東方紅魔郷 STAGE 01 : 夢幻夜行絵巻

 陽が沈み、辺りを闇が支配している。霧が深く立ち込める幻想郷を照らすのは、空に浮かぶ大きな月のみ。
 空を飛び、本日の糧を探していた少女は、心地よい闇の腕に抱かれ満足そうに笑んでいた。
 そして、その笑みはますます深くなる。彼女の視線の先に、空を飛ぶ二つの影を見つけたからだ。腹を満たすためのものを見つけたからだ。
 しかし、その二つの影は少々活きがよすぎるようだった。真正面から狩りにかかったとして、返り討ちにされかねない実力を有していた。それゆえ――

 月だけが煌々と輝く霧の深い夜。博麗霊夢と霧雨魔理沙は並んで空を翔けていた。
 さて、なぜ明るい内に出立した彼女達が、この昏い中飛んでいるかというと――
「自信満々に飛び出すから心当たりがあるのかと思いきや…… まさかノープランだったなんてびっくりだぜ」
「うるさいわねー。何が原因か判らないんだから、勘で適当に飛ぶしかないでしょ?」
「ま、そうなんだけどなー。それにしたって、結局この時間まで何も見つけられなかったわけだし、もうちょい申し訳なさそうにしてもいいと思うぜ?」
「う。……そ、そんなこと言って、魔理沙が先導し始めてから三十分経つのに、まだ何も見つけてないんだからお互い様でしょ」
 軽く睨みつつ反論した霊夢に、魔理沙は苦笑を向け、それから視線を前方に戻した。
 ちなみに、霊夢が先を示していた時間は二時間ほどである。
「ま、いいけどな、別に。それより――」
 ひゅっ!
 魔理沙の言葉に重なって、突然光弾が飛び来た。速さがなかったため、霊夢も魔理沙も難なく避ける。
「さすが夜。怪の物がいっぱいね」
 呟いた霊夢の視線の先には、異形の者達が概算で百数十匹ほどいた。それぞれは、霊夢や魔理沙にかかれば一瞬で消し去ってしまえる程度の強さであったが、この数の多さは少々問題だった。
「へっ。こうじゃなきゃ張り合いがないぜ」
「夜になるまでわざと彷徨ってあげた私に感謝していいわよ」
「ああ。ありがとうだぜ!」
 霊夢は御札と陰陽玉を構え、魔理沙は右の手の平に魔法の光を携え、妖怪達の群れの中へ突っ込んだ。

 視線の先で脆弱な者達を屠っていく二名を見据え、少女は笑んでいた。もう直ぐあの活きのいい人間達が、自分の糧となる。そう考えるだけで、笑みは深くなり、口もとは緩んだ。
 二名の強さは驚嘆すべきものであったが、それでも、彼女達の意識が物の怪達に注がれている今であれば問題ない。少女は彼女達に気取られぬように、力を解放するだけでいいのだから……
「――月符、ムーンライト・レイ」
 少女はその腕に、二つの影を堕とすための光を生み出し、放った。

「数が多くても、これじゃあ張り合いがないぜ」
「さっきと言ってること違うじゃない」
 少女達は雑談を交わしながら怪の相手をしていた。要するに、弱すぎて相手にならないのだろう。
「だってよー、こんな奴ら目瞑ってても大丈夫だぜ? ほれほれ」
 言葉どおり、瞳を閉じて怪の物達が放つ光弾を避け、それでいて、魔法で相手を倒す魔理沙。
 そんな彼女の様子を、霊夢はため息混じりに瞳に映す。
「はいはい。曲芸もその辺にしなさいよ。油断してるとうっかり――」
 何かに気付いたように、霊夢が遠方を振り仰ぐ。そして、
「魔理沙っ!」
 悠々と飛んでいる魔理沙に注意を喚起した。
「へ――うわっと!」
 凄まじい速さで飛び来た光線を、霊夢、魔理沙は寸での所で避けた。そして、光線の隙間を縫うようにとび来る光弾もまた避ける。全てをすっかり避けきってから、二名は光線が飛び来た遠方を揃って仰いだ。
「ビンゴ……かどうかはまだ判らないにしても、ちょっとはできる奴がいるわね」
「ああ。ま、それでも役者不足だけどな」
「だとしても――」
「追うぜ!」
 霊夢は御札で、魔理沙は魔法で、残っていた妖怪を一瞬で葬り尽くし、猛スピードで逃げる獲物を追った。

 一度目の奇襲に失敗し、少女は獲物から一旦遠ざかることを選択した。しかし、獲物達は真っ直ぐに彼女を追いかけた。彼女を追い上げる速さでひたすら追いかけた。
 その速さを殺すため、弱き怪の物を再びけしかけもしたが、彼女達の足を止めることは能わなかった。
 もはや腹を決めるしかなかった。
 少女は――止まった。

「漸く観念したようね、妖怪さん」
「仕方ないじゃない。逃げ切れそうにないんだもん」
 微笑んで言葉を紡いだ霊夢に、両腕を真横に広げて中空に浮かんでいる少女は、そう応えた。
「なあ、あんた。何で両腕広げてんだ?」
 そして、少女の格好に対し、魔理沙が素朴な疑問を覚える。
「聖者は十字架に磔られましたって感じでカッコいいじゃない」
「うーん。どっちかってぇと、人類は十進法を採用しましたって感じだぜ?」
「そーなのかー」
「意味判らないやり取りしてないで――ねぇ」
 不可思議な会話を展開させている味方と敵に呆れた視線を送ってから、霊夢は敵方である少女に声をかける。
 少女は警戒した様子で彼女を見た。
 霊夢が訊く。
「貴女は――この霧の原因?」
「……ううん、違う」
「そう。なら実質、用はないけど……」
 そう言いつつも、霊夢は腰から数枚ほど御札を取り出し、構えた。
 そして、軽く微笑み、笑みの形をした口から言葉を発した。
「さっきのお礼はしておかなきゃね」
「霊夢は律儀だなー。じゃ、二人がかりってのは趣味じゃないし、わたしは休んでるぜ?」
「どうぞご勝手に」
 笑顔で手を振る霊夢を残し、魔理沙は後ろに下がって見物する態勢にはいる。
 そのやり取りを見ていた少女は、笑んだ。可能性はまだ低かったが、それでも勝率が上がったことに快哉を叫んだ。
「一人で大丈夫かしら?」
「私の目が確かなら、全く問題はないわね」
 少女の言葉に、霊夢ははっきりと応える。
 その応えに、少女は少しばかり怒りを覚えながらも、軽口で続ける。
「じゃーあなた、鳥目なんじゃない?」
「あら、人間ってのは普通、夜に辺りが見えづらくなるものよ?」
「夜にだけ行動する人間も見たことあるけど?」
 そこで霊夢は、相手を挑発するような視線を投げる。そして――
「そういう人間は食べてもいいのよ? 知らないの?」
 そう口にした。彼女の瞳は、食べられるものならば食べてみろ、そう言っていた。
「へー、そーなのかー。じゃあ……」
 少女の瞳に狂喜が宿る。
「目の前の人間は食べてもいい人類なんだね!」

 少女が先制の光弾を撃ち出す。
 細かい弾を放射状に打ち出したり、大きな弾を数弾纏めて打ち出したり、色々と策を弄するが、霊夢はそのこと如くを避けきった。そして、御札を数枚だけ打ち出し、その全てを確実に少女に当ててくる。
 少女は段々と疲弊していった。
 このままでは殺られる。そう判断した少女は再び強い力を解放する。
「夜符、ナイトバード!」
 少女の叫びに呼応して大小の弾が霊夢に押し寄せる。速さこそないが、その隙間を抜けることは中々に骨が折れることだろう。
 しかし――
「あうっ! つぅ……」
 結局、霊夢の動きはその弾の幕を抜け、少女に御札の一撃を浴びせる。
 少女は焦り、立て続けに力の解放を試みる。
「……闇符、ディマーケーション!」
 鋭い形状の弾が複雑な動きをしながら霊夢に向う。そして、彼女がそれらを避けている中――
「はっ!」
 更に続けて、大きな弾が幾つも連なって霊夢を襲う。
 ――やった……!
 霊夢の注意が依然、鋭い弾の方に注がれたままであるように見た少女は、そのように喜びの叫びを心内に響かせた……が――
「まったく…… 全体的に攻撃が単調ねー。せっかく夜空がロマンチックなのに、すっかり興醒めよ?」
「なっ!」
 軽口を叩きながら、あっさり少女の攻撃を全て避ける霊夢。
 少女はその光景を目にし、呆けた。
 その隙をついて霊夢が御札を両手に構える。そして、その全てを勢いよく放り、両の手で祈りを捧げた。
 次の瞬間、御札が激しく発光し、天を彩る。
「夢符、封魔陣っ!!」
「きゃああぁぁあああぁあ!」
 少女は光に晒され、倒れた。
「相手が弱弱なら、私が激しくするしかないわよね」

 少女は落ちていく。地面に向けて、真っ直ぐに。
 しかし――
 がしっ!
「え?」
「大丈夫?」
 再び中空を舞う自分に疑問を覚え少女が声をあげると、声がかかった。
 その声は聞き覚えがあった。それもそのはずだ。その声は、先ほどまで対していた相手のものだったのだから。
「なんで……助けるの?」
「今回の目的は貴女を倒すことじゃないしね。それに、貴女は弱いけど、たまに肩慣らしに遊ぶ分には悪くないわ」
 そう応えて笑った少女は、先ほどまで敵だった者を地面にゆっくりと下ろし、
「貴女、名前は?」
 その者の名を訊いた。
 金の髪を夜の風に靡かせている少女は、大きな赤い瞳を瞬かせ、応える。
「……ルーミア」

「霊夢は甘々だなー」
 再び並んで飛び始めると、魔理沙は開口一番そのように言った。
「そんなこと言って、魔理沙だってあの場面になれば同じことするくせに」
「さて、どうかな。わたしは魔女さんだぜ?」
 その発言を受けた霊夢は快活に笑う。そして、笑みを浮かべたまま魔理沙を見やる。その上で、一言。
「だからって、貴女は大人しく悪魔に魂を売っているようなタマじゃないでしょう?」
 彼女の言葉に、魔理沙はニ、三度瞳を瞬かせ――
「へっ、それもそうだぜ」
 笑って、応えた。

 目次