東方紅魔郷 STAGE 02 : 湖上の魔精

 濃霧に遮られながらも、いと高き月の輝きは遥か下方の湖水を照らしていた。
 悠々と上空を舞っていた霊夢は、その様子を瞳に映し、微笑む。少しばかり飛ぶ速度を落とし、見惚れた。そして、連れ立って飛んでいる魔理沙の肩を軽くつつき、下方を――優美な情景を指差した。
 魔理沙は霊夢同様速度を落とし、訊く。
「んん? 何だよ、霊夢」
「ほら、あれ。晴れてる時に綺麗に映ってる月は勿論素敵だけど、あんな風に幽かに映る情景もロマンチックねー」
 言って、ほぅ、とため息を吐く霊夢を瞳に入れ、魔理沙は苦笑を浮かべる。
「分からなくもないが、こんな時によくもまあ…… まったく、変わってるぜ」
「あら。どんな時でもゆとりを忘れちゃいけないわよ? 第一、一分一秒を争う緊急事態ってわけじゃないじゃない?」
「わたしはせっかちなんだよ」
 魔理沙のにべもない返答に、今度は霊夢が苦笑する。
 そして、二名は徐に速度を戻した。
 魔理沙が、更に言葉を続ける。
「それに――」
「? それに、何?」
 問い返した霊夢を瞳に映し、魔理沙は眉を顰める。彼女の腕は、自身の体を抱いていた。
「さっさと夜の散歩をお開きにしたくてな。ちょっと寒くねぇか? 夏も近いってのに…… 温かい紅茶を出してくれる屋敷を出前して欲しいところだぜ」
「何を無茶なことを…… とはいえ、確かに魔理沙の言うとおり、少し寒いわね」
 霊夢もまた両腕で軽く体を抱く。
「だろう? それに…… なあ、霊夢。この湖って確か――」
 魔理沙の言わんとすることを瞬時に理解し、口を開く霊夢。
「島があったはずよ。それで、そこには大きなお屋敷が一軒。ご招待に預かったことはないけどね」
「わたしもだぜ。で、だ。その島、そろそろ見えてきたっていい頃合いじゃないか?」
「それもそーねー。迷ったかしら?」
 彼女達の下方に広がる湖は狭くはないが、それでも横断するのに二十分とかからない。にも拘らず、霊夢と魔理沙が湖の上空に差し掛かってから既に三十分弱の時間がかかっている。それでもなお、下方の光景は水で覆われている。
 霧のせいで方向感覚が狂ったのか、もしくは――
「ふっふっふっふっふっ!」
『!』
 突然の甲高い声に、湖上を翔けていた少女二名は頭上を仰ぎ見た。

「貴女は――妖精ね」
「そう! あたいは氷の妖精チルノ! 迷うは、最強の妖精たるこのあたいが惑わせているからなのよ! ついでにこの寒さもあたいのしわざ! ふふん! 恐怖で声も出ないようね!」
 頭上で腰に手をあて得意げにしている、青い髪の妖精――チルノを、霊夢と魔理沙は呆けて見詰めていた。
 それというのも、チルノの手にしているものが、なぜそのようなものを手にしているのだろうと疑問を抱かせずにいられない代物だったからである。
 魔理沙が右手で頬を掻き、ゆっくりと口を開く。
「てか、お前。何で蛙なんて持ってんだ?」
「ふっ! バカにはわからないのね。もちろん、凍らせて遊ぶためよ」
「うーん…… 馬鹿には分からないっていうか、寧ろ、馬鹿にしか分からないんじゃ……」
「だな」
「なっ!?」
 霊夢、魔理沙、それぞれの言葉にチルノが青筋を立てる。
「誰がバカなのよ! 誰が!」
「誰って……ねぇ?」
「ああ。てか、こうして上で踏ん反り返ってるのも馬鹿っぽいぜ。煙と何とかはってな」
「なんだとーっ!」
 チルノが手足をバタつかせて暴れる。
「もー、怒った! あんたら、最強のあたいの手で吹っ飛ばしてやるっ!」
「あ、ちょっと待って」
 怒り顔で叫んだチルノに、霊夢は冷静に声をかける。特に戦闘態勢にはいるでもなく、落ち着いたものである。
「へ? な、何よ? 今さら命ごいとかしても無駄よ」
 戸惑った様子で訊き返したチルノに向け、霊夢は軽く微笑み、言葉を続ける。
「戦うのは別にいいんだけど、まず確認しときたくてね。この霧は――貴女の仕業かしら?」
「霧? こんなのあたいは知ら――」
 そこまで口にしてから、チルノは数秒考え込んだ。今まで口にした分だけで彼女が霧の根源でないことは判るが、ならば、チルノは何故言いよどんだのか? その答えは直ぐに判った。
「そうよ! 最強のあたいにかかれば、このていど造作もないわ!」
 見栄を張りたかったようである。
 勿論、そのような嘘に、霊夢も魔理沙も騙されない。
「なるほど。そういうことなら、私は見物してるわ。魔理沙、頼むわね」
「おうだぜ。元々、次何か出たらわたしがやるつもりだったしな」
「ふんっ! まとめてかかってこなかったことを、直ぐに後悔することになるわよ!」
 霊夢が後方に下がっていくのを目にし、チルノが叫ぶ。
 魔理沙は、そんな彼女を瞳に映して口もとを歪める。そして――
「せっかくだ! 是非、後悔させてもらいたいもんだぜ!」
 声を張り上げた。

「氷符、アイシクルフォール!」
 チルノが頭上から氷の杭を打ち出す。速度こそ大したことはないが、進路を途中で変えて襲いくるため、少々動きの予測がしづらい。更には、杭が閑散としている空間にも光弾を打ち出してくるため、避けるのには中々の苦労を要す――はずなのだが……
「へへーん! どうよ、あたいの力は! ……って、まさかっ!?」
「最強とか自称してる割に、ぬるい攻撃だぜ!」
 素早い動きで、放たれた杭や光弾の幕を抜けた魔理沙は、チルノの眼前まで迫り――
 ぱちんっ!
「わっ!」
「どうだ? わたしのデコぴんは中々の威力だろ?」
 チルノのおでこに向け指を弾き、一撃を加えた魔理沙は、そう口にしてから意地の悪い笑みを浮かべ、後退した。
 ぷるぷると小刻みに震え、チルノは目つきを鋭くする。
 そして――
「凍符、パーフェクトフリーズ!!」
「うおっ!」
 チルノの力強い声に応じて、色とりどりの光弾が魔理沙に向う。光弾の動きの緩急が激しく、さすがの魔理沙も避けるのに苦労しているようだ。
 ぴたっ!
 ――と、光弾の動きが止まった。
「……ん? 何だ?」
 魔理沙が呟いた、その時――
「くらえーっ!」
 チルノが凍てつくほどの冷風を放つ。
「くっ! さ、寒いぜ……」
「やあぁ!」
 冷風をまともに浴び魔理沙の動きが鈍ったところで、チルノの叫びに伴って止まっていた光弾が再び動き出す。
 突然のことに、そして、動きが鈍っていたために、魔理沙は回避行動が遅れる。
 ばんっ!
 大きな音が響き、辺りを爆煙が隠した。

 爆煙が収まった時、そこに白黒の衣服を纏った少女はいなかった。
「あはははは! あたいってば最強ね!」
 チルノは上機嫌で笑う。そして、霊夢をびしっと指差した。
「次はあんたよ! 覚悟しろ!」
「貴女、やっぱり馬鹿だわ」
 突然、霊夢はそう言った。
 当然の如く、チルノは眉を吊り上げる。
「なにー! さっきから何度も何度も! 最強のあたいに力で勝てないからって、陰口なんてみっともないぞー!」
「堂々と言ってるんだから、陰口じゃないし。本当に馬鹿ね。まー、そんなことはいいわ。それより――」
「なによ!」
「自分の攻撃が相手に当たったかどうかの判断もできないようじゃ、馬鹿と言われてもしょうがないでしょう?」
「は? なに言って――」
 ぱちんっ!
「痛っ!」
 再び、チルノをおでこを痛みが襲う。
 既視感――チルノはそんな言葉を知らなかったが、彼女は確かにその感覚を抱いた。
 そして、彼女の目の前に白黒の何かが飛び出す。
「今のはちょっと危なかったぜ」
「な!? くー! な、ならこれでどうよ! 雪符、ダイアモンドブリザード!!」
 魔理沙が再び後退していったのを見送り、チルノは両手を構える。そして、氷で作った杭をどんどんと生み出していく。数百、数千の杭が生まれ、辺りを満たしていく――が……
「おいおい。ここにきてこの体たらくとは、がっかりだぜ。どんなに数があったって、動きが単調で速度もない」
「ねー、魔理沙ー。そろそろ遊ぶのやめて行きましょー。貴女は動いているからいいかもしれないけど、見物してる私は寒いのよ」
 白黒の少女と、紅白の少女は世間話をするかのような声のトーンで、そう口にした。
 そんな彼女らの様子がチルノを苛立たせる。
「ば、バカにしてーっ!」
「仕方ないだろ? 馬鹿なんだから」
 挑発するように笑った魔理沙は、右腕を真っ直ぐとチルノに向ける。
 そして、力を――解放した。
「魔符、スターダストレヴァリエ!!」
 力強い言葉に続いて、魔理沙の周りに星型の光弾が生まれる。それらはどんどんと肥大していき、回転しながらチルノに向った。
「いっけええぇええぇえ!」
「うわああぁあぁぁああ!」
 どおぉんっっ!!!!!
 チルノは回避行動を取る間もなく星に撃たれ――堕ちた。

「う〜ん……」
 湖面に近寄り、浮かんでいるチルノの様子を確認した魔理沙は、直ぐに上空の霊夢の元へ戻った。
「どうやら大丈夫だ。気絶してるだけみたいだぜ」
「そ。じゃーさっさと行きましょうか? 折角だし、島にある屋敷でも訪ねましょう?」
「そーだな。んじゃ、行くぜ!」
 魔理沙の言葉を合図に、二名は再び湖上を翔け始めた。

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