天と地に咲く花

「ふぅ……」
 ベッドに腰掛けてため息を吐く一人の少女がいる。長い金の髪が、窓から差し込む月の光に照らされ輝いている。
 彼女の名はリドリー・ティンバーレイク。ラジアータ王国4大貴族のひとつ、北方大鷹ティンバーレイク家の一子である。
 しかし彼女が今いるのはラジアータ城でも城下町でもない。ここは町から遠く北方に位置するヘレンシア砦。かつての妖精戦争において人間側の拠点として最重要箇所となっていた砦だ。
 ただし今ここは人間側の拠点ではない。妖精達が占拠し、彼らはここで人間達との全面戦争における準備を着々と進めているのである。
 さて、ではなぜここに人間であるリドリーがいるのかというと…… それは、現在彼女が妖精側についていることを意味する。つまり人間と敵対する立場にいるのだ。いやそれどころか、すでに何度か起きている小規模の戦で、かつては同じ場所で共に過していたかもしれないラジアータの騎士達を手にもかけている。
 彼女の先のため息はそういう事情からくるものだった。慣れない土地での生活が疲労に繋がっているというのもあるが、それでも一番彼女の心に重くのしかかるのは彼女自身が絶ってしまった命の存在…… せめてもの救いはそれが見知った者ではなかったこと――それくらいだった。
(私はこのまま自分の宿命に従うと決めたはずだ。私は……私にできることをしていくと、そう決めたのだ。しかし――)
 決意を再確認しながらも、やはり暗澹たる思いが解消されるわけもない。不安は募るばかりであった。
 これまでの戦いでは彼女が知る顔と相対することはなかった。しかしこれからもそうであるとは限らない。次の戦では、幼少より彼女が世話になっていた騎士ナツメと戦うことになるかもしれないし、一時団長として過した際に部下となった見習い騎士達と戦うかもしれない。そして――
(あいつは元気なのだろうか…… 私は――)
 そこで彼女の頭に浮かぶのは一人の少年の顔。彼女がまだ見習い騎士として桃色豚闘志団の一員であった時、同僚として同じ時を過したジャック・ラッセル。
 彼とは彼女がラジアータを出てから一度だけ顔を合わせていた。風龍セファイドが倒された時、このヘレンシア砦を妖精族が占領した直ぐ後、ジャックは西方獅子ガウェイン・ロートシルトと戦った。
 その際ジャックはガウェインに敗れ、リドリーは――
(あの時はガウェイン殿を止めてしまったが、あいつが、私が進むこの道を阻むというなら……)
 そこまで考えて、リドリーはその先を続けることを止めた。考えてしまうだけで挫けそうになるから。その道を引き返したくなるから。
(このまま会わずに宿命に生きればいいのだろうか…… しかし――)
 会いたい。そう思ってしまう。
 それが俗に言う愛情なのか、それとも友情なのか。詰まるところはっきりしているわけではない。それでも会いたいと切に願うのはまぎれもない事実だった。
 会ったなら、それぞれの道のために争うこととなるのか。それとも――
 そこで彼女は再び思考を止める。
 それ以上考えたところでどうなるものでもない。どう転んだところで彼女達の邂逅は戦いの中になるはずだ。希望は――持たない方がいい。
 ばふっ。
 暗い気持ちになったリドリーはベッドに倒れこみ目をつぶる。
 しかしすぐに瞼を押し上げ、
「ん? そういえば今夜は……」
 小さな呟きを漏らす。
 彼女の脳裏には、かつて城から見上げたあるものの存在があった。
 その存在が、今まで燻っていた彼女の衝動を後押しする。ある大胆な行動に対する衝動を――
「よしッ!」

 十数分後。リドリーの部屋を訪れる者がいた。
 こんこん。
「リドリー。ザイン様が呼んでる」
 部屋をノックし声をかけたのはココ。妖精族の指揮を取るザインの小間使いのようなことをしているダークエルフだ。
 どうやらザインに頼まれてリドリーを連れに来たらしい。
「少し待ってくれ。今行く」
 そこで部屋の中から聞こえてきた声に、ココは首を捻った。
(あれ……? この声――)
 彼が抱いた疑惑はすぐに解消されることとなる。リドリーの部屋の扉がゆっくりと開き、
「待たせたな」
「!?」
 そこには確かに見知った鎧を着た少女がいた。しかし――
「何してんの? マーシオ」
「何を言っているんだ? ココ。私はリドリーだゾ。それより早く行こう。ザイン様…… じゃなくてザイン殿を待たせては悪い」
 そう。扉を開けたのはリドリーではなかった。薄い色の髪と浅黒い肌をしたダークエルフのマーシオ。誰に対しても愛想がよいのと、やや守銭奴としての資質を備えているのが特徴的な少女だ。
 リドリーの鎧を着込んだ彼女は、すたすたとザインの部屋へ歩を進める。
「ちょ、ちょっと待ってマーシオ! 何でリドリーのふりしてるか知らないけどさ……」
 当然声をかけて止めようとするココ。だが、それでもマーシオは歩みを止めることはない。
「ふりではない。私はリドリーよ……だゾ」
「しゃべりおかしいって。ザイン様に怒られるよ!」
 なおも止めようとするココだったが、そこで二人はザインの居室の前に至ってしまう。マーシオは扉の前で立ち止まり、
「ザインさ……殿、遅くなってすまない。私だ」
 完全に地声のままで部屋の中に向けて声をかける。
 ココは頭を抱え、
(あ〜、もう知らないよ)
 事態を収拾するということを放棄した。
「入れ」
 部屋の中のザインは、声だけでは気付かないようで普通に入室を促す。
 がちゃ。
 扉を開けて部屋に入ったマーシオ、ココの二人はザインと相対し……
「先刻ガウェインとも話し合ったのだが…… 四龍は倒され、世界の均衡は崩れようとしている。近々世界の果てに赴いてもらうことになると思うが――」
 ザインはマーシオをしっかりと見詰め説明を続ける。
(エーーー! すんなり受け入れちゃったーーーっ!!)
 ココは確実に自分にもお叱りがあると思っていただけに、意外すぎる展開に口を大きく開けて驚く。勿論声を漏らしはしなかったが……
「はい」
 マーシオは笑顔で、しかし顔にはてなマークを浮かべしっかりとした返事を返す。
(絶対理解してないな、これは……)
 ココは、意味がわからないだろうに満面の笑みで相槌を打っているマーシオの愛想のよさに、半ば感心しながら、そして半ば呆れながら二人のやり取りを見詰める。
 そしてくどくどと話すザインの声と、ひたすら笑顔で相槌を打つマーシオの声を聞きつつ、
(ていうか…… 本物のリドリーはどこに行ったんだろ?)
 当然の疑問を浮かべて、疲れた瞳で遠くを見た。

 ラジアータ城下町南方のルプス門付近、旅ブタと呼ばれる不思議な移動道具を用いてその場に現れる影があった。それは――
「ラジアータか…… それほど時間が経ったわけでもないが、随分と久し振りのような気がするな」
 本来ならこの地にいるのが当たり前であるはずのリドリーの姿。その装いは鎧のような仰々しいものではなく、マーシオに借りた人間の普段着。
 先にも述べたとおり守銭奴の気がある彼女に借りただけあり、貸し出し料もしっかり取られていたりする。
「さて、まずはジャックの家に――」
「リドリー」
 喜び勇んでラジアータに入ろうとしたリドリーは突然かかった声に対し、頬に汗を伝わせながらゆっくりと振り返る。これがラジアータにいる知り合いからかけられた声ならゆっくりと振り向いている場合ではないのだが、今聞こえた声は――
「ガウェイン殿!」
 そこにいたのは、かつてこのラジアータで西方獅子と謳われた騎士ガウェイン・ロートシルト。しかしリドリーにとって彼は、見習い騎士時の上司であるガンツ・ロートシルトの父という印象が深い。
 それはともかく、この状況は彼女にとって非常にまずい。彼は現在彼女と同様に妖精族の側についている。このままでは当然連れ戻されることとなろう。
 リドリーは慌てて言い訳を始める。
「あ、あの…… これは、その…… そう、散歩です! こう何とな〜く、ふらふら〜っと。だから別にラジアータを目指していたわけではなく――」
「嘘など吐かなくともよい」
「えっ?」
 懸命に言葉を連ねるリドリーを遮って紡がれたガウェインの言葉は彼女を驚かせた。
 ガウェインは続ける。
「ケアンの息子――ジャックに会いに行くのだろう? 元々世界の果てに行く前に会わせるつもりではあったからな。問題はないだろう」
 それを聞いたリドリーは満面の笑みになり――
「本当ですか!」
 歓喜の叫びを上げる。
「ああ」
 ガウェインはそんなリドリーを微笑んで見詰め、しかしそっけなく返す。
 そしてひとつの疑問を口にする。
「だが、なぜ今日なのだ? わざわざ身代わりまで立てて……」
 身代わりというのは勿論マーシオのこと。ガウェインは知らないが、リドリーは身代わり料金まで払っている。
 ただ出てくるわけにもいかないだろうと考え、駄目もとで身代わりを頼み込んだ彼女にマーシオは――払うものさえ払ってもらえれば♪――と言って満面の笑みを浮かべたのだった。そうして見事利害が一致したわけである。
 リドリーはその時のことを少し思い出し苦笑するが、すぐにガウェインの疑問に答える。
「ガウェイン殿がいた頃はどうか知りませんが、最近のラジアータではこの時期になると――」
 どんっ!!
 彼女の言葉を遮って、腹の底から響く大きな破裂音が鳴った。
「――っ! 何だ!」
 緊張した面持ちでガウェインが叫ぶ。その手には斧がしっかりと握られていた。
「あ、大丈夫ですよ。ガウェイン殿。あれの音です」
 そう言ってラジアータ上空を指差すリドリー。その先には暗い空が見えるだけだが――
 ひゅ〜〜〜、どんっ!!
 再び大きな音が響き渡り、黒で塗り潰された空に光の花が咲いた。
「花火…… そうか。花火大会は今でも開かれているのだな……」
「ガウェイン殿がいた頃からあったのですか?」
 懐かしそうに呟いたガウェインにリドリーが訊く。
「ああ。妻やガンツとも見たものだ。懐かしいな」
 そこで優しい顔になるガウェイン。そんな彼を微笑んで見詰めるリドリーだったが――
「って! もう始まっている!? 急いでジャックの家に向わなくては!」
 そう叫んでルプス門を目指す。
「――ああ、なるほど、な……」
 ガウェインはそう呟いてから暗い表情でリドリーを追う。彼女の想いは、このままでは悲しい結末を齎すのみ。そのことを思いながら――

 リドリーがジャックの家を訪れたとき彼は留守だった。それゆえリドリーとガウェインはラジアータ中をこそこそと歩き回っている。
 リドリーは幼少時より城で過していたため、城下町で見咎められる可能性は少ない。しかしガウェインは色々な意味で有名であるため、当時を知る者などは記憶していることだろう。そうなってくると、堂々と歩き回るわけにもいかないというものである。
「あ! ジャッ……ク」
 そこで漸くリドリーはジャックを見つける。しかしその表情は暗い――というより不機嫌さが際立っている。
 ジャックの隣には、薄い灰色の長い髪を三つ編でまとめた少女が一人。彼らは談笑しながら花火を見上げていた。
「ガウェイン殿……」
「何だ?」
 目つきを鋭くしてジャック達を見詰めていたリドリーの呼びかけに、ガウェインは少々の哀れみを携えた返事をする。
「今なら『メラメラ嫉妬心』のスキルを覚えられそうです……」
「勝手に妙なスキルを作るな」
 今度は呆れ顔でリドリーに返すガウェイン。
 それでも気を取り直し――
「どうする? このまま帰るか?」
 ガウェインがリドリーの方を見て訊くと、そこに彼女の姿はもはやなかった。
 視線を巡らすと、ジャックと少女の方へずんずん進んでいくリドリーの姿。
「やれやれ」
 ため息を吐いてガウェインはゆっくりと進む。

「ジャック!」
「へ? リ、リドリーか! 何だよ、やっぱ戻ってきたのか〜?」
 目つきも鋭く声をかけたリドリーを見ると、ジャックは歓喜の叫びを上げて彼女に近づく。しかしリドリーは彼の問いかけに答えるでもなく、
「その女は何だ!」
 少女をびしっと指差し叫ぶ。
「ん? ああ、こいつはエレナ。オラシオンの司祭で偶にテアトルの仕事を手伝って貰ってるんだ」
 ジャックは特に慌てるでもなく普通に紹介する。
 一方、紹介されたエレナはリドリーを鋭く睨む。それは敵意を向けられたためか、それとも――
 とにもかくにも、リドリーは核心に迫る質問をする。
「それでそいつは、その…… お前の、か――」
「こらぁ、ジャック! てめぇだけ女の子二人もはべらしてんじゃねぇよ! ヒック」
 リドリーの言葉を遮ったのは、少し離れた所にいた酔っ払いの中年男性。
「変な言い方するなよ、タナトス!」
 ジャックは面倒そうに返す。
 当のタナトスはテアトルの受付を任されている元戦士。かつてはひとつの部隊を任されていたが、当時十五の少女に敗れたことで引退を決意し現在に至っている。
 そしてジャックの近くにいたのは彼だけではない。
「あらあら。もてもてね、ジャック?」
 にこにこと声をかけてきたのは、タナトスが引退を決意する一因となったくだんの少女――今では立派な女性へと成長したアリシア。テアトルの一部隊トリトンの隊長だ。
「…………………………」
 そして無言で近づいてきたのはジーン。彼はテアトルに所属はしているがどの部隊にも入っていない。ジャックの仕事を偶に手伝うくらいだがその実力は中々のものだ。欠点としては人付き合いが極端に苦手であること。
「ていうか知り合い多いよね、ジャックって。この辺にいるのって全員そうなんでしょ? テアトルはまあいいとして、オラシオンのアナスタシア派、フェルナンド派どっちもいるし、うちの人達も多いし、ヴォイドの人達まで……」
 そう言って辺りを見回しているのはヴァレス魔術学院の生徒コーネリア。とある事情で授業中の居眠りが多いが、それでもその成績は中々のものとの話。幼いながらヴァレスの学長に入学を薦められただけはある。
 そして彼女の言うとおり、この近辺に集まって騒いでいる者達は全てジャックの知人だった。ラジアータの四つのギルドに所属する者の多くが集まっているのだ。
「せっかくだから皆で楽しんだ方がいいだろ?」
「お子様ねぇ」
 笑顔で返したジャックに、コーネリアは子供らしくない口調で呆れたように言った。視線は心なし哀れみを含んでおり、その向う先はリドリーとエレナ。
 そこで、しばらく放心していたリドリーが安堵の表情を浮かべる。
「そうだったのか……」
「? てか、リドリー。その後ろの、モヒカンを左右に分けた奴は誰だ?」
 と、リドリーの後ろを指差し疑問を口にするジャック。
 彼女の後ろにいるのはモヒカンが特徴的――だったはずのガウェイン。彼はラジアータに入る前に、自分の中で一番印象に残るのはモヒカンだろうと見当をつけ、ゆえにそのモヒカンを左右に分けて正体がばれるのを防ごうとしたのだ。
 リドリー辺りは、それで誤魔化せるものではないだろう、と考えていたのだが――ジャックの様子を見る限り見事だませてしまっているようだ。
「私はガンツの――叔父だ」
「団長の? ってことは、あのガウェインの兄ちゃん?」
「いや、弟にあたる」
 ガウェインがそう言うと、ジャックはへぇと納得した。
(なぜ納得できるんだ……?)
 リドリーは疲れた表情でそのやりとりを見詰める。
 どう見たところでガウェインその人にしか見えない彼女からしてみれば、ジャックの反応は不思議としかいえないものだった。
(ふぅ。私はなんでこんな奴のことが気になるんだ……)
 彼の間抜けな様子に、そのようなことを考え嘆息するリドリー。しかしそれでも、ジャックに会えたというただそれだけで、この上なく嬉しい気持ちになるのだから不思議なものだ。
 ちっ……
 そこでリドリーの耳に届いたのは舌打ち。彼女の隣で、彼女同様ジャックとその周りに集まっている者達を眺めているエレナ。
 彼女の瞳は鋭く、その視線はジャックの周りの者達に注がれている。それを見たリドリーは瞬時に理解する。
 ジャックの奴はともかくこの女は本気だ、と。
 その事実に気付いた彼女がエレナのことを睨んでいると、エレナもまたリドリーのその視線に気付き鋭い目つきで見返す。
 エレナもまた、女の勘というやつでリドリーがどういう気持ちを持っているのかに気付いたのだろう。
 彼女達の視線は激しくぶつかり、空の上とは異質の火花を散らす。
 そのように水面下で、メラメラ嫉妬心のスキルを覚えた二人の少女が争っている中、他の面々は、ジャックとガウェインまでもほのぼのとした雰囲気で過ごし、ラジアータ王国花火大会の夜は平和に――あくまで表面上は平和に過ぎていったのだった。