろう、彼はやはり冗談めかして言葉を返す。
「え、え〜と…… まさか、ファンデーションをパフパフつけられるだけだったりして」
「……………ちっ」
 明後日の方向を見て、小さく舌打ちした女性。
 図星だった。

 二連続で妙な輩にからまれたアジャスは、足早に温泉のある建物へ向った。これ以上妙なのに呼び止められたらたまらないといったところだろう。
 しかし、その後は特に変わったこともなく、受付の人に宿でもらったタダ券を渡して待望の温泉がある場所へ足を踏み入れる。
「うっわぁ〜! これが温泉か…… でっっっっけぇぇぇ〜〜〜!」
 田舎者丸出しで叫んだアジャス。そんな彼の様子を、ある者はうるさそうに、そしてある者は微笑んで見詰めていた。その中のひとりが彼に声をかける。
「よお、兄ちゃん。温泉は初めてかい?」
「え? ああ、そうなんです。生まれも育ちもラダトームで、今まで旅行もしたことがありませんでしたから」
 二度あることは三度あるという諺を思い出しながらも、目の前に憧れの温泉があることで認識が甘くなっているのか、多少は警戒しながらも声をかけてきたおっさんに丁寧に返すアジャス。
「そうなんか。それならたっぷり楽しんでいってくれよな!」
 そう言ってアジャスの肩を軽く叩くおっさん。
 三度目の正直というやつか、どうやらごく普通のおっさんのようである。アジャスはすっかり気を緩めて服を脱ぎにかかる。
「っと、そうだ! それなら通の楽しみ方を教えてやろう」
「えっ? そんなのがあるんですか? 是非、お願いします!」
 これが文献では知ることができない現地を訪れる楽しみかっ、と感激しつつ瞳を輝かせてオッサンに詰め寄るアジャス。そんなアジャスをにやりと見返し、おっさんは声を顰めてアジャスの耳元で囁く。
「実はな…… 女風呂との境の右っかわに小さい穴が開いてんだ。この時間なら熟女がわんさかいるぜ……」
 それを聞いたアジャスは一瞬頬を緩めるが……
「……つまり、ばあさんがたくさんいるんだな?」
 彼は、二度あることは三度あるのパターンだと判断した。そして――
「……………そうとも言うな、がっはっはっ!」
 またまた図星だった。

 ふぅ。
 アジャスは、宿の一室でため息をつきつつ窓の外を眺めていた。
 温泉は堪能した。それはいいのだが、今日ここに来てからまともな話を聞いていない、ということが気になっていた。
 別に気にしなければいいのだろうが、せっかくの初温泉日に傷が残るようでどうしても気にかかった。
「よしっ! こうなったら……」
 そして彼は行動に出る。有益な情報を是が非でも聞きだして、初温泉日を最高の日にするために。

「ふーむ、この店にも伝説の剣は置いていないようだな…… やはり、店屋では手に入らないのだろうか……?」
 当たり前だろっ!

「噂ではリムルダールの町にカギを売る店があるらしいぞ」
 針金で充分だっ!

「ちょっと聞いておくれよ! そこのクレアちゃんのご主人はなんでも、魔法のカギを手に入れるとかいって町をとびだしちゃったんだよ。こんな可愛い奥さんを残していくなんてしようのない男だよ! まったく……」
「もう、いいんです、私……。あの人の夢の重荷にはなりたくないし……」
 カギを手に入れるのが夢って何だよっ!

 などなど…… 役に立つ情報一切なし。
 このままでは初温泉日に傷がついてしまう! とアジャスが焦りを覚えた時――
「おう、温泉で会った兄ちゃんじゃねぇか」
 温泉で熟女情報を教えてくれたおっさんが声をかけてきた。
 アジャスは当然無視の方向でさっさとその場を離れようとする。
「悪いんだが、ちょっと忙しいんだ」
「そうつれなくするなって。確かにあの穴は、今じゃ地元の若い連中は必ず塞いでから入るようになっちまってるから、見れたとしても婆さんの裸ばっかりで無駄情報といえばそうだが、1週間に2、3度、そのことを知らねぇ若い姉ちゃんが入りに来たりもするんだぜ」
 今までの話と比べれば有益といえなくもないが、アジャスはそれだけでは少し無駄情報率の方が勝ちすぎているような気がした。
 それに少し気になることがあったので訊き返してみる。
「その姉ちゃんってのは何なんだ? 1週間のうちにそんだけ来て地元民じゃないのか?」
「ああ、1月くらい前から来るようになってな。噂じゃ南にある洞窟に住んでいるらしいんだが…… それを考えりゃあ、下手すると婆さん連中よりもくせのある女なのかもなぁ。でもまあ、すっげぇ美人だから目の保養にはなるぜ?」
 そこでアジャスは、彼の頭の上で電球が光るような感じを受けた。つまり――いい考えが見事に浮かんだということ。
 しかし、それは都合のいいとしかいえないようなこじつけもいいところの考えだった。彼がどうしても、今日という日を最高にしたいと切望しているがゆえに浮かんだ考え。
 その女はローラ姫だ! と。
 証拠などはなにもない。しかし彼はそれを信じこむことに最大限の努力を注いだ。
 初温泉日を幸せのみで満たすために。
「おっさん! サンキュー!」
 アジャスはおっさんに礼を言ってから足早に宿に帰る。これ以上余計な情報を得ないようにするためだ。
 しかし、喜び勇んでいそいそと帰路につくアジャスを見たおっさんはある勘違いをした。
「これで覗き仲間が増えたってわけだ」
 おっさんは漢の顔になって呟いた。

 そして今日、アジャスは南の洞窟へ向けて元気に歩を進めている。
 初温泉日の名誉を守るために……