愛しき者を救うべく、いざ行かん

 ラジアータ城に添うように建つ荘厳な建築物がある。神聖オラシオン教団の本部だ。その中にある礼拝堂では朝も早くから、教団の教皇であるカイン・ガーフィールドが祈っていた。その傍らには彼の護衛を勤めるアキレス・ジョンソンがいる。
 彼らはそのまま小一時間ほど過ごし、それから、カインが口を開く。
「先日、テアトルとヴォイドの間で諍いが生じたそうですね?」
 数日前のこと。ヴォイド・コミュニティーの施設内で、テアトル・ヴァンクールの隊員数名とヴォイドメンバーの間で戦闘行為があった。その争いの根幹には城の上層部の人物が関係していたこともあり、世間一般にはそのような事実は伝わっていない。しかし、人の口に戸は立てられない。知る人には知れることとなった。ましてや、カインはラジアータを代表するギルドのひとつ、オラシオン教団を統括する立場にいるのだから。
「はっ。そのように聞いております」
「……悲しいことです。同じ地に生きる者同士、なぜ争わねばならぬのでしょう」
 アキレスの答えを受け、カインは瞳を細める。そして、再び祈りの態勢をとった。
「……」
 アキレスは沈黙と共にカインを見詰め、それからやはり、主への祈りを捧げた。

 神聖オラシオン教団本部の一室にて、ゴドウィン・ハイアムズは窓の外を眺めつつ、愛弟子のミランダ・ニームに声をかける。
「のぉ、ミランダ」
「はい! なんでしょう、ゴドウィン様!」
 元気いっぱいに応えるミランダを一瞥してから、ゴドウィンは再び窓の外を見やる。その視線の先には走り回る子供達の姿があった。彼らは、ゴドウィンが青空教室にて勉学を教えている者達だ。
「実はのぉ。教団で劇でもしたらどうかと考えとるのじゃが、おぬし、どう思う?」
「劇……ですか? うーん、どうでしょう…… フェルナンド様の派閥におられる方でしたら協力していただけると思いますけど、アナスタシア様の派閥の方は……お金を取ってやる場合じゃないと無理ですよ」
 そこで、ミランダもまたゴドウィンが視線を送る先に瞳を向ける。元気な声が響いている。
「ゴドウィン様のお考えとしては、あの子達を楽しませてあげたいということですよね? そうなりますとお金を取るってわけにもいきませんし……」
 そう呟き、ミランダはこめかみに人差し指を押し当て、考え込む。
 ゴドウィンは横目で彼女の様子を見やり、それから窓枠に跳び乗る。小さな体の老躯に似合わない身体能力である。
 師の突然の行動にミランダは瞠目する。
「ゴドウィン様……?」
「のぉ。逆を言えば、フェルナンドのとこと協力すればいけるかの?」
「……え? あ、それは…… そうですね」
 ミランダの返事を耳にするとゴドウィンは一度ふり返り、口の端を持ち上げて笑う。そして、窓の外に顔を向け直し――
「そうか。なら任せたぞ。わしは行くところがあるのでの」
「え? あ、あの、ゴドウィンさ……」
 しゅっ!
 ミランダが声を上げた瞬間、ゴドウィンは残像を残して消えた。
 残された少女はしばし呆け、それから情けない表情で呟く。
「うぅ…… また置いてかれたぁ……」

「劇? 子供向けの? 私は別に構わないけど……」
 レリーフの雑巾がけをしていた司祭長フローラ・ペンは、ミランダから声をかけられ、そう口にした。
「ホント? 助かる!」
「けど、できれば私は裏方の――小道具係とかの方がいいんだけど……」
 あまり目立つのは好みでないのか、苦笑しつつフローラが言う。
 それに対し、ミランダは快活に笑う。楽しそうに手を振りながら、口を開く。
「そこは好きにしていいよ。何せ、フローラがプロデューサーなんだし」
「そっかぁ………………って、え?」
 思わずレリーフを拭く手を止め、フローラがゆっくりと視線をミランダに向ける。しかし、そこには既に目的の人物はいない。
「み、ミランダ?」
 戸惑い、視線を巡らすと、ミランダは勝手口まで移動していた。
「ミランダ!?」
「それじゃあヨロシクねー! 私はゴドウィン様を追いかけないといけないから! それじゃ!」
 素早く外へ跳びだすミランダ。
「ちょ、待って! み、ミランダぁ!」
 残された少女はしばし呆け、手にしていた雑巾を落とす。そして、軽く泣きそうになりながら、呟く。
「うぅ…… また押し付けられた……」
 どうやら、偶にあることらしい。

 オラシオン教団本部の通路で、二人の人物が立ち話をしている。フローラと、もう一方は男の子――ではなく……
「はぁ? 劇って…… 俺はパス。面倒くせぇ」
「そ、そんなこと言わないでよ、ビシャス」
 男の子のように見えたのはビシャス・ヤングという名の少女。よくよく見たとしても、男にしか見えない外見が最大の特徴である。
 そんな彼女は、フローラの劇に出て欲しいという願いを突っぱねた。とはいえ、そこには言葉どおりだけではない理由が存在する。彼女はその外見ゆえ、劇などにおいては幼少時よりしばしば男の役を割り当てられることが多かった。それゆえだ。軽いトラウマが原因だった。
「悪いな。これから訓練なんだ。ま、他をあたってくれ」
 トラウマを抱えた少女は、手をひらひらさせながら去った。
「……はぁ。他っていったって、エレナさんやアディーナさん、ルルさんに声をかけても無駄だろうし。あ、クライヴさんとか。……でも、最初は誰でもいいから女の子がいいなぁ。他に誰か――いないわね……」
 深くため息を吐くフローラは、とぼとぼと通路を歩く。
 そのような様子だったため、後方の柱の陰にいた紫色の肌の男性に、彼女が気付くことはなかった。

「カイン様」
 懺悔を聞くための部屋に控えていたカインのもとを、アキレスが訪れる。現在懺悔している者はいないようで――というより、そのタイミングをアキレスが選んだのだろうが――カインは直ぐにアキレスに相対す。
「どうしました? アキレス」
「フローラが劇を行うための人員を集めている模様です。おそらくはゴドウィン様のご意向かと」
 報告を受けたカインは、顎に手を当てて考え込む。
「劇……ですか。それはいいですね」
 呟いたカインは徐に立ち上がる。
「アキレス。フローラ君はどこにいますか?」
 問いを受けたアキレスは素早く動き、カインを導いて歩き出した。

「はぁ……」
 フローラはレリーフを拭いて回りながら、何度目になるか分からないため息を吐く。未だに、劇に出てくれる人物が見つからないゆえだった。人のいいクライヴ・パーカーや、正義に燃えるエルヴィス・ムーアあたりに声をかければ、快く協力してくれることは分かっていた。しかし、彼女としてはまず女の子の協力者が欲しかった。男の子の協力者の確保は、それからにしたかった。
「はぁ……」
 とはいえ、ミランダ、ビシャスを除くと、彼女がオラシオン教団内でよく知っている女性は、アナスタシア派に所属するエレナ・リヒター、アディーナ・リヒター、ルル・リッチーの三名くらいである。しかし、アナスタシアの思想に同調している彼女たちが、無償で子供向けの劇に協力するとは思えなかった。声をかけるだけ無駄に思えた。
「……サイネリアにでも頼もうかしら。けど、仕事休めないわよね」
 サイネリア・ベルはフローラのルームメイトだ。星と信仰の白街沿いにあるモーフ医院の受付嬢をしている。
 フローラとしては、心安くしているだけあって頼みやすくはあるが、彼女自身が口にしたとおり、仕事の邪魔をするわけにはいかない。
 もっとも、それはオラシオンの者であっても同じである。しかしそこはそれ、ゴドウィンが主導であるならば、仕事の融通はそれなりに利かせられることだろう。
「……はぁ」
 もはや何度目になるか分からないため息をついたフローラ。そんな彼女の背後から、男性が二名近づいてくる。しかし、男性二名が足音をも立てずに歩いているためか、それとも、フローラが注意力散漫になっているためか、彼女が男性達に気づくことはない。
 男性達は数メートルのところまで迫る。そして、彼らのうち一名が声をかける。
「フローラ君」
「え? あ、カイン様!」
 拭き掃除を止めて直立するフローラ。
「仕事を続けたままでいいですよ」
「は、はい」
 声をかけられても、拭き掃除は中断したままで相対する。
 今度はカインも構わずに、話の先を続ける。
「ところで、小耳に挟んだのですが、劇を行うために人を集めているそうですね」
「はい。ただ、あまり人が集まらなくて……」
 フローラが表情を暗くして呟くと、カインは柔らかな笑みを浮かべる。
「なるほど。それでは、私が何とかしましょう」
「え? い、いえ、そんな。カイン様にご迷惑をおかけするわけには……」
「気にする必要はありません。私がそうしたいだけなのですから」
 そのように声をかけられても、フローラはしばし目を泳がせて落ち着かない様子だった。しかし、カインの表情を窺うと柔らかい笑みを浮かべており、加えて、気にするな、というように力強く頷いてみせる。
 そこで、フローラは漸く心を落ち着け、こちらもやはり柔らかな笑みを浮かべて、
「はい。有難う御座います。よろしくお願いします」
 丁寧に礼をした。
 それに対し、カインは、ええ、と軽く応え、さらに言葉を続ける。
「とはいえですね。教団内の者に無理を言うとあとあと面倒なことになりかねません」
「それでは……」
「少し話を大きくしてしまうかもしれませんが……」

「えぇっと…… それでは皆さん、まずはどんな演目をやるか決めたいと――」
「俺、桃太郎がいい!」
 と、フローラの言葉を遮って、テアトル・ヴァンクールより参加しているジャック・ラッセルが言った。
「人の話は最後まで聞け。ジャック」
 こちらは、騎士団より派遣されたリドリー・ティンバーレイク。
「わたしはシンデレラとか白雪姫がいいと思います」
 同じく、騎士団よりニーナ・ハーリン。
「あたしは、そんなナヨナヨしたのより桃太郎の方がいいわぁ」
 ヴォイド・コミュニティ所属、フラウ。
「オイラは長靴をはいた猫とかいいっスね」
 同コミュニティ所属、アルマ・クーリッジ。
「それはつまり、自分が主人公になれそうだか――むぐ」
「こ、こら。駄目よ、アデルくん」
 口をふさがれたのは、ヴァレス魔術学院の生徒アデル・ウェルズ。
 慌てた様子でアデルの口をふさいだのは、同じくヴァレスの生徒レオナ・ヴァイスハイト。
 ちなみに、アルマは容姿が猫に非常に似ている。
「おらは何でもいいだべ。どんな題材になっても、一所懸命木の役を頑張るだけだべ」
 最後に発言したのはクライヴ・パーカー。オラシオン教団に所属している。
 以上、それぞれのギルドと騎士団から集った有志九名によって、劇の演目をどうするか議論がなされているのである。
「子供に見せんだろ? やっぱ勧善懲悪の話の方が盛り上がるだろ」
「いや待て、ジャック。最近の子供はませている。勧善懲悪であるよりも、それぞれの価値観の下、それぞれの正義を行動指針として生きる者達の物語の方が――」
「いや。いくらませてるっていっても、子供向けでそれはどうかと思うわよ?」
「それに、女の子にはお姫様が出てくる話とかの方がいいと思いますが……」
「そういえば、見に来るのは男の子と女の子、どっちが多いんスか?」
「え。そうですね…… ゴドウィン様が授業をされている子達は、男女比が半々といったところらしいですが、劇をするとなると普段授業を受けていない子達も集まってきそうですし」
「んだば、どっちにも受けそうな話がいいんじゃないだべか」
「どっちにも受けそうな話なんてどんなのだろー」
 アデルの発言を受け、議論を戦わせていた面々が腕を組んで黙り込む。
「んー。とりあえず、男の子供代表として、お前はどんな話がいいんだ?」
「む。子供だなんて失礼だな、ジャックは」
「まあまあ、アデルくん。ここは抑えて」
 何気なく紡がれたジャックの言葉に、アデルは頬を膨らます。しかし、直ぐにレオナが声をかけたため、何とか機嫌を直した。
 そして、しばし考え込み、答える。
「……うーん、僕なら、剣とか魔法でモンスターと戦う、なんていう話が好きだなぁ」
「ふむ。まあ、男の子ならそうだろうな」
「で。女の子としては、やっぱシンデレラみたいなんがいいのか?」
「私はアデルくんが口にしたようなものの方が好みだが…… 一般的な女の子の趣味ではないだろうな」
「そか。すると、ニーナはどうだ?」
「え、わたしはそうだなぁ。綺麗なお姫様が出てくるといいと思うけど」
「んー。それより、恋愛を前面に出した方が受けそうじゃない? ませてる女の子相手なら、ってことだけど」
「オイラは猫も必要だと思うっスよ」
「おらは木が出てくれば何でもいいべ。それで出番は確保できるべさ」
 ぱんぱん。
 皆がそれぞれ好き勝手に意見を言い始めたところで、フローラが手を数度叩く。
「えっと、一度整理しましょう。まず剣と魔法で何がしかを倒す主人公がいて――」
「そこに綺麗なお姫様や恋愛要素を絡める、か?」
「そして、猫と木が出てくる、と……」
 生まれる沈黙。
 そして、呆れた声がその静寂を破る。
「最後の二つ、いんの?」
「いるっスよ!」
「いるべさ!」
 ぱんぱんぱん。
 呟いたフラウに、アルマとクライヴが詰め寄る中、再度フローラが手を叩く。
「い、一応、考慮に入れておきましょう。猫が好きな子供は多そうですし、木も臨場感を高めるために必要ですよ、きっと……」
「そうだな。しかし、これから内容を詰めていく段階でそぎ落とさなければいけなくなった際はゆずってくれ。アルマ、クライヴ」
「むー、残念だべが、一度は一緒に戦ったリドリーの頼みとくれば、おらは構わないべ」
「すまないな」
 クライヴが素直に頷いた一方で、アルマは口を尖らせる。
「……騎士団の団長だかなんだか知らないっスけど、何か偉そうじゃないスか」
「別に偉いということはない。君に対して命令権を有しているわけではないからな。聞き入れたくなければ別にそれでも構わない」
「その物言いが偉そうっつってるんスよ!」
 淡々と言葉を紡いだリドリーに、アルマが目つきを鋭くして噛み付く。
 彼の伸ばした手がリドリーに届くかという段階で――
「ちょい待った」
 ジャックが止めに入った。
 アルマの目つきが鋭くなる。
「何スか……? この間の下水道じゃ油断したっスけど、オイラが本気を出せばアンタなんて――」
 まずい、とフローラは緊張を高める。
 昨日のこと。彼女はカインからひとつ注意を受けていた。

「ギルドと騎士団から有志を募るんですか?」
「ええ。ギルド同士の親睦を深める意味も添えたいのです。特にテアトルとヴォイドは少し仲たがいしているようですから、これを機に関係の修復を図れればとも考えているのですよ」
「なるほど…… そうなんですか」
 フローラが呟くと、そこでカインは、笑みを浮かべていた表情を引き締め、口を開く。
「そういうわけですから、テアトルから来る方とヴォイドから来る方の動向には少し気をつけておいて下さい。少々気を揉ませるかもしれませんが、どうかよろしくお願いします」
 頭まで下げられては、そこでフローラが拒絶をすることなどできなかった。

「あああああ、あの……」
 目を白黒させながら間に入ろうとしたフローラだったが、勇気が出ないのか及び腰である。
 このままでは、テアトル対ヴォイドの構図が出来上がってしまう――かと思われたが……
「ちょい待て。アルマ」
「へ?」
 当事者たるジャックに冷静に止められ、アルマは間の抜けた声をあげる。
 そして、ジャックに呆けた瞳を向ける。
「お前はここにヴォイドの代表としてきてんだろ? そんで俺はテアトルの代表としてきてる」
「そ、そうっスね」
「ここで喧嘩するってことは、テアトルとヴォイドの戦いを始めるってことになるんだぞ?」
「それはそうっスけど……」
「この間はそっちと利害が一致しなかったから戦いになったけどさ。俺達は、本来はいがみ合う必要なんてないはずだろ?」
「それは……」
「こんな下らないことでヴォイドとの関係を悪くしたんじゃ、俺は大隊長に申し訳が立たない。そっちだって同じじゃないのか」
「それは…… うー、わかったっスよ。今日のところは仲良くいこうっス」
『おーっ!』
 歓声が上がった。
「ど、どうした、ジャック? 熱でもあるのか? お前が相手を説き伏せるとは……!」
「こんな真面目なジャック、初めて見たわ……」
「拾い食いでもしたんじゃないの」
「僕と一緒にいたずらして怒られてた人には見えないなぁ」
「偽者なんじゃないべか?」
 そして、賛辞……らしきものが続いた。
「お前らなぁ……」
 こめかみに青筋を立てつつ、言葉を搾り出すジャック。
 これはこれで険悪な雰囲気になりそうだと危惧したフローラは、先ほどよりも落ち着いた様子でジャックに声をかける。
「ま、まあまあ、ジャックさん。皆さん、悪気はないんですよ。それよりも、凄いです。とても素晴らしい考えをもっておられるんですね」
「悪気ない、ねぇ。そうならいーんだけど…… てか、そんな褒められると照れるぜ。大隊長の受け売りを口にしただけなのに」
『あー、やっぱり』
 ほぼ全員の声が揃った。
「だからお前らな……」
「あの……」
 そこでおずおずと手をあげたのはレオナだった。
「どうしました、レオナさん」
「あの、えっと…… 今、ジャックさんがリドリーさんを守ったところを見て思ったんですけど、悪い人にさらわれたお姫様を救い出す騎士のお話とかどうでしょうか?」
「あ。なるほどー」
「それで猫と」
「木が出てくれば完璧だべ」
 アデル、アルマ、クライヴの順番で頷く。
 そして、
「悪くないな」
「確かに」
「あたしは異論なーし」
 他の者も口々に何か言いながら頷き、賛成の意を示した。
 フローラはほっと胸をなで下ろし、
「それでは、今レオナさんが仰ったような内容でいきましょう。細かい内容は――レオナさんにお願いしてもいいですか?」
「え? 私、ですか?」
 戸惑った表情で視線を落とすレオナ。
「駄目ですか? そういうのが得意そうに見えたので……」
「あ、いえ、構いませんけど…… ただ、上手く出来るかどうか……」
「大丈夫だって、レオナ!」
 不安げなレオナに、ジャックが力強い笑みを向ける。そして、さらに続ける。
「レオナだけに押し付けるんじゃなくて、お前が考えたやつを基に皆で考えようぜ。それならいいだろ?」
「……うん。それなら」
 弱弱しく笑いつつも、レオナが頷く。
「そうと決まれば、さっそく取り掛かりましょう。あ。今、書くものを持ってきますね」
「あ、すみません。よろしくお願いします」
 フローラが席を立ち、話し合いの場はひと段落ついた。

 レオナが考えをまとめあらすじを書きとめている間、各ギルドと騎士団の面々は、めいめい好きなように過していた。雑談に興じるものもいれば、暇だからと一旦外へ出ているものもいる。ジャックとリドリーは、椅子に座って雑談に興じている組に属す。
「お前と話すのも、この間の誕生会以来だな」
 ジャックは先日、城で催されたリドリーの誕生パーティに招かれた。しかしその会場で、彼女の婚約者たるクロス・ワードとちょっとした争いになり、パーティの途中で帰ってくる結果となっていた。
「ああ。……この間はすまなかった。クロスの奴が――」
「ストップ。気にすんな。俺は別に気にしてねぇし」
「……ああ」
 明るく笑うジャックに対し、リドリーの表情は相変わらず冴えない。それを見止めたジャックは、眉を顰めて口を開く。
「何かあったか?」
「……いや。大丈夫だ。少し疲れているのだろう」
「そうか? ならいいんだけど……」
 実際はそれだけでなかった。リドリーは自身の誕生会のあと、耐え難い事実を知った。しかし、今それを語る気はなかった。
 この集まりは、オラシオン教団教皇カインより正式に要請があったもの。明言されていなくとも、各ギルドと騎士団と、それぞれの親善の意味が込められているのは間違いがない、とリドリーは考えている。そうであるならば、空気を悪くしかねない打ち明け話などこの場でするべきことではないだろう。
「心配をかけたようだな。すまない」
 弱弱しく微笑む彼女の様子は、ジャックにやはり違和感を抱かせる。しかし、ジャックもそれ以上は訊かないことにした。そうした方がいいと感じた。
「……えと、まあ、何だ。もし何かあるようなら、相談してくれよ。俺たちは、その、仲間なんだしさ」
「ああ。有り難う、ジャック」
「……お、おう」
 ぎこちないながらもそれぞれ笑みを浮かべている様子は、傍から見れば仲睦まじく映ったことだろう。そして、それゆえ――
 どんっっ!!
「どわーっ!」
 がくっ……
「なっ!」
 驚愕の声を上げたリドリーの視線の先では、突然襲い来た光線の直撃を受けたジャックが煙を上げていた。怪我は大したことがなさそうだが、意識は手放してしまっているようである。
「……今のは……何だ?」

「? どうしたの、姉さん。突然、アナスタシア様直伝のチャーミングボイスを撃つなんて。しかも教団の窓に向って」
「……別に! 急に撃ちたくなったのよ! 駄目なの!?」
「い、いや、駄目じゃないけど……」
 とある双子姉妹の会話だった。

「あの、出来ました」
 ジャックが軽く焦げてから数十分。レオナがおずおずと宣言した。
「へぇ。どれどれ」
「登場人物は六人か」
「えーと、主役の騎士と、ヒロインのお姫様。騎士の従者が一人と――」
「あとは王様と木と…… 猫魔王?」
「……木もしっかり入ってるんだね」
「いや、それよりも、猫魔王って何?」
 フラウが呆れた表情で訊くと、レオナはおどおどとしつつ答える。
「お、お姫様をさらう悪役です。子供向けですから、悪役も可愛い方がいいと思って……」
「おー、なるほど」
 ジャックが素直に納得する一方で、リドリーが首をかしげる。
「しかし…… 悪役なのだから倒すのだろう? 可愛いのが倒されるのは、あまり喜ばれないのではないのか?」
「……あ! そうですね。す、すいません」
「いや。謝ることはないのだが……」
 ぎこちないやり取りを二名がしている一方で、フラウがペンをとり、猫魔王の『猫』を二重線で消す。そして、従者の頭に『猫』をつけ、猫従者を生み出す。
「ならこれでいんじゃない? 従者を猫にすりゃ文句ないでしょ」
「それはいいですね」
「確かになー。フラウ、意外と頭いいじゃん」
「意外は余計よ!」
「じゃあ、従者はオイラっスね」
 フラウがジャックに噛み付く中、アルマが一歩前に出て宣言した。文句はどこからもでない。猫と名がつくものであれば何でも、彼より適任な者など存在しないことだろう。
「で? 他はどうするの?」
 と、これはアデル。
「どうしましょうか…… 騎士は元騎士で男性のジャックさんがいいとは思いますけど」
 フローラが思案顔で呟くと、それに黙っていないのは新任騎士団長殿。
「ちょっと待ってくれ。現職の騎士――私やニーナでもいいだろう?」
 もっともな意見ではあった。ただし――これが恋愛要素の絡まない物語であればだが。
「いや、お前ら女じゃん。騎士とお姫様の恋愛を絡めるってことじゃなかったか?」
「そ、そういえばそうだったな。く…… 主役は諦めるしかないか……」
 ジャックの指摘に、リドリーは衝撃を受けたようによろけ、独白した。意外と目立ちたがりらしい。
 そんな少女を横目に、クライヴが手を上げる。
「おら、木をやっていいだか?」
『どうぞどうぞ』
 大多数の声が揃った。

 その後の話し合いの結果、騎士がジャック、お姫様がリドリー、従者がアルマ、魔王がアデル、王様がフラウ、そして木がクライヴということになった。それから、ナレーションも必要だろうという意見が出て、それはニーナが担当することとなった。
「そんで、レオナが脚本演出、フローラが総監督みたいな感じか?」
「ごめんね。劇で舞台に上がるとか苦手で……」
「……ごめんなさい」
 フローラ、レオナの両名は、できれば裏方に回りたいと宣言していた。それゆえ出た謝罪だったが――
「別に、他の奴らはどっちかというとでしゃばりたい感じなんだし、気にすることないでしょ」
 フラウの言うとおりだろう。
「それより、大まかな流れはお姫様が魔王にさらわれて騎士が助けに行く、でいいとして、もっと内容詰めないと駄目じゃないか? セリフとか」
「今日は珍しくジャックが冴えているじゃないか。レオナさんが書いたものも、話の流れはそれなりに細かく書かれているが、セリフまではまだないからな」
「そうですね。それじゃ――」
「フローラぁ。いるー?」
 レオナがペンを持って考え始めようとしたその時、部屋の扉を開けて入ってくるものがいた。一同、そちらへ瞳を向ける。
「あれ、ミランダ」
「あ、いたいた。おー、人も集まって……頑張ってるねー。ありがとう。皆さんもありがとうございます」
 丁寧に頭を下げるミランダに、皆会釈で返す。
「どうしたの? 劇に出られるようになったとか?」
「えっと…… ごめん。それは無理。ゴドウィン様のお世話を休むわけにはいかないもの!」
「そう。うん、まあ、頑張って」
 教団の者でなくとも、ミランダがゴドウィンに心酔していることは周知の事実であったため、皆特に言及しない。フローラが適当な相槌を打ったのみだった。
「じゃあ、何の用なんだ?」
 ジャックが訊いた。
「ああ、そうでした! 実はですねー、ゴドウィン様が劇を明日やって欲しいと仰っておられるんです」
『明日!?』
「ええ。明日です」
 驚愕の叫びを上げる一同に、ミランダは笑顔で軽く応じる。
「ちょっ! 今日準備始めたのに、明日とか無理っスよ!」
「そう仰られましても…… ゴドウィン様のお言いつけですから」
「か、変えられないんですか」
「子供たちに宣言しちゃってましたから、ちょっと無理ですねー。ゴドウィン様が嘘つきになってしまいます」
「はぁ、まったく…… ちょっとはこっちの苦労も考えて欲しいわね、クソじじ――って、うわ!」
 ぼやいたフラウの顔の横を、拳の鋭い一撃が襲う。
 言うまでもなく、ミランダが放ったものだ。
「明日、お願いしますね」
『はい』
 笑顔で紡がれた言葉に、誰も反論できなかった。

 ミランダが去ったあと、皆難しい顔で黙り込んでいる。
「大変なことになったな……」
 口火を切ったのはリドリーだった。
 ジャックが応じる。
「セリフ決めて練習してる暇なんてないんじゃねぇか」
「そうだねー。大まかな流れだけ決めて、他はノリでいく?」
 アデルが言うと――
「おらは構わないべ」
『そりゃあ、木だからな』
 声を揃えてクライヴに突っ込んでから、一同賛成の意を込めて頷いた。

 レオナが考えた概要を基に何度か練習を重ね、夜遅くまで精を出した翌日。オラシオン教団本部の敷地内にある空き地にはたくさんの子供が集まっていた。それを少し離れた所から眺めている九名の表情には緊張が見え隠れしている。
「……思っていたよりも多いな」
「……そうですね」
 騎士団からの協力者二名がぼやく。
「うわ…… 知ってる人が結構いるなぁ」
「……リンカ姉様がいるし。コテツくんと一緒に来たのかぁ。はぁ、ちょっと恥ずい」
 アデルとフラウは知人を見つけて緊張を増したようだ。
 他の者達も、それぞれ表情を硬くしている。先行きは非常に不安だった……が――
「おいおい。ここでうだうだしてたって仕方ないだろ? さっさと行こうぜ?」
 一人だけ能天気がいた。
「まあ、その通りなんだがな」
「ジャックさんは肝が据わっていますね」
「馬鹿なだけだべ」
「お前ら…… いつものことながら、褒めるかけなすかどっちかにしてくれ……」
 一同が少しだけなごんだところで、子供達の前にゴドウィンが現れる。傍らにはミランダも控えていた。
「随分と集まったのぉ。感謝するぞい。さて、さっそく始めるとするかの。ミランダ、準備はよいのかの?」
「はい! ゴドウィン様!」
「そうか。では皆、楽しんでいってくれ!」
 ゴドウィンの言葉を受け、子供達の間に歓声が巻き起こる。劇に対する期待度は高いようである。
 さて、無事に終えることができるのか。さぁさぁ、お立会い。

『むかし昔、あるところに綺麗なお姫様とその方に遣える騎士がいました』
 ニーナのナレーションに伴い、ドレス姿のリドリーと鎧を纏ったジャックが現れる。そこここから、ほぉ、という息遣いが聞こえた。  そして、なぜか嗚咽まで聞こえた。
 不信に思ったリドリーが、その元を探って視線を巡らすと――
「なっ! お、お父様…… それにナツメ殿まで」
「り、リドリーっ! きれ、うぅ、綺麗になって…… わしは、わしは嬉しいぞ…… う、うわあおぉおおんっ!」
「ジャスネ様…… わかりますわ。今日のリドリー様の輝きは、いつも以上に素晴らしいですもの」
「ああ。ナツメ…… よく今日のこの劇があることを報告してくれた……! そうじゃ! 絵描きを呼んでこよう! 今日のリドリーを絵にし、未来永劫伝えていくの――」
「ワイルドピッチっっ!!」
「ぐわあぁあーっ!」
「きゃあぁあーっ!」
 観客席でうるさくしていた二名は、お姫様が放った必殺技によって倒れふした。
「……お前、何で斧持ってんだよ」
「こんなこともあろうかと思ってな」
『お姫様はこっそり潜んでいるモンスターを自分で倒してしまうほど強い、スーパーお姫様でした。しかし――』
 アドリブの混じったニーナのナレーションを受け、仰々しい服装のアデルが登場する。
「よく僕の配下が潜んでいるのを見つけたな! けど、僕こと魔王様は簡単にやられたりしないんだからな!」
『大変です! とっても強い魔王がお姫様の前に現れました!』
「なんの! 貴様なぞ! はっ! き、効かない……」
 斧で交戦するふりをしてから、リドリーがよろけて倒れる。
「姫様! くそ! 俺が相手だ!」
「くくく…… 君みたいなひよっ子に僕が倒せるかな?」
 ジャックもまたアデルに剣を向け、戦うふりをする。そうしてから、アデルの腕の振りに合わせて横に跳ぶ。
「うわああぁあ!」
「ジャック! ぬっ! こら、離せ!」
「駄目だよ! お姫様はこれから僕の城まで行って一緒に遊ぶんだから!」
「そんな理由でさらうなっ! って、こら待て! ジャック! ジャアぁああックっ!」
「リドリイィイイィイィィイイイィイっっ!!」
 明らかに自分の足で歩き、アデルと共に舞台から降りていくリドリー。彼女の名を力いっぱい叫ぶジャック。
 盛り上がる場面と思いきや――
「え。おひめ様の名前ってもっとえれがんとな感じがよくない?」
「だよねぇ」
「てか、ベタベタすぎてびみょー」
「ちょっと、ニット。そこはつっこんじゃだめだよ」
 ひそひそ声で話しているのが観客席から聞こえた。
 しかし、各ギルドプラス騎士団有志一同はそのようなことではへこたれない。いや、実際は何名か泣きそうになったり腹を立てたりしていたが、そんなことはおくびにも出さない。
 ベタベタな展開はともかく――
『大変です! 幼名リドリー様ことフランソワお姫様は、悪い悪い魔王にさらわれてしまいました! ジャックは慌てて王様に報告に行きます』
 名前だけは修正をきかせた。
「リドリー、いや、フランソワ様……! この俺が幼馴染として、そして、姫を守る騎士として必ずお助けします! よしっ! まずは王様に報告だ」
 そして急遽、騎士と姫の幼馴染設定が生まれた。騎士が姫を幼名で呼ぶことへの動機付けのためだろう。
 ……無理やり過ぎる感が否めないのは、ご容赦願いたいところだった。

「王様! 大変です! 姫が魔王にさらわれました!」
「へぇ。じゃー、さっさと助けに行きなさいよ。あんた、フランソワを守る騎士のくせにゆったりしすぎじゃん?」
 フラウこと王様がやる気なさげに言うと、観客席のそこここからざわめきが起こった。
 あんまりな演技に対する文句が囁かれていると思いきや――
「そうだよなぁ。王様、まとをいたこと言うじゃん」
「うんうん。王様にほうこくに来るひまあったら、さっさと追えばいいのにねー」
「そんなこと言っちゃダメだって。王様も出しておきたかったんだよ、きっと。おひめ様がいて王様がいないのもおかしいし、りありてぃを追求した結果なんじゃないかなー」
『なるほどー』
 生意気な声が聞こえた。
「むかつくガキが多いな……」
「今時の子供に純真さを求める方が間違ってんのよ」
「そーゆーもんか……」
 騎士と王様のひそひそ声による会話だった。
「あ。そうそう。龍を倒すと伝説の剣アービトレイターが手に入るから、魔王のとこ行く前に倒しとくよーに! お姉さん、もとい、王様との約束よ」
「へいへい……って、龍の役の奴なんて――い、いや。何でもありません。わかりました。伝説の剣を手に入れ、このジャック、必ずや魔王から姫様を取り戻してみせます!」
「はーい。頑張ってー」

 フローラは走った。走って走って、走り抜いた。
 龍の着ぐるみを求め、走った。

「よし! 行くぞ、アルマ!」
「はいっス! けど、龍なんてどこにいるんスかね?」
「知らん! とにかく行くぞ! 犬も歩けば何とやらだ!」
「へーい」
 ジャックとアルマがその場で足踏みを始める。
『いよいよ旅立つ騎士とその従者。彼らを待っているのはどんな怪物たちなのでしょうか』
 ナレーションに続いて音楽が流れる。これから始まる旅路を象徴するかのような、勇壮な調べが響く。ヴァレス魔術学院からの応援であるアーネスト・スマイトの演奏だ。
 そうして三十秒ほど経ち――
「いつまで足ぶみ続けるんだろー?」
「まさかノープランじゃないだろーなー」
「ていうかあの従者、猫耳とかウケるんだけどー」
 再びざわめき出す観客席。
 ノープランな点については的を射ているため、どうにもすわりが悪かった。何でもいいから発言しようと、ジャックが口を開いたその時――
「がおーーーだべー! 木からの大出世だべ」
「うお! クライヴ、じゃなくて龍だっ!」
「しょっぼい龍っスねぇ」
 騎士と従者の目の前にはクライヴの身長と同じくらいの大きさをした、二足歩行の龍らしき物体があった。
「それは言いっこなしだべ。それより、魔王様からお前らを倒すように言われてるべー! かかってくるべー!」
「へっ! そっちから来てくれるとは好都合! いくぞ、アルマ!」
「おうっス!」
 戦いが始まった。
 裏でアデルが簡単な魔法を使い軽く演出しているため、すこしばかり派手さがあった。子供達もそれなりに熱狂し、一分ほどの戦いは歓声を伴って展開した。
 そんな中、一人の少女が肩で息をして懸命に酸素を吸入していたが、それはいいだろう。特に気にすべきことではない。
 そして、戦いに意識を戻すと――決着が、ついたようだ。
「やられたべー……」
 クライヴが倒れ伏すと、カラン、と一振りの剣が転がる。
「これが……アービトレイターか……!」
「やったっスね!」
 おおおぉおぉぉおおぉおっ!
 ひときわ大きな歓声が上がる。ジャックがアービトレイターを高く掲げたためだろう。
 ちなみに、このアービトレイターは本物である。ジャックの父であるケアン・ラッセルが水龍を倒した際に使用していた剣。先ほどのフラウの発言を受け、急遽用意したのだった。
 ジャックは内心、こんなことにアービトレイターを使っているのがばれたら姉ちゃんに殺されるっ、と戦々恐々としているのだが、まあ、それはいいだろう。
「よし! 待っていろよ! 魔王!!」
『伝説の剣アービトレイターを手に入れた騎士。彼は従者と共に魔王の元を目指すのだった!』
 おおぉおぉおおぉぉおっ!
「いいぞーっ!」
「頑張れぇーっ!」
 意外と盛り上がってきたようだ。

「ふふふ、来たな!」
「ジャック!」
 大げさな格好のアデルとドレス姿のリドリーが再登場した。
『とうとう魔王の元へ辿り着いた騎士! 無事リドリー様、もとい、フランソワ姫を助け出せるのでしょうかっ!』
「いいぞっ! アデル!」
「あ、お父さんだ! やっほー!」
「おい、アデルくん。本番中だぞ」
「……ぼ、僕に父親などいない! 今のは忘れるのダ!」
 くすくすくすくすくす。
 そこここから起こる笑い声。しかし、直ぐにしんと静まる。
 ジャックが大きな動作と共にアービトレイターを構えたのだ。
「魔王! 姫様は返して貰うっ!」
「ふんっ! 返り討ちにしてやるぅ!」
 アデルが魔砲ストーンジャベリンを構える。
 どんっ!
 おおおぉおぉぉおおぉおっ!
 放たれた魔がジャックのいた箇所を襲う。土埃が立ちこめ、ジャックとその側に控えていたアルマの姿が隠れる。
 すると、不安と期待が入り混じった声がそこここから上がった。
「ジャックっ!」
「おっと、姫。弱い騎士なんて気にしないで。僕とあちらで優雅なティータイム――」
「あっ! 見てっ!」
 アデルがリドリーの手を引き、ジャックに背を向けたその時…… ノリのいい観客の少女が叫んだ。
「吹っ飛んだの、猫従者だけだっ!」
 おおおぉぉおおぉおぉおおぉおっ!
「猫従者鈍くさいっっ!!」
「……大きなお世話っス……」
 アルマが人知れず呟いたが、そこは劇の進行に関係ない。
「なんだってっ! じゃあ、騎士はどこに!?」
「魔王っっ!!」
「何っ!?」
 突然の声に、アデルが視線を移す。
 ジャックはいつの間にか観客席に降り、疾走していた。走りながら子供達に手を振っている辺り、彼の人の良さとノリやすさが窺える。
「くそぉ! これでも――」
「遅いっ! これで――」
 アデルが構えた魔砲をジャックが蹴り上げ……
「終わりだあぁあっ!」
「うわああぁあ!」
 おおおおぉおおおおぉおぉぉぉおおぉおぉぉおっっ!!

「騎士の勝ちだぁ!」
『見事、伝説の剣アービトレイターで魔王を討った騎士。ついにフランソワお姫様を救い出すことに成功しました!』
「いいぞー! ジャックぅ!」
「いやぁ。どうもどうも」
 照れくさそうに手を振るジャック。リドリーはそんなジャックに駆け寄り、ジャックの横にたたずむ。
「助かった、ジャック。有り難う」
「おう! じゃなくて……姫に仕える騎士として当然ですっ!」
 元気いっぱいに応えたジャックとリドリーが見詰め合う。そこでつつがなく終了となるかと思いきや……
「だき合えー!」
「きーすっ! あ、それ、きーすっ!」
『は!?』
 可愛らしい観客たちから罪のないあおりが為される。
 ジャックとリドリーは顔を見合わせ、それから、急いで否定の言葉をかぶせようとする――が……
『物語の最後は騎士とお姫様の熱い抱擁アンドキスと相場は決まっています! 幼き頃より共にありながら、身分の違いを気にして素直になれなかった二人……! しかし! ピンチを乗り切り、つり橋効果で盛り上がった今こそチャンスっ! さぁ、皆様! ご期待あれ!』
 他のところからもあおりがきた。
 頬を染めて、興奮気味に声を上げたニーナ。
 観客の盛り上がりは最高潮に達し、引っ込みがきくとは思えない状況となった。
「あ、あの女ぁあ…… ラークス様に給料下げるように提言してやるっ……」
「おい、リドリー」
「何だ――う……」
 ニーナを物凄い形相で睨んでいたリドリーはジャックのひそひそ声を受け振り向き、そこで硬直する。ジャックが直ぐ側に迫っていたからだ。
 ジャックとしては、ここまでくればするフリでもしなければ収まらないだろう、ということで近づいていたのだが……
 リドリーは、そうとは解さなかった。覚悟を決め――
「し、しかたがない…… やるぞ、ジャック!」
「へ? お、おい、リド――」
 言葉は、遮られた。

 ちゅどおぉぉおおおぉおおおぉおんっ!
「なっ! なんだっ!?」
「これは…… あの時の光線……っ!」
 ざわざわざわざわざわざわっ!
 二つの影が重なろうとしたその時、何処かから飛び来た光が空間を貫いた。
 ジャックとリドリーは咄嗟にそれを避け、視線を巡らす。
 そして、彼らだけでなく、出演者、観客、その他の人々の視線全てがある一点に集まる。その先には――
「魔王ごときを倒しただけで満足しないで下さいっ! この私、超大魔王エレナが相手ですっ!」
「姉さん…… さすがに超大魔王ってのは……」
「え、エレナぁ!? それにアディーナ! ちょ、何だこの展開!?」
 突然現れた二名にジャックは戸惑いを隠せない。
 とはいえ、直ぐに持ち直し、にやりと笑う。そして、言葉を紡ぎ出す……のだが――
「……よく分からんが、魔王を倒したあとに真のボスがいるってのはこういう物語の定石っ! その勝負受けて立――」
「き、貴様あぁあっ!」
 遮られた。
 そして、遮った少女が先を続ける。
「よ、よくも邪魔してくれ……い、いや、何でもないっ! 何でもないぞっ! それより、貴様なぞジャックの――騎士の手を煩わせるまでもないっ! ……私が相手だっっ!!」
「返り討ちにしてあげますっ! くらえっ! アナスタシア様直伝! チャーミングボイスっっっ!!!」
「おおおおぉおぉぉおぉおおぉおっ! ワイルドピッチっっっ!!!」
 轟音が響いた。
 うわあぁああああぁああぁあっ!!
「すげえぇええぇえっ!」
「頑張ってえぇえっ! お姫様あぁ!」
『唐突に始まったお姫様と超大魔王の戦いっ! 勝つのはいったいどちらなのかっ! 盛り上がってまいりましたっっ!!』
 劇が始まって以来の盛り上がりだった。
「えと…… 俺、主役のはずだけど…… あれ……?」
「僕なんて、完全にザコ扱いだよ……」
「それ言ったら、あたしはどんだけ空気なのよ」
「オイラもっスよ」
「おらも……」
 はぁ……
 いまいち目立てなかった者たちの吐息が漏れた。

「かっかっかっ! 何やら凄いことになっておるのぉ」
「す、すみません! ゴドウィン様! 責任は総監督の私に――」
「いやいや、フローラ。これほど愉快なこともそうあるまいて。何より、皆喜んでおる。結果オーライ、というやつじゃよ」
「ゴドウィン様の言うとおりですっ!」
 豪快に笑う師弟を瞳に映し、フローラと、側で青い顔をしていたレオナは、深く、深くため息をついた……

 オラシオン教団の本部から劇を見ていたカインは、表情を綻ばせる。
「素晴らしい成果でしたね。テアトルとヴォイドの方々の親善はもとより、アナスタシア派であるエレナ君まで劇に参加してくれるとは…… これでフェルナンド派とアナスタシア派の溝もまた、少しでも埋まってくれれば素晴らしいことです。そうは思いませんか、アキレス」
「はっ!」
 満面の笑みで紡がれた主の言葉に、アキレスは短く応え、低頭した。

『怪光線が飛び交う中、お姫様は間合いを詰めるっ! あっ! リドリー様! そこですっ! 右! 右!』
「うおおぉおおぉおぉぉおっ!!」
「はああぁああぁあぁぁあっ!!」
 色々とおかしな一日は、まだ終わらない。

 後日、ラジアータ中から、一風変わった劇への公演依頼が殺到したという……が、次回の公演がいつかは、まだ未定だ。