東方妖々夢 STAGE 03 : 人形租界の夜

 博麗神社より北方へ向った先。木々や田畑が広がる地の上空を少女が翔けている。
 その者は、黒の衣服の上に白の前掛けを身につけている。また、陽の光を受けて美しく輝く金の髪を覆うのは、白いリボンで装飾された黒い帽子である。頭の上からつめの先まで白黒模様を刻んでいた。
「霊夢は留守だったし、仕方ないからわたしだけで原因究明といこうかね。……とはいえ、何処に行ったものやらだぜ」
 その少女――霧雨魔理沙が独りごちた。
 彼女は先ほど博麗神社を訪れていた。春と呼ぶに遜色ない時節において未だ寒冷な気候が続いている現状を打破すべく、神社に住まう巫女――博麗霊夢を原因究明のための仲間として誘おうとしたのである。しかし、彼女は神社におらず、魔理沙は独りで空を翔けることと相成った。
「はぁるよ来い。はぁやく来い。何とかかんとか何とかがー」
 魔理沙は空を行きながら音階を奏でだした。出だしはまともに歌っていたが、途中から歌詞を知らなかったのだろう。非常に適当なメロディが空に放たれる。
 さて、それが原因ということもあるまいが――

 突然辺りが闇に包まれた。雲に覆われながらも微かな光を齎していた恒星は姿を隠し、いつの間にか月光が天より降り注いでいた。
「日食……ではないな。綺麗なお月さんが出てるぜ」
 魔理沙は帽子を右手で押さえながら天を仰ぎ、呟いた。
 彼女の視線の先には満つる月が姿を見せていた。優しい光を地上に齎すそれは、誰に恥じるでもなく天に浮かんでいる。
「ふむ。日が落ちるのが早くなったもんだぜ」
「幾らなんでも早すぎでしょう。まったく、これだから野魔法使いは……」
 魔理沙の呟きを受け、一人の少女が呆れた様子で声を上げた。夜陰に紛れ、いつの間にやら近づいていたようである。
 少女は青い衣服を身に纏い、肩にはケープをかけていた。そして、金の綺麗な髪を赤い布で纏めている。
「さすが温室魔法使い。常識を知らないぜ。この時季は昼が短いんだぜ?」
「嘘も休み休み言うのね。それと、都会派魔法使いと呼んでくれるかしら?」
 無表情で、お互いに棘の在る言葉をぶつける二名。
 そして、小さく笑う。
「よう、アリス。素敵な夜に空の散歩か?」
「本当は昼の散歩のつもりだったのだけれどね。それにしても、田舎の春は寒くて嫌ね」
 言の葉を発した少女の名はアリス・マーガトロイドという。魔理沙同様に魔女である。森の奥深くにひっそりと佇む洋館に住まい、読書や洋裁に時間を費やしている。
 魔理沙はそのアリスを見据え、口の端を持ち上げた。
「人の住んでいる地域を田舎呼ばわりとは、随分な物言いだな。誰のせいで寒い思いをしてると?」
「あら、私のせいではないわ。境界が曖昧なせいでしょう。昼と夜の境界。顕界と楽園の境界。そして、春と冬の境界。ここ最近、幻想郷にある境界の多くがまともに機能していない。迷惑な話よ。まあ、春が来ないのには、別の要因もあるようではあるけど……」
 したり顔でアリスが呟いた。
 魔理沙は首を軽く傾げ、眉根を寄せる。
「意味が分からん」
「あら、そう? まあ、妖怪たる私と人間たる貴女。知識の差があるのは仕方がないわね」
 得意げに言った妖怪を見やり、人間は呆れた様子で口を開く。
「はいはい。それで? 春をゲットするにははどうすりゃいいんだ? いい加減寒いのは勘弁だぜ」
「春ねぇ。季節の巡りを留め続けることなんていつまでもできないでしょうし、放っておけばそのうちやって来ると思うけれど……」
 アリスが考え込み、応えた。そして、徐に桃色の花弁を一枚取り出して見せる。
「貴女も寒いのが嫌なのなら、それまでは春度を持ち歩けばどうかしら? 少しは温かいわよ?」
 彼女の手におさまるものを見た魔理沙は口元を歪め、歯をむき出す。
「なるほど。そいつはいいな。なら、取り敢えず目の前のもんをもらっとくぜ」
 そう口にした魔理沙を目にし、アリスは息を深くつく。
「……ま、そうくるとは思ったけどね。野良猫は野蛮なんだから」
「へっ! 格の違いを見せてやるぜ、温室猫!」

 月明かりの落ちる寒空の下、魔女二名が対峙する。それぞれに魔力を解放し、光弾を打ち出す。
 夜天は光で彩られ、賑わった。
「たまには魔法合戦ってのも乙なもんだぜ」
「私は疲れるから遠慮したいけれど……」
 楽しそうに魔理沙が笑った一方で、アリスはうんざりした風に息をつく。そうしてから、右手を徐に持ち上げる。
 すると、それに伴って数体の人形が姿を見せた。
「せっかくだから、新作の出来を試してみましょうか」
「新作……? その人形のことか?」
 アリスの言葉に訝しげに瞳を細め、魔理沙が呟いた。
 そして、それに反応したかのように、人形が動き出す。
「蒼符、博愛の仏蘭西人形」
 魔女が呟くと、あたかも生きているかのような人形達は瞳を見開き、発光した。そして、彼女達を中心として鋭く尖った光の弾が飛び出す。
 弾は時を増すごとに増殖し、魔理沙に迫る。
「こいつはまた、凶悪な人形を作ったもんだな」
「私に害を為そうとする者に対して攻撃的になるだけよ。普段はとてもいい子達だわ」
 夜天を自在に飛び回り、さらに、魔法を駆使して弾を防いだ魔理沙。
 その彼女の呟きに対し、アリスが微笑んで応えた。そして、彼女は魔力を操り、更に人形を呼び寄せる。
「紅符、紅毛の和蘭人形」
 紅毛を有した見目麗しい人形達が集う。そして、アリスを護るように彼女の回りを囲み、威嚇のための攻撃を開始した。魔理沙に向けて光が放たれる。
 緩やかに襲い来るそれらは、避けることなど容易であった。しかし、彼女達の主たるアリスに近づくにつれ、その攻撃の密度は高くなっている。
「篭城作戦とはせこいな」
「心外ね。……野良猫さんにそんなことを言われるのも気分が悪いし、次の子達を呼ぶとしましょうか」
 瞳を閉じ、アリスが溜息をついた。そうしてから、紅毛の人形達を下がらせ、続けて、新たに数体の人形を虚空から出現させる。
「闇符、霧の倫敦人形」
 そのように主人が呟くと、繰られる者達は水蒸気を生み出す。辺りを覆う濃霧を呼ぶ。そうして魔女達の視界は遮られた。
 すると――
「咒詛、魔彩光の上海人形」
 アリスは息もつかせずに次の行動に移った。新たな人形を呼び出し、禍々しい光が生み出される。霧の中、彩鮮やかな光が四方を照らす。その光には強い魔力が込められているようで、それにより照らされた木々が枯れ果てていく。
 もしも、魔理沙がそれに触れたとしたら、危険な結果が待っているだろうことは容易に予想できる。
 しかし――
「甘いぜ!」
「!」
 黒き魔女はいつの間にやら、人形を繰る魔女の背後にいた。霧に紛れて行動を開始したのはアリスだけではなかったようだ。
 アリスは急ぎ振り返る――が。
「いただき!」
 魔理沙がアリスの脇をすり抜けつつ、叫んだ。
 そんな彼女の手の内には、薄く綺麗な色を有した花弁がおさまっていた。

「おぉ! こんなんでも持ってると結構温かいぜ」
 魔理沙は花弁を両手で包みはしゃぐ。
 それを奪われた当人はため息をつき、肩を竦める。
「さすが野良猫。手癖が悪いんだから」
 アリスが呆れた表情を浮かべて口にすると、彼女の周りに集っていた人形達はゆっくりと姿を消した。未だ体力と魔力に余裕はありそうであるが、もはや戦う意思はないようである。
「温室猫と違って逞しく生きなきゃいけないもんでな」
 不敵に笑い、魔理沙はそのように返答した。
 そんな彼女を見やり、アリスは再び息をつく。そして、徐に上空を指差した。
 野良猫はそれに伴い天を仰ぎ、
「何だよ?」
 訊いた。
「春度は上空に集っている。春が恋しいのなら、上を目指すのね」
 アリスは手を擦り合わせながら野良猫に教授した。
 それを受け、曇天を見上げる魔理沙。
「上、か……」
 彼女の瞳は、再び白き結晶が降り来る様を捕らえる。黒き魔女は眉根を寄せ、息をついた。そして、肩を竦めてみせる。
 そうしてから、気を取り直すように帽子をかぶり直し、口の端を持ち上げて笑んだ。
「へっ! 何が出るやらお楽しみだぜ!」
「魔理沙」
 勢いよく叫んだ少女に向けて、アリスが真摯な瞳を携え声をかけた。
 魔理沙は彼女に顔を向け、何だ、と訊く。
「一応、気をつけなさいよ」
 魔女が言った。
 それに対してもう一人の魔女はしばし呆け、そうしてから、楽しそうに笑った。天を見上げ、高らかに笑い声を上げる。
「はは! なるほど、雪も降るはずだぜ」
「どういう意味よ!」
 温室魔法使いが瞳を吊り上げ、再び人形をけしかける。
 それに追い立てられるように、野魔法使いは遥か上空を目指し、翔けた。

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