憎いあいつをどうしよう
ヴァンクール広場から神聖オラシオン教団本部へと抜ける道、『太陽へと続く小道』を行く一人の少女がいる。その腕の中には雑貨屋『ばるむんく』の買い物袋が抱かれており、食品類、雑貨類を大量に買い込んでいることが見て取れる。
彼女の名前はアディーナ=リヒター。オラシオン教団に所属する司祭である。主であるアナスタシア=ライアンの命で、彼女が食す健康食品を買ってきたところなのだ。
もっとも、買い物袋に詰まっているものが全てそうかというと……
「姉さんとナルシェに色々買っちゃった。あのオバサンはお使いのとき財布渡して、その後中確認しないから使い放題なのよね」
どうやら大半は彼女の姉と弟のものらしい。
アディーナには双子の姉と年の離れた弟がいる。姉はエレナ、弟はナルシェという。
エレナはアディーナと髪型が同じで、さらに仕事中はオラシオンの司祭服を共に着ているためぱっと見た感じ見分けるのは難しい。
一方ナルシェは身体が弱く、現在名医モーフが営む医院に入院している。
アディーナは、姉には美容にいいものと彼女の好物を、弟には健康にいいものを買い揃えていた。先の彼女のセリフからも分かるとおり、主たるアナスタシアのお金で。
「……あれ? あっ、あのオバサンに頼まれたやつ買ってないわ」
と、そこで発せられた独り言は、彼女の中でのアナスタシアの扱いの軽さがよくわかるものだった。頼まれて出てきたにもかかわらず、頼まれたものを買い忘れそれ以外が充実しているというのはある意味感心してしまう。
「あ〜あ、もうちょっとで教団に着くのに戻るのかぁ。アナ子、うざいなぁ」
そう呟いて踵を返すアディーナ。ちなみにアナ子というのはアナスタシアのことらしい。
「あれ?」
と、アディーナは道の脇に落ちているものを見つけて立ち止まる。そこにあったのは都合よくもアナスタシアに頼まれていた健康食品(未開封)。
アディーナは表情を動かさずにそれを拾い、再び踵を返して教団へ向う進路に戻る。
一連の動作を至極自然に為すのだから、その神経の太さには舌を巻くしかない。
「さて、姉さんとナルシェに買った分は家に置いてから行こうっと」
教団本部の前まで来ていたアディーナは、そう言って星と信仰の白街と呼ばれる道を下る。そうして歩いて直ぐに、彼女とエレナが住んでいる建物が見えてくる。
足早にその前まで向かい、一度荷物を地面に置いて鍵を取り出し――
「あ、姉さん!」
そこで視線の端に姉の姿を見止める。と言っても、エレナがいるのは200メートルほど向こう、モーフ医院が建っている辺りだ。その光景を視界の端に捉えただけで気づくのだから、よっぽど姉のことを慕っているのだろう。実際、彼女達と多少親交がある者にとっては、アディーナがエレナ命だということは公然の秘密だった。知らぬは当のエレナのみである。
アディーナは荷物を家の玄関に放り出して、直ぐにエレナの元へと向う。それでもアナスタシアに頼まれたものは持っていく辺り、一応仕事をする気はあるようである。
「姉さん、そこで何を――」
小走りでエレナに駆け寄り声をかけたアディーナは、その後半を飲み込んで目つきを鋭くした。
その視線の先にいるのは一人の少年。戦士ギルド、テアトル=ヴァンクールに所属しているジャック=ラッセルである。彼はアディーナの要注意人物リストの上位に位置している。
ぼがっ!!
「うわっ! 何だ?」
そこでアディーナの投げた薬品入りのカプセルがジャックの頭に命中した。
「あら、アディーナ」
妹の暴走に動じることもなく、アディーナに気付いたエレナが軽く声をかけてくる。
「お疲れ様、姉さん」
アディーナは笑顔でそう返してから一転、表情を険しくしてジャックに詰め寄る。
「なんであんたが姉さんと一緒にいるのよ!」
「つ〜か、いきなり攻撃したこと謝れよ!」
「はっ。なんで私があんたごときに謝らないといけないのよ?」
怒鳴り返されたアディーナは、悪びれもせずに馬鹿にした表情を浮かべて言い放つ。
「お前なぁ…… いや、まあいいか」
ジャックは呆れて呟くが、諦めたように言葉を切った。エレナと一緒にいると、高確率で似たようなことが起こるために慣れてしまっているのだ。
「なんでエレナと一緒にいるのか、だったな。そりゃあよ――」
ジャックは気を取り直して、先の質問に答えようとする。が――
「どうしてジャックさんと一緒にいるの、姉さん?」
「聞けよっ!」
彼を無視してエレナに詰め寄るアディーナ。
そんな彼女に、ジャックはさすがに青筋をたてて抗議する。もっとも、それも完全に無視されているが……
「なんでってそれは……」
そこでなぜか頬を染めるエレナ。
その様子を見たアディーナは青ざめ、俯いて考え込む。
次はそんな彼女の思考内容である。
――えっ? ちょっと待って。何よこの沈黙。その上赤くなってるし。まさか姉さん! この馬鹿で五月蝿くて馬鹿で馬鹿なよっしゃ男のことを……
そして一度ジャックのことを見るアディーナ。
無視された後、彼女達のやり取りをぼ〜っと見ていたジャックは、突然鋭い視線を向けられ不思議そうに首を傾げる。
「睨まれるようなこと何かしたか? 俺」
ぼがっ!!
呟いたジャックに、再びアディーナの攻撃が当たる。そして彼女は再度思考の海に潜る。
はっきり言って、『何か』されているのは完全にジャックの方である。それでも彼が諦めたように遠くを見詰めているのは今までの経験からくるものであり、彼女達に関わってろくな目にあっていないという事実が窺える。
それはともかく、再びアディーナの思索を辿ってみよう。
――駄目だわ! 姉さんには悪いけど、あんなボケ男に姉さんを任せるわけにはいかない! こうなったら私がするべきことはひとつ!!
アディーナは決意の炎を瞳に宿し、ジャックに向きなおって笑顔を浮かべる。
「ジャックさん!」
「な、何だよ?」
「私を仲間にして下さい!」
突然のアディーナの提案に、ジャックは目を丸くして驚く。
そんな彼には構わずに、アディーナは自身の売込みを続ける。
「状態異常攻撃から傷の回復まで。必ず役に立ってみせます!!」
終始笑顔でそう宣言するアディーナ。最初は戸惑っていたジャックも、一生懸命頼み込む彼女を見る内にほだされてきた。それに、傷を癒せるオラシオンの司祭が仲間にいれば、戦闘の助けになるのは間違いない。
「まあ、別にいいぜ。……よろしくな、アディーナ」
と、素直に彼女を迎えるジャック。
「ええ、よろしくお願いします」
アディーナは柔らかな笑顔でそう返してから軽く俯き、口もとだけで意地の悪い笑みを浮かべる。
道具袋から何やら取り出してチェックしているジャックは、そんな彼女の様子には気付かない。
さて、ではここで、三度彼女の思考を追ってみよう。
――こうして油断させておいて毒殺っていうのがベストよね。自然死に見えるように細工だってできるし。後で材料買ってきて調合しないと♪
…………………………
その後、哀れなジャック君がどうなったのか…… それはまた別のお話である。
ちなみにエレナが沈黙した理由は――
「オラシオンの仕事休んでテアトルを手伝ってるなんて、言いづらいわよね……」
と、エレナの呟き。
まあ、そういうわけである。ただそうなると、頬を染めた理由というのは何なのか――
「じゃあエレナ、行くか。アディーナ、また今度な」
「……ええ」
引きつった笑みを浮かべ、せいぜい余生を楽しめよオーラを出しながらそう搾り出したのは、当然アディーナ。対してエレナは、
「はい」
嬉しそうに返事をしてジャックの後に続く。
……アディーナの完全な誤解というわけでもないようである。