流血はほどほどに

「じゃあ、エレナ。頼むね」
「はい、アナスタシア様」
 神聖オラシオン教団本部の一室。ラジアータ王国4大貴族がひとつ、東方山猫ライアン家の当主であり、オラシオン教団大司教のアナスタシア・ライアンに割り当てられた部屋。
 そこでは部屋の主であるアナスタシアと、彼女に忠誠を誓う司祭のエレナ・リヒターが話をしていた。
 彼女達の外見は両極端。
 アナスタシアは女性とは思えないほどの体格、加えてその髪型の奇抜さや身につけた装飾品の派手さが目を引く。それでいて、その容姿もまた奇抜の一言につきるものであるから、彼女は計らずとも人々の注目を浴びる。まあ、どちらかと言えば悪い意味で。
 対してエレナは、オラシオン教団の一般的な司祭服を着込み、長い灰色の髪は三つ編でまとめ、特にこれと言った装飾品を身につけることもない。しかしその容姿は見目麗しいと形容するに相応しく、道ですれ違えば多くの者は振り返り見とれることとなるだろう。
 ただ、そのエレナも何もかも完璧とはいかない。彼女は幼い頃よりライアン家に仕えることを決められてきており、そのせいか刷り込みのように、かの家の当主たるアナスタシアを心酔している。それはもう、命を捧げるという表現が大げさでもなんでもないほどに…… そしてその度が過ぎた様子は、彼女の他の魅力を充分すぎるほど台無しにしていた。
「では、いってまいります」
 そうアナスタシアに笑顔で声をかけてから、エレナは部屋を出て行く。
 彼女はこれから、アナスタシアの美貌を保つために使われるという薬を買いにいくところなのだ。もっとも、その効果の程は推して知るべしというところだが……
 エレナは廊下を進み、礼拝堂を抜け、教団の外へ出て、星と信仰の白街と呼ばれるメインストリートを行く。
 その道沿いには彼女と彼女の双子の妹の住む部屋、そして彼女の弟が患者として入っている医院がある。名医と謳われるモーフ医師が営むその医院には早朝に見舞いにいったばかりであったが、彼女の心は意識せずともそちらに向いていた。
 病弱な弟をエレナや彼女の妹はいつも気にかけている。アナスタシア命のエレナにとって、弟はほぼ唯一と言ってもいいアナスタシア以外の関心事なのだ。
「仕事中だし会いに行くわけにはいかないわね……」
 思わず足を止め、弟の病室を眺めていたエレナは、自嘲気味に呟いてから再び歩を進める。
 そこで彼女の瞳に飛び込んできたのは、剣と賢が紡ぎだす小道と呼ばれる道を通って戦士ギルド、テアトル・ヴァンクールからやって来た少年の姿。
 少年の名はジャック・ラッセル。以前はラジアータ王国騎士団にその名を連ねていたが、とある事情で退団することとなり、現在ではテアトルのチーム「アハト」の隊長に就いている。
 エレナと彼は戦士ギルドのある依頼の時に知り合ったのだが、それ以来彼女にとって彼は不思議と気になる存在になっている。
 先に、弟が『ほぼ』唯一の関心事と言ったのはそのためだ。ジャックもまた彼女の関心事の中にその名を刻んでいるのである。
 彼女の性格上、そういった感情の動きに素直になれないところがあるのだが、それでもすでにその感情の正体を認識しているし、見かければマメに声をかけるようにしている。
 そして今回もまた、彼に近寄り軽く挨拶を口にする。
「こんにちは、ジャックさん」
「ん、ああ、エレナか。よお」
 エレナに気付いたジャックは、元気な笑顔を浮かべて言葉を返す。
「お仕事ですか? お疲れ様で……す」
 そんなジャックに笑顔を向けて言葉を返そうとしたエレナだったが、彼の後ろにいる仲間を目にするとその笑顔が引きつった。
 その仲間は合計三名。
 一人目はテアトルの一員でチーム「トリトン」の隊長、アリシア・アレン。いつも笑顔を絶やさない魅惑の女性である。
 二人目はエレナ同様オラシオンの一員。大人しそうな外見と、そして実際に大人しいその性格がマニアックなファンを惹き付ける少女フローラ・ペン。エレナは彼女とそれほど親交はないのだが話くらいはしたことがあった。
 そして最後は盗賊ギルド、ヴォイド・コミュニティーの一員フラウ。彼女はある経緯によりアナスタシアに育てられていたことがあるため、エレナとも少なからず親交がある。
 そしてその三名に共通するところは――女性であること。
 男性であるジャックがその中に一人――まあ、いわゆるハーレム状態というわけだ。
「……………」
 当然エレナは面白いはずもなく、長い間沈黙し、目つきを充分に鋭くしてジャックを睨みつける。
 そんな彼女の様子に、ジャックは不思議そうに目を細めて口を開いた。
「? どうかしたか、エレナ」
 それを聞いたエレナは無理やり笑みを顔に張り付け、しかしそのこめかみにはしっかりと青筋を立てて、
「ラジアータ国民のためにその血を流しきってきて下さい!」
 大声でそう言い放って踵を返し、目的地――雑貨屋「ワール堂」へと足早に向っていった。その頬は膨れ上がり、目つきはすれ違う者が危険を感じて大きく避けるほどに鋭い。
「っておい! それじゃ死んじまうんだけど…… どうしたんだ、エレナのやつ?」
 あとには戸惑った顔でエレナの後姿を見詰めごちるジャックと、そんな彼の様子をあるいは苦笑しつつ、そしてあるいは呆れつつ眺める彼の仲間達が残されたのだった。