東方妖々夢 STAGE 01 : 白銀の春
白銀が天より降り注ぎ、さながら桜吹雪の如き光景が広がる。大地は穢れなき色で覆われ、見渡す限り一色に支配されていた。
紅き屋敷から北上し、波打つ湖を越えた先。その上空を少女は翔けている。
少女――十六夜咲夜は、女官服と首元を覆うマフラーのみを身につけていた。えらく軽装である。しかし、咲夜は寒がることもなく、迷いなき眼差しで行く先を見据える。
「寒気はこちらから強く感じられるのだけど…… さて、この勘が正鵠を射ていれば万々歳ね。さっさとお嬢様のご期待にそいたいことだし」
咲夜は呟き、そうしてからナイフを数本取り出す。そして、それらを進行方向左側にある木へと向けて投げた。
がさっ!
ナイフが木に勢いよく突き刺さると、木陰に動物でも潜んでいたのか物音が響く。
「出てきなさい。出てこないのならば、次は容赦なく当てるわ」
物音のした方向に鋭い視線を向け、咲夜が言った。
すると、木陰からは青い髪の少女が顔を出す。動揺しているのか、顔色は悪い。
「……さ、最強の妖精にけんかを売るなんて、いいどきょーじゃない」
「あら。偶に妹様の遊び相手をしている馬鹿妖精じゃない。そういえば貴女、氷の妖精だったわね。なるほど、犯人が身近にいるとは面倒が少なくて助かるわ」
「誰が馬鹿妖精だ! あたいの名前はチルノ!」
ひゅっ!
「・・・・・・・・・・・・・・・」
叫んだチルノに向け、咲夜がナイフを放った。氷精の青い髪を纏めているリボンに穴が開いた。
「チルノね。取り敢えず今だけは覚えるわ。呼び方に困るし」
肩を竦める咲夜。不敵に笑いチルノを見下ろす。
「さてチルノ。私は春を取り戻さねばならない。貴女如きに春の到来を遠ざけるという所業が為せるとは思えないけれど、それでも、貴女の背後に黒幕がいる可能性は否定できない。さあ、吐きなさい」
氷のような眼差しがチルノを襲う。氷を象徴する妖精は、その眼差しに射抜かれて動けなくなった。
そして――
「そ、霜府! フロストコラムス!」
恐怖のあまりに、窮鼠の如く歯をむき出す。
しかし、打ち出された鋭い氷弾群の間隙を抜けることなど、咲夜には容易なことであった。彼女は悠々と飛び回って弾を避け、ナイフを構える。そしてそれを放ち、チルノの衣服を樹木の一本に縫い付けてしまった。
「くそー! とび道具なんてズルイぞー!」
彼女自身も氷で形成した刃を駆使しているにもかかわらず、チルノが叫んだ。
そんな彼女に呆れた視線を向け、咲夜が呟く。
「……張り合いがないわね。まあ、馬鹿妖精だし仕方がないかしら。にしても、この様子じゃ、少なくともこの子自身は関係がなさそうね。黒幕がいるのならさっさとご登場願いたいところだけど――」
「くろまくー」
咲夜の言葉を遮って、少女が間延びした声を口にしつつ上空から降りてきた。咲夜はその少女を目にし、喜色を浮かべる。
「貴女が黒幕ね。では早速――」
「レティ!」
再び咲夜の言葉は遮られ、今度はチルノが叫んだ。レティと呼ばれた少女は彼女を見やり、優しく笑む。
「大丈夫? チルノちゃん。怪我はないわね」
「うん。あたい、最強だもん」
仲良さげに語らう二名から少し離れた中空で、女官が無言で浮かんでいる。そして――
ひゅっ!
彼女の手から、無言でナイフが放たれた。そのナイフはレティに向けて突き進む。
「あら。危ない」
「こらぁ! 人間! レティに何すんだ!」
レティは涼やかな表情でナイフを避けた。一方、ナイフで木に繋ぎとめられたままのチルノは、顔を赤くして声を荒げた。
咲夜は何食わぬ顔で彼女達を見やり、肩を竦める。
「自称黒幕をさっさと倒してしまおうかと、ね。……貴女は――冬の精霊といったところかしら?」
レティに尋ねた。
問われた者は、問うた者に視線を向け、口を開く。
「ご名答。貴女は、春を取り戻したいのね?」
「ええ。……どうやら貴女は冬度ばかり沢山で、春度はあまり持っていないようね」
レティは軽く笑み、答える。
「春は私のものではないですから」
一連の会話をチルノが首を傾げて訝しげに聞いている一方で、咲夜は懐に入れているナイフを手に取る。
その気配を感じ取ったレティは、空間に漂う冬を集める。
「けれど、今は少しの春でも惜しい。大人しく春度を渡しなさい、黒幕」
「……季節は巡るもの。それは避けられない理。でも、あらがう自由は許されてもいいでしょう?」
「許しましょう。でも、阻むわ」
女官と精霊は一度ほほ笑み合い、戦いを始めた。
結晶が天より降り注ぐ中、更なる寒気が渦巻く。冬を司る者が、悪魔に仕える犬を墜とそうと冷気を操った。
しかし――
「あら、寒いわね」
「!」
気がつくと、咲夜はレティの背後にいた。レティは目を瞠り、急ぎ離れる。そして、
「冬符、リンガリングコールド!」
レティが力強く叫ぶと、冬の持つ力強さが風となって咲夜を襲う。凍てつく空気は容赦なく彼女に向かい――
「お嬢様に頂いたマフラーがあるとはいえ、貴女の寒気は厳しいものがあるわね。まあ、それもまともに受ければだけれど」
再び、レティの背後に現れる咲夜。
レティはやはり咲夜から離れ、訝しげに彼女を見やる。
「ど、どうして……!」
「さて。どうしてかしら。そっちの氷精にでも聞けば知っているはずよ」
そう口にし、咲夜はナイフで木に結わえ付けられたままのチルノを指差す。
チルノは咲夜が勤める館を訪れることがままある。館の主人の妹君と遊戯に興じるためである。その際、彼女は咲夜の能力――時を操る能力について耳にしていた。
今回のこの状況もまた、時間を止め、その間に寒気が及ばない位置へ移動しているのである。それゆえ咲夜は、チルノは現状について当たりをつけているものと考えていた。しかし――
「え、あ…… うん。あたい知ってるよ。そ、そいつ凄い速いの。だからぁ、レティがそいつのスピードよりも速い攻撃をすれば勝てるんだよ」
氷精は頭が弱かった。
レティは彼女を目にして苦笑し、咲夜に視線を向ける。
「次、行くわよ」
「どうぞ」
不敵に笑う咲夜に向けレティは、今度は冷気の風ではなく氷弾を向ける。雹の雨が咲夜を襲う。
咲夜は細かく動き、全て寸でのところで避け続ける。そうしてしばらくすると――
「……!」
いつの間にか四方を巨大な雹に囲まれていた。
「これなら――」
「油断しすぎたかしらね」
「!!」
みたび背後に現れた咲夜に驚愕し、レティは慌てて寒気を集める。
そして、解き放つ。
「怪符、テーブルターニング!!」
氷で形成された幾千もの杭が咲夜に向う。強い寒風を伴い、速度に乗っている。
「流石に冬を司るもの。ちんけな妖精とは違うようね。けれど……」
咲夜の瞳が紅く染まる。すると、生物の動きから風の流れ、音までも消えうせる。全てが静けさに沈む。
「時が止まれば全ては無意味よ」
呟いた犬は安全圏へと逃れ、ナイフを放った。
「黒幕弱いなぁ」
咲夜は微笑み、そう口にした。
それに対し、木に結わえ付けられた精霊と妖精のうち、妖精が瞳を吊り上げる。
「ずるしたくせに!」
「あら、人聞きの悪い。ずるではなく実力よ」
「嘘つけ!」
「止めなさい、チルノちゃん」
なおも噛み付くチルノをレティが諌める。
「でもレティ」
「結果は結果。それに、季節は巡らなければいけないものなのだから」
そのように諭されると、チルノは口を尖らせて俯いた。
「では、貴女が有している春度を頂こうかしら?」
「ええ。けれど、この程度では幻想郷に春が訪れることはない」
「そうね。ならば――」
咲夜はレティが差し出した桜の花びら――春度を手にし、それから空を仰ぐ。
天からは白き結晶に混じって、ゆらゆらと花びらが落ちてきていた。
「向うべきは、あの厚い雲を抜けた先ね」