32.消えない絆

 ――とある国でのこと――


『ただいまー』
 元気に玄関から飛び込んできたのは、男の子と女の子。男の子は今年で九つになる。一方、女の子は先月六つになったばかりだ。
 そして、彼らの騒々しい帰宅に気づき、家の奥から一人の女性が手を拭きながら出てきた。水仕事の最中だったらしい。
「お帰り。何所に行ってたの?」
 女性がにこやかに訊くと、女の子が靴を脱ぎながら答える。
「ドルくんのところ」
「キースさんの家? でも、あそこに行くにはお船がいるし、三時間くらいかかるでしょう?」
 女性が訝しげに言うと、女の子は更に続ける。
「おにいちゃんがルーラつかえるようになったの!」
 嬉しそうにそう言い、兄の手を取って高々と上げる。もっとも、兄の方が背が高いため、高々と上げても兄の首くらいまでしか上がっていないが……
「へぇ…… もうルーラまで使えるようになっちゃったんだ。凄いわねぇ」
 女性は嬉しそうに言い、男の子の頭を撫でた。
 当の男の子は得意げに、
「そんなの当然だよ! ぼくはお城のまじゅつ部隊に入るんだからね!」
 そう応えた。
 女性はそれに苦笑して、
「お父さんが聞いたら泣くわよ。衛兵隊に入って欲しいとは思ってないでしょうけど、それにしても、そっちはスルーで魔術部隊に入るなんて」
 彼女の夫――男の子と女の子の父親は、城に使える衛兵隊の隊長に去年なったばかりだ。親としては、口にはしないまでも、自分と同じ仕事に就きたいと子供に言われてみたいものだろう。
 そこで、今度は女の子が得意げに手を上げる。
「だいじょうぶ! えいへいたいにはあたしが入るから!」
 そう言って、とりゃあ、と剣を振る真似事をする女の子。
 女性はそれを微笑みを携え見詰め、
「そっか。それじゃ、もう少し大きくなったらお父さんに稽古つけて貰おうね?」
「うん!」
 瞳を大きく開いて、嬉しそうに返事をした女の子は、けいこ! けいこ! と叫びながら家の奥へ走っていった。
 男の子はため息を吐きつつ女の子を見送り、女性に瞳を向けた。
「ところでさ、母さん」
「ん?」
 声をかけてきた男の子に、女性は軽く笑みを浮かべながら訊き返す。
「ドルーガさんが『お前達を見ていると、ジェイ兄やエミリア姉を思い出すな!』って言ってたんだけど、だれ?」

 ばあん!
「ただいまーーー!! ママーーー!!」
 家に入るなり、大声で叫びながら奥へかけていく男の子が一人。
 居間で寛いでいた男性がそれを目で追っていると、
「ただいま」
 男の子とは対照的に、女の子が静かに帰宅した。先程の男の子はこの女の子の弟であり、姉弟揃って自宅のすぐ側にある宿屋へ遊びに行ってきた帰りだった。
 その宿は、姉弟の祖父が営んでいる。
「アロガンおじいちゃんに聞いたんだけど、パパには妹が、ママにはお兄さんがいるんでしょ?」
 女の子が帰ってきて早々に訊くと、瞳を向けられた男性は大げさにため息を吐いた。
「アロガンさんは相変わらず、顔に似合わないおしゃべりだよな」
「おじいちゃん、わたしにメロメロだからね。それはもう、お菓子やらおもちゃやら、かくしゅ昔話やら、あげぜんすえぜんって感じ?」
 女の子が最近覚えた言葉を得意げに口にすると、男性は苦笑して台所を指差した。
「それで? 奥へ飛んでった君の弟も、同じことをママに訊きに行ったわけだね?」
「そういうことですわ、お父さま」
 妙な口調の男性に、女の子はやはりもったいぶった妙な口調で応える。そしてお互い少々黙り込み、しばらくするとおかしそうに笑いあった。
「はは。まったく、お前達は誰に似たのか、したたかだよ」
 男性は口元を押さえて軽く笑いながら、そんなことを言った。
 さて、これはどういうことかというと、姉弟は、比較的娘に甘い父親と、比較的息子に甘い母親にそれぞれぶつかることで、より効率的に情報を得ようとしているのである。男性はそこを評して先程のように言ったのだ。
「ほめことばだと思っておくわ。それより、ママのお兄さんとパパの妹――わたし達の叔父さんと叔母さんって、どんな人だったの?」

「ジェイはお母さんのお兄さん。そして、エミリアはお父さんの妹よ」
「へぇ、じゃあぼくらの叔父さんと叔母さんだ。どんな人だったの?」
 無邪気に訊いた男の子に、女性は苦笑して続ける。
「エミリアはジェイ以外には無頓着でね。回りを一切気にせずに攻撃魔法を使いまくる人だったわ」
「……へぇ。じゃ、じゃあ、ジェイ叔父さんは?」
 笑顔を引きつらせつつ、懲りずに訊いた男の子。
 女性はやはり苦笑し、
「ジェイは相当自分勝手だったわ。それでいて、相手によってはそれを上手に隠すから、なんだかムカつく兄だったわね。私に対する物言いもいちいち癇に障ったし」
「…………へぇ」
 完全な沈黙はなんとか避け、取り敢えず相槌だけ打った男の子。母親の機嫌が弱冠悪くなったことを感じ取ったのか、どこか居心地が悪そうだ。
「けど――」
「え?」

「アラン叔父さんはいい人だったが、ケイティ叔母さんは大分ウザかったなぁ。何が気に食わないのやら、俺に噛み付きまくりやがってなぁ、ははは」
「パパはところどころで、びみょーに口が悪くなるし、そのせいじゃないのかな?」
 自分の妹の悪口を機嫌よさそうに言った父親に、女の子は軽く微笑んで意見した。
「あっはっはっはっ! それは一理あるなぁ!」
 父親はおかしそうに大声で笑って、強く同意を示す。
 そして、妹の批評を続ける。
「あとはそうだなぁ…… メルの奴と同じで、とんでもない大食いだったな。あの二人が揃えば、この国中の食い物屋を在庫不足に追い込めるんじゃないかな」
「メル様と同じ!」
 男性のため息交じりの言葉に、女の子は表情を輝かせて反応する。
 その子供らしい無邪気な反応に、男性は疲れたように言葉を次ぐ。
「……お前、メルのこと好きだよな」
「当たり前じゃない、パパ! 女だてらに国を見事に治めて、自国民からのそんけい度が一番高いスーパー女王様にあこがれない女性なんていやしないわ!」
 拳を振り上げてまくし立てる娘に、父親は表情を引きつらせながらも続ける。
「ま、まあ、確かに政治的手腕も支持率も目を見張るものがあるがな。国民総生産も最近じゃ各国平均を大きく上回ってるって言うし」
「この国の人間としてはティンシア様にもあこがれるところだけど、やっぱり時代はメル様よね!」
 鼻息荒くそう言ってから、女の子はうっとりとした表情になり、
「そんなメル様と共通点のある方が叔母様だなんて……」
 そのようなことを言った。しかし――
「いや、同じなのは大食いなところとアホなところくらいだけどな」
 男性は遠慮なくきっぱりと言った。
 女の子は不満げに口を尖らせる。
「……そこはもう少し夢を見させてよね。それと、メル様のことアホ言うな」
 その言葉を受けた男性は苦笑しつつ、軽く謝る。
 と、そこでふっと優しい表情になり――
「叔母さんはウザくて大食いでアホだったが、まあ――悪い奴じゃなかったよ」

「悪い人ではなかったわ。いい加減で、粗雑な人だったけど…… あれで、とても優しい人だった」
 そう口にした時の女性はとても優しい顔をしていて、男の子はなんだか安心していた。
「そっか」
 男の子がニコニコと反応すると、女性は嬉しそうに笑いかけ、
「ええ」
 ただそう応えた。
 とそこで、うっかりあることを忘れていたことに気づき、女性は慌てたように言葉を続ける
「あっ! それにエミリアも、ちょっとジェイに対して一生懸命すぎただけで、悪い子じゃなかったのよ!」
 その様子を少しおかしそうに見詰めながら男の子は、
「ぼく、会ってみたいな。ジェイ叔父さんとエミリア叔母さんに」

「ケイティさんとアランさんかぁ。会ってみたいなぁ」
 女の子がそう呟くと、男性は少しだけ寂しそうに笑い、
「それは……ちょっと無理かもな。相当遠くに行っちまったからなぁ」
 男性の言葉を訊いた女の子は、バツが悪そうに口に手を当て、大きな瞳を細め――
「……死んじゃったの?」
 そのように訊いた。
 女の子はすでに十に近い歳となっている。男性が口にしたような言い回しがどのような時に使われるかくらいは知っていた。ただ今回は――
「いや。死んだわけじゃない。ただ、本当に、本当に遠くに住んでるんだ……」

 窓の外を眺めながら、遠く、と言った女性の横顔がどこか寂しそうで、男の子は二の句が継げなかった。
「おかあさぁん! おとうさんは〜?」
 そこでドタバタ家中を走り回っていた女の子が戻ってきた。
「なんだ、お父さんを探していたの? お父さんはまだお城よ」
「えぇ〜、じゃ〜けいこはぁ?」
 女の子の残念そうな言葉に、女性は苦笑しつつ応える。
「だからそれはもうちょっと大きくなってから。それまではお外で元気に遊んでればいいのよ。子供はそうして強くなるの」
 女性の言葉を聞いた女の子は、しばしキョトンとしていたが、
「はあ〜い」
 直ぐに元気に返事をして、じゃーおにいちゃんいこー、と叫びつつ外に飛び出していった。
 男の子は、小さい妹を独りで外に出すわけにはいかないと直ぐに後を追おうとする。
 しかし、玄関先で一度止まり、女性の方を振り返って――

「ねえ、パパ。叔父さんと叔母さんが死んでないんなら、どんなに遠くに住んでても生きているんなら――」

「――いつか、会えるよね?」

 男性は驚いたように目を見開き、それから大声で笑う。そして――
「そうだな」

 女性は出て行く子供達に向けて振っていた手を止め、しばらくしてから優しく笑み――
「そうね」


『きっと、いつか……』