拍手小話一:「ゴホッ、ゴホッ…… 儂は〜」

 とある用で再びラダトーム城下町を訪れたアジャス達。その用も終わり、何気なく訪れた宿でのこと。
 彼らは店主に、病気で弱気になっている老人に冒険譚でも聞かせて励ましてやってくれないか、と頼まれた。特別急ぎの用もなく、多少なりとも親切心を持ち合わせている彼らは二つ返事で了解し、その老人が寝泊りしている部屋に向かった。
 そこでは、痩せこけた頬が弱弱しさを強調している白髪の老人が、上等な寝具に横になっていた。
「ゴホッ…… お前さん方は?」
「始めまして。俺達は各地を旅している者です。そのように臥せっていたのでは楽しみも少ないだろうと思って、外のお話でもいかがかなと……」
 訝しげに訊いた老人に、アジャスは笑顔で丁寧に返す。後ろに控えるローラ――正体がばれない様に、以前の時同様布で顔を隠している――と老人――紛らわしいので以下、変身爺と呼ぶ。ちなみに現在は黒髪の少女という外見――もまた柔らかな笑みで会釈をする。
 その様子に警戒を解く老人だったが、それでも表情が晴れることはない。
「ご親切は感謝するが、話は結構じゃ。ゴホッ、ゴホッ……」
 アジャスの申し出を丁寧に断った老人は、そこで激しく咳き込む。
「だ、大丈夫? お爺さん」
 急いで駆け寄り、背に手を当て支えたのはローラ。
 アジャスは枕もとの水差しを手に取り、そこから汲んだ水を一杯、老人に差し出す。
「どうぞ」
「す、すまんな……」
 老人はアジャスに礼を言って水を受け取り、ゆっくりと飲み込む。
 そして少しの沈黙のあと――
「儂は、もう駄目じゃ……」
 そう呟いて窓の外を見た。
 突然のことにアジャス達は二の句を次げない。ゆえに、老人は更に続ける。
「じゃが、これ以上長生きしても、世界が滅びてゆくのを見るだけじゃ。その前に死んでしまえる儂は、本当に幸せ者かも知れん――」
「馬鹿っ!」
 老人の絶望的な言葉に、いよいよ我慢できなくなったローラが叱咤した。
 その表情は怒っているようでいて、全く別の感情を表しているようでもあった。
「死んで幸せだなんてことは絶対にないわ! 世界を絶望の雲が覆ったって、生きているからこそ幸せなの! 諦めては駄目っ!」
 そう叫んでから、ローラは老人の手を取り優しい声で語りかける。
「ローラとそこのアジャスがきっと竜王を倒すから、それまで頑張って。きっと希望に溢れる未来をお爺さんに見せてあげるから」
 その言葉を聞いた老人は寸の間呆気に取られるが、直ぐに大きくかぶりを振って焦りの声を上げた。
「だ、駄目じゃ。お前さん方のような若者が、そのように命を粗末にしては――」
「安心していいわよ。この子達強いから。まあ、年を取ると考えが悲観的になるものだけど……」
 部屋の入り口の方で傍観していた変身爺は、そのように言ってから老人の近くへと寄って、柔らな笑みを向けた。そして、
「若い人のことを信じてあげるのも、年長者の義務じゃないかしら?」
 と言った。
 見た目だけは十代の少女であるが、実年齢が充分に年長者の枠に入る変身爺。先の言葉はそんな変身爺の、年長者としての本音なのかもしれない。
 老人は変身爺の言葉を聞いて黙り込み、ゆっくりと目を瞑った。
 その様子を見たローラは握っていた老人の手を離し、そのままゆっくりと老人を寝具に寝かせる。
 そしてふと、枕元に置かれた机の上の、水が張られた洗面桶に気づき、そこに浸っているタオルを取り出す。
「お爺さん、タオル、額に乗せます? ひんやりして気持ちいいですよ」
 そう声をかけると、老人は目を閉じたままで、ああ、有難う…… と応えた。
「いえいえ。では」
 ぴちゃぴちゃ。
 ローラはタオルをもう一度水に浸し、
「それっ!」
 気合とともに軽く絞る。
 ぶちぶちぶちっっ!!
『!』
「あれ? 破れちゃった…… 傷んでたのかなぁ」
 激しい音を響かせて無残なぼろきれとなったタオルに、ローラは戸惑い、他の者は呆気に取られた。
 ちなみに、タオルは新品であり、決して傷んでなどいなかった。
 そこで、代わりのものを宿の主人に貰いに行ったローラを見送りつつ、
「……どうです?」
 と、変身爺。
「……本気で期待しても良さそうじゃのぅ」
 と、老人。
「というか、さすがに竜王のところまでは連れて行かないぞ…… 戦力にはなるだろうが」
 と、アジャス。
 最後のアジャスの呟きが実現するのか。その答えがわかるのはまだ先のことである。
 ちなみに、この日を境に、老人は少しだけ元気になったとか。