疑問発生
「ごほっ! ごほっ!」
その日アディーナは、姉エレナが咳き込んでいるのを聞いて目を覚ました。
「ね、姉さん! 大丈夫? 風邪なの?」
「ごほ、ごほ。だ、だいじょ……ぶ。ちょっと…… っ! ごほごほ!」
「――!」
苦しそうなエレナに、アディーナはいても立ってもいられずカーディガンを羽織り、財布を手にとって外に飛び出した。目指すは雑貨屋『ばるむんく』。まだ開店前だが店主のロビンは店にいるはずだ。風邪薬、咳止め、エトセトラ。とにかく効きそうなものを買いに行く。
アディーナはアナスタシアのおつかい等でその店をよく訪れているし、開店前でも売ってもらえることだろう。いや、エレナに危機が訪れている(と少なくともアディーナは思っている)以上、そこで拒否されたとしても無理やり押し入って売ってもらうくらいのことは彼女ならするだろうが……
「ごほごほっ! はぁ、落ち着いた。悪いわね、アディーナ、起こしちゃって。水飲んだら器官に入ってむせちゃって…… アディーナ?」
遅すぎた情報開示。アディーナは外に飛び出した後である。
エレナは戸惑ったように二、三度目をしばたいたが、まあいいか、という風に弟ナルシェの見舞いに行く準備を始める。
アディーナが『太陽へとつづく小道』と呼ばれる道を抜けヴァンクール広場に入ると、噴水をはさんだ反対側からロビンがやってくるのが見える。
彼女は足早に駆け寄り――
「あれ? アディーナさ……っごほ! おはようござい……っごほごほ! ってうわ!」
咳き込みながら挨拶をするロビンの手を取り、無理やり引っ張って『ばるむんく』に急ぐアディーナ。
「ロビンさん、早く鍵を出して下さい!」
「えっ、はい……」
扉の前まで到着したアディーナは、後ろに控えているロビンを軽く睨みつけつつ急かす。
ロビンは彼女の様子に戸惑いながらも、大人しく言葉に従って扉を開ける。
途端、アディーナは再びロビンの腕を取り無理やり引っ張って、カウンターの椅子に問答無用で座らせる。そしてにっこりと笑って――
「とにかく咳によさそうなもの全部下さい」
普段と同じように普通に注文をする。
先ほどまでの様子とのあまりの違いにロビンはしばし放心し、それでもある考えに思い至り苦笑する。即ち、エレナが咳でもしていたんだろう、と。
彼女と多少親交があるなら浮かんでくる当然の考えだ。
「お姉さんは……ごほ。どんな感じの咳をして……ごほごほ、していましたか?」
それによっては必要な薬も変わってくる。もしかしたら風邪かもしれないし、その場合は風邪薬も必要だろう。
「どんなって言われても…… とにかく咳をしてました!」
そのアバウトすぎる答えに、ロビンは再度苦笑する。
――よっぽど焦ってたんだなぁ
と、姉を慕う少女を瞳に映し微笑ましく思うロビン。先ほどまでの横暴さを覚えているだろうに、そんな風に思えるのが不思議としか言えない。
「とにかく咳にいいもの全部下さい! お金ならありますから!!」
「は、はいはい。ただいま……っごほ!」
瞳を吊り上げて、カウンターをばんっと叩くアディーナに返事をして、薬を納めている棚に向うロビン。咳に効く薬なら、彼自身咳に悩まされているだけあって種類もあるし、置いてある場所も完璧に把握済みだ。
数分で数種類の薬を取り出しカウンターに並べる。
「取り敢えずこの五つがあれば、ごほ、どれか効くと思いま……っごほごほ! ……ただ、連続で飲ませるのは止めて下さいよ。副作用を引き起こす場合が……っごほごほごほ!!」
「わかっています、ロビンさん。無理して説明しなくてもいいですから」
アディーナも一応医師であるし薬の調合をすることもある。それなりに知識はあるつもりだった。
だったら、姉がどういう症状なのか冷静に見て来い、といった感じだが、エレナが絡むと焦って冷静になれないのだろうというのは確認するまでもないこと。
「そ……それと、ごほ、一応風邪薬も入れておきますね。これはサービスにしておきま……っごほごほ!」
言葉の途中で咳き込むロビン。それでも言いたいことは十二分にわかる。
「わあ、ありがとうございます」
と、にっこりと笑って返すアディーナ。
段々と落ち着いてきたのか、エレナが絡まない時の比較的礼儀正しいものいいになっている。
「それと、使わなかった、ごほごほ、薬は返品していただいて結構ですから……っごほ! 持ってきてください」
清算を済ませながら再び親切なお言葉。何だかんだでお得意さんなので甘くなるのだろう。
「重ね重ね、ありがとうございます。それじゃ、朝早くからすみませんでした」
「いえいえ、ごほ、困った時はお互い様と言いますから」
そう答え、アディーナと目を合わせてにっこりと笑うロビン。アディーナもつられて笑顔になり、しばらく微笑みあう二人。早朝のラジアータにほのぼのとした空気が流れた。
「はっ、早く帰らないと姉さんが! どうもありがとうございました!」
と、そこでアディーナはふと姉の大事を思い出し、一度お礼を言って険しい表情で出口に向う。
「お買い上げありがとうございま、ごほごほ、ありがとうございました。お大事……っに……っぐ、ごほごほごほ!」
背に向けられたロビンの言葉を聞きながら――というか激しく咳き込む様子を背で感じながら外に飛び出し家路を急ぐアディーナ。そんな彼女の胸には一抹の不安が訪れる。
「・・・・・この薬効くのかしら?」
両手に抱えた雑貨屋『ばるむんく』の買い物袋。その中に入っているのは『咳に効く』はずの薬。それを見詰めつつアディーナは呟いた。今更の疑問を。
とはいえ、それは無用の心配というものだろう。結局全ての薬を返品することになるのだから……