東方紅魔郷 STAGE 00 : 妖霧に誘われて

 かつては日出ずる国、黄金の国などとと呼ばれ、神秘のヴェールに包まれていた東国。今日ではその覆いが除かれ、どこにでもある少しばかり裕福な一国家となった。その国の民は、謎、怪奇、霊異――怪という怪を全て辺境に押しやり、視界から消した。心のどこかでその存在を意識しつつも、決して妄信することも畏怖することもない。
 しかし、とある山中。人里離れたその地には未だ、謎が、怪奇が、霊異が、怪が満ちていた。
 人はその地を――幻想郷と呼ぶ……

 山深き地。夏が近づく時節において、立ち並ぶ木々は生い茂り、緑深きは甚だしきことであった。風が吹き、葉が擦れる音が響く。小さき鳥達が飛び、更に小さき虫達が啼く。清清しき時間が流れるその場所は幻想郷の一角。朱色に染まった門の奥に居を構えた建物――博麗神社。
 常より参拝客少なきその神の社は、常に違わず閑散としている。
 さっさっさっ。
 その閑散とした境内を竹箒で掃く少女がいた。黒くしなやかな髪を赤い大きなリボンで纏めている。また、服装も赤と白を基調にしており、全体的に紅白模様を呈しておりおめでたい。この博麗神社の巫女、博麗霊夢である。
 霊夢は境内にたまった土埃を一所に纏め終わり、それから空を仰いだ。
「んー、いい天気ねー。今日は鬱陶しい妖怪やら妖精やらも来ないし、のんびりし放題だわ」
 彼女が口にしたとおり天には青空が広がっており、いい天気と呼ぶに遜色ない空模様であった。煌々と照らす陽の光もまた、心を落ち着かせてくれる。
 しかし――
「これは…… 霧……」

 博麗神社から幻想郷の更に奥地へ向った先、より一層木々が生い茂る森の中に小屋があった。さほど大きくもないその小屋には、一人の魔法使いが住んでいる。名を霧雨魔理沙といった。
「んー、いい天気なのはいいが…… 寝不足の身には辛いぜ……」
 窓から外を見た魔理沙は、照りつける太陽の光に目を細め、呟いた。昨夜遅くまで本を読んでいたようである。目を擦りながら出入り口へ向う。ちなみに、その進路上には数多の品が散在していた。生活用品、本、食糧、がらくた。本当に沢山の物があふれていた。どうやら、片づけが苦手なようだ。
 そんな中を進み、魔理沙は漸く出入り口へと至る。扉を開け放ち、外に出た。
 白日の下に晒された少女は、金の髪を長く伸ばしており、黒い服の上に白のエプロンという格好。白のリボンで装飾された黒のとんがり帽子をかぶっており、全体的に白黒模様を呈している。
「ふあぁ。ちょいと眠気覚ましに空の散歩でもすっかな」
 魔理沙が扉の脇にかけていた竹箒を手に取り、その時――
「霧、か…… 濃いな。眩しくないのはいいが、こいつは……」

 所変わって博麗神社。境内にはもう霊夢の姿はなく、濃い霧だけが辺りを支配していた。
 一体どこへ行ってしまったのだろうか。
「霧で濡れちゃうし掃除はおしまい。お茶でも飲みながらのんびりしようっと」
 社の中だった。
「って、おおぉおぉぉおいっ!」
「あら。魔理沙」
 障子を派手に開け放った魔理沙を目にし、霊夢が淡々と返す。そして、急須を持ち上げて茶を勧めた。
「飲む?」
「いらんわっ! それよりも、外! 外!」
「外?」
 小首を傾げ、少し考え込んでから外に瞳を向ける霊夢。そして、魔理沙に向き直り、
「えーと…… こんな霧の中よく来たわね、って言って欲しいとか?」
「違うっ! この霧が怪しい気を含んでることくらい気付いてるだろ! 何でゆっくり茶なんて飲んでんだよ!」
 魔理沙の言うとおりだった。
 幻想郷を覆っている霧はただの霧ではない。妖気を含む霧――妖霧であった。怪の気に耐性の低い人間や妖怪、妖精であれば、自由に外を闊歩することすら能わないであろう。仮に霧が幻想郷を抜け人里まで向ってしまえば、混乱が生じることは間違いがない。
 しかし、それでも霊夢は座したままで、茶を啜っていた。
 ずず。
 そして、魔理沙を一瞥し、口を開く。
「確かに妙な霧だけど、私が何かしなくたってそのうち晴れるわよ、きっと。それに――」
「それに?」
 訝しげに問い返した魔理沙に、霊夢はやはり淡々と言う。
「参拝もせず賽銭も入れない民草なぞ、せいぜい困ればいいのよ」
 魔理沙が苦笑する。
 確かに、ここ博麗神社は先述の通り参拝客が少ないだけあって、賽銭の額も少ない。時たま忘れたように五円玉が入っている、ということすらない。霊夢が少々機嫌を損ねたとしても、それも仕方のないことだった。
「そういうわけだから、この霧は放置。まあ、三日くらい続くようなら、いい加減鬱陶しいからどうにかするけど」
「わたしはもう鬱陶しいぜ。こんなじゃ、ゆっくり空の散歩ともしゃれ込めないだろ」
「じゃー、魔理沙がどうにかすればいいじゃない。別に私は止めないわよ?」
 足をだらっと伸ばし、ゆったりとした姿勢で茶を呷り、霊夢が言った。もっともな意見だったが、魔理沙は釈然としない。しかし、そこは声を荒げるのを我慢し、
「そーだな。わたしにかかればこれくらい楽勝で解決だし、ここはいっちょやったるか」
「そーそー。がんばってー」
「そんで、人里の連中から感謝されまくって、貢物とか金とかもらいまくってやるぜ」
「そーそー。がんば……」
 霊夢がさっと立ち上がった。そして、社の奥へ続く障子を開け放ち、飛び込む。
 内部で忙しく動き回る音が響いていたかと思うと、彼女は直ぐに戻ってきた。手や腰には御札や陰陽玉がさげられている。
 がらっ!
 そして、外へと続く障子を勢いよく開け放ち――
「行くわよ、魔理沙! この霧の原因を解明し、賽銭――もとい! 人里の皆さんを、そして、この幻想郷の平和を守らなくては!」
 高らかに宣言し、ふわりと空へ飛び立った。
 そんな霊夢を見送ってから、魔理沙は徐に立ち上がる。そして、
「やれやれだぜ」
 そう呟いてから、手にしていた竹箒にまたがり、やはり霧に埋もれた空へと勢いよく飛び立った。

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