ゲーム本編の『人間編』ラストのネタバレが微妙に含まれております。
『人間編』をクリアされた方、もしくはネタバレを気になさらない方のみ、こちらをクリックして下さい。
彼女なりの弔い
「俺は絶対この街に帰ってくる。だから、待っててくれ」
珍しく真剣な表情で言った少年に、少女は何も言い返せずにその場を去った。
リドリー・ティンバーレイク、貴女はずるい。
亡くなってしまった人に対してこんなことを言うのはいけないことかもしれないけれど、彼の貴女に対する印象は、貴女が死んだことで一生変わることがなくなった。彼はずっと、貴女に好意のようなものを持ち続ける。
もちろん彼に訊けば、貴女よりも私が大事だと言うだろう。
でも、それでも、彼の中で貴女は、ある種『特別』であり続ける。
だから――貴女はずるい。
妖精との全面戦争から数日。
ここはラジアータ。黒色山羊槍士団のクロス・ワード団長を含めた多数の戦死者、そして貴族の一人ルシオン・ヒューイットを含めた多数の行方不明者を出したとはいえ、何とか勝利を収めることが出来た人間達の都。
暗澹たる被害に起因する大きな悲しみを抱えながらも、何とか活気を取り戻しつつあるその街の一角。戦士ギルド、テアトル・ヴァンクールの受付に座っているタナトス・ベインズの前には、大きな荷物を抱えた少年が立っている。
彼の名前はジャック・ラッセル。先の戦いでブラッドオークの族長やライトエルフの長を倒した弱冠十六歳の少年である。そんな経緯もあってか、彼の部隊アハトへの依頼は増える一方だ。
しかし――
「『一心上の都合で辞めます』ってこれお前、字ぃ間違ってっから」
「へ? 嘘?」
「ここ『心』じゃなくて『身』だよ。身の上の『身』の字」
指摘されたジャックは、タナトスから紙片を引ったくり、そこに目を落とす。そこには確かに、『一心上の……』と書かれていた。
一瞬の沈黙の後、ジャックは大きく笑って――
「わざとだよ! わざと! お前の脳力検定してやったんだって!」
「はい、はい。そういうことにしといたるよ…… んで、本気なんだな?」
適当な口調で前半を、真剣な様子で後半を口にしたタナトス。
それに対し、ジャックも笑みを引っ込めて、口を真一文字に結んで頷く。
タナトスはそんなジャックを瞳を細めて見詰め、しばらくすると深く息を吐いて笑みを浮かべた。
「今やお前の隊は稼ぎ頭なんだがなぁ……」
そう冗談めかして言うと、ジャックもまた笑みを浮かべ口を開く。
「お前が復帰して、代わりに頑張ればいいじゃん? あ、でも、アリシアさんの露出の多い服に見とれて負けた過去を持つタナトスさんには無理ですかねぇ」
「ばっ! そんなんじゃねぇ! 俺は真っ向勝負で負けたんだよっ!」
にやにや笑いで言ったジャックに、タナトスは頬を軽く染めて叫んだ。それを受けたジャックは呆れたように目を細め、
「いや…… そんなことを力いっぱい主張するのもどうよ?」
「うっ。うるせぇ! 行くんならとっとと行け。手前ぇが出て行きゃ、俺も受付で寝泊りせずに済むってもんだぜ」
タナトスはジャックから目をそらして頬杖をつき、そんなことを言った。
ジャックがテアトルに籍を置くようになった時に住まいとして与えられた場所は、タナトスが元々住んでいたところなのである。というわけで、ジャックがテアトルを辞めれば彼はそこに再び住めるようになり、現在のように受付の机で寝泊りをするということをしなくてもよくなるのである。
「あ〜、つーか、全く掃除してねぇから…… 頑張ってくれ」
そこで気まずそうに頭を掻き、言ったのはジャック。彼は、今朝出てくる時に振り返って見回した部屋にあった、散らばったチラシやレコード、商品の袋などを思いだし、苦笑する。
「いやお前、立つ鳥跡を濁さずっつう言葉を知らねぇのかよ」
今日からしばらく部屋を掃除するのに労力を割かないといけない、という事実を認識したタナトスは疲れた表情でそんなことを言った。しかし、そこには軽く笑顔が浮かんでおり、それほど本気で抗議しているわけではないことが分かる。
「じゃ、そろそろ行くわ」
「おお、行け、行け。ま、何処に何しに行くのか知らねぇが、気が向いたら戻って来いや。そんときゃ、またジャーバスの隊にでも入れてやるよ」
そこで、荷物を持ち直し声をかけたジャックに、タナトスは手をしっしという風に振ってそう言った。
ちなみに話の中に出てきたジャーバスは、ジャックがテアトルで最初に配属された隊『ヘクトン』の隊長である。何かあると直ぐに酒に逃げるのが玉に瑕だが、剣の腕はそれほど悪くはない。
「げーっ! またあのおっさんの下なんて冗談じゃないぜ! 次はアリシアさんの『トリトン』に入れてくれよ」
表情を歪めて文句を紡ぎ、続けて笑顔で言ったジャック。冗談めかした口調であったため、それほど本気で言っていたわけではないだろう。実際、ジャックはジャーバスにさほど悪い印象は持っていない。どちらかといえば、尊敬していると言ってもいいだろう。
「けっ! ガキが色気づいてんじゃねぇよ。いいからさっさと行け。うぜぇ」
「何だよ、ひっでぇなぁ! お前にはお土産買って来てやんね!」
適当な口調でタナトスが言うと、ジャックはそのように言い放ち、入り口に向けて駆け、そこであっかんべーをしてから勢いよく出て行った。
その様子を苦笑して眺めていたタナトスは、入り口の扉が閉まりジャックが行ってしまったことを確認すると、次のように呟いた。
「うるせぇ奴がいなくなって、静かな受付生活を満喫できるってもんだな……」
彼は笑みを浮かべていたが、どこか寂しそうだった。
「アディーナ。エレナはどこだい?」
オラシオン教団の一室にて、同教団の大司教アナスタシア・ライアンが、その従者アディーナ・リヒターに訊いた。訊かれたアディーナはどちらかといえば不機嫌そうに、主の質問に答える。
「分かりません。そんなの私が聞きたいですよ……」
そう言った後にぼそっと、こんなオバサンなんてどうでもいいから早く姉さんに来て欲しいわ、と呟いた。
アナスタシアもその呟きは聞こえていたが、そのような呟きは割と日常茶飯事に為されるものであるため、特に言及しない。軽く表情を歪めたものの、ため息を吐いて宝石の手入れを始める。
さて、話題に上っているエレナだが、普段であれば八時前にはアナスタシアの部屋に控えている。それが今日に至っては、九時を過ぎても来る気配がない。彼女の性格上、無断で休むとも思えないし、彼女の『ある性質』上、死んでも休みそうではないのだが……
「どうしたんだろうねぇ」
宝石を磨く手を休め、アナスタシアは窓の外に目を向け呟いた。
「ジャックさん!」
ルプス門から出て行こうとしたジャックを呼び止める声が響いた。
ジャックが振り返ると、そこにはオラシオン教団の司祭エレナ・リヒターがいた。息を切らした彼女は、平素着ている司祭服ではなく、旅に適している耐久性に優れた服装をしていた。
「エレナ…… 昨日言っただろ? 必ず帰ってくるから待っててくれって」
「ええ、聞きました。でも、待てません」
そう言ってからジャックに近づき、
「そもそも私がなぜ待たなくてはいけないんですか?」
と訊いた。
ジャックは寸の間言葉に詰まり、視線を泳がせる。そして漸く口を開き、
「それは……だな。ほら、アナスタシアと会えなくなるし――」
ぼかあぁあっ!
そこでなぜか、薬品の入ったカプセルをジャックの頭にぶつけるエレナ。
ジャックは軽く咳き込み、文句を紡ぐ。
「こほっ、こほっ! な、何すんだ!」
「今、リドリーさんのことを考えていましたよね」
ずいと詰め寄り、目つきを鋭くしそのように訊いたエレナ。
ジャックは再度言葉に詰まり、
「それは、その…… まあ」
肯定とも否定ともつかない応えを返した。
「昨日は訊きませんでしたけど、どうせリドリーさんのことを頭の中で整理するための女々しい旅ってところなんでしょう?」
「女々しいとまで言うか?」
遠慮なく言ったエレナに、ジャックは苦笑して返す。
それには応えずに、エレナは更に続ける。
「リドリーさんのことを整理するのが私のためでもあるとか考えてるんでしょうけど、はっきり言って自分の知らないところで他の女のことを悶々考え込まれちゃ、気分が悪くて仕方がないんです」
「悶々って、なんかやな表現だな……」
いちいち突っ込むジャックをやはり無視し、続けるエレナ。
「だからついていって、ジャックさんがリドリーさんを忘れるためのお手伝いをしようかと思います」
「手伝いったって、何すんだよ。マインドコントロールでもするのか?」
そこでエレナは微笑みを浮かべ、薬品入りのカプセルを手に持ち言葉を紡ぐ。
「ジャックさんがリドリーさんのことを考えていると判断したら、問答無用でこれをぶつけてあげます」
……………
満面の笑みを浮かべ続けるエレナと、呆けた表情で沈黙を続けるジャック。
そして、漸く言葉を紡げるようになったジャックが当然の疑問を口にする。
「何で?」
それを受けたエレナは得意げに、
「リドリーさんのことを思い出すたびに攻撃を受ければ、リドリーさんのことを徐々に思い出さないようになるはずです」
と言った。
単純さゆえに、そこで納得しそうになるジャックだったが、新たな疑問を覚え口を開く。
「俺がリドリーのことを思い出したかどうか、どうやって知るんだよ?」
エレナはそんなの簡単だというように軽く笑み、
「ジャックさんは単純ですから、顔を見れば直ぐに分かります」
「……そか」
自信満々に言ったエレナに、ジャックは苦笑して簡単に応えた。しかし、直ぐに表情を硬くして話を変える。
「けどよ。お前、アナスタシアとかナルシェとか、ついでにアディーナとだって離れられないだろ?」
特にアナスタシアとは、と続けてジャックは表情を緩めた。そして、だから残れよ、と優しく声をかける。
しかし、エレナは首を振り口を開く。
「アナスタシア様もナルシェも、まあアディーナだって、もの凄く大事です。会えなくなるのは嫌です」
そこで少し沈黙し、続ける。
「けど……ジャックさんと会えなくなるのは、もっと嫌なんです」
真剣な表情で言い切ったエレナ。そんな彼女の頬を、そよ風が優しく撫でる。
ジャックはそんなエレナを呆然と見詰め、しばらくすると可笑しそうに含み笑いをした。
「……何ですか。失礼ですよ」
目つき鋭くエレナが言うと、ジャックは腹をよじらせて苦しそうにしながら、
「わ、わりぃ、わりぃ。ただ、俺が告白した時だって、『そこまで言うのなら付き合ってあげてもいいと思わなくもありません』なんて、素直じゃなさすぎる返事をした奴が、こんな真っ直ぐに言ってくるとは思わなくてさ。ついつい笑っちまった……」
それを聞いたエレナは鋭い目つきのままで、
「私だって、成長してるんですよ」
そう言ってから、しかし耐え切れなくなったのか表情を緩めて、ジャック同様笑い出した。
しばらくそのようにして過ごし、ふと目があうと――
「なら、行くか! 傷心旅行兼、婚前旅行!」
「こ、婚前旅行は余計です!」
元気いっぱいに言ったジャックに、エレナが平素通り素直じゃない叫びを上げ、揃って歩き出す。
その日、ラジアータ城下町の人口が少しだけ減った。
リドリー・ティンバーレイク、貴女はずるい。
けど……私はもっとずるい。
もう貴女が自分ではどうすることもできない、彼の貴女への想いを、積極性を持って損なおうとしている。
でも、ずるいのはお互い様だから遠慮なんてしてあげない。
だからせめてその分、貴女の分も幸せであり続けてあげる。貴女が出来ない分、彼を穏やかな心で満たし続けてあげる。
それが、私が貴女に出来る唯一の手向け……