東方妖々夢 STAGE 04 : 雲の上の桜花結界

 深い闇が辺りを包む中、寒気を携えた結晶を生み出す厚い雲が天を覆っている。
 魔理沙はその雲へと飛び込み、凍てつく空気に耐えながら飛び続ける。永久にも感じる数秒が経つと、彼女は遥か上空――雲ひとつない天が広がる中空へと抜け出た。
 見上げると、彼女の視界には丸々と大きな月が在った。しかし――
「お。お日様のお帰りだぜ。アリスが言ってた境界とやらがまともに機能しだしたのかね」
 突如、陽光が月光に取って代わった。寒冷な気候が未だ肌を刺激するも、日差しの齎す暖かさが魔理沙を癒す。
 それを受け、魔理沙は気持ち良さそうに瞳を細めた。そしてその視界を――
「……何だ、ありゃ」
 少女が横切った。
 翼を有したその者は、暖気と笑顔を辺りに振りまきながら、ゆっくりとゆっくりと漂っていた。そうしてしばらく経つと、魔理沙の視界から消える。
「……気配から鑑みるに春の精霊か? そのわりに春度が少ないのは――」
 そう口にした魔理沙は、視線を少女が消えたのとは別の方向へと向ける。
 そこには、巨大な門があった。魔理沙がいる場所はその門がある箇所から未だ遠い。にもかかわらず、その門は魔理沙の瞳に巨大なものとして認識されている。相当な大きさである。
「あそこに春度が集っているらしいな。暖かそうだぜ」
 魔女は笑うと、視線の先を目指して翔けだした。

「姉さん、姉さん」
 上空に在る門を目指す少女達がいる。そのうち一名が、先頭を行く金の髪の少女に声をかけた。
「何? メルラン」
「人間の気配がするわ。こちらへ向っているみたい」
 淡い色をした髪の少女が笑顔を浮かべ、応えた。そして、遠方を指差す。
 それを受け、茶の髪をした少女は楽しそうに笑う。
「人間かぁ。西行寺のお嬢様って人肉も食べるかなぁ」
「リリカ。油断しないの。ここがどこか忘れた? ……空を飛ぶ人間か。力在る者のようね」
 比較的気楽に構えている少女達に向け、先ほど姉と呼ばれた者が注意を喚起した。そして彼女は、妹が示した先を見据える。
「西行寺家にはことあるごとに私達の演奏をご贔屓して頂いている。幽々子お嬢様が何を為さろうとしているかは判らないけれど、不安要素となり得そうな存在は排除しておこう」
 姉のその言葉を受け、妹二名は破顔一笑し手を振る。
「さすがルナサ姉さん。働き者ね」
「頑張ってー。姉さん」
「貴女達も来るの!」

 魔理沙は前方に見える門をひたすらに目指していた。
 空を翔け、翔け、翔けた。門に近づくにつれ彼女を暖気が包んでいく。
「ここはすっかり春だなぁ。早くわたしの家の近くもこんくらい暖かくなって欲しいもんだぜ」
 気持ち良さそうに飛び、魔理沙は呟く。
 そうしていると、彼女の視界に某かの影が入る。
「ん? あれは……騒霊か。こんな空の上で何をしているのやら」
「やっほー」
 疑問を口にした魔女に、茶髪の騒霊が声をかけた。
「よお。お前は誰だ?」
「そんなのどうでもいいじゃん」
「うん。確かにな」
 彼女達が意味のない会話をしていると、更に騒霊が二名やってくる。
「あら。リリカ、お友達だったの?」
「うん。そうよー」
「ああ。友達だぜ」
 笑顔を浮かべた淡色の髪の騒霊に対し、リリカ、魔理沙共に応えた。
 その様子を瞳に入れ、もう一人いた騒霊が息をつく。その顔には、適当な人達だ、というような感想が浮かんでいた。
「リリカ。その白黒と友達だというのなら、友達のよしみでそいつは任せた」
「任されたー。よしみ、よしみー」
 年長者らしい騒霊に声をかけられると、リリカは楽しそうに声をあげて手を振り上げる。すると、彼女の手の動きに伴ってキーボードが虚空から出現した。
 そして彼女は、その鍵盤に指を這わせる。それによりテンポの速い曲が奏でられた。
「お、楽しくていいな」
「でしょー。さすが友達」
 笑顔を浮かべる魔女と騒霊。
 そんな彼女達を瞳に映して、再び息をつく金髪の騒霊。そうしてから彼女は、もう一人の騒霊に瞳を向ける。
「メルラン。貴女はあちらから門に向っている奴を頼むわ」
「判ったわ。ルナサ姉さんはあっちの人肉?」
 メルランは笑顔で姉の言葉を了承し、それから、姉が示した方向とは真逆を指差し、訊いた。
 ルナサはその言葉にゆっくりと頷く。
 そして、姉妹はそれぞれ違う方向へ飛び去った。
 姉達が去るのを見送り、リリカはキーボードに再び指を添える。そして、魔理沙に無邪気な笑みを送った。
「じゃあ、友達のよしみで追い返させてもらうねー」
「嫌なよしみもあったもんだ」
 苦笑いを浮かべ、魔理沙は呟いた。

 厚い雲を抜け、小春日和と呼べる気候を享受した少女――十六夜咲夜。
 彼女は視線を巡らし、春の気配が留まる地を見つける。暖気の漂う上空の門を瞳に入れ、彼女は目つきを鋭くした。
「あそこにいる奴が私のお嬢様から春を奪ったようね。……ただでは済まさないわ」
「あら、怖い。白玉楼にいる忠犬も凄いものだけど、貴女の犬っぷりも相当ねぇ」
 いつの間にやら空を翔けて来た少女が声をかけた。
 咲夜はその者を瞳に映し、無言でナイフを構える。
「つれないのねぇ。さて、犬肉はおいしいのかしら?」
「……人肉よ」
 犬の低い呟きに口元を歪め、少女は指を鳴らす。すると、突如出現したトランペットが彼女の手に納まった。
「犬に芸術を解する心はあるのかしら?」

「ぷはぁっ!」
 下方に広がる蒸気の海から少女が飛び出した。下界と天を隔てるそれは非常に厚く、その上、寒気を多分に含んでいた。それゆえ、そこを抜けるまでの間に少女はすっかり凍えていた。
「さ、さむぅ…… ここが暖かいからまだいいとはいえ、勘弁してよ……」
 黒髪を赤いリボンで纏めた少女――霊夢は、両腕で体を抱きながら独りごちる。
 そうしながら、彼女は視線を巡らし巨大な門を瞳に入れる。その門の内側からは桃色の花弁が数多漏れ出ており、彼女が求めるもの――春度が集っていることが窺えた。
「舞い散る桜に誘われてここまで来たけど…… よくよく考えると何で桜が雲の上にあるのやらだわね」
 彼女がそう呟いた時、一人の少女が飛び来る。
「こんなところまで花見に来たのかい?」
「そうね。それもいいわね。」
 現れた少女に微笑みかけ、霊夢が言った。
 そうしてから、巨大な門に視線を向けて問いを発する。
「あそこが花見の会場? あそこは――何?」
「顕界と冥界を隔てる境界。死人の魂が漏れ出ぬよう打たれた楔。風雅な呼び方をするならば幽明の境。通俗的な呼び名を借りるなら――桜花結界」
 少女の言葉を耳にし、霊夢は額に手をあてがい考え込む。
「ふぅん…… つまりあの向こうはあの世で、あの門は幽霊さんがこちらへやってこないようにするためのものってわけね」
「そういうこと」
「けど、なら貴女は? 貴女は騒霊――あの世の者でしょう?」
 訊かれると、騒霊は虚空に手を掲げる。その手には、どこからか現れたヴァイオリンが握られた。
「私は――私達は、輪廻転生の理に則さない存在。肉体の崩壊により迷い出た魂ではなく、造られた魂。だからこそ冥界に縛られず、顕界を自由に動き回ることができる」
 そのように応え、少女はヴァイオリンの弦に弓をあてがう。
「さて、悪いけれど君にはご退場願う。如何なる用でここまで来たのか知らないけれど、行儀よく宴を楽しむタイプには見えないからね」
「……何気に失礼ね。まあ確かに、自分たちだけで春を楽しもうとしている身勝手な奴らを自由にのさばらせておく気はないけど」
 腰から御札を数枚取り出し構え、霊夢は笑った。
 そして――

 少女達は音を奏でる。
 哀しき調べ。騒々しきリズム。力強い音色。そのそれぞれが、冥界に闖入しようとしている生ある者を襲う。

「弦奏、グァルネリ・デル・ジェス!」

「冥鍵、ファツィオーリ冥奏!」

「管霊、ヒノファンタズム!」

 少女達の奏でる曲は力となって霊夢、魔理沙、咲夜をそれぞれ襲う。不可視の音の波が確かなる力を帯びて人間を襲う。
 常人であれば耳にしただけで気の狂うその音色を、しかし三名は眉を顰めながらも、意識を確たるものとしたままで聴いていた。そして、曲に伴って襲い来る光弾を見据える。

「春が直ぐそこにあるってのに、邪魔ね……」

「いちいち付き合うこともないか」

「……ふん」

 それぞれに反応を示し、それから、霊夢は御札を構え、魔理沙は腕に魔力を宿し、咲夜は瞳に力を入れる。
 御札は発光して散開し、腕には力強き光が宿り、鋭い瞳には紅き光が生まれた。

「霊符、夢想封印散!」

「恋符、ノンディレクショナルレーザー!」

「時符、パーフェクトスクウェア!」

 人間により力が解放された時――音が消え失せた。

 メルランは全力で空を翔けた。追い来る悪魔の犬から逃げるためである。
 その彼女の視界には、見慣れた顔が入る。
「リリカ!」
「姉さん! そっちは始末できた――って追ってきてるー」
「貴女の方こそ……」
 メルランの後方には咲夜、リリカの後方には魔理沙が迫っていた。息をつく両名。
 そんな騒霊達の様子をわき目に入れつつ、人間達は予期せぬ見知った顔に目を瞠る。
「何だ、咲夜じゃん」
「魔理沙。何をしているの?」
 訊かれると、魔理沙は掌を広げて花弁を見せる。
「これが恋しくてな」
「……目的は同じらしいわね」
「メルラン! リリカ!」
 その時、また違う方向から新たなる騒霊が加わる。そして、追跡者たる人間もまた新たに加わる。
「何だ、霊夢もか」
「意外ね。貴女が自分から事件解決に乗り出しているなんて。春度たっぷりの呆けた頭が、仲間たる春を求めてやまなかったのかしら?」
「真面目な顔で何を意味不明なことを……」
 咲夜の言葉に霊夢は頭を抱え、それから小さく笑う。魔理沙、咲夜はそんな彼女にやはり笑いかけ、頷く。
 一方、騒霊達はひとところに集い、そうして、彼女達はそれぞれ楽器を手にする。
 ルナサはヴァイオリンの弦に弓をかけ、メルランはトランペットのマウスパイプに口をつけ、リリカはキーボードの鍵盤に指を置く。
 そして――

『合葬、プリズムコンチェルト!!』

 姉妹による合奏が始まった。その調べは人の魂を揺さぶり、死出の扉へと誘う。
 人間達は寸の間戸惑い、眉根を寄せる――が……
「いい加減春が恋しいし、悪いけど……」
「とっととふっ飛ばさせてもらうぜ!」
「そうね」
 呟くと、人間達は力を携え、構える。
 強き力が三様に解放される。

「夢符、封魔陣!」
「魔符、スターダストレヴァリエ!」
「幻符、インディスクリミネイト!」

 光が、星が、刃が霊達に迫る。力は調べを押しやり、奏者を襲う。そして――
『いやあぁああぁああっ!』
 があああああぁああああぁあぁああん!
『あ』
 思わず声をあげた三名。
 騒霊達を一掃した力。その力は、後方に存在した門にもまた被害を与えたのである。
 雄大なる門には巨大な穴が穿たれ、もはや結界としての機能を有していないのは明白だった。
「……取り敢えず、五月蝿い霊どもはどこかに吹き飛んだみたいだけれど」
「流石に顕界と冥界の境界にある結界を破壊したのはまずかったかしらね」
 霊夢、咲夜が引きつった笑みを浮かべて言った。
 一方、しばらくは魔女も苦々しく笑っていたのだが、一転大きく笑い――
「ま、やっちまったもんはしょうがないさ。それより、さっさと春を取り戻しに行こうぜ?」
 そう声をかけた。
 彼女の言葉を耳にした巫女と女官は小さく笑い、頷く。
 そして三名は、死者の集う世界へ足を踏み入れた。

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