ぐちゃっ!
ぐちゃっ!
ぐちゃっ!
ぐちゃあぁあっ!!
最後に一層力を込めて、両手で握るモノを振り下ろした。昼に食べた物をぶちまけたくなるような光景が両の瞳に映る。
やった…… やったんだ……
私は遂にやった。最低野郎から大切な人を守った。
褒めてもらいたくて、喜んでもらいたくて、私は振り返る。
壁際で、私の大事な人は髪をかき乱して震えていた。しかし、それも仕方がないだろう。この部屋で繰り広げられた光景は、あのように怯えるのが当然だと、私自身思うものだったから。
けれど、直ぐに笑ってくれる。私の頭を撫でて、よくやったと褒めてくれる。だって、アレはどうしようもないクズ野郎だったんだから。掃除してしまう以外に選択肢なんてなかったんだから。
「……あ」
彼女の口から、掠れた声が発せられた。続く言葉は、きっと感謝を意味するだろう。それを受けた私は、いいの、と言ってから、彼女を抱きしめてあげるんだ。これからは二人で、ずっと二人で……
「あなた…… 何てことしてくれたのよ……!」
え?
「ちょっと癇癪を起こしただけじゃない! いつものことじゃない! その人は優しくて繊細な人だから、だから、あたしたちの前だけでは強がっちゃうだけじゃない! なのに、なのに!」
怯えていたのに、アレに受けた傷が額に生々しく残っているのに、それなのに、いつも優しいその顔は、いまや悪鬼の如く崩れていた。
そして、ずっと叫んでいる。
何かを叫んでいる。
悲しみを、怒りを、呪詛を、叫んでいる。
しかし、それももう止む。
このあとに、彼女は私が最も耳にしたくないことを叫ぶ。そのことを私は知っている。
「あなたなんて……」
キッとこちらを睨む瞳。いつも笑みを絶やさない、優しいはずの瞳。
その瞳からは、一条の光がこぼれる。
「ウ・マ・ナ・ケ・レ・バ・ヨ・カ・ッ・タ」
私は知らないうちに、腕を振るっていた。
ぐちゃあぁああぁあ!!
大切な人を、自分で壊した。
すっ。
ベッドに横たわっていた女性はゆっくりと瞳を開き、上半身を起こす。
しばらくは虚空を見詰め、茫然自失としていたが……
くすっ……
口元に手をやり、小さく笑みをこぼした。
そして、呟く。
「今日もいい夢だったわ」
Chapter02.現し世は夜の夢に縛らるる
ノアニールという村に関する噂がある。
しかし、その噂を当の村の者は知らない。知ることが出来ない。それは何故か。理由は噂の中身を知れば、誰もが理解する。
その噂とは、ノアニールの住人は皆エルフの呪いによって眠り続けている、というものだ。
そして勿論、これはただの噂ではない。事実、かの村の者達が眠り続けているのだから。十数年も昔からずっと……
しかし、それがエルフの呪いによって齎されているのかは定かでない。そもそも、その地方にエルフが現存しているという記録はない。古い文献に、数百年前にエルフ狩りによって種が途絶えたという記録があるのみなのだ。
そうなってくると、エルフの呪い云々というくだりは噂半分と割り切るべきだろう。そして、原因不明である以上、対処が出来ないとロマリア政府が放置したとしても、仕方のないことだと諦めるべきだろう。
ただそれでも、諦められない者がごく偶にいる。本日、その内の一人が仲間と共に、ノアニール西方にある森の土を踏んだ。
「で? どこ行くの?」
落ち葉を踏みしめて進みながら黒髪の少女が問うと、その隣を歩いていた少年が緩く結わえた茶髪を揺らしながら応える。
「取り敢えずあっち?」
「なんかいい加減……」
少女は少年の応えに不満げに口を尖らせた。
そんな彼らのやり取りを見て、後方を歩いていた男性が色素の薄い髪をかきあげながら嘆息する。しかしそこで軽く微笑み、ゆっくりと口を開いた。
「カリーヌ。出所が不明瞭な噂話なんだ。行き先がはっきりしてるわけもないだろう」
声をかけられた少女――カリーヌは、やはり不満げに瞳を細める。
しかし、男性はそんな彼女の様子には言及せず、続けて少年に瞳を向ける。
「んで、ジアン。そうは言っても、もう少しもっともらしい事を口にしておけ。一応、リーダーだろ?」
言われた少年――ジアンは、曖昧に笑って男性を見る。
「でも、ヘンリー。僕には向かうべき方向が分からないわけだし、適当な嘘を吐くのは性に合わないというか……」
「性に合わなくても、間違いなくこっちだ、くらいの強気を見せてもらわないと、安心してついていけないだろう?」
男性――ヘンリーは呆れたように再度嘆息し、ジアンの頭を小突く。
ジアンは、いたっ、と思わず口にするが、実際のところは一切痛みを感じていなかったことだろう。その仮説を肯定するかのように、彼は直ぐに言の葉を繰る。
「でも、間違った方向に自信満々に行ったら迷っちゃうじゃない?」
「迷ったってルーラでノアニールまで帰りゃいいだろう? それでそこから仕切り直せばいい」
ヘンリーの返答にジアンは納得し、なるほど、と呟いたが、カリーヌはやはり満足いかないようで、ヘンリーもいい加減、とごちた。
しかし、そんな彼女の意見は、実は正鵠を射ていたと言えよう。なぜなら、実際問題として向かう方向がいい加減なのは変わりがない事実なのだから。ヘンリーの言葉によって変わったことといえば――いや正確には、変わるはずのことといえば――迷っているあいだ不安な気持ちが紛れることだけだ。
「そういうなよ。というか、行く場所も分からないんだから、きちんとしようもないだろう?」
「そうだけど…… エルフなんてホントにいるのかな?」
ヘンリーが改めてもっともな意見を述べると、カリーヌは小さく肯定してから根本的な部分を疑いにかかる。
さて、ここで彼らが森に足を踏み入れた訳を述べるとしよう。それは勿論、物見遊山のためではない。カリーヌの言葉に出たとおり、エルフに関係があった。正確には、エルフがノアニールに呪いをかけたという話に関係があった。端的に言うと、彼らはエルフの呪いとやらを解こうとしているのだ。
そこでなぜ森に入るのか。それは、現在はともかく幾百年も前には確かにノアニールの西の森にエルフがいた、という話をヘンリーが記憶していたからだった。もしかしたら、未だ西の森にはエルフがいるのかもしれない。そして、何らかの理由でノアニールの住人達を眠らせているのかもしれない。そういう筋書きだ。
「さあ、どうかねぇ」
ヘンリーは、カリーヌの疑問に適当に相槌を打つ。
一方、ジアンは――
「きっといるよ。ノアニールの人達の様子はおかしいもの。カリーヌのザメハでも起きない以上、人間の仕業じゃない。人外の力が働いてるんだ」
自信満々に言った。
しかし、色々と突っ込みどころが満載だった。
「だからってエルフが関わっているとは限らないんじゃない? モンスターのせいかもしれないし…… ううん。もしかしたら、ロマリア政府がよからぬ実験でもしてるのかも。いやそれとも、実はノアニールの人達は熊と同じで、冬眠する珍しい人間なのかも。それでちょっと冬眠が長引いてる――」
そして、続いたカリーヌの言葉も突っ込みどころだらけだった。誇大妄想も甚だしい。
ヘンリーは付き合うのにも疲れたのか、雑談を交わしながら順調に迷うお子様二人の後ろをただついて行く。彼としては、早めにこいつら飽きてくれないかな、といった心持ちだった。
そのようにしてしばらく進むと……
「ってあれ? あそこら辺、誰か住んでそう」
と、カリーヌ。その視線の先には、木製の建物のようなものが乱立していた。それは、村落と呼ぶのもはばかれるような、建物の小さな小さな集合。
「へぇえ、どれどれ……」
ヘンリーは、適当に歩いて来ただけでそう都合よく辿りつくわけはないだろう、と感じたため、全くやる気のない瞳をカリーヌの視線の先へ向ける。しかし、そんな彼が見たものは、確かに人為的な様子を窺える建物のようなもの。しかもよく見ると、人影らしきものが見える。
「やった! ついたよ、ヘンリー」
「……あー、そだな」
ジアンが嬉しそうに言うと、ヘンリーは呆然とした様子で応えた。都合のよい展開に呆れ果てた――という理由もあるのだが……
しかし、ジアン、カリーヌはそんなヘンリーには構わず、足早に目標へと向かう。そして、ヘンリーがついて来ていないことに気づくと振り返り――
「何やってんの? 行くわよ」
「あ、もしかして疲れた? ちょっと休んでから行く?」
そのように声をかける。
そして、それにヘンリーが応える前に――
「はぁ? 大して歩いてないのにもう疲れたの? まったく…… これだから年寄りは……」
カリーヌが不満そうに眉根を寄せて呟いた。一応声を潜めたようではあったが、わざとなのか、地声がでかいのか、ヘンリーの耳にもしっかり届いている。
そして、そこまで言われてはヘンリーも足を止めてなどおれず……
「はっはっはっ。まさかこれくらいで疲れるわけないだろう。さあぁー、キリキリ行くとしよかー」
彼はジアン達を追い越して足早に先を急ぐ。
今度はヘンリーが先行する形になった。その瞳は進行方向を真っ直ぐ見詰めており、そしてなぜか険しかった。
彼らが到達した地が平常でないのは明らかだった。
そこには確かに、尖った耳を持ったエルフらしき者たちがいたようだ。そこは確かに、人とは異なる種族であるエルフの住居だったのだ――いや、今現在もそうである可能性は未だ捨て切れないが……
「……なにが……あったの……」
カリーヌが掠れた声で呟く。
彼女の視線が落ちる先の地面には、尖った耳を有した頭部が転がっている。
「少なくとも自然災害ではないだろうな。傷口がすっぱりいってる。何か刃物でやられたみたいだ」
ヘンリーはしゃがみ込み、首の検分を済ませてから言の葉を紡いだ。しかし、その際に感じた一つの疑問は、口に出さない。それは彼自身、それがどのような因から生じた結果であるのか説明できないためだ。
そして、彼は更なる情報を得るために、立ち上がって他の首を目指す。
「……あ、ヘンリー」
カリーヌはそんな彼の後に続こうとするが、思い直して足を止める。そして、視線を後方へ向ける。
そこには――
「なんで…… なんでこんなことが…… なんで……」
静かに涙を流し、呆然と佇むジアンの姿があった。取り乱す様子はないが、ただひたすら涙を流し続ける。その間、しゃくり上げることもなく、本当に静かに涙を流す。
その様子を目にしたカリーヌは、未だ彼女自身ショックに打ちひしがれながらも、彼の茶の髪を優しく撫でる。そして、その頭を優しく抱きしめた。
「泣かないで」
カリーヌがそう声をかけると、ジアンはゆっくりと瞳を閉じた。それでも雫は尽きなかったが、心の安寧は齎された。
一方、ヘンリーは先ほど感じた疑問を強くしていた。
「やはり、妙だな……」
二つ、三つ、首を調べたところで呟く。そして、更に言葉を続ける、が……
「こいつは――」
ざっ。
何某かが地面を踏みしめる音を耳にし、慌ててそちらに瞳を向けるヘンリー。
そして、そこには――
「あんたらは――残念ながら本物みたいね」
そこにいたのは、紫の髪を後方でゆったりと結わえた女性。端正な顔立ちをしているのだが、頬や額など、所々が朱に染まっている状態で、そのようなことに関心を向ける者はいないだろう。
「本物ってことは……やはりそういうことなのか?」
女性の異様ないでたちを一切気にせず、ヘンリーがそのように問う。すると、女性はつまらなそうな瞳を彼に向け、
「解釈はそっちに任せるわ。付き合うのタルいから」
そのように言い放つ。
そして、回れ右をして、右手に下げていた斧を持ち上げて走り出した。向かう先は、建物の位置関係からして、この集落の奥。
だっ!
すると、その女性の後を追って最初に走り出したのは、先ほどまで意気消沈していたジアンだった。カリーヌやヘンリーが止める間もなく突き進む。
たったったったったっ。
そして――
「止めて!」
斧を振り上げる女性を見つけ、ジアンは声を張り上げる。
女性は、自分の目の前に佇む者からジアンへと視線を移し、鬱陶しそうに舌打ちした。
「何か用? 一応私も、本物を殺すのは自重してるから、あんたらには用ないわよ?」
「本物……? よく分からないけど、駄目だよ! 殺しちゃ駄目だ!」
ジアンを興味なさげに見ていた女性だったが、彼が叫ぶと彼女の目の色が変わった。関心を持ったようであった――が、それは好意的なものとは言えない。
「ふぅん…… どうして殺しては駄目なのかしら? 教えて」
馬鹿にするような笑みを浮かべ、訊いた。
それを受けたジアンは、彼女を真っ直ぐ見返して口を開く。
「生きているから。生命があるから。あらゆる生命は、他の生命を支えているから。辛い気持ちを、悲しい気持ちを作り出さないために、誰の生命も絶ってはいけないんだ」
淀みなく、きっぱりとした口調で応えたジアン。その様子から、その場限りでない、常日頃から想っている強い気持ちを吐露していることが窺える。
しかし、女性は相変わらずの馬鹿にした態度。
「はっ。予想通り、いや、予想以上にウザい餓鬼ね」
そう口にしてから、斧を握る右手に力を込める。
「悪いけど――」
そして……
ざしゅっ!
「ウザい奴の言うことは意地でも聞きたくない性質なのよ」
新たな首を地に転がし、腰に手を当てて言い切った――と思いきや……
「……? こいつは幻影? ――マヌーサね」
女性は、自身の周りに先ほど首を刈ったはずの者が複数佇んでいるのを目にし、一瞬戸惑う。しかし、直ぐに幻影を見せる僧侶魔法に思い至り、呟いた。
「そういうこと。目の前で殺られたんじゃ、溜まったもんじゃないからね」
応えたのは、いつの間にか追いついてきたカリーヌ。その後ろにはヘンリーもいた。
そして――
キィン!
「へぇ、意外と好戦的ね。大抵、殺すなとか言う奴は、話し合いで解決したい、なんて甘いことをほざくもんだけど」
ジアンによる剣の一閃を斧で防ぎ、口元を歪めて言う女性。
そして、腕に力を込めてジアンの剣を弾き、豪快な一撃をくり出しながら、更に言葉を続ける。
「理由はどうあれ、結局あんただって私を殺そうってんでしょう? 殺すなが聞いて呆れ――」
キィン!
再び響いた金属音。それにジアンの叫びが交じる。
「違う! 僕は誰も殺させないし、殺しもしない! この剣は、君を殺さず、君に殺させないための剣だ!」
ぎりっ……
女性の口元が歪み、目つきが一層鋭くなる。そして、腕に力を込めジアンを弾き飛ばすと、腕に炎を生み出す。
「ベギラマ!」
ぶわあぁああぁあ!
広範囲を炎が襲う。ジアン達は直撃を避けるが、それでも軽く燻られた。
「糞餓鬼があぁあ! 一切の犠牲なく何かを収めることなど、できるわけがないだろおぉお!」
そして、女性が腹の底に響く叫びを上げながら斧を下段に構えて駆け、熱さで体勢を崩していたジアンに飛び掛る。瞬時に間合いをつめ、得物を振るうために腕に力を込める。その勢いは止まる気配などなく、このままいけば、彼女の手にする凶斧はジアンの首を落とすことになるだろう。
しかし――
「そこまでにしとけ」
がっ!
女性の振るった斧はジアンの首筋へと達する前に止まった。いつの間にやら女性に近づいていたヘンリーが、彼女の腕を力いっぱい押さえ込んだのだ。そして、一撃を抑えられた女性は、それ以上は得物を振り上げることもなく、大人しくなる。
「まったく。あんた自身が殺らないと言ってただろうに、本物を殺すところだったぞ。かっとなり易いタイプか?」
「……まあね。一応礼を言うわ。罪状が増えるのはどうでもいいけど、拘留されるのは面倒だから」
ヘンリーが呆れた様子で声をかけると、女性は無表情で応えた。そして続ける。
「それで、さっきあんたらが邪魔して殺りそこねたアレはどこいったの? 終わらせる前に殺しときたいんだけど。本物じゃなくても――あんなでも感触なんかは悪くないから、それなりに満足できるのよ」
女性がそこまで口にした時、ジアンが口を開きかけ――
「ちょっと! 黙って聴いてれば随分じゃないの、オバサン!」
「……あぁあ?」
カリーヌが先に声を上げた。そして、女性が鋭い目つきでドスの利いた唸りを返す。
しかし、カリーヌは弱冠臆しながらも続ける。
「ほ、本物じゃないとか、それって人間じゃなくてエルフだからってことでしょ!? 種族差別じゃない! 最低よ!」
女性は馬鹿にしたように息を吐き、カリーヌを見る。そして、ヘンリーに瞳を移し、口を開いた。
「あんた、気づいてんでしょ? そっちの乳臭い餓鬼とウザい糞餓鬼に教えてやったらどう?」
そのように声をかけられたが、ヘンリーは肩をすくめて、とぼけた表情を浮かべる。
「さて、なんのことやら。俺にはさっぱりだね」
そう返す。そして、ジアン達を顎で指し、
「こいつらを納得させて最後のお楽しみと行きたいなら、あんたが説明してやりな」
と続けた。
女性はヘンリーを強く睨んでから、カリーヌ、ジアンへと瞳を移していく。カリーヌへは興味なさげに、ジアンへは嫌悪感を込めて視線を送る。
はあぁあ……
そして、大儀そうに溜め息を吐くと、ゆっくりと語りだした。
まず結論から言うわ。ここにいるエルフは本物――酸素を吸入するために呼吸をして、全身に血を巡らすことを目的として鼓動を刻むような、そんな生物ではない。ここにいるのは、『夢見るルビー』と呼ばれる魔法アイテムによって生み出された幻覚のようなものよ。
は? 幻覚には見えないって? ちっ、ウザいわね。だからそれを説明してるところだろうに……
確かに、アレには実態もあるし、意思のようなものも存在する。そして、アレらを取り巻く環境にも、とある設定がある。そしてその設定というのは――この地を治める者の娘が人間の男と駆け落ちをしたというもの。そしてその結果……この先はあんたらも知ってるんじゃないかしら?
そう。エルフは人間に呪いをかけた。永遠にも近い眠りの時を齎す呪いを。
その対象がノアニールだったのは、設定の中の男がノアニールの者だとされていたから。
まずここまでをまとめるわよ。つまり、『夢見るルビー』が生み出したエルフが、ノアニールの奴らに呪いをかけ眠らせた。それだけのこと。そして私は、生命がない――殺しても法的に問題がない、その上斬った感触が本物と遜色がないアレらを斬っていた。そこにあんたらが来て邪魔をした。
うるさいわよ、そこの糞餓鬼。本物の生命じゃないって分かっても突っかかる気? 本気でウザいわね。
あ? 『夢見るルビー』が起動する理由? それと、ノアニールの男が……なんて話になった理由?
ちっ。面倒ね。あんたらウザいのも大概に――ふぅ…… ま、いいか。話してあげるとしましょう。えーと……
まず『夢見るルビー』というのは、人の夢に――いえ、夢では御幣があるわね。人が考えていること、噂話なんかに反応して幻を形成する。そして昔、『夢見るルビー』を研究していた一人の魔法使いがいた。その人物はどちらかといえば職業魔法使いで――
職業魔法使いってのが何かって? ……あんた、そんぐらい分かってるでしょう? あんたみたいな技術僧侶や技術魔法使いと違って、実際に魔法を操れない奴が研究のみに身を投じたり、仕事をしたりする。そういう奴らのことよ。は? 予想はついてた? だったら訊くんじゃないわよ。本当に鬱陶しいわね。
それで、あー…… そう。そいつは十五年ほど前に『夢見るルビー』が持つ効果とその起動法を突き止めたのよ。そして、それを確認するために、ルビーを起動させ、ノアニールの西の森には未だエルフが生き延びている、という話を何人かに耳打ちした。噂を放った。これは余談だけど、そんな話にしたのは、彼自身がエルフに憧れていたことが関係していたらしいわ。
そして、その噂は直ぐにノアニール、カザーブ、ロマリア――この近在の街や村を飛び交った。
効果は直ぐに現れたそうよ。ここにある建物やエルフは、その時に造られた。一瞬でね。
けれどその時、予期せぬことも起こってしまった。それは、この地にいるエルフ達の中に、女王の娘がノアニールの人間と駆け落ちした、という事実ができあがっていたこと。確認のしようはないけれど、恐らくは噂が広まる中で、どこかの馬鹿女あたりが恋愛要素を絡めたんでしょう。こうして、人間を――特にノアニールの人間を憎むエルフ達が出来上がった。その結果――ああいうことが起こったわけよ。
じゃ、大体は理解したわね? ん? 何? 私の名前? ……リジエル=ボーデリアン。
リジーって呼んでいいか……だ? はぁ。別に、どうでもいいわよ。短い付き合いになるだろうし。
さあ、もういいでしょう? これで心置きなく、最後のエルフもどきを――
リジーの話が終わった。
しかしジアンは、大人しくエルフを引き渡したりはしなかった。
「話は分かったよ。けど、僕はそれでも――」
「それでも殺させない? どこまで私をイラつかせるのかしらね、この糞餓鬼は」
穏やかに発せられたリジーの言葉。しかし、彼女の表情は険しく、得物を握りなおした腕も筋張っている。
ただし、それでもジアンは譲らない。
「夢見るルビーをどうにかすればいいだけなんでしょう? ならエルフさんを殺す必要はないじゃない? こんなこと――」
「なら代わりにあんたを殺ろうか!? よく考えれば、あんたの死体が見つからなきゃいいだけのこと! 証言をする人間が――あんたの仲間が全員口を利けなくなればいいだけのこと! ははははははははっ! いいわね! もう偽者なんかより、あんたらを――」
「ストップ」
ばしっ!
そこで、ヘンリーが弱冠強めにリジーを叩く。
暴走を始めるかと思われたリジーだったが、意外にも大人しくなった。しかし、ヘンリーに恨みがましい視線を送る。
「あんた…… 説明してもあの糞餓鬼黙らないじゃない」
「俺は説明すれば納得するとまでは言ってない」
それを耳にすると、リジーは舌打ちをして斧を地面に叩きつけた。それから一同を見回す。
「……あんたらよく考えたら何なの? ただの暇人ってわけでもなさそうね」
今更ながらの疑問を口にした。
それを耳にすると、ジアンが答え、それに他の者も付け足す。
「僕達は旅をしてるんだ。アリアハン国の王様から命を受けて魔王を――」
「それはお前だけだろう? 俺はついて行けば楽しそうだったからついて来ただけだ」
「あたしは――まあ、ジアンのことを見極めるため……と言いつつ、もうフォローするためについて来てるみたいになってるけど、うん、そんな感じ?」
口々に言った。
続けてリジーは訊く。
「……それで? あんたは所謂、魔王討伐を命じられた勇者様というわけよね? にもかかわらず、あんたはやっぱり、魔王も殺さない、とでも――」
「言うよ。僕は他の誰よりも魔王に早く辿り着く。そして、説得するんだ。誰の死をもってせず、全てを終わらせる。それが僕の旅だ」
ジアンは間髪入れずに答えた。その内容はやはり、不殺生を謳っていた。
「どこまでウザいのか……いや、ここまでくるとウザさも通り越すか…… 寧ろ――」
リジーはやはり好意的な表情は浮かべず、馬鹿にした笑みを浮かべる。
「呆れるわ」
そう言ってから、彼女はジアンを鼻で笑う。
どうにも、敵対する感情しか持てないようである。
「どう言われても、僕の本心はこれまで口にした通りだよ。僕は誰にも死んで欲しくない」
「偽善もいいとこね」
やはり、馬鹿にした笑みを浮かべたままでリジーが言葉を紡いだ。
ジアンはそんな彼女を見返し、少し寂しそうに口を開く。彼の長い髪を、突風が揺らした。
「偽りの善を掲げる気もない。僕は善でも悪でも在ることを望むよ。それで死を回避できるのなら、僕は悪になることだって厭わない」
それを耳にしたリジーは笑みを引っ込め、疑問を感じたかのように眉を顰める。
しかしそれも一瞬で、直ぐに彼から視線を逸らし、軽く溜め息を吐く。そして、右手を持ち上げて懐に差し込む。その手が引き抜かれると、そこには紅い色をした宝石が納まっていた。
「って、それもしかして夢見るルビーってやつ?」
「そうよ。近くの洞窟で見つけたわ。さっき話した魔法使いが隠したのね。当の魔法使いは地下水脈に身を投げたみたいだったけど。ルビーは遺書と一緒に置いてあった。ちなみに、さっき話した内容は、遺書からの抜粋も多いわね」
訊いたカリーヌに、リジーはぶっきらぼうに応える。その態度がいい加減だったためか、眉を吊り上げてカリーヌが食って掛かる。
「そうよって、それ持ってるなら別にエルフ――ていうかエルフもどき? エルフもどきを殺さなくてもいいじゃない! とっととそのルビーの効果を消せばいいだけでしょ!」
それを聞いたリジーは、再び馬鹿にした笑みを顔に浮かべる。
「はあ? あんた、私がノアニールの呪いを解くためにエルフ殺してたとでも思ってんの? 私があいつら殺ってるのは殺りたいから。ただそれだけよ。幻みたいなものだから法的な罰則は受けなくて済むし、感触は本物を斬った時と何ら遜色ないし、殺しとかなきゃ損でしょ」
笑みを浮かべてはいるものの、全く冗談の気配を感じさせない口調。その事実を感じ取ったカリーヌは、改めてリジーの異常さを確認する。
しかし、他二名はそんなことを気にすることもなく――
「言っとくけれど、最後に残ったエルフさんは殺させないからね」
「と、うちのリーダーのお達しだ。悪いが、邪魔させて貰おうか」
そのように口にした。ジアンは剣の柄に手をかけ、ヘンリーは生き残ったエルフを背中に庇う。
「そんな気も失せたわよ。そっちの糞餓鬼の話聞いてるだけで頭痛がしてきたわ。とっととルビー壊して、茶番を終わらせるとするわ」
リジーは男二名を瞳に入れ、軽く手を振った。鬱陶しい構えを解け、というジェスチャーらしい。
「……ども」
「え?」
そこで聞こえた微かな呟きに、ジアンが振り向く。声の元はヘンリーの後ろ――エルフのようであった。改めてみるとそのエルフは女性で麗しい容姿をしていた。そして、身なりも高貴さを窺えるものであった。もしかしたら、この地を治めるエルフの女王なのかもしれない。
そんな彼女は、ヘンリーの背から出て腰に手を当てる。そして、高らかに言い放つ。
「図々しく入ってきやがって。とっととうせろ、人間共が」
彼女は終始笑顔だった。
かちゃ。
再び斧を構える音が聞こえる。
「やっぱ殺させろ……」
リジーが低い声を出した。
「だ、駄目だよ!」
と、ジアン。
少しどもったのは、エルフの発言を受けて制止する気力が多少なりとも弱まってしまったためか……
「ジアン……だったわね?」
「うん?」
リジーがジアンに声をかける。
呪いの解けたノアニールを訪れたジアン一行とリジー。現状の説明等をヘンリーとカリーヌが行っている中、ジアンとリジーは遠巻きにその様子を見ていた。
「あんた、魔王を倒す――わけではないんだったわね。えーと、魔王と話し合うために旅をしてるんでしょう?」
言い換える際に、やはり馬鹿にした笑みを浮かべるリジー。
ジアンはそれに気分を害する様子もなく、言葉を返す。
「そうだよ」
その返答を耳にすると、リジーは更に続ける。
「なら、モンスターと剣を交える機会も多かったんじゃない? これまで」
「そうだね。アリアハンに住んでた時よりは、随分たくさんのモンスターさんと会ったよ」
リジーはそこで、『モンスターさん』ねぇ、とジアンのモンスターに対する呼称に、やはり馬鹿にした様子で相槌を打った。そして、次の言葉を口にする。
「モンスター以外にも、人間とも諍いがあったりするんじゃない? 何かと目立つだろうし」
「それも……そうだね。ちょっと前にも、盗賊さんと戦いになったよ。大変だった」
そこで少し困ったように笑うジアン。
しかし、リジーはそんな彼の様子には取り合わない。そして、不敵な笑みを浮かべてジアンに瞳を向けた。
「なら、戦いの際にちょっとは殺してるんでしょう? 盗賊はともかく、まさかモンスターまで殺さないなんて――」
「殺してないよ。誰も、何も」
リジーの言葉を遮り、ジアンが言った。
その言葉に、リジーが目つきを鋭くする。
「はあ? あんたどこまで馬鹿なのかしら。モンスターまで殺さない? 正直、私は自分の頭が弱冠イカれてる自覚はあるけど、あんたは私以上ね」
「そう、かもしれない。僕は少しおかしいと思う。でも――」
「ストップ。あんたの言い分は聞かないことにするわ。私とあんたの考え方は多分両極端に近いものがある。話をするだけ無駄よ」
リジーが言うと、ジアンは瞳を伏せ自嘲気味に笑い、そうかもしれないね、と呟いた。しかし、直ぐに明るい笑みを浮かべてリジーを見る。そして――
「リジー。僕らと一緒に来て欲しい」
はっきりとした口調で言った。
…………………………
沈黙が落ち、
「はあ!?」
しばらくするとリジーが叫ぶように訊き返した。
「何で私があんたらと行かなきゃならないのよ? ついさっき、私達が話の合わない者同士だって結論が出たばかりでしょう?」
当然の疑問をリジーが口にした。
それを受けたジアンは、真剣な瞳で彼女を見詰めながら言う。
「そうだからこそ、リジーが殺すことに対して積極性を持っているからこそ、僕は君と共にいて、君の行動を止めたいんだ。こちらにばかり都合がいいのは申し訳ないけど……了解してくれると嬉しい」
そう言ったジアンは、テコでも動きそうにない強情さを有しているように見受けられた。
リジーは嘆息しつつも、しかし、彼の申し出が自分にも都合がいい部分があるのでは、と考える。
即ち――彼と共に行けば殺り応えのあるモンスターと遭遇し易いだろう、と。もしくは、犯罪者を相手にする場合なら人間を殺ることもできるだろう、と。
それゆえ、
「まあ、いいでしょう」
と了解した。ただし、自分の思惑が気取られないように、その言葉は仕方がなくといった風に紡がれた。
そして、ちょっとした注意事項が続く。
「ただし、さっきも言ったとおり、私は弱冠頭がいかれてるわ。正直あんたの意向に沿わない行動を取る確率が高いでしょう。だから、あんたが意思を通したいと思うのならば、力で私を止めなさい。それができないのなら、私にとやかく文句を言うことは許さない」
有無を言わさぬ迫力があった。
「分かった、それでいいよ。これからよろしく、リジー」
ジアンは疑うでもなく素直に頷き、笑顔で手を差し出す。
その手を握るリジーは、自然な笑みを貼り付けようと精いっぱい顔の筋肉を操っていたのだが、その試みは失敗し、その顔には邪な笑みが浮かんでいた。しかし、ジアンは全く気にしていなかったため、特に問題はなかっただろう。
「ねえ、ヘンリー」
「ん?」
ノアニールの者達への説明を終え、ジアン達が立ち話をしているのを遠巻きに見ていたカリーヌとヘンリー。
しばらくは二人で呆けていたのだが、カリーヌが気になっていたことを口にする。
「駆け落ちした男の人とエルフはどうなったのかな? 今は夢見るルビーが壊れてしまったけど、ついさっきまではこの世界のどこかで、二人で暮らしていたのかな?」
ヘンリーはカリーヌの方を見ず、視線を前方に向けたままで応える。視線の先には山々が連なる。
「そんなの、分からんさ。もしかしたら夢見るルビーの効果が及ぶ範囲から出てしまって、とうの昔に消えてしまったのかもしれない」
それは一番あり得そうなこと。
「もしかしたら奇跡ってものが起きて、今でも、夢見るルビーが消えてしまった今でも、どこかで平和に暮らしてるのかもしれない」
それは希望を求める者の願い。
「もしかしたらその噂ってのも魔法使いが流したもので、エルフに憧れていた彼は、エルフの娘と偽りの愛に生き、そして、ノアニールの件を聞いて良心の呵責にさいなまれ、最期は偽りの愛と共に、地底の冷たい水に抱かれたのかもしれない」
それは希望を打ち砕く種。
しかし、そのいずれも事実とは限らない。
「仮説ならいくらでも生まれる。けれど事実は――伝える者がいなければ誰も知ることが出来ないさ」
ヘンリーはそう口にして、話を締めた。
カリーヌは地面に寝転がり、白い雲がゆく蒼天を仰ぐ。
「そっか…… けど、事実を選べるのならあたしは、二番目の仮説がいい。幸せがいい」
遠い目をして言葉を紡いだ彼女は、事実がそれほど都合よくはないことを知っていた。仮説は仮説なのだと知っていた。だから――
「夢は現実を縛り続けたくせに、最後に何も残してくれないなんて、ズルイよね」
そう呟いた。
ヘンリーは苦笑して、彼女と同じように空を仰いだ。