Chapter03.人と人ならざるものの世
ロマリア城から旅人らしき一団が出てくる。
緩く結んだ茶の長髪を揺らす少年。毛先が外にはねている黒髪の少女。どこか胡散臭い笑みを浮かべる青年。紫の髪を首の後ろで結んでいる女性。
以上、計四名である。
そして、彼ら四名は道行く人々の注目を浴びていた。というのも、彼らがここ最近で二つもの偉業を成し遂げているためだ。
それらの偉業に簡単に触れることにしよう。
彼らは、ひと月程前には、かの有名な盗賊団カンダタ一味を懲らしめ、奪われていたロマリア王の冠を取り戻した。更に十日程前には、エルフの呪いを受けていたノアニールの民を見事に救った。
そういったわけで、先程ロマリア城から出てきた者達は、ここロマリア城下ではすっかり有名人なのである。
しかし、当の本人達は周りの視線などどこ吹く風で、ごく普通に会話をしている。
「カザーブ支援金の約束、上手く取り付けられてよかったね」
「うん。ヘンリーのおかげだよ。さすが商人だけあって、口が上手いよね」
「はっはっはっ。もっと褒めてくれてもいいぞ」
得意げに笑う青年――ヘンリー。
そんな彼を横目で見やり、紫髪の女性が口を開く。
「というか、お前。商人だったのか。見えないわね」
「ん、そういえば、リジエルちゃんにはちゃんと自己紹か――うわっ!」
女性がヘンリーの足を払う。ヘンリーは突然のことに、回避行動をとる暇もなく、地面と口付けを交わす。
そして――
「ちょ…… リジー、そこまでする?」
「鬱陶しい呼び方する男は、足蹴にしてもいいっていう法律があるのを知らないの?」
リジーと呼ばれた女性が、地面に転がったヘンリーの頭を踏みつけつつ、言い切った。
「へぇ。そんな法律があるんだ」
「いや、ジアン。あんな口からでまかせ、信じないでよ」
素直に感心している少年――ジアンに、疲れた瞳を向ける少女。彼女の名は、カリーヌという。
彼らの遣り取りに嘆息しながら、リジーは足をヘンリーの頭から退ける。
ヘンリーはむっくと起き上がり、埃を払いながら立ち上がる。
「いたた。……さすがに頭を踏むのはどうかと思うんだが」
「踏まれたくないのなら、気持ち悪い呼び方は今後しないことね」
言われると、ヘンリーは苦笑しつつ、気をつけよう、と口にし、それから改めて話し出した。
「でだ。会ってもう十日くらいは経つのに、実は職業紹介すらまともにしてないことが判明したわけだし、ここで改めて自己紹介といかないか?」
「は? 何それ。だる」
「いいね。やろう、やろう」
「あたしも賛成ー」
リジーが面倒そうな表情を浮かべるが、他二名は著しくノリ気だ。そして、ジアンが口火を切る。
「えーと、名前はジアン。ジアン=ベーティアム。十六歳です。職業が勇者っていうのも変だし、剣士かな? あ、けど、魔法もちょっと使えるから、魔法剣士? それで、えっと、目標は、誰も悲しまない世界を造ることです。よろしく」
「はい。我らが勇者様の自己紹介でした。そこはかとなく拍手で宜しく」
ぱちぱちぱち。
カリーヌとヘンリーが普通に拍手し、リジーは一本締めのようにパンと一度手を叩く。
続けて、カリーヌが話し出した。
「カリーヌ=ミストリーネです。アリアハン領のレーベ村出身で、ジアンと同じ十六歳よ。技術僧侶だけど、職業僧侶になる気はあまりないかな。神様とか信じてないし。えっと、そんなとこ? よろしくー」
ちなみに技術僧侶というのは、僧侶が使えるとされる回復魔法や補助魔法、それと少しの攻撃魔法を扱える者のことを言う。これと対比して、職業僧侶と呼ばれる者達もいる。神父やシスターを務める者達の総称であり、こちらは魔法を使えない者であってもなることができる。しかし、教会の神父などは技術僧侶でもある場合が多い。そこには、回復魔法のようなわかり易い奇跡の御手があった方が、お布施の額が多くなるという俗っぽい理由があったりもする。
それはともかくとして、安堵したように胸を撫で下ろしているカリーヌに、ジアンが小首を傾げて訊く。
「目標は?」
「え? それ言わないと駄目なの? えっと…… 技術僧侶として、少なくとも回復魔法は極めたいです。それで、できるだけ沢山の命を救いたい、かな」
ぱちぱちぱち。
ジアンとヘンリーがにこやかに手を叩く中で、リジーはぱちっと指を鳴らすだけだった。しかし、誰もが彼女のそういった様子に慣れているのだろう。特に反応はしない。
ヘンリーがこほんと咳払いをし、言葉を紡ぐ。
「ヘンリー=グランディンだ。歳は――まあ、二十七くらいにしとこうか。一応、流浪の商人をしている。とはいえ、商品の持ち合わせはないがな。あー、目標か。目標は世界征服。宜しく頼む」
ぱちぱちぱち。
ジアンだけが普通の拍手を送る。
「リジーはともかく、カリーヌはどうして拍手なしなんだ?」
思わず訊くヘンリー。
カリーヌは親指を立てて、答える。
「最後の世界征服ですべってたから!」
苦笑し、ヘンリーは、そいつは手厳しい、と呟く。そして、それからリジーに瞳を向ける。
リジーは、ため息をついてから口を開いた。
「リジエル=ボーデリアン。二十四歳。賢者よ。目標は、生身の人間千人斬り。宜しくしてくれなくてもいいわ」
ぱちぱちぱち。
今度は、ヘンリーだけが拍手を送る。
「あら。どうかした? 随分と拍手が少ないようね」
リジーが意地の悪い笑みを浮かべて言うと、カリーヌがこめかみを押さえつつ、言葉を紡ぐ。
「まあ、目標に関しては突っ込むのも今更なんで、無視るとして…… リジーって賢者なの?」
「僕は目標を流すつもりは――ぐ」
そこでジアンの言葉は、カリーヌによるわき腹へのひじてつ一発で遮られた。彼はうずくまり、地味に痛がっている。
カリーヌとしては、話を混ぜっ返されて、賢者云々の話がお流れになるのを避けたかったのだろう。
リジーもまた、ジアンの鬱陶しい追求を受けなくて済むのをこれ幸いとばかりに、その光景を無視する。
「ええ、一応ね。以前は戦士だったんだけれど、より効率的に殺しをするなら、斧だけよりも魔法が使えた方がいいと思って、ダーマで数ヶ月、魔法の修行をしたのよ。そしたら、鬱陶しいおっさんどもが、君は賢者の素質がある、とか騒ぎ出して、なし崩し的に賢者になったわ」
「なし崩し的に…… 賢者ってそんな簡単になれるんだ」
呟いたカリーヌに、ヘンリーが訂正を入れる。
「そんなことはないな。賢者として認定されているのは現在五名だという。それを鑑みれば、簡単にはなれないだろう」
「けど、コレがなってるよ」
「コレはこう見えて優秀なんだろう。まあ、性格に難があっても、技術力はありそうだしな」
好き勝手言っている二名に、リジーは渋い顔を向け、それでも、特別何も言わない。そして、未だうずくまっているジアンに声をかける。
「ところで、ジアン。これでウザい自己紹介は済んだわけだし、これからどこに行くのか決めましょう。なるべくモンスターの強い場所がいいわ」
言葉を向けられたジアンは、こほっと一度咳き込んでから、視線をリジーへ向ける。そして、口を開いた。
「え? ああ、うん。僕は、次はポルトガに行こうと思ってるんだけど」
「ポルトガ? あっちは城下と小さな村しかないから、行っても殺りがいのあるのがいそうにないわね……」
眉を顰めて言うリジーに、カリーヌが呆れた瞳を向ける。
「これまた今更だけど、判断基準がおかしすぎ。って、リジーに突っ込むのはこれくらいにして……と。ジアン。何で、ポルトガ?」
訊かれたジアンは、右手の人差し指を立てて説明を始める。
「陸路の旅には限界があるからね。船をもらえないかと思って。結局、ロマリアの王様には断られたし」
「あぁ、そういえば、この前の冠騒動の時に断られたよね。ていうか、ケチだよねぇ。船くらいくれればいいのに」
カリーヌの言葉に、ヘンリーが苦笑する。
「そう言うな。この国は、反アリアハンではないが、それでも親交国ってわけでもないんだ。船一隻をぽんとくれやしないさ」
「そうだね。けど、ポルトガはアリアハンと親交関係にあるから、きっと……」
「へぇ。ポルトガってそうなんだ」
「ポルトガ国には、二百年前くらいにアリアハンの王族がお嫁さんに行ったことがあるんだって。それ以来、親密に付き合ってるってシャルが言ってたよ」
ジアンが答えた。
彼の言葉にあったシャルというのは、アリアハンの現在の国王であるシャルリード=レン=アリアハンのことである。シャルリードはジアンよりも二つ年上の十八歳ではあるが、中々に聡明な王であると評判だ。
さて、そのまま、ジアンの意見を採用し、ポルトガ行きが決定しようとしたその時――
「割り込み失礼する。残念なのだが、ポルトガには今入国できないだろう」
声をかけてきたのは、既に四十に達していそうな中年男性。長身の体は引き締まっており、短く刈られた黒髪と毅然とした黒の瞳が印象的だ。また、一歩一歩進む挙動からも、まるで軍隊上がりであるかのような厳しさを受ける。
「あ、カンダタさん」
「市街ではその呼び名は勘弁してもらいたいものだな」
男性――カンダタが口元を歪めて言うと、カリーヌは慌てて口を押さえる。
「じゃあ、本名のダムラス=マッケンダウ殿とお呼びすればいいのか?」
「ふっ。それはそれで困るな。まあ、オッサンとでも呼べばいい」
二名程は、その呼び方はちょっと、と戸惑ったのだが、他二名はすんなりと受け入れる。
「てか、オッサン。あんたの本名って確か……」
「ああ、君はこの前いなかったな。とはいえ、わたしの名前は聞いたことがあるか。恐らく、君が想像している人物とわたしは同一だ」
「そいつは有名人ね、オッサン。てか、そうなるとこんなとこにいていいわけ? この街じゃ、どう考えても面が割れてんじゃない?」
「兵士が来るようなら逃げるさ。それよりも――」
「ポルトガに行けないって、どういうことなんですか?」
ジアンが訊くと、カンダタは言葉を選び、語る。
「関所が閉ざされているからだ。そして、その理由としては、ロマリアが約束を破ったことが挙げられる」
カリーヌは、関所が、と呟き、それから、続けて訊く。
「約束って?」
「数年前に締結された不可侵条約だ。ロマリアとポルトガは昔から仲が悪いのだが、モンスターの攻勢が激しくなったことでその条約が結ばれた。国同士で小競り合いなぞやっている場合ではないと判断したのだ。しかし、ついふた月前に、ロマリアの特命部隊がポルトガの一村落を襲撃した、と考えられている」
「考えられている?」
カンダタの妙な物言いにジアンが声を上げると、彼は小さく頷いた。
「確かな情報ではないのだ。現場にロマリアの兵士に支給されている兜が残されていたのだが、流石に露骨過ぎる。敵対意識丸出しのポルトガであっても疑う。そうなると、不可侵条約を破ったという理由で即戦争とはならない――が、それでも仲良しこよしとはいかん。ロマリア国の関与が断定できなくとも、ポルトガは一応の措置として関所の完全封鎖に踏み出した」
「そこはロマリアの関係者でないと証明しても通れないのか?」
「無理だな。そもそも、関所の扉が完全に閉ざされ、ロマリア側には扉番すらいない。無理に爆発系の魔法でもぶつければ通れるかも知れんが、それこそ戦争を引き起こしかねない」
「ふむ……」
ヘンリーが考え込む。そして、ジアンに瞳を向けて声をかけた。
「もうしばらく経てば状況も落ち着くかも知れないが、今すぐポルトガに行くのは無理そうだぞ。どうする?」
訊かれた当人は、しかし、その呼び掛けには応えず、カンダタに言葉を向ける。
「襲撃された村はどうなったんですか?」
誰もが息を吐いた。
カンダタはジアンを真っ直ぐと見つめ、応える。しかし、明確な答えを口にはしない。
「君が気にすることではない。これは、ロマリアとポルトガの問題だ。アリアハンの者が口をはさむな」
「……わかりました」
ジアンは俯き、そう搾り出した。カンダタの物言いから、村がどうなったのかを知れたからだろう。しかし、歯を食いしばり、なんとか雫をこぼすことだけは避けた。
そして、ヘンリーに向き直り、先の問いに答える。
「ポルトガに行けないなら、他に陸続きなのはイシス国くらいだよね。あそこはバラモスがいるネクロゴンドの大地に近いから、情報収集にいいかも知れない。行こう」
「ま、妥当か」
簡単に相槌を打つ、ヘンリー。
「強い魔物がイシスを強襲――なんていう展開があればいいわね。偶に強敵を斬らないと、人を斬りたくなるのよねぇ。ふふふふふふふ」
危ない反応をするリジー。
そして――
「……なに? カリーヌ」
「ん。珍しく耐えてたから、頑張ったで賞。けどまぁ、泣く時は泣いていいからね」
ジアンの頭を背伸びして撫でながら、カリーヌは笑った。
撫でられている勇者も軽く笑み、口を開く。
「ありがとう」
ジアン達はロマリア城下から北東へ向かった。そこには、ロマリア国とイシス国を分かつ関所があった。こちらの二国は仲がよくも悪くもない、ごく普通の国交状況であるため、名前を書いて越境するだけである。
「ジアンさん。カリーヌさん。ヘンリーさん。ジルさん。それから、ダントンさんですね。では、これで手続きは終了です。どうぞ、よい旅路を」
「ありがとうございます」
「どもー」
それぞれが書いた氏名に目を通し、係員の女性が笑顔で送り出す。
応えたのはジアンとカリーヌだ。
ちなみに、ジルとはリジーの偽名で、ダントンとはカンダタの偽名だ。それぞれ、前科もちということで一応偽名を使った。
そして、関所を越え、そこから充分に離れたころ――
「というか、今更だが、オッサンはどうして一緒に来ているんだ?」
「市街ではないのだから、もうオッサンは止めてくれるか……」
ヘンリーの呼び掛けに、カンダタは苦笑して返す。しかし、直ぐに表情を硬くし、応える。
「君らの様子が気になるという野次馬根性もあるのだが、それだけでなく、イシス国の状況を調査するという目的もある。こちらはしばしば、バラモスから進軍予告を受けているという話であるし、場合によってはわたし達もこちらへ拠点を移し、支援すべきだろう」
彼の言葉に、一同の表情が引き締まる。
彼の言うとおり、ここイシス国はネクロゴンドの大地に近いだけあって、モンスターの軍隊に攻められることが多い。つい半月程前にも、バラモスから進軍予告の書状を受け取り、南方の山麓付近を拠点に迎え撃った。
ネクロゴンドの大地は高い山々に囲まれているだけあって、そういった際にこちらへ攻め入ってくるのはたいがい空を飛ぶ魔物となる。そして、それらを迎え撃つゆえか、イシス国には遠距離攻撃魔法を得意とする優秀な技術魔法使い、技術僧侶が多くいる。
「そいつはご立派な話だが、あんたのとこに技術魔法使いとかいるのかい? ここらの戦闘じゃ、あんたみたいな近距離戦向けの奴らは役に立たん場合が多いだろう?」
「一応だが、技術魔法使いは数名いる。技術僧侶も一人。魔法使いは全員ラリホーを使えるため、わたし達でもやりようはある」
「ああ、まず眠らせて落っことし…… ってことか」
ヘンリーの相槌に、カンダタは肯く。
しかし、直ぐに相好を崩して、彼は口を開く。
「とはいえ、イシスの魔法部隊は優秀という話だからな。わたし達、部外者がわざわざでしゃばる必要もないとは思うが……」
遥か南方を覆う稜線に視線を送りつつ、カンダタが呟く。
そして、その一方で、ジアンは人知れず決意を固める。今のところ、そのことに気付く者はいなかった。
イシス国領アッサラーム街に到着したのは夕暮れ時であった。夜の街としてはまだまだこれからという時間帯であったが、既に人の波がごった返していた。
「ま、即行で宿屋ってことでいいよな? お子様二人連れて徘徊するような街じゃないだろ」
「私はそれでいいわ。こう人が多いと、ぶった斬りたくなるし」
「わたしは少し別行動をさせてもらおう。では」
ヘンリーが提案すると、お子様二人は仲良く首を傾げ、リジー、カンダタは先のように反応した。
そして、カンダタは早々に人ごみの中へと消えていく。
「情報収集かな?」
「申し訳程度とはいえ、盗みをする人な割に真面目よね。あの人」
尊敬の眼差しを向けているお子様二人に、ヘンリーが意地の悪い笑みを浮かべる。
そして、路上で客引きをしている露出度の高い女性を瞳に入れ、口を開く。
「いやいや。真面目な顔して、あそこにいるお姉さんみたいな人のところにいったかも知れないぞ」
「? あのお姉さんって何してるの、ヘンリー」
よく判らない、といった表情でジアンが訊く。隣のカリーヌも首を傾げている。
「何って、パフパフ嬢でしょ。店によってはそれ以上もあるだろうけど」
応えたのは、斧を振り回したくてうずうずしているリジーだった。目つきは完全に危ない人物である。一行のまわりだけひらけているのは、ひとえに彼女のおかげであろう。
と、それはともかく、彼女のその発言に、やはりジアン、カリーヌは首を傾げる。そして、全く同じタイミングで言葉を吐いた。
『パフパフってなぁに? あと、それ以上って?』
大人二名は、特にヘンリーは、お子様の純粋な疑問によって、穢れきった心を悔い改めたとか改めなかったとか……
こんこんこん。
がちゃ。
「ん…… 何よ?」
ノックを受け扉を開けると、リジーの部屋の前にはヘンリーがいた。
彼は周りを気にしながら口を開く。
「……ジアンとカリーヌはいないか?」
「私の部屋に好んで来るわけないじゃない。つか、あんたこそ何の用なわけ?」
「そうか…… あ、いや。用というか、これから出かけるんで言付けに来たんだ。そういうわけで、あいつらに俺が何処行ったか訊かれたら、適当に答えといてくれ」
「そんなん、てめえで…… ああ、なるほど。お子様どもを穢さないようにって配慮?」
「そういうことだ。じゃ、行ってくる」
うきうきとした様子で去っていくヘンリーを、リジーは呆れを多分に含んだ瞳で見送り、そして、部屋に引っ込んだ。
それからしばらくして、こっそりと宿に帰ってきたヘンリーは、なぜかしょんぼりしていたという。
そしてその晩、彼の部屋からは、おっさんは嫌だぁおっさんは嫌だぁ、という呻き声が聞こえたとか、聞こえなかったとか。まあ、今後の旅とは一切関係がない、蛇足的エピソードである。
明くる日、一行は砂漠地帯へと入った。フード付きのゆったりとしたローブを見に纏い、直射日光を避けての行軍となる。当然乾燥しているため、湿気により伴う不快感はないが、それでも照りつける太陽光が皆を苦しめた。
「あついぃ。あついよぉ。へんりー。おみず……」
「我慢しろ。お前さっきも飲んだだろう。節約しないと直ぐになくなるぞ」
「うぅ…… それはそうだけど」
注意されると、カリーヌは俯いて呟く。
「では、途中で一度休憩を挟むか。幸い、あと少し行くと老人が一人で住んでいる祠があるはずだ。そこで休ませて貰おう」
カンダタが声をかけると、カリーヌは瞳に力を取り戻し、そして、問いを投げかける。
「こんなところに一人で住んでるの?」
「そのようだな。まあ、わたしもアッサラームで聞き及んだだけだが、デマカセということもないだろう。ちなみに、そこに住む老人は、訪問者に必ずと言っていい程、不思議な鍵の話をするのだという」
その言葉に、今度はジアンが首を傾げる。
「不思議な鍵、ですか?」
「ああ。わたしもよくは判らないのだが、魔法の鍵と呼ばれるものの存在について、具に教えてくれるとのことだ。まあ、休憩ついでに聞いてみるのもいいだろう」
カンダタがそのように結ぶと、全員先程までよりも、幾分強い歩調で進み始める。目標が近く設定されたため、少しばかり元気が戻ったのだろう。
そうして、数十分かけて歩いていくと、視線の先に石造りの小さな建物が見えてきた。周りを沼地に囲まれているが、それ程深くもないため、難なく渡ることができる。一行は、我先にと競いつつ、目標に飛び込んだ。
「魔法の鍵とは物理的な結合を開くための鍵じゃ。例えば、人の体に差して捻れば、人の体が裂ける。使い方によっては恐ろしいことになる、そんな道具じゃ。その力を危険視した先々代の女王が、ピラミッドの奥にある王族のみが入れるとされる、とある一室に魔法の鍵を持ったままでこもり、そのまま亡くなられた。それゆえ、鍵はピラミッドで誰に侵されることもなく、眠っておる」
祠に避難すると、そこの住人である老人はゆっくりとした口調で語った。誰が訊いたわけでもないというのに……
「もうろくしてんのか、じじい」
「ちょ! リジー!」
カリーヌが注意を促すと、リジーは口を噤んだ。とはいえ、悪びれした様子は全くない。
「失礼、老人。大変興味深いお話だが、貴方は何処でそのような……? そう易々と知れる情報でもあるまい。それを、アッサラームで聞き及んだ限りでは、訪れる者達全てにしているとか」
と、そこで気まずい空気を振り払うように、カンダタが訊いた。
老人はおかしそうに瞳を細め、口を開く。
「わしは昔、イシス王家に仕える学者じゃった。その折に文献から魔法の鍵の記述を見つけたのじゃよ。こうして訪れた者に遍く伝えておるのは、まあ、知っている知識をひけらかしたいという欲求の為せる技かのぉ。なに。誰がピラミッドへ赴いたところで、魔法の鍵は入手できやせん。悪用もされんて。安心せえ」
言い切ると、かっかっかっ、と老獪に笑う。そして老人は、保管している水を取りに行くと言って、奥へと向かった。
ジアンとカリーヌがそれを手伝おうと後を追い、座には大人三名が残された。
「あの爺さん、どう思う?」
「どう思うも何も、魔法の鍵を取りに行くようにたきつけてるのは確実じゃね? ま、私は斧で直接ぶった斬る方が好みなんで、鍵なぞには興味ないけど」
「旅人に情報を与え、戦に有利になりそうな道具を取ってこさせようというところか…… しかし、誰が主導だ? イシス政府ということはあるまい。王族が入れるというなら、イシス国の女王が入る方法を知っているはずだ。わざわざ、このような真似をするはずもない」
カンダタの言葉に、ヘンリーが頷く。
そして、それを見て取ると、カンダタは少しばかり考え込み、更に続ける。
「老人が個人的に、ということもあり得るな。国の学者だった人間がこんな辺鄙な祠にいるのは妙だ。魔法の鍵に関する妙な論説でも唱え、国を追放されたとかではないだろうか? そして、意地になって手に入れようとしている」
「それにしては、旅人に聞かせまくるってのも意味不明だけど。誰か信頼できる奴に依頼した方がよさそうなもんじゃね?」
「ふむ。それもそうか……」
リジーの意見を耳に入れ、再び考え込むカンダタ。
直ぐに老人とジアン達が戻ってきたため、その話はそこで終わった。
そして、水を頂いてしばらく休むと、一行は再度照りつける陽光を受け、イシスへと向かった。
イシス国はオアシスの近くに在った。しばしばモンスターの軍隊と交戦している国というわりに、人々の表情は明るく、しかも驚いたことに、ロマリア同様に賭場までもが存在した。建物は石造りのものばかりで、通気性を重視していることが伺える。全体的に区画整理が為されていて、美しい。
そして、そのような街並みの美しさなど問題ではない程に美しいと噂されるのは、この国の女王マティリア=カー=イシスである。彼女の年齢ははっきりと知れていないのではあるが、見ようによっては十代のあどけない少女にも見えるし、二十代半ばの艶やかな女性のようにも見える。そのような魔性の美貌を因として、彼女は幅広い男性層の支持を取り付け、それでいて、国を率いる才覚を因として、女性の支持をも取り付けている。
そんな女王のもとを、ジアンとカリーヌが訪れた。
「アリアハンからいらしたジアン殿とカリーヌ殿でしたね。わたくしにどのような御用でしょう?」
声をかけられると、ジアンが一度礼をして、話し始める。
「街で噂されていたのですが、明日の正午からモンスター軍の侵攻があると聞きました。僕をその討伐軍に参加させて頂けないでしょうか?」
女王は瞠目し、言の葉を紡ぐ。
「なぜそのようなことを? そうしていただけるのであれば、こちらとしては助かりますが、しかし、貴方がわたくし達を助ける理由がないように思えます」
「理由はあります。全ての生命を護る。それが僕の目指すこと。それゆえです」
決してお邪魔はしません、と結んだジアンに、女王は細めた瞳を向け、『全ての』生命ですか、と呟く。ジアンと女王はしばし見つめあい、そして、女王が微笑んだ。
「いいでしょう。わたくし達が護るものと、貴方が護るもの。同じものなのかは判りませんが、真っ直ぐな貴方の瞳を、信じます。貴方の為すことが、例え人の反発を受けようと、結果として全てのもののために為されることなのだと、そう信じましょう。やってみなさい。オルテガ=ベーティアムの子、ジアン」
「あれ? ジアン。オルテガさんの子供だって言ったっけ?」
カリーヌが思わず呟くと、ジアンは不思議そうに首を振り、女王を見た。
女王は口元を隠し、可笑しそうにくすくすと笑いながら、続けた。
「オルテガはアリアハン主導で十一年前に行われた討魔戦争の中心人物です。当時、わたくしは小娘でしたが、父上に連れられて前線に赴いておりました。オルテガは可能な限りの生命を救っていました。人も、モンスターも。だから、貴方が『全ての生命』を護ると、強い意志のもとで口にする様子を目にし、彼を思い出したのです。もっとも、親子かどうかまでは判りませんでしたが、先程の様子では合っていたようですね」
どうやらカマをかけたらしい。意外に茶目っ気があるようだ。
「まん丸ボタンはおひさまボタン。小さなボタンでとびらが開く。はじめは東、次は西」
と、そこで突然、子供二人が何やら歌いながら駆けて来た。
その後を一人の女性が追う。
「こら! 今はマティリア様が大事な御用時の最中なんだから、大人しくしてなさい!」
「ああ、いいのですよ」
「マティリア様…… しかし」
「子供が笑顔で楽しく過ごせることこそ、正しき国の姿。そうは思いませんか?」
問いかけられると、ジアンは微笑んだ。
「ええ」
「ねえ、その歌なんて歌なの?」
カリーヌが訊くと、子供たちは顔を見合わせてから、応える。
「とっても古ーい歌なんだって。女王さまに教えてもらったの」
「でも名前は知らないの」
子供達が揃って女王を見ると、カリーヌもそちらに瞳を向ける。
女王は困ったように笑い、頭を下げた。
「申し訳ありません。わたくしも歌の名までは…… 小さき頃に聞き及んだだけですので、歌詞もそれで合っているのか判らないくらいです」
「あ、別に、そんなに知りたかったわけじゃないですから、気になさらないで下さい」
恐縮しているマティリアを目にし、カリーヌは彼女以上に恐縮し、声をかける。
すると、マティリアは小さく微笑んで、どうも有難う、と謝辞を述べた。
同性であるカリーヌが、女王の笑顔に見ほれている一方で、ジアンは元気に騒ぐ子供の声を耳に入れながら、明日への士気を高めていた。
それから小一時間ののち、ヘンリーとリジー、カンダタがイシス王城を訪れた。しかし、特に用事はない。カリーヌから女王の美貌を聞き及んだヘンリーが、入国の挨拶をしよう、と言い出したため謁見に来たのだが、実際問題、来る必要は全くない。
それゆえ、彼らは女王を前にしても、適当な挨拶を重ねるくらいしかすることがない。結局、子供たちの歌声を後ろに流しつつ、マティリアの優しい声音と、ヘンリーの浮ついた言葉が飛び交っただけの時間となった。カンダタは小さくため息を吐きつつ、少しばかり呆れ、リジーは子供の五月蝿さにイライラしてストレスをためた。そんな、妙な十数分の謁見だった。
明くる日の早朝、ジアンとカンダタを除く三名はイシスを出立した。目的地は――ピラミッドだ。
彼らの目的は魔法の鍵を手に入れること、と一応なってはいるが、実のところ、リジーをピラミッドに連れ出すための建前に過ぎない。
普段の道中、ジアンは絶えずトヘロスを使用している。トヘロスとは、モンスターが近寄ってこないように聖なる結界を一時的に張るための魔法だ。当然、モンスターと遭遇することはまずない。例え、トヘロスが作り出す結界を抜けてやってくるモンスターがいても、ジアンがリジーの邪魔をしているうちに逃げられる。それゆえ、リジーはジアンと行動を共にするようになってから、人どころかモンスターさえ満足に斬っていない。
そして、このままでは、突然街中で斧を振り回しだしかねないと憂慮したヘンリーが、ピラミッド行きを提案したのだ。ジアンのいないところで存分にモンスターを斬らせて心の平穏を保ってもらおう、という思惑である。
魔法の鍵は、手に入れられたらいいなぁ、くらいの扱いなのである。
「さて、では中に入るとしますか。送ってくれてサンキューな」
『いえ。御武運を』
ヘンリーが声をかけると、ここまで彼らを送ってくれた巨大な蟹は走り去った。流石に、リジーも送ってくれた相手を斬ろうとはしなかった。
「てか、あの緑の蟹。何で送ってくれたの?」
カリーヌが当然の疑問を口にすると、ヘンリーは苦笑して、
「人間に悪い感情を持ってるモンスターなぞ、一部ってことさ。とはいえ今回は、このあいだ助けた蟹も関係しているとは思うがな。横の繋がりってやつだろう」
「ふぅん」
カリーヌは、そういうこともあるか、とすんなり納得し、それからリジーを見た。彼女は、斧をぶんぶんと振り回して、殺る気充分だった。そして、他の者に何も言わずに、ピラミッドに向かって走り出した。
それを瞳に入れて他二名は、これから起こることの大半はジアンに話さないようにしないと、と決意し、殺戮マシーンと化した女性を追った。
ジアンは早朝から、カンダタと共にモンスター軍から指定された戦場に詰めていた。彼らの他にも、イシス国軍の魔法小隊が二十ほど集っている。
戦闘は正午からという話であるが、だからといって、それまでリラックスしていられる訳ではない。作戦の確認や物資の確認など、することは多かった。そして、作戦の確認において、二十の小隊をまとめるよう遣わされた大隊長は、頭を抱えていた。
昨日参加の決まったとある一名が、無茶を言うのだ。
「不殺でこの争いを終えろ、と?」
「はい」
大隊長の問いにジアンが肯くと、小隊長数名が不満の声を上げる。
「そんなことは無理に決まっているだろう! 子供の遊びではないのだぞ!」
「まったくその通りだ! 大隊長! そのような子供のことなど放っておいて、早く作戦の確認を!」
「まあ待て」
口々に、そうだそうだ、と囃す者達を手で制し、大隊長はジアンに瞳を向ける。
「君が女王陛下直々の命によって此度の戦に参加していることを鑑みるに、女王陛下は君に何かを期待しておいでなのだろう。しかし、君の言うことは無茶だ。仮に向こうの――モンスターの生命が失われない結果になったとして、その時、こちらの被害が大きくなってしまったなら、本末転倒だろう? こちらが被害を最小限にするには、やはり向こうの被害が大きくならねばならない。不殺の戦など、無理だ」
大隊長が言い切る。
しかし、ジアンは退かない。
「では、言い方を変えます。人、モンスター、全てのものの生命が脅かされない戦。僕らはそれを目指すべきです」
どよどよどよっ。
先程以上の無茶な言葉に、今度は文句よりもまず、どよめきが起こった。そして、直ぐに罵声が飛ぶ。
「馬鹿なっ!」
「頭がおかしいのかっ!」
「頭がおかしいのは君達の方だと思うがね」
カンダタが言った。
全員がそちらを見やり、目つきを鋭くする。小隊長の一人が詰め寄ろうとする――が、それを制して、大隊長が声をかける。
「今更ではあるが貴方は? 女王陛下からはジアン殿のことしか聞いておらぬが……」
「わたしはジアン君の仲間だ。それよりも、此度の争いはそんなに大きなものなのかな?」
訊かれると、大隊長は首を振るい、否定した。
「いいや。こちらが二十小隊という少ない編成であることからも判るとおり、戦としては小さい。比較するのもおかしな話だが、討魔戦争とは比べ物にならない」
その言を耳に入れると、カンダタは小さく頷く。
「だろうな。そして、小さな戦であれば、いずれの生命も脅かされぬ、そういった可能性を模索することは可能だ」
「そんなことは――」
「いや、可能だ」
再び上がった一人の小隊長の声を、大隊長が遮る。
「大隊長殿?」
「討魔戦争以前、アリアハンの英雄オルテガ殿がイシスを訪れたことがあった。よく覚えている。彼はモンスター達との戦に参加し、いかなる生命も脅かさぬ戦を実現した。ロマリアの英雄、ダムラス殿と共に…… 見覚えがあるとは思っておりましたが、やっと思い出しましたよ。ダムラス殿――ですね?」
大隊長の視線はカンダタに向いている。一同は驚きと共にそちらを見やる。
「今はただの犯罪者だ。名もカンダタと変えた」
「……では、その犯罪者にお訊きしましょう。かつての戦では、貴方とオルテガ殿の凄まじい身体能力がキーとなっておりました。正直、同じ人間なのかと思う程、それ程凄かったと記憶しています。しかし、貴方も歳をとり、加えて、ここにいるのはオルテガ殿ではなく、ジアン殿です。このような少年が当時のオルテガ殿に匹敵するとは到底思えません。それで、彼が言うような戦が可能ですか?」
「さて、どうだろうな。確かに、あの当時のオルテガと比べれば、このジアン君はひよっ子もいいところだ。そして、わたしも全ての能力において衰えている」
肯いたカンダタであったが、直ぐに否定の言葉を紡ぐ。
「しかし、そうは言っても、わたしはまだまだ現役のつもりだ。そして、ジアン君も現在のわたしと同等程度の身体能力、それに加えて、強い魔法の力を有している。信ずるに足るだけの力と、そして、強き想いがあることは、わたしが保証しよう」
…………………………
沈黙が落ちた。
そして、大隊長が代表して訊く。
「具体的な作戦を聞こう。話はそれからではないかね?」
「はい!」
ジアンは喜色を携え頷き、大きく返事をした。
「落ちたね」
「落ちたな」
目の前で落とし穴に落ちるリジーを目にした、カリーヌ、ヘンリー、それぞれのコメントである。
しばし呆然とし、それからゆっくりと穴に近寄る。
『あはははははははははっ! 何ここ! 滅茶苦茶モンスターいるわねっ! 死ね死ね死ね死ね死ねえぇえっ! あはははははははははhっ!』
穴の先に広がる闇からは、元気な声が聞こえてきた。
「下はリジーにとって天国みたいね」
「モンスターの方々にとっては地獄だと思うがな。せめてご冥福を祈ろうじゃないか」
二名は、揃って合掌した。
「トヘロス」
正午を迎えた頃、ジアンが聖なる結界を張る。
既に山頂付近で留まっていた怪鳥や龍の多数が、慌てたようにネクロゴンドの大地へと引き返していく。ジアンの結界に耐えられないもの達は、これで戦線を離脱した。しかし、それでも半数以上のモンスターが留まり、一際大きな怪鳥の喚声を合図に、第一陣が山裾に沿って急降下してくる。
イシス軍の二十の小隊は、横一列に並び、第一列、第二列、第三列、第四列と段組になって構えている。そして、第一列目の者達が、揃って魔力を解き放った。
『ラリホー』
全てとは言わないまでも、第一陣の三分の二程のモンスターが眠りに落ちる。そして、そのまま山裾に体をぶつけ、無残に堕ちる――かと思いきや……
『バシルーラ』
第二列目に控えていた者達が、落ちかけているモンスターに向けて魔法をかける。
バシルーラとは、対象を強制的に転移させる魔法である。今回は、目標はラリホーで落ちかけたモンスター達。そして、その強制転移先は、ネクロゴンド奥地である。ちなみに、ラリホーのかかったモンスター以外に対してもバシルーラをかけた者達もいたのだが、そちらは失敗に終わったようだ。意識のある相手にかけても成功しない場合が多い。バシルーラはそこがネックではあった。
それはともかく、未だ人間側へ襲撃しようと向かってくるモンスターがいる。このままでは、怪鳥の持つ鉤爪に引き裂かれるか、龍に喉笛を噛み付かれるかした者が、命を落とすやも知れなかった。
しかし、まだ第三列目に控える者達がいる。彼らは冷静に呪を紡ぎ――
『ヒャダルコ』
『ヒャダイン』
冷気系の魔法を放つ。
致命傷を受けないまでも、冷気に神経を侵されたモンスター達は、鈍い動きでなおも攻撃を試みる。しかし、その攻撃は第四列目に控えていた戦士兵によって防がれた。
そして、戦士兵はそのまま、モンスターの腹に剣の柄で強烈な一撃を喰らわせた。
モンスターは苦しみ、砂の上に転がり、そして、やはりバシルーラによって、元いた大地へと飛ばされた。
一際大きな怪鳥は、その様子に息を吐き、それから、再び喚声を上げた。
イシス軍とジアン、カンダタは第二陣の襲撃を予想し、身構える――が、その予想に反して、モンスター達は山頂付近で羽ばたき、留まったままであった。
そしてしばらくして、訝しげにしている人間達の元に一匹の怪鳥が舞い来る。
ラリホーを受け付けず、冷気の魔法をものともせず、戦士の一撃を羽ではじく。そして、砂漠に降り立つ。
『此度の戦の長は誰だ』
響いた声は、怪鳥のものだった。
落ちた先から戻ってきたリジーは、返り血を頬に携え、そして、手には黄金に輝く見慣れない武器を携えていた。リジーの談によれば、多くのモンスターがその武器に群がっていたという。そして、彼女がそれを手に取ってからは、彼女にモンスターがどんどんと向かってきて、まさに至福の時を過ごせたという。そのように、珍しくリジーが嬉しそうに語った。
他二名は苦笑と共にそんな彼女を見つめ、せっかくだから奥へも行ってみようと促した。未だ興奮冷めやらぬ様子で、リジーが肯き、先に進む。
ちなみに、リジーが拾った武器は、彼女が落とし穴から下に落とした。持っていても邪魔だろう、とリジーが判断した結果だった。実際、地下を出た瞬間にモンスターが押し寄せてくることもなくなったため、リジー的には既に無用の長物であった。ヘンリーが、高く売れそうなのになぁ、と残念そうに呟いたが、それでも、取りに行こうとまではしなかったため、そのまま先に進む。
一行は右手を壁につき、通路に沿って進む。すると、何個か石の箱を発見した。宝かと思い近寄ると、箱型のモンスターが口を大きく開ける。当然、本物の宝が見つかった以上にリジーが喜び、嬉々として斬り伏せた。合掌。
そうしながら進み、彼らは大きな一枚岩が先を阻んでいる箇所に至る。
「でっかい岩ねぇ。どうやってここに置いたのかしら?」
「さあなぁ。まあ、世の中、不思議なことなんて山とあるんだ。気にしないことが肝要さ。それより、目的のもんはこの先かね」
「目的のものってなんだったかしら?」
包帯がぐるぐる巻かれているミイラ男を斬り、殺り応えがないわ、と呟いていたリジーは、本当に不思議そうに訊いた。
ヘンリーは苦笑し、答える。
「一応、魔法の鍵が目的ではあったんだがな…… まあ、見つからなきゃ見つけずに帰ってもいいわけだが、一応ここを開ける努力くらいはしておこうや」
「でも、こんなの動かせないと思うけど」
カリーヌの言葉を受け、ヘンリーは一枚岩を見上げ、確かになぁ、と呟いた。
そして、沈黙。
しばらくして沈黙を破ったのは、リジーだった。
「あの歌が関係有るんじゃないの。イシスで喧しいガキ共が歌ってた歌。確かアレ、扉が開くとかって歌詞がなかった?」
先程まで違う世界に逝ってしまっていたリジーが鋭い意見を述べたことで、他二名は驚き、おお、と声を上げた。しかし、直ぐに眉を顰める。
「一理あるけど…… あたし、覚えてない」
「俺も。とすると、よし! リジー!」
「何よ」
リジーが訝しげに訊き返す。
すると、カリーヌ、ヘンリーは顔を見合わせてから、せーの、と掛け声をかけ、わざわざ揃えて、言った。
『歌え』
一瞬時が止まり、やがてリジーの口元が動く。
無茶なフリをした二名は身構え――
「いいわよ」
『いいのっ!?』
予想外の返事に声を上げた。
「……自分らで言い出しといて、随分と驚くわね」
「い、いやだって、いつものリジーなら怒って断りそうだし」
「歌うのは嫌いじゃないわ」
「……そうか。まあ、そういうことなら、頼む」
ヘンリーが声をかけると、リジーは肯き、二、三度咳払いをする。そして、旋律を奏でた。
「まん丸ボタンはお日様ボタン♪ 小さなボタンで扉が開くー♪ 初めはひーがし、次は西ー♪」
…………………………ぷっ。
「あっはっはっはっはっはっ! 上手過ぎだろ、おい」
「やば、おか、おかしいっ! 美声すぎー! おなか痛ー」
かちゃ。
「……あんたら……斬るわよ?」
大いに笑っていた二名も、リジーが顔を赤くして斧を構えると、黙った。そして、必死で真面目な顔を作り、考え出す。
「ぼ、ボタンがどうとかって歌みたいね。ボタンを探すといいのかしら」
「……そうだろうな。まずはこのフロアを探してみるか」
そうして、一行は探索を始める。
その最中で、やはりモンスターが襲い来る。しかし、彼らは不幸にも、虫の居所が悪くなっているリジーによって、一瞬で斬り伏せられた。
彼女の斧に斬られる対象であることを避けられたカリーヌ、ヘンリーは、ほっと胸を撫で下ろしながらも、モンスターに心の中で詫びた。
「わ、私がこの軍の司令官だ」
怪鳥の言葉を受け、大隊長が進み出る。
『そなたが、か。では、作戦の発案者もそなたか?』
「いや。この作戦は私が立てたものではない」
『では、誰だ?』
視線がジアンに集まった。
『そなたか?』
怪鳥が訊くと、ジアンはゆっくりと肯いた。
怪鳥は嗤う。
『ククク。このような小僧っ子がな。我はてっきり、オルテガが生きていたのかと思うたわ』
「父を……知っているのですか?」
『ほぉ。何だ、小僧っ子。そなた、オルテガの子か。道理で…… とはいえ、経験の差か…… 詰めは甘そうだ』
その言葉を受け、ジアンが訊く。
「どういうことです?」
『先程のような作戦では、直ぐ様、綻びが生じるということだ。あれより先、他の作戦はあったか?』
「……いいえ」
『やはりな。それでは、我が空高くから魔法を使うよう部下に伝えたらば、それで対処できなくなったであろう。オルテガが為したような死なき戦など、おいそれと出来るわけではない』
怪鳥が宣言すると、人々の間に緊張が走った。
これより先、死有りし戦いとなる。そう宣言されたように感じた。
しかし、怪鳥は人間の予想を裏切った。
『とはいえ、そちらがこちらの死すら厭うというのであれば、我らとて血を流そうという気はない』
「本当ですか、鳥さん!」
ジアンが声をかけると、怪鳥は瞠目し、嗤った。
『はーっはっはっはっはっ! 鳥さんか! こいつは参った! このイカロス、よもや鳥さんなどと呼ばれるとは思わなんだ! なあ、ダムラス!』
「気付いていたか」
怪鳥――イカロスの呼び掛けに、カンダタが苦笑する。
『我は人の区別なぞそうつけられんが、そなたとオルテガ、それからサイモンだけは別だ。人に有るまじき強者どもよ』
「それは光栄だが…… わたしもサイモンも、歳だ。いつまでも強くは在れん」
『ふん。弱気であるな。まあいい。それよりもそなただ』
怪鳥は羽でジアンを指した。
指された当の本人は、瞳をぱちくりと瞬かせ、戸惑う。
「僕ですか」
『ああ、そなた。我と戦うがいい』
怪鳥の登場に呆気に取られていた面々が、その衝撃も覚めやらぬままに声もなく驚く。
ジアンもまた瞠目し、
「どうして……ですか?」
訊いた。
怪鳥は可笑しそうに嗤い、言葉を続けた。
『強き想いを通すにはそれに見合う力が必要だ。これより先、そなたが力なきことで想いを通せぬのであれば、我がここで争いを止める甲斐がない。試させろ。そして、そなたが敗るることあらば、我は、哀れな者どもがそなたの力なき想いに巻き込まれることなき様、そなたを殺そう』
ジアンは再度瞠目し、しかし、直ぐに剣を構えた。
ボタンは四つ見つかった。カリーヌはそれを適当に押そうとしたのだが、ヘンリーが異議を唱える。
「罠があると思った方がいいだろう。ちょっとは慎重になれ」
「んー。じゃあ、どれを押せばいいのよ?」
「それこそ、あの歌の歌詞が関係あるんじゃないか?」
そこでカリーヌ、ヘンリーはリジーに瞳を向ける。
いち早く察したリジーは、鋭い目つきで返す。
「歌わないわよ」
「そう言わず」
「歌わなくても、歌詞だけ教えればいいでしょう」
「それじゃ面白くな――もとい、楽しくないだろ?」
「ヘンリー。言い直した意味ない」
「うおっと。こいつは失言」
二名の遣り取りに、リジーはため息を吐き、そして口を開く。
「歌詞には『初めは東、次は西』とあるわ。順当に考えれば、一番東にあるボタンを押した後、一番西にあるボタンを押せばいいんじゃない?」
「ふむ…… では、カリーヌ行け」
「うわ、ムカつく。けどまあ、年寄りを走らせるのも心苦しいし、大人しく行きますか」
言って、カリーヌは東側にあるボタンを押しに駆けて行く。そして、しばらくすると、一枚岩の前でくつろいでいるヘンリーとリジーの目の前を通り、西側へ駆けて行く。
ちなみに、カリーヌがモンスターに襲われる心配は、恐らくない。先程ボタンの探索を行っている際に、リジーがモンスターに対し、必要以上に襲い掛かったゆえだ。このフロア――いや、寧ろピラミッドに残っているモンスターは、相当少なくなっていることだろう。
ごおぉおおぉお……
突然、一枚岩が動いた。
「開いたー?」
カリーヌがこちらへ駆けて来ながら、訊いた。
「おー。開いた」
「開いたわね」
一行が間抜けな反応をしていると、しゅっと影が、ヘンリーとリジーの間をすり抜ける。そして、一枚岩が塞いでいた部屋へと入っていった。
『にゃははぁ! やったにゃ! 魔法の鍵ゲットだにゃ!』
「ん? あ、空飛ぶ猫だ」
「へ? おー、ホントだ。って、リジー。ちょっと辛抱しようよ」
有翼猫の姿をしたモンスターを瞳を向け、早速斧を構えているリジーに、カリーヌが声をかけた。
リジーは不満げに彼女を見る。
「何でよ」
「明らかに魔法の鍵狙ってたっぽいし、ちょっと事情聞いた方がいいかもじゃない?」
「じゃ、早速訊きましょう。ちょい、猫」
声をかけると、猫はくるっと宙で一回りし、可笑しそうに笑った。
『あっはっはっ! ご苦労だったにゃ! 人間ども! おいらの作戦勝ちにゃ! これで、おいらは魔法使い放題にゃ!』
「作戦勝ち? 魔法使い放題? 何言ってるの?」
カリーヌが疑問を挟むと、猫はにやりと笑って、それから、変身した。
「魔法の鍵はピラミッドにある」
そう言の葉を紡いだのは、砂漠の途中の祠にいた老人だった。しかし、老人は直ぐに、猫に戻った。
『というわけにゃ! 元から、馬鹿な人間に仕掛けを解かせて、それでおいらが横取りするつもりだったんだにゃ!』
「別に、自分で仕掛け解けばよかったんじゃないの?」
もっともな疑問を口にすると、猫は耳を垂れさせた。
『おいらも最初はそうしようと思ったんにゃけど、あのボタン、おいら達モンスターは触れにゃいにゃ。それで――』
「なるほど」
納得すると、カリーヌは更に疑問を口にする。
「じゃあ、魔法使い放題って何のこと? その鍵は確か、物理的結合を開くとか何とかって話じゃなかった?」
『そうにゃ。けど、生き物に使えば魔法の素質を開花させるのにゃ』
「え、でも、人の体に使えば、人が裂けるんじゃ――」
『そんなの嘘にゃ。人間は物騒にゃから、そういう極悪な効果を教えれば、取りに来ると思ったんにゃ』
なるほど、と一行が納得している一方で、猫は更に続ける。
『おいら、仲間が使えるマホトーンすら使えないにゃ。それで苛められてるんにゃ』
耳を垂らし、俯いて言った猫。しかし、直ぐに元気一杯に飛び上がり、宣言する。
『だから、この鍵でマホトーン覚えて、見返してやるんにゃ!』
カリーヌはそんな猫の様子を目にすると、俯き、それからヘンリーを見た。
ヘンリーの瞳に映った彼女の顔には、満面の笑みが浮かんでいた。そして、嬉しそうに言葉を紡ぐ。
「どうしよう、ヘンリー。この子、可愛い」
「まあ、そうだな」
ヘンリーが猫を見る。そして、口の端を上げて、意地悪く笑った。
『……にゃ? にゃにゃにゃにゃにゃ?』
猫が戸惑ったように、瞳を瞬かせる。そして――
『にゃあぁああぁあー!?』
「え? どしたの? ってもしかして…… あれ……?」
振り返り、リジーに瞳を向けたカリーヌ。しかし、肩透かしをくらい、呆ける。
「何よ?」
「いや…… リジーが我慢できなくなって、斧持ってガンつけてるのかと思ったんだけど……」
リジーは普通に立っているだけだった。
「じゃあ、どしたの?」
「私が知るわけないでしょ」
『ああああ、あにゃたは――』
訝しげにしている女性陣を尻目に、ヘンリーが微笑む。
「さて、それを貸して貰えるかな?」
『は、はいですにゃ!』
声をかけられた猫は、素直に魔法の鍵を差し出した。
「どうも有難う。さて――」
ヘンリーは受け取った鍵を持ち直し、猫に突き差す。
『にゃにゃ!』
「……ふむ。これでいいはずだが、どうかな? 試しに、あっちの黒髪の女にマホトーンを唱えてみるといい」
『え? あ、はいにゃ。……マホトーン!』
面白いポーズと共に魔力封じの魔法を唱えた猫。その様子に癒される一方で、カリーヌは何やら違和感を覚える。
「ん。多分効いた……かな。ちょい、リジー。そこの怪我、試しに治させて」
「ほれ」
リジーが手の甲をかざす。そこには、言われなければ気付かないほど小さなかすり傷があった。
「ホイミ。……あ、やっぱ使えない。凄い、猫ちゃん! マホトーン使えてるよ!」
癒えない傷を瞳に入れ、カリーヌは笑みを浮かべて猫に声をかける。
猫は、瞳を輝かせて、空中で一回転した。
『ホントかにゃ! 嬉しいにゃ! 嬉しいにゃ!』
「よかったねぇ。これで友達に馬鹿にされないね」
「ま、よかったじゃないか」
「てか、殺していい?」
和やかな空気の中で、唯一リジーだけが物騒な発言をする。
それを耳に入れたカリーヌは、猫を両手で抱きしめ、リジーを睨んだ。
「駄目! この子は駄目!」
「……あんたごと殺ってもいいのよ?」
リジーが凄む。
しかし、カリーヌは譲らない。そして、
「脅したって駄目よ! ……この子を見逃さないって言うなら、ジアンにここでのリジーの所業ばらしてやる!」
そう宣言する。
リジーはそれに冷笑を返し、訊く。
「それが何だって言うのかしら? 別にばらされたからって――」
「ジアンなら、三日三晩お前の前で泣き暮らすくらいしそうだが」
ニヤニヤと笑いながら、ヘンリーが言った。
「……………判ったわよ。そいつくらいは見逃してやるわ」
容易に、ヘンリーが言ったようなことをやるジアンを想像出来たリジーは、そんな鬱陶しいのは御免だ、とばかりに猫殺害を諦めた。
「ふぅ…… これで安心ね。あ、猫ちゃん!」
そこで、猫がさっとカリーヌの腕から逃れる。
『気安くさわるにゃ! まったく…… 人間は礼儀がにゃってにゃいにゃ』
「あはは、ごめんね」
「ところで、この魔法の鍵は俺らが貰ってもいいかな?」
ヘンリーが訊くと、猫はにこやかに応える。
『勿論ですにゃ。おいらの用は済みましたから、どうぞお持ち下さいにゃ』
「そうか。有難う」
『勿体にゃいお言葉ですにゃ。それでは、さよにゃらですにゃ!』
猫は手を振り、去って行く。
それを、カリーヌは名残惜しそうに、ヘンリーはにこやかに、リジーはある意味で名残惜しそうに見送る。そして、猫が見えなくなったところで――
「ところで、ヘンリーは猫ちゃんと知り合いだったのかにゃ?」
「まあ、昔にちょっとにゃ」
「……あんたら、移ってるわよ」
妙な掛け合いが始まった。
上空より炎が押し寄せる。イカロスが吐き出した炎である。
ジアンはそれを大きく跳んで避け――ようとしたが、砂に足をとられて思ったよりも距離を跳べなかった。左手を焼かれ、痛みが走る。慌てて回復魔法をかけるが、イカロスはその隙をついて降下してきた。
対応がおいつかないジアンの右上腕部を、鉤爪が襲う。引き裂かれた肉からは、血が噴出した。
「っ!」
『どうした! 早々に死ぬか!』
「ベギラマ!」
ジアンは閃光を生み出し、イカロスに向ける。そして、彼が飛び上がって引いた隙に、今度こそ大きく跳び、回復魔法で取り敢えず止血だけを済ます。
完全なる回復は諦め、走り出す。
イカロスがその後を追う。
ぶわあああぁああっ!
再び、ジアンに炎が迫る。
「メラ!」
今度は、自らも炎を生み出し、それを相殺する。そして、続けて――
「ギラ!」
先程よりも弱い閃光を生み出す。
イカロスは翼の一振りで光をはじき、嗤う。
『人の子よ! ベギラマを使えるにもかかわらず、手加減とは…… この状況で不殺を謳うか! ご立派なことだな』
「立派なんかじゃ……ない! だって、僕は……怖いだけだもの」
『ふむ。成る程…… 気に入った。恐れを持たぬ者など詰まらぬからな! しかし、それとこの戦いの行方は別だ!』
急降下するイカロス。再び、鉤爪がジアンを襲う。
しかし、今度は上手く剣で受けるジアン。そして、イカロスの爪をはじくと、羽に向けて剣を突き出す。
『甘い! 太刀筋に迷いがあるな…… 時には不殺を忘れぬと、一撃が鈍るぞ』
嗤い、イカロスは高く飛ぶ。
ジアンはそちらを見上げ、そして、
「ルーラ!」
力強い言葉と共に飛び上がる。
国をまたいでも、一瞬にして目的地へと飛ぶことができる魔法は、瞬時にジアンをイカロスの元へと運ぶ。そして、不殺を謳う少年は、ただ単純に――体当たりをした。
『ぬおっ!』
イカロスはバランスを崩し、堕ちる。
ジアンもまた、堕ちる。
双方、砂の上にどすんと落ち、人々が彼らの様子を見にそちらへ向かうと、そこには、イカロスの喉元に剣を突きつけているジアンがいた。
時が流れる。
しばらくすると、勇者は剣を納め、微笑む。
「死を与える心配のない一撃なら――ただの体当たりなら、迷いは生まれません」
『ふむ、確かに。これはやられたな…… ははは、我の――負けだ』
イカロスが敗北を宣言すると、砂漠に歓声が響いた。
イカロスは約束どおり、モンスターを引き連れて去った。
それを見送りながら、ジアンが口を開く。
「カンダタさん」
「何だ?」
「イカロスさんの言っていたことは本当ですか?」
イカロスは去る直前、ここにいる人間全員に言った。バラモスは人の死など望んでいない、と。
人々は大いに戸惑い、混乱した。それは、ジアンも同じだった。
カンダタは瞳を閉じ、間を取ってから答える。
「本当だ。今以上に戦が盛んだった――討魔戦争の折に対したモンスターの将達からも聞いたことがある。彼らは一様に、バラモスは自ら望んで戦を仕掛けているわけではないのだと、そう言っていた」
その言葉を耳に入れると、ジアンは、瞳にある戸惑いの色を濃くした。
「では、なぜ……?」
「それは――わたしにも判らない。誰も、多くは語らぬのだ」
カンダタが、南を見やる。
ジアンもそれに倣った。
去ったイカロス達の姿は、ギリギリで目視できる程度まで小さくなっていた。
砂漠の日差しが照りつける。
ジアンがその強い陽光を受けて瞳を閉じ、それから、再び視線を上げる。そして、その時には、モンスター達は人に見ること能わぬ、遥か彼方へと――ネクロゴンドの奥深くへと消えていた。