東方妖々夢 STAGE 05 : 白玉楼階段の幻闘
幽明の境を分かつ門――桜花結界を破って侵入した顕界の住人達は、石造りの階段に沿って翔けている。
その様子をそこかしこから眺めるのは冥界の住人達。彼等は、顕界より来たりし者達を瞳に入れ、笑う。かつて彼方へと押しやった記憶の欠片を手にし、そして再び、それを手にした世界を望む。淡き夢を抱く。
それゆえ――
「皆が騒いでいる…… これは……」
大きな屋敷――白玉楼の庭に春度を巻いていた少女は、屋敷に続く階段から聞こえてくるざわめきを耳にし眉を顰めた。春度をばら撒く手を止め、腰に差した刀に手をかける。
その少女を目にし、屋敷の縁側に腰掛けていた女性は微笑む。柔らかそうな桃色の巻き毛を揺らし、声を立てて笑う。
「うふふ、物騒ね。妖夢」
声をかけられた少女――魂魄妖夢は、刀の柄にかけていた手を放し、跪く。それに伴い、彼女の直ぐ側に浮かんでいた霊魂もまた地に伏す。
「も、申し訳御座いません。幽々子様の御前で殺気を放つなど……」
「相変わらず真面目なんだから。貴女は」
おかしそうに呟き、女性は――西行寺幽々子は春の陽気に指を伸ばす。花弁を親指と人差し指で摘み、口元へ運んで息を吹きかけた。
桃色の花弁は庭に生える樹木の一本へ至り、それに伴い、辺りには春を想起させる匂いが充満した。
「春と共に招かれざるお客様がいらしたようね」
「はっ。そのように御座います」
ざぁ……
風が吹く。
白玉楼の庭を春が満たした。
幽々子が笑む。
「頼むわ、妖夢」
「はっ!」
妖夢は低頭して応え、白玉楼を飛び出した。
階段に沿って飛び続ける霊夢は、左右に立ち並ぶ樹木を視界に入れて楽しそうに瞳を細める。軽く鼻唄すら口ずさんでいた。
「ご機嫌だな、霊夢」
魔理沙が声をかけた。
それを受け霊夢は、弾んだ声で応える。
「まあね。やっぱり春はこうでなくちゃ。桜は綺麗だし、暖かいし」
「それは確かにな。にしても、凄い数の桜だぜ」
彼女達が門を潜ってから数分が経っている。その間、階段にそって常に桜の木が存在していた。百本はゆうに超える数があると思われる。
「これは花見のしがいがあるわね。この騒動がいち段落着いたら場所を借りましょうか?」
「喧嘩売りにきといてか?」
「いいじゃない。紅魔館の奴らとだって紅霧事件の後つき合いがあるわけだし」
話題に上がった紅霧事件の当事者たる咲夜は、息をつく。
「私としてはお嬢様に悪い影響を与えそうなそちらの白黒とは縁を切りたいけれど。パチュリー様も御本を盗まれていい迷惑だと仰っていたわ」
「わたしが影響を与える以前に、あんたのお嬢様はもういい性格してると思うがね。あと、本は借りてるだけだぜ?」
「返す気のない借用は盗用と同義よ」
呆れた視線を送る咲夜。その時――
「はあぁああ!」
キィン!
突如上がった気合の声と共に、金属同士がぶつかり合う音が高らかに響く。
「物騒な幽霊ね」
鋭い視線を携え呟いた咲夜は、突如現れた少女の握る刀をナイフで受けていた。
刀を手にしているのは咲夜よりも頭ひとつ分だけ背の低い少女で、彼女は細めた瞳で咲夜達を睨みつけていた。そして、歯を噛みしめると手に力を込め――
「はっ!」
「くっ」
咲夜の手にしていたナイフが真っ二つに切れた。咲夜は飛び退り刀の一閃を避けたが、衣服が一部裂ける。
その様子を目にした霊夢、魔理沙は散開する。そうしながら、霊夢は御札を、魔理沙は右手から生み出した魔法の光を放つ。
「ちっ」
少女は――妖夢は舌打ちした。そして、刀をもう一本抜き放ち、双方の攻撃にそれぞれ対応する。
右手に握った刀で御札を切り落とし、左手の刀で魔法の光を弾く。
しかし、その隙をついて咲夜のナイフが妖夢の右肩を狙う。ナイフは真っ直ぐに突き進み、石段に血痕がつく――かと思いきや……
「幽鬼剣、妖童餓鬼の断食」
しゅっ!
妖夢の姿が掻き消えた。ナイフは空間を虚しく通り抜け、樹木の一本に突き刺さる。
そして、数多のクナイが人間達を襲う。
三名は突然飛び出たそれらに瞠目しつつも、巧みに避ける。
「……速いわね」
「貴方達、人間ね。どおりで皆が騒いでいる」
呟いた咲夜の背後で、妖夢が言の葉を紡いだ。
人間達はそれぞれの得物を構えて瞳を細める。
「皆?」
「冥界の住人達。彼等には生前の記憶がない。けれど、生在る者を目にすることで、自身が失った生在りし日の記憶を取り戻す。だからこそ――」
「楽しみに加え、苦しみや哀しみの多き浮世の記憶が、幽霊どもの心を騒がせるってか?」
魔理沙が軽く口元を歪めて訊いた。
すると、妖夢もまた小さく笑う。
「ええ、そのようなところよ」
「なら、貴女が刀を振り回してご乱心しているのもそういうことなのかしら?」
「わたしは半分は幽霊ではない」
そう応えた妖夢の脇には、ゆらゆらと動く霊魂がいた。
「人間と幽霊の間に生まれた半霊だ」
「半霊ねぇ。なら、半分取り乱してるわけか。どうりで春泥棒なぞ働くわけね」
「泥棒とは聞こえが悪い」
肩を竦めて言った半霊。
「事実でしょう?」
「そうではあるけど、仕方のないことなのよ。西行妖を満開にするためには普通の春では足りないのだから」
妖夢の言葉を受け、眉を顰める魔理沙。
「さいぎょうあやかし?」
「この白玉楼が誇る巨大桜よ。樹齢数千年とも言われるわ。今年こそは西行妖を満開にすると幽々子様は仰られた。そして、その時を迎えるにはあと少し…… だからこそ――」
応えると、妖夢は人間達をねめつける。そして、刀を握り直した。
「貴女達の持つなけなしの春も、この魂魄妖夢が頂く!」
叫び、斬りかかる妖夢。
彼女の刀を咲夜が再度ナイフで受ける。しかし、妖夢が気合を入れると、やはりナイフは紙のように容易に二つに分かれた。
「……ナイフ代は後で弁償して貰うわよ」
「そんなものの心配をしている場合? この楼観剣に斬れぬものなど少ししかない。その少しには貴女の首は含まれていない」
刀を構え、妖夢が言い放った。
そして、その刀が間断なく咲夜を襲う。隙なき攻勢に、咲夜は防戦一方となる。
「咲夜!」
霊夢が御札を構え、魔理沙が手に魔力を集める。
しかし、その気配を感じ取った半霊は――
「畜趣剣、無為無策の冥罰!」
高速で移動し刀を一閃。咲夜に向けて放つ。更には、霊夢、魔理沙に向けてクナイを投げた。
咲夜はナイフと髪を数本斬られながらも受けきり、霊夢と魔理沙は自由自在に飛び回りクナイを避ける。
「おい、半霊!」
「問答無用!」
魔理沙が呼びかけるが、妖夢は取り合わない。クナイを全方向に放ちながら、刀を構えて霊夢と魔理沙がいる方向へ向かう。
霊夢は陰陽玉を半霊に向けて放ち、彼女がそれをさばいている間に距離を取る。魔理沙もまたその間に後方へ下がった。
一方、咲夜は妖夢が自分との距離をあけた今を好機と取り、瞳に力を入れる。彼女の瞳が紅に染まった。
「時符、プライベートスクウェア」
時が止まった。あらゆる雑音が遮断され、静けさゆえに耳がおかしくなりそうな空間が生まれる。その空間の中で咲夜は、ナイフを妖夢に向けて多数放った。
そして――
ざわっ!
再び雑音が生まれる。ナイフは一斉に妖夢に向けて突き進み――
「はっ!」
避けること能わぬと思われた軌道のそれは、しかし妖夢に突き刺さることはなかった。瞬く間に移動した妖夢は、自身に向いていたナイフを数本を残して全て避け、そして、残りを刀で斬りおとす。
「……大した反応速度ね。美鈴の代わりに雇いたいくらいだわ」
呟くと、咲夜は再び瞳に力を込める。
そして、次の瞬間には霊夢の背後にいた。
「霊夢」
「! お、驚かすんじゃないわよ」
霊夢が抗議の声を上げたが、咲夜はそれに取り合わない。
「今から少し物騒なことをするから、魔理沙と共に離れていなさい」
そうとだけ言い放つと、彼女は霊夢の元を離れる。
そして、魔理沙に斬りかかっている妖夢にナイフを放ち、自分に注意を向けた。
霊夢は訝しげにしながらも、妖夢の攻撃から解放された魔理沙に寄り、攻防を続けている咲夜と妖夢から離れるように促す。
ナイフを幾本も駄目にしながら、咲夜は霊夢達が充分に離れたことを確認し、笑う。
「……何がおかしい」
妖夢は気分を害したように瞳を細め、訊いた。
「いえ、貴女ともこれでお別れかと思うと、ついね」
「何?」
「さようなら、半霊。……幻符、殺人ドール」
咲夜の纏う空気が変わった。
沈着冷静で容赦がないながらも、温かみのあった瞳は光を失う。そして、口元に浮かんでいた軽い笑みすら消え去った。
彼女は数え切れないナイフを突如出現させる。それらのナイフは、暇なく半霊に向けて放たれた。
「なっ!」
妖夢は驚愕し、急ぎナイフを処理する。飛び回り避け、時には刀で斬りおとす。しかし、追いつかない。
咲夜のナイフはひたすらに彼女に向かい、容赦なく襲いくる。
妖夢の衣服を破り、肌を軽く傷つけ、遂には腕に深く突き刺さる。
既に勝負は決したかと思えたが、咲夜はナイフを放つ手を止めない。機械のように反復的に繰り返す。
それこそ、殺人のためだけの人形であるかのように。
しかし、妖夢もそこで大人しく完全なる霊体となることを享受しない。
大きく後ろに退がり、殺人人形との距離を取る。そして――
「天人剣、天人の五哀!!」
こちらもクナイを数多打ち出す。ナイフを地に落とすクナイもあれば、あるいは、ナイフが来る間隙を抜けて咲夜へと突き進むクナイもある。そうして、そのうちの数本が咲夜の右肩に突き刺さった。
一方、地に落ちなかったナイフもまた妖夢の左腕に深い傷を穿った。
そうして――
「あら。痛い」
「また間の抜けた感想だな」
突如瞳に光を戻し、驚いた様子で血の滴る右肩を見やった咲夜。
その咲夜を目にし、魔理沙が呆れた声を上げた。
そして、左手で右肩を抑えつつ、咲夜が小さく笑う。
「そうは言っても、先ほどまで意識がなかったのだもの。いきなり肩にクナイが突き刺さっていれば驚くでしょう」
「確かに、立派な殺人のための人形だったな」
「お褒めに預かり光栄ね。ところで魔理沙。あの半霊に提案があるのでしょう。交渉は弱った相手とするのがいいわよ」
咲夜が左手を傷口から放し、血まみれのそれで同じく血まみれの半霊を示した。
妖夢は苦しそうに息をつき、人間達を睨んでいる。
「そう睨むなよ。別にとって食いやしないさ」
魔理沙は笑顔で声をかけたが、妖夢としてはそれだけで信頼を置くわけにはいかない。
しかし、彼女の次の言葉を耳にし、警戒心を寸の間失うこととなる。
「なあ、わたしらが持ってる春度も西行妖とやらを満開にさせるために使ってもいいぜ?」
「……何?」
妖夢だけでなく、声を出さずに霊夢も驚愕している。だが、口は挟まない。
「別にそいつが満開になったからって困りゃあしないしな。そのあとで確かに春を顕界に戻すというなら、どうでもいいことだ」
「いいのか? そちらの巫女らしき女は納得していないように見えるが」
眉を顰めている霊夢に視線を送り、妖夢が訊く。
巫女は頭をかき、腕を組む。
「正直、春を独り占めしようとした貴女達は気に入らないのよ? ただ、魔理沙の提案に乗れば面倒は少ない。ウザい奴をぶっ飛ばしてすっきりするか、楽をとるか。難しい問題ね」
「幽々子様をぶっ飛ばすなど――!」
霊夢の言葉に、半霊が声を荒げた。
しかし、魔理沙が止めに入る。
「まあ待て。こうしてしぶってはいるが、こいつはもうほんの少し一押しするだけで了承する。それなりに長い付き合いのわたしが言うんだから間違いない。それでな――」
そこまで口にすると、魔理沙は妖夢の側に寄り、小声で囁く。
すると妖夢は、そんなことでいいのなら、と呟いて霊夢を見やる。
霊夢は訝しげに彼女を見返し――
「花見がしたいというのなら幽々子様は快くご了承下さるはずだ。あの方は基本、人を好みなさる。料理や御酒もわたしが用意しよう。どうか、貴女の手にしている春度もまた、我等の願いのために一時お貸し頂けないだろうか?」
その言葉を耳にした瞬間、相好を崩した。
彼女の脳裏には、ここに至るまでに目にした数多の樹木が浮かぶ。更には、この先にあるであろう白玉楼という屋敷の庭を想う。これまでの道程でさえ、素晴らしき春が彼女の視界を染めていたのだ。愈々本番たる屋敷の庭ともなれば、その優美さは推して知るべしというものだろう。
それゆえに、彼女はだらしなく緩めた顔で首肯する。
「まあ、そこまで言うなら仕方ないわね。春を返さないと言っているわけでもなし。あんまり頭ごなしに拒否していてはいけないわよね」
ひたすらに笑みを浮かべ、霊夢は言った。そして、咲夜に瞳を向け、貴女もいいわよね、と確認を取る。
咲夜としてもまた、無理やりに数多在る春度を奪い返すよりは、さっさと相手の用件を済まさせて返してもらった方が、主の意向により早く添うことができると判断した。涼しい顔で首肯する。
「では、決まりですね。そうとなれば貴女方は御客様です。どうぞこちらへ」
話が決まると一転、妖夢は年相応と見える笑みを浮かべて、礼儀正しく三名を先導しだす。
霊夢達はその様子に面食らいながらも、後に続いた。
顕界、冥界、そのいずれからも隔絶された空間――マヨヒガにある家屋の一室にて、柔らかな金の長髪を携えた女性が鏡を見つめている。その鏡には四名の少女が並んで歩いている光景が映し出されていた。
それを目にした女性は呟く。
「……藍。西行妖の封印だけれど、万が一にも解けることはあると思う?」
女性の呟きに伴い、九つの尾を有した狐の妖が現れる。狐は畏まり、口を開く。
「紫様の為した封印。万に一つも解ける可能性はないと存じます」
狐は淀みなく応え、更に続ける。
「とはいえ、可能性だけ申し上げますならば、この無駄の多き世界におきましては無限に御座います。ゆえに、億に一つに解けぬかと問われれば、また違う答えを返さねばならぬやも知れませぬ」
その含みの多い言葉に、女性は小さく笑う。
「つまり、慎重を期す方が得策、ということね。分かりづらい言い方をする子だこと」
「申し訳御座いません」
姿勢よく頭を下げた狐を目にし、女性は微笑み、みたび口を開く。
「藍。橙はもう大丈夫?」
「はい。博霊の巫女に受けた傷は大事ありませんでしたゆえ」
「なるほど…… では」
女性はふわりと飛び上がり、腕を軽く振るう。すると、彼女の腕の軌跡に沿って、空間が切れる。その切れ間から奥には、闇が広がっていた。
その闇へと手を差し入れ、女性は狐を振り返る。狐の隣にはいつの間にやら二股の尻尾の猫又が控えていた。
狐と猫は姿勢を正し、視線を下げて女性の言葉を聴く。
「行きましょうか、白玉楼へ」
その言葉に畜生道を生きる者達は低頭し、それから飛び上がる。そして、女性が生み出した空間へと進入した。
女性もまた彼女達と共に空間に飛び込み、入り口である切れ間が閉じる直前、言葉を残した。
――彼の願いは、私の願いでもあるのだから