法なんかで罪は裁けやしない。罪を裁く罰ってのは、そんなもんじゃないんだ。
 心を蝕む罰は心自身。
 心を有する故に、罪の重さが心を疲弊させる。追いつめる。
 だからこそ、許されることなどない。
 この罪を償うことは未来永劫できない。

 誰が俺を許しても……

 ――俺が許されることなどありはしない。

Chapter04.無慈悲に朽ちる理の中で

 半島の先端よりもやや内陸に寄った辺り。整備された街道を辿って行った先にロマリア国の城下町があった。
 その町に正門から進入すると、直ぐに武器屋や防具屋、雑貨屋、土産物屋、そして賭博場などが乱立していて、観光客の心を掴む。また、その近辺には宿屋が複数存在し、買い物を楽しむ者達に声をかけて客を引き入れることに躍起になっている。
 一方、そのように観光客や商売人が生む喧騒に彩られ活気のある繁華街を抜けると、閑静な住宅街に至る。ペットの散歩をする老人。広場を駆け回る子供。それを見守りつつ雑談に興じる母親。緩やかな時が流れる。そして、更にそこを抜けると、いよいよ国王陛下が鎮座する王城を目の前にすることができる。
 その王城の門を内側から抜けて、住宅街へ足を踏み入れる少年と少女がいた。
 少年の名はジアン。アリアハン国を代表して魔王討伐の旅に出立した若者である。
 少女の名はカリーヌ。アリアハン領レーベ村で暮していたが、とある理由からジアンの旅に同行することになった。
 二名はロマリア国王との謁見を終え、宿へ向っていた。そしてその道中、カリーヌが腹立たしげに声を荒げる。
「なんであたし達が盗賊を追いかけなきゃならないのよ! もー、むかつくなー!」
 先ほど、謁見の間でロマリア国王に命じられたことに対する文句を紡いだ。彼女達が命じられたのは盗賊の追跡。盗賊から冠を取り戻して来いとのお達しを受けたのだ。その冠は、催事において用いられるものだという。
「まあまあ。困っているみたいだし、人助けだと思って」
「人助けが嫌なわけじゃないわよ。でも、自分達が何もしないで偉そうに、無事黄金の冠を取り返してきたら勇者と認めよう、とか言ってるあの態度がうざい!」
「わあ、カリーヌ。王様の物まね上手いね。凄いや」
「そう? まあ、あたしも自分でやってて結構いい感じかもとか思ってたけど……って、そんなことはどうでもいいの! ねえ、あの話、従うつもりなの、ジアン?」
 問われると、少年はゆっくりと首を縦に振った。
 それを目にした少女は深く息を吐き、それから諭すような口調で先を続ける。
「あのね。あたし達はロマリア国民ってわけじゃないし、あんなのただのジジイと変わらないんだよ? アリアハンのシャルリード国王陛下が仰られたのならともかくさぁ…… 無視しようよ。スルーしようよ。ハブろうよー」
 カリーヌはジアンの手を取り、ぶんぶんと振り出した。ジアンはその様子を楽しそうに見ていたが、しばらくするとカリーヌの手首を優しく掴んで振動を止める。そうして、なだめるような口調で言葉を繰る。
「まあまあ。あのね、勿論、盗賊さんを追わなくても怒られたり牢屋に入れられたりはしないだろうけど、でも、従っておいた方が賢明だとは思うよ。あとになってロマリア国にお願い事が出来た時、聞き入れて貰い易くなるだろうし」
 そのように言ったジアンに、カリーヌは瞳を二、三度またたかせてから言葉を返す。
「ふーん。意外と考えてるのね…… でもさ、だるいから無視しない?」
 少女が真剣な表情で訊いた。
 少年はそれを苦笑と共に見詰め、しかし、しっかりとそれを否定した。

 ロマリア城下町から北上した先、カザーブ村へと向う街道は途中、山中を行くこととなる。ジアン、カリーヌは今、そこを進んでいた。城下町で、盗賊達が北へ向ったとの情報を入手したためであった。そして、山中には今、ジアンとカリーヌ、そして、三匹のモンスターが在った。
 異臭を発する犬のような姿のモンスターが二匹、ジアンに向けて飛び掛った。よだれの垂れる口が大きく開かれ、牙がジアンの喉元、そして、脚を傷つけようと迫る。しかし、ジアンは惨事が生み出される寸前に横に跳び、その攻撃を避けた。そして、鞘に収めたままの剣を力強く振り、モンスターの腹、もしくは頭部に一撃を入れる。それにより、モンスター達は大きく吹き飛ぶ。高い声で数度鳴き、それから、逃げ去った。
 一方で、巨大な蜂がカリーヌに迫る。蜂は素早い動きで彼女の周りを飛び、翻弄する。カリーヌはその動きを目で追おうと視線を巡らしていたが、決して目で追いつけないことを悟ったのか諦める。そして、口の中で小さく呪を紡いだ。
「バギ」
 カリーヌが呟くと、風が渦巻く。風は蜂へと瞬時に迫り、その体を傷つける。そんな中、羽の一枚が破れ、蜂が地面に堕ちる。体を強く打ちつけ、苦しんでいるようである。カリーヌはそれで戦いが終わったと認識し、息を吐く。
 しかし、ジアンはなおも険しい顔つきで、駆ける。その向う先は――
「ホイミ」
 柔らかな光が蜂に注がれる。それにより、光が照射された先、裂傷が出来ている体は漸う癒され、蜂は直ぐに飛び上がる。再び攻撃を始めようと、毒の込められた針をむき出しにして飛び回る。しかし――
「ラリホー」
 ジアンが先ほどとは異なる呪文を唱えると、蜂は直ぐさま夢の世界へと旅立ち、再び堕ちる。地面に近づき、再度、酷い裂傷を作る結果を生むかと思いきや……
「スカラ」
 カリーヌにより、一時的に体を硬くする呪文が唱えられる。行使された先は、堕ちゆく蜂。そして、蜂は地面に激しくぶつかったが、裂傷を一つも作ることなく眠り続ける。
 ジアンは安堵したように息を吐き、そして、カリーヌに近寄る。
「ありがとう」
「……ホントにモンスターも殺さない気なんだね」
「この蜂さんにだって、家族が、仲間がいるはずだから」
「……ふぅ。じゃ、行こっか」
「そうだね」
 眠っている蜂を街道脇の森へと運び、少年と少女は再び街道を行く。

 カザーブにて一泊し、ジアンとカリーヌは再び山中を行く。カザーブ西部に連なる山脈を黙々と歩く。カザーブで入手した情報によると、ロマリア城に侵入した賊はカザーブを経由し、今彼らが向っている方向――西へと向かったという。
 途中、小さな宿場町で休息をとりつつ、ジアン達は進む。
 カザーブまでの街道は、ロマリア国によって管理されている正規の道であったため、比較的通り易いものであった。しかし、現在彼らが進んでいる山道は獣道と呼ぶに何ら遜色ない状態である。快適とは決して言えない旅が続いていた。
 勿論、モンスターも彼らの行く手を遮る。この山には比較的草食のモンスターが多いのではあるが、それでもやはり、肉食のものは少なからずいる。とりわけ多く出現するのはカザーブへ向う旅路において出現した犬や蜂に似たモンスターであり、それ以外では人骨をその足に包み飛んでいる鳥などが襲い来ていた。そのモンスター群に対して、ジアンは主に鞘に収めたままの剣で対処し、カリーヌは主にラリホーやマヌーサを駆使して煙に巻いていた。それら全てのモンスターを決して死に至らしめることなく対処し続けたのだから、彼らの実力の程は確かなものなのだろう。
 そうして、カザーブを出立してから五日経ち、漸くジアン達は盗賊が向ったと思しき地の名を知る。宿を得た各所において賊の存在は確認できていたが、彼らの根城については皆、一様に口を閉ざしていた。しかし、ここにきて一人の青年が進むべき道を示してくれた。
 向うべき地の名。それはシャンパーニの塔である。

「ここがシャンパーニの塔だ」
「へー、ここが……」
「遠くから見た時から思ってたけど、改めて近くで見ると余計でっかいねー」
 シャンパーニの塔に盗賊がいるという情報をくれた青年に案内され、ジアン、カリーヌはその目前まで到達していた。そこに聳え立つのは随分な高さを有する建造物。そして、その建造物に住まう盗賊の名はカンダタというらしかった。
「カンダタはこの塔の上にいるそうだ」
 青年は色素の薄い髪をかきあげつつ、塔を見上げて言った。
 そんな彼を瞳に入れ、ジアンは微笑む。
「有り難う御座いました、ヘンリーさん。この塔のことを教えて下さっただけでなく、こうして道案内まで」
「いやなに。実は俺もこの塔に用事があったもんでね。ついでってやつさ。礼には及ばないよ」
「そうだったんですか」
「けど、商人が盗賊の根城にどんな用なの? あ、もしかして……盗品を買い取る算段とか?」
 ヘンリーはここから一番近い宿場町で出会った際、商人であると自己紹介していた。それゆえ、カリーヌはそのような予想を打ち出す。
 しかし、ヘンリーは口の端を小さく持ち上げて笑い、否定とも肯定とも知れぬ返事をする。
「さてね。どうせならついでに、そういう交渉をしてみるのもいいかもな」
 そう口にして、それから歩を進める。
「さあ、中に入るとしよう。俺と君ら、それぞれの目的のために、ね」

「誰だ! お前た――」
「ラリホー」
 塔の正面口から侵入すると、一人の男性が待ち構えていた。彼はジアン達の存在に気付き声を上げたが、直ぐにカリーヌの呪文によって眠りを享受する。
「よっし! ちょろいわね!」
「ご苦労様、カリーヌ。さあ、先に進もう」
 拳を固めて嬉しそうに笑うカリーヌと、そんな彼女にやはり笑みを向け、声をかけたジアン。二名は満足そうに頷き、先を急ごうとする。一方、ヘンリーはというと……
 ひゅっ!
 彼は背にかけていた槍を徐に抜き、勢いよく振るう。その向かう先は、深い眠りに落ちている見張りと思しき男性。
 きぃん!
 金属音が響く。
「……どうして止めるのかな?」
「貴方こそ、どうしてこんな――どうしてこの人を殺そうとするんですか……」
 ジアンの問いから数秒、ヘンリーは槍を構える腕を下げ、息を吐く。
「ここにこうして放置していたのでは、あとあと挟撃される要因になりかねない。目を覚まして再び襲ってこられたら厄介だ」
「それはそうかもしれませんが、でも、だからって殺す必要は――」
「殺さない理由もない。どうせ盗賊――犯罪者だ。なら、もっとも手っ取り早い方法は、殺すことじゃないか」
 その言葉を耳にすると、ジアンは瞳を細め、哀しげに俯く。
 そんな彼の様子を目にし、ヘンリーもまた瞳を細める。
「……死などいつでも訪れる。今こうしている時にも、どこかで、誰かが、人が、モンスターが死んでいる。この世はそういうものだ」
「それはそうです。けど……」
「君は識っているのだろう? 死を与えることなど易く、死を受け入れることもまた易い。そして、それは忌避しようとも無慈悲に齎される。君は識っているはずだ。そうじゃないのかい? 勇者オルテガの子、ジアンくん?」
 ジアンが驚き、視線を上げる。そこには、小さく微笑む男の姿。
「どうして僕が父さんの――オルテガの子だと……」
「さてね。商人は情報通なんだってことにしといてもらおうか。それよりも、なぜ死を厭う? なぜ、自身に不利に働くかもしれないというのに、赤の他人の犯罪者を庇う?」
 薄笑いを浮かべて訊くヘンリー。ジアンは彼を真っ直ぐと見返し、ヘンリーもまた同様に視線を返す。
 一方、二名から離れたところに佇むカリーヌは、真剣な表情でジアンを見詰める。何かを確かめるように。
 両名より視線を向けられたジアンは、徐に口を開く。
「……怖いから」
「怖い?」
「死の先にある痛みが、哀しみが、不幸が、怖いから。僕はそれを知ってしまったから、そしてかつて……与えてしまったから。もう誰にも決して感じて欲しくない苦しみを、識ってしまったから。その盗賊さんにも家族がいるはずだよ。仮にいなかったとしても、仲間はいる。この上に盗賊としての仲間がいる。彼らの心に突き刺さるだろう苦しみを生み出さないためにも、僕は……」
「ここで苦しみを生み出さないことで、違う苦しみが生まれるかもしれない。君が奪わなかった命が、他の命を奪うかもしれない。そんなこと、この世界では珍しいことではない。それでも言うのか? 怖いから、と」
「分かってます…… でも、無理やりにでも信じたいんだ。少なくとも、眼前での死を回避しさえすれば、少しは、ほんの少しでも不幸が、哀しみが、痛みが、減るんだって。信じ……たいんだ」
 沈黙が落ちた。
 そして、しばらくするとヘンリーが無言で歩みを進める。
「ヘンリーさん?」
 ヘンリーは見張りの男性に向うでもなく、ジアンに向うでもなく、カリーヌに向うでもなく、塔の奥へと向った。そして振り返り、呆然としているジアンを見詰める。
「俺も別に、そいつを絶対に殺したい、というわけじゃない。君の主張は正直気に入らない部分もあるが、君と一戦交えてまでそいつを殺しても、メリットは少ない。さっさと先を急ごう」
「……はい」
 促され、ジアンは、そして、カリーヌは商人の後に続く。

 途中、盗賊と思しき者達が数名立ちはだかったが、それぞれは直ぐさまカリーヌのラリホー、もしくは、ジアンの当身などで沈黙していた。一方、入り口での騒動以来、ヘンリーも戦線離脱した盗賊を殺そうとはしなかった。ジアン達が対処している間、槍を杖代わりにして寄りかかり、倒れていく盗賊達を眺めている。
 そのように、幾度目かの戦闘が終わりを告げた時、ヘンリーはゆっくりとした足どりでカリーヌに近寄った。
「なあ、お嬢さん」
「何?」
 カリーヌが訝しげに返すと、ヘンリーは胡散臭い笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「君もジアンくんと同じ考えなのかな? 人間を殺すという点で言えば、彼の言うことも判る。ただ、彼の場合モンスター相手でも同じことを考えていそうな節があると思うんだ。そうすると、相当特異な考え方だ。同調する人間がそうそういるとは思えないんだが……」
「何だ、そんなこと? ジアンの言うことに同調なんてしてるわけないじゃない。あ、勿論人間が相手なら、ヘンリーが言ってるみたいに、都合が悪いなら取り敢えず殺しとけ、なんて思わないけど…… ことモンスターに関して言えば、正直、ヘンリーの意見に同意するよ、あたしは」
「そうなのか?」
 意外そうに呟くヘンリー。
 カリーヌはそんな彼を不思議そうに見返す。
「そんなにおかしい?」
「いや、考え方としては自然な方だとは思うが…… だったらなぜ、ジアンくんについて来ているのかが気になったんだ」
「彼の言葉がどこまで本気なのか見極めるため、かな。ちょっと色々あってさ。あたしもけっこう極端な意見いう方なんだよね。……意見だけじゃなくて、やってたこともだけど。まあ、そんなあたしに色々意見を言ってくれちゃったのがあのジアンなの。正直、納得なんてできてないんだ。特に人を捕食するようなモンスターは、殺し尽くしちゃった方がいいと思うしね」
 ヘンリーが苦笑した。言葉どおり、彼女の意見がだいぶ極端だったためだろう。
 そんな彼には構わず、カリーヌが続ける。
「でもね。それが絶対に正しいとは思わない。ジアンが言うほど極端じゃなくても、もっと、歩み寄ることができるのかもしれない。そう思ったから、だから、ジアンがどこまであの妄想を実現できるのか、確かめようと思ったの。彼の言葉を信じたいと、全てではないにしても、少しは信じたいと思ったから、彼がどこまで想いを貫けるのか、この目で見極めようと思った」
「……もうひとつ、いいか?」
 息を吐きつつ、ヘンリーが苦笑して訊いた。
 カリーヌもまた苦笑し、どうぞ、と先を促す。
「なんでまた、モンスターを殲滅すべきという極論を持つ君が、そんな風にまるい意見を持つようになったんだい?」
「……モンスターにも生活が、生きる世界があるって知ったから、かな。そんなこと、もっと早くに理解していてもいいのに、狭窄的だったよね、あたしも」
 自虐的な笑みを浮かべるカリーヌ。
「ま。そんなもんさ」
「ラリホー」
 ヘンリーが言い切った時、ジアンの口から呪が紡ぎ出され、階段の前を見張っていた盗賊の一人が眠りに落ちた。

 幾度か階段を上り、幾度か扉を潜った。そうして、ジアン達はとある一室で十数名の盗賊と相対する事態を迎えた。
「こいつらか? 侵入者は」
「はい。呪文を使うので注意して下さい」
 茶の短髪をした盗賊の問いに、灰色の長髪を後ろで一まとめにしている盗賊が応える。後者は、ここまでの過程において眠らせた者の一人だった。
「……よく考えたら、殺さなくても、縄で縛っとくとかしとけばよかったね」
「縄持ってたのか?」
「ううん、持ってない」
「駄目じゃん」
「そだね」
「何をごちゃごちゃと言っている! せいぜい覚悟するんだな」
 カリーヌとヘンリーが言葉を交わしていると、茶髪の盗賊が大きな声を上げた。苛立った様子で彼らを見やる。
「まー、こんだけ盗賊だらけとなると、普通は殺される覚悟とかする場面なんだろーけど……」
 自分達を見据えている盗賊達を見回し、その数の多さにうんざりしながらカリーヌが独白した。そうしてから、しかし、特別恐怖することもなく傍らの少年に瞳を向ける。
「ねぇ、ジアン。この人達、どのくらい時間かければ全員気絶させられる?」
「んー、三分」
「そ。頑張ってね」
『なっ!』
 お子様二名の言葉を受け、盗賊達が怒りの声を上げる。目つきを鋭くし、抗議の言葉を紡ごうとするが――
「ぐわっ!」
 盗賊の一人が叫び声と共に崩れ落ちる。瞬時に移動したジアンの肘打ちがみぞおちに食い込んだことによって、意識を手放したのである。そして、ジアンは続けて鞘に収めたままの剣を振るう。盗賊三名の腹に鋭い一撃が入り、やはり気絶した。
「こ、こいつ……っ!」
 腰に差していたナイフを手にし、茶髪の盗賊はそれをジアンに向けて勢いよく放つ。ナイフはジアンの左足に迫った。が、彼が小さく横に避けたことで、ナイフは何もない空間を通り抜けることとなった。
「ラリホー」
 そしてジアンは、この塔に侵入してから幾度となく使用している魔法――眠りの魔法ラリホーを唱える。それに伴い、六名の盗賊が倒れ伏す。魔法の効果によって眠りに落ちたのだ。
 残った盗賊は四名。
「一分経過。三分もかからないんじゃない?」
「……なるほど、誰も殺さないとか言ってるだけあって、圧倒的な強さは持ち合わせてるんだな」
「そうなのよ。そういう意味じゃ、ジアンの世迷言を信じる価値もあるとは思うんだけど……ねぇ?」
「想いに力が追いつかない時、どう動くかの方が問題ではあるだろうな。お嬢さんが見極めたいのはそこかい?」
「まーそんなとこ。けど、ジアンよりも強い、もしくは同じくらいの実力の相手って今まで遇ってなくてさー。今回も駄目みたい。盗賊っていうのも案外情けないよねー」
「確かになー」
 ジアンが残りの盗賊を相手にしている一方で、カリーヌ、ヘンリーが立ち話をしていた。その視線の先では、数多くいた盗賊は遂に残り一人となっている。
「く、くそ」
 盗賊が悔しそうに毒づく。
 そんな彼を目の前にし、ジアンが笑みを向け、声をかける。
「あのー、ロマリア城から盗んだというものを返して頂けないでしょうか? 催事で使われる黄金色の冠なんですけど」
「……冠? そんなもんを持ってきていた覚えはないが…… まあ、仮に持ってきていたとして、返す気はないな」
「でも、ないと困るらしいんです。どうにか――」
「冠など盗んでいない」
 ジアンの言葉を遮り応えたのは、追いつめられていた盗賊ではなかった。
 一同が声のした方向へ視線を移すと、そこには精悍な顔つきの男性が佇んでいた。ただ立っているだけであるその姿は、不思議と強烈な威圧感を振りまいていた。
「ダ……カンダタさん!」
「君は下がっていなさい」
 盗賊は、新たに登場した男性の言葉に従い下がる。そして、男性はジアンに対する。
「国王陛下がどのように仰ったかは存ぜぬが、わたし達が奪ったのは当たり障りのない金品のみだ。それも各町で貧しき者に与えたゆえ、残っておらん。ましてや、催事で用いられる重要な品など、決して盗んではいない」
「そうなんですか?」
「もー、ジアン! 何、盗賊の言うことなんて信じてるのよ! 責任逃れのための嘘に決まってるでしょ!」
 納得しかけたジアンに呆れた視線を送り、カリーヌが言い切る。
 カンダタと呼ばれた男性は苦笑し、
「信用がないのだな」
 言った。
「当たり前でしょ」
「まー盗賊を信用する人間は少ないだろうな」
 カリーヌとヘンリーは肩をすくめて応え、それから、カリーヌがびしっとカンダタを指差す。
「さあ、ジアン! こいつもお仕置きよ!」
「え、でも――」
「四の五の言わない! あたしが面倒だって渋ったのに、張り切って冠奪還に乗り出したのはジアンでしょ! ぱぱっと倒しちゃって帰るわよ!」
「う、うん」
 甲高い声でカリーヌが叫ぶと、ジアンは瞳を数回またたかせて従う。戸惑った様子ながらも、カンダタに向け、鞘に納まったままの剣を構える。
 カンダタはそれを目にし、再び苦笑してからやはり剣を構える。ジアンに倣ったのか、こちらも鞘に納めたたままだ。
 ジアンが駆ける。剣を横向きに薙ぐと、カンダタは縦向きに剣を構えて防ぐ。
 と、そこで間髪いれずジアンが右足を動かす。カンダタの足を払おうと強襲する。
 がっ!
「つっ!」
 しかし、次の瞬間起こった事象は、カンダタが床に転がるというものではなく、カンダタの強力な蹴りがジアンの右肩に叩き込まれるというものだった。
 カンダタは、ジアンの足払いを跳び上がり避け、続けて、回し蹴りをジアンに向けて放ったのである。
「ありゃ。あの盗賊けっこう凄いね」
「当たり前だ。カンダタさんよりも強い人間なぞいやしない」
 呟いたカリーヌに応えたのは、一人だけ気絶せずに済んだ盗賊だった。
「あんた、加勢しなくていいのか?」
「カンダタさんがあんな小僧にやられるはずはない。そんなもの不用だ。あんたらこそ、あの小僧に加勢した方が賢明だと思うぜ?」
 にやりと笑った盗賊。
 カリーヌ、ヘンリーは顔を見合わせ、それからやはり、にやりと笑う。
「わざわざ忠告してもらったのに悪いんだけど、たっぷり苦戦してもらった方が好都合なの」
「俺も、彼がただの甘ちゃんじゃないのかどうか少し気になるもんでね」
「……は?」

「はっ!」
 カンダタの鋭い突きを前に乗り出しつつギリギリで避け、ジアンはカンダタの剣を落とそう試み、剣を振るう。しかし、カンダタは直ぐに身を捻り、ジアンの攻撃を避けて逆に彼の剣を落とす。
 からんっ!
 床に転がった衝撃により、ジアンの剣は鞘から抜けた。そして、抜き身で転がる。
「くっ」
 ジアンは腕を押さえて呻き、しかし、直ぐに両手を突き出し、炎を生み出す。
「メラ」
「おっと。魔法も使えるのか」
 カンダタは後ろに大きく跳んでそれを避け、ジアンの腕から飛び出された炎は床を焦がす。
 その光景を見届けることもなく、ジアンは駆けて床に落ちている剣を手に取る。そして、再び構えてカンダタに対した。
「……カンダタさんでしたね。鞘を拾うことを許してくれませんか?」
「わざわざかね? しかし、この方が早いだろう」
 そう言って、カンダタは自身の得物を鞘から抜き放つ。
「なに、心配は無用だ。決着がつく時には寸止めくらいできる。そのくらいの実力は、君も有しているように見受けるが?」
「それは……そうですが……」
「ならば、さあ、続けようではないか」
 微笑んで言ったカンダタは駆ける。ジアンの目前に迫り――
「戦いを」
 笑った。

 カリーヌの見守る先で、カンダタの猛攻がジアンを襲っていた。鋭い突きが勇者の腕をかすめ、勢いのある横薙ぎが衣服を破る。一方で、ジアンの攻撃はカンダタを傷つけることはない。衣服が破れることもなく、足払いが成功することすらない。
「うっわ。強いねー、あの盗賊」
「ふふん。当然だ」
 感嘆の声を上げたカリーヌに対し、盗賊が得意げに胸を張る。そして、カンダタの武勇伝らしき話をし始めた。しかし、カリーヌはそれを無視して戦いの場に視線を送る。残念そうに瞳を細めた。
「んー、てか圧倒的すぎ?」
「いや。ジアンくんは手加減……というか、攻撃が当たることを避けてるようだな。剣筋がおかしい。もっと――そうだな。殺す気で戦えば五分くらいまでは巻き返せると思うが……」
 ヘンリーの言葉を耳にし、カリーヌが瞠目する。
「そうなの? よく分かるね、ヘンリー」
「それなりに長く生きてるからな」
「ふぅん…… でもそうなると、自分が危険な時でもジアンは不殺を実行しようとしてるってことになるの……かな」
 カリーヌが疑わしげにそう口にした。その様子から、彼女が口にしたようなことは未だ証明し得ないと考えていることがわかる。
「あの盗賊のさっきの言葉を聞けば、ジアンくんを殺す気がないのは明白だしな。そうとは言えないだろう」
「だよね。あーもう! 強くても使えないなぁ! あの盗賊!」
 深く息を吐いてカリーヌが言った。
 それを耳にし、盗賊が目つきを鋭くし、声を荒げる。
「なんだと! 女! ダムラス様を悪く言う奴は許さんぞ!」
「うるさいなぁ。使えないもんは使えないんだし、仕方ないじゃない…… って、ダムラスって誰?」
「しま……! いや、なんでもない。気にす……るな……」
 と、そこで盗賊が訝しげにヘンリーを見やる。というのも、彼が盗賊の腕を突然掴んだためだ。
「な、なんだ?」
 盗賊のその問いに、ヘンリーはにやりと笑うのみで応える様子はない。そして――

「先ほど鞘にこだわっていたのも、太刀筋に迷いが見えるのも、わたしを殺さないため、といったところかな?」
 カンダタが問うと、ジアンは黙って頷く。
「なるほど。立派なことだが、それでは勝てる戦いも勝てぬぞ。今回は、わたしも君を殺す気はないが、いつもそうとは限らん。君よりも強い者など世界を巡れば幾名もいよう。……死ぬぞ」
「そうかもしれません。でも、僕は――」
 ジアンが言い、俯いた。それを目にしたカンダタは小さく息を吐き、それから剣を構える。
「君が本気を出さぬならば、次の一撃で決める。それで、大人しく帰ってくれ」
「……」
 カチャ。
 それぞれ得物を構える勇者と盗賊。そのままで数秒経過し、そして――
 だっ!
 駆ける。彼らの間合いは瞬時につまり、鋭い攻撃が二太刀放たれた……その時。
『なっ!』
 驚愕の声が漏れたのは誰の口からだったか。恐らくは、それが起こるだろうことを予測し得た者以外全ての者の口からであっただろうが、確認のしようはない。
 とにかく、剣を振るっていた二名は、突然現れたそれを傷つけないように腕に力を入れる。ジアンは例に漏れず太刀筋を少しばかりずらし、元から攻撃の手を緩めていたため問題なく剣を逸らし得た。しかし、カンダタは違った。ジアンを殺す気ではなかった。そうだとしても、太刀筋はしっかりした軌道をとっていた上、勢いよく剣を振っていた。
 そのため、突然現れたものを全く傷つけずに済ますことなどできそうになかった。――相対していた二名の間に割って入った一名の盗賊を傷つけずに済ますことは、難しかった。
 しかし、刃は盗賊を傷つけることはなかった。ジアンが無理やり体をひねり、カンダタの刃を自身が持つ刃で受け止めることに成功したためだ。金属同士は甲高い音を響かせ、止まる。そうして、危うき状況は終わりを迎えた――かに見えた、が……
 しゅっ!
 続けて凶刃が襲った。商人のついた槍が盗賊の左胸を襲った。
 刃が真っ直ぐに突き進み、愈々盗賊の肌を傷つけようとした、その時――

 ジアンの体を暖かい光が包む。途切れそうな意識の中で、ジアンはそのことを認識した。そして、それに伴い頭がすっきりと澄んでくる。自身の置かれている状況を確認しようと、脳が活性化する。
「ん、んん……」
「あ! 気がついた! よかったぁ」
 ジアンがゆっくりと瞳を開くと、そこにまず飛び込んできたのはカリーヌの大きな瞳だった。視線を巡らすと彼女だけでなく、カンダタを筆頭に数多の盗賊たちがいた。
「カリーヌ…… あれ。僕どうして……」
「んー何と言うか、ちょっとショッキングな事実なんでアレなんだけど…… 今ジアン、ベホマで漸く治るくらいの傷を受けて死に掛けてたのよ」
「……え?」
 カリーヌの言葉に、ジアンは数秒沈黙してから小さく声を上げる。
「ここ、見てみて」
 そう言って自身の右胸を指差すカリーヌ。
「? 何もないけど」
「……あたしのじゃなくて、ジアンの!」
 他意はないだろうジアンの言葉に、しかし、カリーヌは目つきを鋭くして両腕で胸元を隠す。そうしてから、今度はジアンを指差した。
 ジアンは視線を下ろし、自身の右胸に目をやる。すると、衣服が裂けている箇所に赤黒い液体が付着していた。液体が侵食している範囲は右胸を覆い、更には腹部にまで至っていた。
「覚えてる? ヘンリーが槍でそっちの盗賊を一突きしようとした時、ジアンが体でかばったんだよ?」
 言われ、ジアンは漸く記憶を掘り起こすことに成功する。
 突然盗賊が飛び出してきて、彼を傷つける一歩手前だったカンダタの剣をジアンが受けた、その時。更に盗賊を傷つけようと、ヘンリーが槍を繰り出した。ジアン、カンダタ両名の得物でヘンリーの一撃を防ぐには難しい状況だった。一瞬の時が過ぎるだけで盗賊の心の臓が貫かれようとしていたあの時、ジアンが取れた行動は――自身の体で槍を防ぐことくらいだったのだ。そしてそれゆえ……
「まったく…… 無茶しないでよね」
「まあ、そう言ってやるなよ、カリーヌ。あの状況じゃ、不殺を実行するならああするしかないだろう」
「……そうかもしれないけど、諸悪の根源に諭されたくないわよ」
 カリーヌの言葉に伴って、大多数がヘンリーに鋭い視線を送る。そんな視線が注がれる中、ヘンリーは特に気にするでもなくジアンに歩み寄った。
「取り敢えず、ただの甘ちゃんではないようだな。あいつが死んだ甲斐も、一応はあったというものか。……これも、俺が言えた義理じゃないが」
「え?」
 訊き返したジアンに、ヘンリーは軽く笑みを浮かべるのみで応えた。
 そんな彼らのやり取りがひと段落着いたと見て、カンダタが口を開く。
「ジアンくん……だったね。部下を助けてくれてありがとう。礼を言わせてもらう」
 カンダタが深く頭を下げると、ジアンが慌てる。
「あ。いえ。盗賊さん。そんな、お礼だなんて――」
「頭下げるだけじゃなくて、有意義なお礼が欲しいんだけど。例えば、黄金の冠とか」
 ジアンの言葉を遮ったのはカリーヌだ。
 その言葉を受け、カンダタは苦笑する。
「そうしてやりたいのはやまやまなのだが、事実、わたし達はそのようなものを盗んでおらぬのだよ。お嬢さん」
「じゃあ、ロマリアの王様が嘘ついてるってこと? それともボケたとか?」
「国王陛下に限ってそのような――」
「ダムラス=マッケンダウ殿。ほれ」
 ヘンリーが何がしかの名を口にし、頭部大の何かを包んだ布を放り投げる。その呼びかけに過敏に反応するのは盗賊一同。
 そして、カンダタに向けて放られた包み布は彼の腕に納まる。
「なぜ、その名を?」
「そん中に入っているブツと手紙を見ろ。それで分かるよ」
 言われ、カンダタは包み布を剥いでいく。そして、衆目に晒された物は――
「黄金色の……冠……?」
「これは…… では貴方は」
「手紙も読んでみな。自分で話すのは面倒だ」
 探ると、確かに小さな紙片があった。カンダタはそれを広げ、文字を瞳に入れる。
 ――ダムラスよ。オルテガ殿の息子、ジアン殿が旅に出る。御主が黄金の冠を盗んだことにして追わせるゆえ、力を見極めてくれ。旅立って無駄死にするだけだと判断したなら、その旨を綴った手紙を使者のヘンリー殿に託せ。頼む。
「……なるほど。そういうことであったか」
「それで? 手紙、書くかい?」
「いや。色々と引っかかりはするが……実力には問題はないだろう。国王陛下には冠のみを返還して頂こう」
「わかった」
 ヘンリーとカンダタがそのようなやり取りをしている一方で、カリーヌが眉を顰める。
「……意味判んないんだけど。ダモダモ=マッカッカって誰?」
「ダムラス=マッケンダウだよ。カリーヌ」
「そうそれ……って、ジアン知ってるの?」
 声をかけられると、ジアンは小さく笑んで、床に腰を下ろしたまま口を開く。まだ本調子ではないのかもしれない。
「名前を聞いたことがあるくらいだけどね。ダムラス様はロマリアの英雄。父さん、サイモン様と並ぶ勇敢な戦士……ですよね?」
「面と向ってそのようなことを言われると、照れるな」
 視線を向けられたカンダタ――ダムラスは、口の端を持ち上げて笑い、言った。
「……でも、その英雄が何で盗賊をしてるの?」
「それは……さあ? 前に話を聞いた時には、ロマリアの兵士長だって話だったけど――」
「この盗賊団は何者にも縛られない戦士の集まりなのさ!」
 ジアンの言葉を遮り、盗賊の一人が声を上げる。
「ロマリアの兵士長を勤めていたのでは自由にお動きになれない場面もある。それゆえ、ダムラス様は兵士長という身分を捨て、どの国にも依存しない自由な集団を作り上げた。それがカンダタ盗賊団」
「ある時は義賊として金持ちから金品を奪い、貧しい者達に分け与える」
「ある時は戦士として魔物から人々を護る。ロマリア領のみならず、ポルトガ領、イシス領、少し遠出してダーマ領の村々に出る時もあるんだぞ」
「ふーん。何か凄いね」
 口々に、誇らしげに言った盗賊たちを瞳にいれ、カリーヌは呟く。そして、少し考え込んで疑問を口にする。
「で、貴方達も元兵士なの。? こんなにいっぱい辞めて、ロマリア国も困ったんじゃない?」
 カリーヌがざっと視線を巡らすと、ここに集っているだけで盗賊は百人に到達しそうなほどだ。なるほど、これが全て兵士を辞めて盗賊になったというならば、ロマリアはさぞ困ったことだろう。しかし……
「いや。俺たちは傭兵崩れ、もしくは、元から盗賊だったんだ。多かれ少なかれ、悪事を働いていた連中ばかりだ」
「そうなの? そのわりに、あのダムラスっていうおっさんへの忠誠度がパないっていうか……」
「まあ皆、ダムラス様には世話になったからな……というか、このガキ! ダムラス様をおッさん呼ばわりするとは何事だ!」
 声を荒げる盗賊。
「そっちこそ! レディを捕まえてガキとは何事よ!」
 やはり声を荒げるカリーヌ。
「何がレディだ! 出るとこも出てない上に色気すらもない状態でよくそんなことが言えるな!」
「……盗賊なら殺して突き出せば報奨金が出るんだっけ?」
「カ、カリーヌ。何を怒ってるのか知らないけど、落ち着こう、ね?」
 怪我人の必死の説得で、その場は何とか納まった。

「あいつら、元気だな。ジアンくんなんか死に掛けたってのに。最近年のせいか、直ぐに疲れちまう」
「君はそれほど年をとっているように見えんが」
「そうでもないんだよ、ダムラスくん」
「……その名は捨てたものでね。よければカンダタと呼んでくれ」
 苦笑して言ったカンダタを目にし、ヘンリーは無表情で続ける。
「国王殺しダムラスの名が疎ましいかい?」
「知っていたか」
 これまた苦笑して呟くカンダタ。
「それなりに有名な話だからな。他国から来たジアンくんやカリーヌは知らないだろうが…… しかし、今の国王の父親を殺したのがあんただろう? そのわりに国王から頼まれごとをされるとは、どういうことだ?」
「先代様は戦を好む方でな。領土を広げるためにポルトガと戦を繰り広げ、それだけでなく、モンスターの軍勢に戦いを挑もうと何度も提言し、実行に移された。勿論、それならば勇猛果敢な賢王と言えようが……」
「下々の事情なんぞ無視してた、といったところか?」
「……ああ。兵は幾名も亡くなり、生き残った者も疲弊していた。戦などできる状態ではなかった。そういった状況になると、先代様は十五歳以上の成人男子を徴兵することを法で決められた。表立って文句はでずとも、国民の不満は頂点に達していた。もう、限界だったのだ」
「それで、か。それはあんたの意志かい? それとも、父を止めようとする子の決意かい?」
「……口にせぬ方がよいこともあるさ」
「そうかもな。どんな事情であれ、罪は罪か」
「ああ」
 ジアン、カリーヌと盗賊達が騒々しくしている一方で、男性二名はどこを見詰めるでもなく視線を送り、思索にふけった。

 城下町へと転移魔法ルーラで帰ってきたジアン達は、さっそく王城へ向い冠を返還した。王はヘンリーがジアンと共にいることに瞠目していたが、特に言及しなかった。そして、冗談とも本気ともとれる口調でジアンに、一日だけ王を体験してみないか、と訊いていたが、ジアンが丁重に断ることでその話は終わった。そこで、更にジアンは、船を貸してもらえないか、と願い出たのだが、それもまた、王に断られた。色々と言い訳を並べていたが、要するに、それほど親しくしてもいない国の者に船を貸し与えることはできない、とのことだった。そうして、謁見は終わり、ジアン達は城下町を散策していた。
「わぁ。これ可愛い。あ、こっちも。さすが都会ねー。色々あるなー」
 歓声を上げながら店を転々とするカリーヌを追いつつ、ジアンとヘンリーは共に歩みを進めていた。そして、ヘンリーが徐に口を開く。
「なぁ、ジアンくん」
「何ですか?」
「俺も君らと共に行っていいか?」
「え?」
 驚いた表情を浮かべ、ジアンが訊き返した。
 すると、ヘンリーは苦笑して指で頬をかく。
「やはり俺は嫌われてるか。いや、迷惑なら断ってくれて一向に構わないんだが……」
「あ、いえ。そうではなくて、僕の方こそ嫌われてるかと思っていましたから。色々言われたし」
 ジアンの言葉を耳にし、ヘンリーは自身の発言を省みる。そうして、それもそうかと納得し、苦笑した。
「いや。そんなことはないよ。確かに、君の考え方の一部は気に食わない。しかし、人の好き嫌いはそれだけで決まるものではないだろう? ある一点が気に食わぬというだけで、その人物の全てを嫌うなんて、狭窄的にも程がある。違うかい?」
 ジアンは頷く。
 ヘンリーは更に続ける。
「それに、仮に俺が君を嫌いだとして、それで旅に同行しない決定的な理由ともなり得ないだろう? どんなに気の合わない相手だったとしても、目的があるのならば我慢もするさ」
「目的? あの、ヘンリーさんの目的って?」
「おっと。『さん』は止めよう。敬語もいらない。俺もこれからは、君のことをジアンと呼ばせてもらう」
「……うん。わかったよ。それで、ヘンリーの目的って?」
 訊かれたヘンリーは、悪戯っぽく笑う。そして、
「そうだな。面白そうだから、とでもしておこうか」
「……それって目的っていうのかな?」
 苦笑したジアンに、ヘンリーはおかしそうに笑う。そして、真っ直ぐと見詰め返し、
「さてね」
 微笑みながらそうとだけ言った。
「ジアーン! これ! これ欲しい! 買ってー!」
 そこでカリーヌがジアンを呼んだ。店先で用途の不明な木彫りの熊を掲げて騒いでいた。
 ジアンは懐から財布を取り出しつつ、そちらに向かう。

「なあ、オルテガ。何もが、誰もが、いつかは朽ちるこの理の中で、お前の子はどれだけのことができるのだろうな」
 透き通る蒼天を仰ぎ、青年は寂しそうに笑った。