東方妖々夢 STAGE 00 : 求めるは麗らかなる汝

 都会の喧騒より離れし地にて、久遠の時を隔て存在する家屋がある。かつては、その庭に在る小高き丘より見渡せる一帯を領地とした名家であった。しかし、ある時を境としてその権威は失墜し、今では古びた屋敷が残るのみとなっている。
 かの屋敷を護る豪奢な門――かつては豪奢であった門には、屋敷を居としていた家の名が刻まれている。
 ――西行寺。そう刻まれている。
 そして、西行寺の屋敷が存在する地方には未だ語り継がれている伝説がある。西行寺家にかつて在ったという巨大な桜、西行妖の伝説が。
 現在ではどこにも存在せず、語られるだけの存在、西行妖。その西行妖は、ただ次のように語り継がれる。

『西行妖。それは封印の鎖。俗世の苦を堰き止む楔。かの封を破ることあってはならぬ。ゆめゆめ忘るることなかれ』

 存在せぬ封を破れるはずもない。人々はそう口にして忘られた時を笑い、日々を生きる。人は闇を、怪奇を、幻想を忘れ、日々を生きるのだ。

 山深き地。幻想を、怪奇を、闇を忘れぬ人々の住まう楽園。結界で現と隔離されたその地は、誰にでもなく幻想郷と呼ばれている。
 かの地には小さな佇まいの神社がある。木々が鬱蒼と生え揃う中、その邪魔をすることなきよう控えめに存在する木造の建物。その建造物を護るように朱に塗られた鳥居が存在する。木々と共存するように存在するその鳥居を抜けると、左右には狛犬が眼光鋭く鎮座している。そして、彼らのそのまた奥には本殿が存在し、また、決して満たされることなき賽銭箱が堂々と存在する。
 そこへと続く敷石を踏みしめ、一人の少女が竹箒で土埃を掃いていた。巫女装束を身につけ、艶やかな長髪をリボンで纏めている。
 彼女の名は博麗霊夢。ここ博麗神社の巫女である。彼女は一心に手を動かし、神の御前を清め続ける。
 しかし、突然霊夢が土埃を掃う手を止め、両手で口元を覆った。白い息を吐き出し、手を擦り合わせて暖をとろうとしている。
 そのような霊夢の所作からも判るように、神の社は現在、非常に涼やかであった。陽の光が出始めたばかりの朝方ともなれば、土を盛り上げる霜柱が目視でき、冬場を思わせる気候である。
 が、現在は冬場と呼べる時季ではない。陽気に包まれあちこちで命が芽吹く、そんな時季なのだ。つまり、春なのである。
 にもかかわらず――
「まったく…… 寒いわねぇ。そろそろつくしとかふきのとうとかの季節じゃない。でも、こう寒くちゃ…… はぁ、貴重な食糧が……」
 霊夢が呟いたように、大層寒い日々が続いていた。とても春とは呼べない日々が。
「にしても、ここまで寒い日が続くなんて、どっかの誰かが何か企んでる予感…… まぁた厄介事に巻き込まれるのかなぁ。はぁ、面倒臭い」
 そのように呟きつつ、霊夢は箒を杖代わりとして佇む。しかし、直ぐに寒さに耐えられなくなったようで、動き始めた。箒を懸命に動かす。そうしてしばらく経ち――箒を投げ出した。
「ああぁあ! もう寒い! 外で運動代わりに掃除してても寒いし! 社務所でだらだらしてても寒いし! ……もう怒った! この私からぽかぽか陽気の春を奪うなんて許せないわ! 面倒だけど我慢して解決してやろうじゃない!」
 巫女は叫び、放った箒を拾って社務所へ向う。縁側に箒を立てかけ、それから――
「御札と、それから陰陽玉と……」
 社務所の奥に保管されている文字の刻まれた紙片と、陰と陽の溶け合った球体を手に取り、準備を整える。
 そして、縁側へと戻り空を仰いだ。光の満ちる天からは、自然の造り上げた美しき結晶が降り注いでいた。

 幻想郷の一角に在る森の奥深くには、古びた小屋が建っている。その内部には魔法の書物や道具が溢れており、足の踏み場もないほどだ。とても、人の住まう環境ではない。
 しかし、この小屋には確かに人が居る。魔女が住んでいる。
 その名を霧雨魔理沙といった。魔理沙は数多の品に囲まれ、存外くつろいだように書物を読んでいる。
 彼女の金の髪には緩やかなウェーブがかかっており、大層美しく目を惹く。が、その所作はよく言えば大胆、はっきり言ってしまえば大雑把と呼ばれてしまうもので、足を投げ出して座り、読み終わった本を無造作に投げ出す有様だった。
 そんな彼女は、読み散らかした書物を見回して頬をかく。
「本も溜まってきたな。そろそろ返しに行った方がいい気もするが…… 面倒だぜ」
 どうやら、数多在る本のいくつかは借り物であるらしい。しかし、彼女の様子を見る限り、返そうという気概は見受けられない。
「そもそも寒いんだよなぁ。この寒さ、どうしたもんかね。そろそろ春だぜ?」
 これじゃあ返したくても返せやしない、などと呟く魔女。しかし、例え春の麗らかな陽気が幻想郷を満たしたとて、彼女が書物を返還するとは思えない。第一、書物を返すくらいであれば寒くても当然可能だ。にもかかわらず、先のようなことを述べているのだ。返す気などないのだろう。
 その証左か、魔女は書物から視線を外し、窓辺に寄る。
「うっわぁ…… 雪まで降ってきやがった。こいつは流石におかしいよな……」
 中空を漂う白き結晶に、魔理沙は少しばかり心躍らせながらも嘆息する。腕を組み、瞑目して考え込んだ。そうしてしばらくすると――
「そうだ! また、霊夢を誘って原因究明に乗り出すとすっか! このところ特にイベントもなくて退屈だったし、丁度いいぜ! んで、首尾よく春を迎えたら――」
 瞳を輝かせて、魔理沙は戸口に向う。扉の直ぐ側に立てかけてあった箒を手に取り、戸を押し開けた。
 そうして彼女は手にした箒にまたがり、飛び上がる。
「花見という名の宴会としゃれ込むぜ!」

 湖に取り囲まれた陸地が在る。そこには紅に彩られた豪奢な屋敷があった。実はこの建造物は半年程前に大破し、つい先日復旧したばかりであった。しかし、麗しきその屋敷は、そのような事情を窺わせることもなく佇んでいる。
 美麗な装飾が随所に施され、遠目に見ても見惚れるその建築は、近づいて見てもやはり呆けてしまう絢爛ぶりである。そして、その屋敷を囲む庭園もまた、時を忘れさせる洒落具合だった。生い茂る緑。青々とした芝生。清く流れる泉水。一部の隙もない景色である。
 そのような屋敷の玄関口で佇む少女達がいた。女官姿の少女が大き目の日傘を差し、他二名の幼き少女達を日差しから護っていた。
 そして、幼き者の一人が口を開く。
「雪ばっかりで飽きちゃったぁ…… ねぇ、お姉様。雪って春でも降るものなの?」
「普通は降らないわ。けれどまあ、この世に生れ落ちて早五百年。偶にはこういう年もあるのではないかしら? それよりも、フラン。飽きたというのなら中に入るわよ。寒くて敵わないわ」
「はぁい。あーあ…… 早くお花見っていうのをやってみたいなぁ。ねぇねぇ、お姉様。お花見って桜という花が咲いたらやるんでしょ」
 笑顔を向けてくる少女に、姉と呼ばれた者は微笑んで頷く。
「ええ。そうよ。うちの庭には植えていないけれど、そうね…… 博麗神社にはあったわね」
「じゃあ、暖かくなって桜が咲いたら、わたしでしょ。お姉様でしょ。咲夜にパチュリーに美鈴に、それから霊夢や魔理沙や、あとあの黒い妖怪とか冷や冷やしてる妖精とか…… みーんなでお花見しようね! 楽しみだなぁ」
「そうね。……ほら、早く入りなさい。風邪を引くわよ」
 姉が妹の背を押して、屋敷の中に入るよう促した。
 妹は、はぁい、と返事して戸口を潜る。
 戸外には姉である幼き者と、女官姿の少女が残った。そして、
「咲夜。春を――取り戻してきなさい」
 幼き主君が鋭い瞳を女官に向け、命令した。
 女官は――十六夜咲夜は慇懃に低頭し、従う。
「畏まりました、お嬢様」

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