四.勇者は真実の辛さと心からの安堵を知る
「あとちょっと……なんだけどなぁ」
呆然と呟いたアジャスの前には、毒々しい色をした沼地が広がっていた。
ここはマイラの村の南方。アジャスはかの村で仕入れた情報を元にこの付近にあるという洞窟を目指してきたのだが……彼は先に進むことを躊躇していた。
その理由は当然沼地。鼻を突く刺激臭と、入ることを心が拒否する見た目。
「せっかく温泉に入ったってのに、こんなとこ入りたくねぇよなぁ……」
アジャスはすでに沼地でない地面をギリギリまで進んでいる。それで洞窟まであとちょっとというところまで来たのだが、ここから先はどうあがいても沼地に足を踏み入れないわけにはいかないという状況。
このまま悩んでいても仕方がないと考えたのか、彼は覚悟を決めて一歩を踏み出す――その直前。
「ききゃ〜!」
「き〜き〜!」
アジャスの後方から襲ってきたドラキーの群れ。その中にはドラキーよりも少しだけ大きい色違いのメイジドラキーもいたりするが、まあアジャスの敵ではない。
問題があるとすればその数か。ドラキー、メイジドラキーあわせて15匹ほど。
「たくっ。面倒……だ……な」
宙を飛ぶ魔物を瞳に映し、始めは面倒そうに言葉を発したアジャスだったが、段々とその瞳を輝かせて剣を抜き放つ。
そんな彼の考えはこうだ。即ち、ドラキー号大作戦!
「はっ!」
その作戦を実行に移すために、アジャスはまず剣を振るって何匹かを威嚇する。格下のドラキーはそれで震え上がり、ちょっと上位のメイジドラキーは後ろに下がって慎重に彼の挙動を窺う。
「き〜!」
そして一匹のメイジドラキーが大きく鳴くと、アジャスの方に向かって炎が押しよせてくる。閃光魔法ギラ。
彼はそれを一歩大きく左に動いてかわし――
「マホトーン!」
他の魔法よりも少しだけ集中を要するために普段は使わない魔力封印の術を解き放つ。それによってメイジドラキーは魔力を操るすべを失い、あとはアジャスに葬られる道を辿るしかなくなった。
アジャスは剣を中段に構え――
「お前ら喋れなくてもこっちの言うことはわかるな?」
「き?」
突然上がったアジャスの声に、魔物達は疑問符を浮かべて彼を見詰める。
洞窟の中は灯りが一切なかった。アジャスは用意しておいた松明に火をつけ辺りを照らす。
ここに来るまでに使用したドラキー号は、メイジドラキー2匹とドラキー5匹で構成されていた。アジャスは力を誇示するだけでなく食糧を報酬として渡すことで魔物達の反逆を防ぎ、洞窟まで無事に飛んできたのだった。
「結構乗り心地よかったよなぁ〜」
彼はドラキー号の感想を呟いてから、洞窟の奥に向って歩を進める。
その洞窟の中には魔物が蔓延っていた。といってもそれほど強力なものはおらず、松明片手に戦っても余裕で倒せるものばかり。
しかし問題はそこではない。マイラでアジャスが聞いた噂が本当なら、この洞窟に住んでいる女がいるという。魔物が蔓延る洞窟に住む女…… 怪しさ大爆発もいいところである。
この奥にいるのは鬼か悪魔か……
そんな心境で奥へと向っていたアジャスは――出口に到達してしまった。
「あれ? 普通に抜けちまった…… おいおい、また沼地かよ」
洞窟の外に再び沼地が広がっているのを確認し、外に出る気を無くして洞窟の中に戻るアジャス。もっとも、まだ女を見つけていないという理由もあるだろうが……
「えっと、まだ通ってない通路は……」
と呟きながら彼は、一つ目で、触手を持ち、さらに宙に浮いている気色悪い魔物メーダを一刀両断し来た道を引き返す。
その後も角を何度も曲がり、何匹もの魔物を倒し、漸くそれらしい扉の前に辿り着く。
アジャスは荷物の中から針金を取り出し――
かちゃかちゃ……かちっ!
すんなり扉を開け、その奥へと進む。そこには――
「? なんじゃ、お前さんは。人の家に勝手に入ってきおって」
不思議な瞳が印象的な老人が椅子に座ってお茶を飲んでいた。そこには燭台もあるため、アジャスは松明の火を消して老人に相対す。
「許可なくお邪魔してしまい申し訳ございません。私はラダトームの王女ローラ様の捜索をしております、アジャスと申します。実はここに不思議な女性がおられるとお聞きしまして、それがローラ様かどうか確認に赴いた次第です」
アジャスは姿勢を正し、丁寧に言葉を紡ぐ。
その言葉を聞くと老人は険しくしていた表情を緩め、しかし直ぐに疑問に顔を歪める。
「女性? それはもしや――」
ぼんっ!
「は?」
アジャスは目を点にして老人を――いや、突然現れた女性を見詰める。
「この娘のことではないか?」
その女性から発せられたのは高い声。しかし口調は先ほどの老人のそれであり、実に妙な印象を受ける。
「な、何だあんた! 突然姿を変えるなんて、まさか竜王の手先か!」
「なんじゃ。人間は姿を変える術さえ、もはや知らぬのか? これはモシャスという魔法じゃ。一度見たことのある者の姿を借りることができる」
「魔法……なのか? と、待って下さい! その姿は――」
アジャスは荷物を探り、国王から盗んできた肖像を取り出す。そこに描かれている少女と、彼の目の前にいる顔は同じ。
「ローラ様にお会いしたことがあるのですか?」
「儂にはアルロと名乗っていたがな。とはいえ、ここに来たのは一月は前のことじゃ。今から探すのは無理じゃろう」
「……そうですか」
アジャスは落胆してから、あることを思い出し再び老人に瞳を向ける。
「一月ほど前からマイラの温泉に入りに行っている女というのは、もしかしてその姿をしたお爺さんのことですか?」
「ああ、そうじゃよ。この姿で行くとサービスがいいのでな、ふぉっふぉっふぉ」
老人はそう言っておかしそうに笑う。
しかしアジャスは笑えない。マイラの覗き親父が気の毒すぎて。
例の親父は偽の女の裸を見て喜んでいたということになる。しかもその正体はよぼよぼの老人…… 真実を知らなければ幸福が続いていくのだろうが、知ってしまった以上アジャスには同情の気持ちと、見なくてよかったという安堵の気持ちしかない。
まあ、覗き親父自身は真実を知らないのだから、ある意味幸福なのだろうが……
アジャスがそんなことを考えていると、老人は更に言葉を続ける。
「それに、覗いている輩の反応も面白いしのぉ」
と言って大きく笑う老人。
「……確信犯かよ」
愈々覗き親父を気の毒に感じるアジャスだった。