東方妖々夢 STAGE 02 : マヨヒガの黒猫
山深く分け入った先、白く飾られた木々ばかりが並ぶ中、一人の少女が空を翔けていた。
巫女装束にその身を包み、白い息を吐きつつ前方を見つめる少女――博麗霊夢。彼女は両腕で体を抱き、溜息を吐く。
「寒いわねぇ…… 山勘に頼って飛んできたけど、今回の首謀者はどこにいるのやら…… このままじゃ遭難しちゃうじゃない」
霊夢は両手を擦り合わせ、それから口元を覆い、息を吐きかける。しかし、その程度で雪山の寒気が和らぐはずもなかった。
彼女は視線を忙しく巡らし、一時的にでも寒気を遮るためのもの――小屋などがないかどうか探す。が、そう都合よく見つかるはずもなく、深いため息を吐く結果となった。
「このままだとちょっとまずいかもしれないわね……」
呟くと、巫女は視線を下げた。
再び霊夢が視線を上げた時、そこに広がっている光景は一変していた。晴れ渡った空の下、古びた家々が立ち並んでいた。
「? さっきまではこんな家は……」
霊夢は呟きながら地に降り立つ。
多く在る家のうち、立派な黒き門を構えるものの前に立つ。訝しげにその家を見やり、しかし、門を潜って中へ入る。
門の中には大きな庭があり、紅白の花が一面に咲き乱れていた。その中を鶏が自由に飛びまわり、また、庭の裏手に向うとそこには、牛小屋や馬舎があった。多くの家畜がおり、大層金持ちの家と思われたのだが、そこに人の気配はない。
「……ここは一体――」
「ここはマヨヒガ。顕界とは境界で遮られた、異郷の地」
訝しげに呟いた霊夢の前に黒猫が姿を見せ、声を発した。そして、その黒猫は漸う姿を変え、少女のそれと成る。
「あら、黒猫とは不吉ね」
「貴女は紅白でめでたいわね」
少女が言った。
確かに霊夢の纏う巫女服は、赤と白で彩られている。
「よく言われるわ。それよりも貴女、今マヨヒガと言った?」
「ええ。貴女が迷い込んだここはマヨヒガ。境界で隔離された桃源郷。全ての幸福が揃い、それゆえに、災厄を呼び込む人間という存在は存在しないはずの地」
少女が得意げに言った。
そして、その言葉を耳にした霊夢は不敵に笑む。
「成る程。柳田某が嘯いた――何処かに伝わる昔語りに出てくるマヨヒガが実在するとはね。とすると、ここにあるものを持ち帰ったら幸福が齎されるという話も――」
「まあ本当なんじゃない? この地は幸福に満たされている。全てのものに幸運が宿っていても不思議じゃないもの」
その応えを聞くと、霊夢の顔には喜色が浮かぶ。
「じゃあ略奪開始ね」
巫女の発したその言葉を耳にすると、少女は瞳を細めた。
「……浅ましい人間。だからこそ貴女達にこの地は似合わない!」
爪を伸ばし、牙をむき出しにする少女。そして彼女は、浅ましき巫女に対峙した。
少女が視線を鋭くし鳴くと、光弾が幾十も現れて霊夢を襲う。彼女はその合間を抜け前進した。少女に向けて駆けた。
それを目にした少女は、焦った様子で身構え、力強く言の葉を繰る。
「仙符、鳳凰卵!」
「おっと」
少女を中心として光り輝くクナイが数多打ち出された。
霊夢は大きく後ろに跳んで距離を取り、それから、落ち着いた様子でそれらを避ける。
そのような様子を目にした少女は、好機と見て取ったのか距離をつめ――
ひゅっ!
その機会を待っていたかのように、霊夢が御札を懐から取り出し放った。御札は真っ直ぐに少女へと迫り、彼女が回避行動を取る時間はないと思われた。しかし……
すっ。
突然少女の姿がかき消え、御札は空を切って地面に落ちる。
そして、少女がいた場所には、少女の膝までの体長を有した黒猫がいた。その黒猫は直ぐに、再び少女の姿をとる。
「ふぅん。便利ね」
「式符、飛翔晴明!」
呟いた霊夢には掛け合わず、少女が再び叫ぶ。その力強い言葉に伴い、妖力で生み出されたクナイが再び霊夢を襲う。
霊夢はそれを、やはり落ち着き払った表情で避け――
「くっ」
しかし、直ぐに眉を顰めることとなった。
放たれたクナイが途中で軌道を変え、霊夢を襲ったのである。彼女はそれらを寸でのところで避け切るが、大きく体勢を崩すこととなった。
そしてそこに――
「天符、天仙鳴動!」
少女が更なる攻撃を畳み掛ける。彼女は霊夢の周りを素早く駆けずり回り、そうしながら、みたびクナイを生み出していく。クナイは霊夢の回りを囲み彼女を苦しめる。
「まったくもう、鬱陶しい!」
苛立たしげに霊夢が叫んだ。
そんな中、少女は不敵に笑って妖力を操る。すると――
ぶわっ!
霊夢を囲んでいた数多のクナイが突然変異した。全てが白き結晶へと姿を変え、それに伴い冷気が周囲を包む。
「さぶっ!」
妖力を伴った雪が霊夢を襲う。そのような雪に触れることに危険を感じたのか、霊夢は襲い来る結晶を巧みに避け切る。
しかし、冷気に晒されたその体は俊敏さを忘れてしまったようだ。それゆえ、少女の次の攻撃に対して反応が遅れる。
「仙符、屍解永遠!!」
少女がやはり妖力にてクナイを生み出す。そうして、緩急をつけ、霊夢に向けて幾十、幾百ものそれを放った。
霊夢はそれを瞳に映し、眉根に深い皺を刻んだ。そして、
「ったく、かったるい……」
そのように彼女が呟いた、次の瞬間――
がっ!
少女の瞳では捕えられない程の速度で打ち出された御札が、少女の額を直撃していた。少女は意識を手離し、姿を黒猫のそれへと戻している。
「畜生が相手だからって手加減するものじゃないわね。すっかり調子付かせてしまったわ」
霊夢が笑い、言った。
そして、家屋の入り口と思しき方向へ足を向ける。彼女の顔には満面の笑みが浮かんでいる。
「さてと。では、ゆっくり強奪と洒落込みましょうか。取り敢えず、軽くて身近な日常品を――」
霊夢の眼前に広がるのは、白銀に覆われた山裾であった。
「は? ……ここは、もといた雪山よね」
そのように呟くと巫女はうな垂れ、こめかみに青筋を携える。
「まだ何も奪ってきてないのに……! マヨヒガだか何だか知らないけど、お高くとまりやがってからに……」
俯いたままで怒りを抑える霊夢。
白の絨毯に覆われた地面がゲシゲシと何度も踏みつけられてはいたが、誰に迷惑がかかるわけでもないためよしとしよう。
「ん?」
そこで霊夢が空を仰ぐ。
というのも、彼女が踏みつけていた大地に、異なる色彩が降り注いだためだった。春を飾る花びらが降り立ったためだった。
「これは……」
霊夢の視線の先では、数枚の花びらがひらひらと降り注いできていた。
冬を代表する結晶に混じり、春を代表する花弁がその姿を際立たせていたのだ。
その光景に、霊夢は口の端を持ち上げ、満足げに笑む。そして――
「なるほど。向うべきはそこね」
天を仰ぎ、呟いた。