注意!
この先にある文章は東方妖々夢を基礎においた小説ではありますが、
捏造分が非常に多くなっております。
八雲紫との戦闘行為は一切ございません。。
霊夢にも魔理沙にも咲夜にも妖夢にも見せ場がありません。
更に言えば、ゲーム本編では出番皆無の人がしゃしゃり出てきます。
それでもいいという寛大な方だけ先へお進み下さい。
そんなことは認めないという方は、申し訳御座いませんが
ブラウザの戻るボタンを押して下さいますようお願い致します。
東方妖々夢 PHANTASM : 人妖の境界
人間が闇や神秘と共生していた時代。そんな時代の話。
一人の少年が巨大な桜の木の下でうずくまっている。桜花が咲き乱れる春先であるゆえ、少年の頭や肩にも花弁が舞い落ちていた。しかし、少年はそれらを払い落とすでもなくうずくまっている。両の掌で瞳を覆い、嗚咽を漏らしている。
彼には父親も母親もいない。物心ついたころには、彼は路地裏で暮していた。同じく路地裏の一角を住まいとする男性を親代わりとし、生活していた。
しかし、その男性は先日天に召された。食事を取ることができず、餓死した。少年は独り、放逐された。
畑の野菜や、地蔵に供えられた握り飯を盗み、何とか食いつなぐ生活が始まった。時には自分よりも弱い者達を襲い、金銭や物品を奪うこともあった。それも仕方のないことだと無理に納得し、少年は生きた。
けれど、そのように無理やりに納得したところで、心の奥底では後悔の念が尽きることはない。無理にそれを押しのけて、必死に、ただ必死に生き続けたとして、それでもこみ上げてくる良心が彼を苛む。
だからこそ彼は、この巨大桜の下へとやってくる。自身の優しさ、いや、弱さをここに封じ込めるために。桜にはその力が――何かを封じる力があるのだと、彼は親代わりの男性から聞いたことがあった。
彼は泣く。二度と泪など流さずに済むように。辛い気持ちを生み出す優しさを封じるために。
「どうしたの?」
びくっ!
突然かけられた声に、少年は肩を震わせた。そして、ゆっくりと視線を上げる。
拭った瞳を向けた先には、いつの間に近づいてきたのか一人の少女がいた。
「お腹いたいの? 大丈夫?」
少女は気遣うような視線を少年に向け、手を差し伸ばす。
ぱしっ!
少年はそれを払いのけ、立ち上がる。そして、少女に構わずにその場を離れようとする。
「ねえ」
しかし、少女はめげずに微笑み、声をかける。
少年は思わず立ち止まり、少女に瞳を向けた。
「私、西行寺幽々子。あなたは?」
少年は少女の笑顔を目にし、戸惑う。胸に生まれた温かさに戸惑う。その戸惑いを隠すように、口を開き、言葉を紡ぐ。仲間内で呼ばれる名を口にするために。
「妖忌」
「よーき…… いい名前ね。呼びやすくて好き」
そのように声をかけられ、少年は俯いた。思わず微笑んでしまったその顔を隠すために。
風が吹き、桜花が二人を優しく包む。
少年の瞳に溜まっていたはずの雫は、地を濡らすことはなかった。少女の笑顔が、彼から雫を奪っていた。
「で? どうやら貴女の力で過去へやってきたようではあるけれど、その過去くんだりまでわざわざやって来て、私達はなぜにちびっ子のほのぼの恋愛劇を鑑賞していないといけないのかしら?」
紫や魔理沙、咲夜、妖夢と共に中空に浮かんでいた霊夢が言った。
先ほどまで白玉楼にいた五名は、いつの間にやらこの場にいた。そして、少年少女が桜の下で青春を謳歌している様を目にしていたのだ。
「まあ、一応出逢い編から見ていった方がいいかと思ってね」
紫が応え、苦笑した。
一方、妖夢は少年少女に視線をやって瞠目している。
「あ、あの、八雲様。あの方々はもしかしなくても……」
「西行寺幽々子って名乗ってたし、あの冥界の姫さんだろ。もう一人の妖忌とやらの名前もどっかで聞いたような……」
「冥界の姫が口にしていた名ではない? 確か、魂魄妖忌。前任の庭師だったかしら」
それぞれの言葉に、紫は小さく頷いて微笑む。
「そう。あれは、顕界の住人であった頃の幽々子と妖忌よ」
「やはり…… しかし八雲様。幽々子様が霊体でないのはよいとしても、御爺様、いえ、我が師たる魂魄妖忌様が半人半霊ではなく、完全なる人であるのは一体……」
妖夢が訝しげな瞳を眼下の子供達に向け、紫に尋ねた。
彼女の口にしたとおり、魂魄妖忌はその愛弟子たる妖夢同様に、人と霊の混血である半人半霊種である。その妖忌の過去の姿である少年が、人として生きているというのは妙な話だった。
疑問を投げかけられた紫は顎に手を当てて考え込み、それから曖昧に笑った。
「まあ、そこはおいおい分かるわ。それよりも、出逢い編はこの辺りで切り上げて、もう少し先へ進みましょうか」
そう彼女が口にすると時が動く。
桜が瞬時に散り、咲き、散り、咲き…… 幾度も季節が巡る。そして――
西行寺の屋敷に咲き乱れる桜を見回し、妖忌は瞳を細めた。豪奢な庭を流れていく花弁達は、のちのち彼自身が掃除せねばならぬのではあるが、やはりその色彩が生み出す景色は目を瞠るほど素晴らしいものであり、彼を楽しい気持ちにさせた。
彼は振るっていた刀を納め、日当たりのいい岩の上に腰を下ろす。そして、少しばかり瞳を閉じて物思いにふけることにした。
妖忌が、幼いながらにこの屋敷の主であった少女――西行寺幽々子と出逢ったのは、十年は前のことになる。それ以来、彼らはたびたび顔をあわせ、親交を深めていった。そんな折、幽々子の剣術指南役である武士に才能を見込まれ、妖忌は庭師兼幽々子の兄弟弟子として屋敷に住まうこととなった。そうして、彼はこれまで剣術の稽古と庭の手入れに追われ、過してきたのだ。
そんな中で、彼には想いが生まれていた。幼い頃は漠然と感じていた温かさ。しかし今は――
瞳を閉じたままで、妖忌は微笑む。瞼の裏には、彼の闇深き心に光を齎した輝きが映し出されていた。
と、そこに――
「どうしたの? 楽しそうね」
「!」
突然声をかけられ、妖忌は瞳を見開く。そして、慌てた様子で立ち上がる。視線を巡らすと、少し離れた所に小首を傾げている幽々子と、口元に手を当てて笑いをこらえている女性がいた。
「幽々子様! それに……怪の物も来ておったのか……」
妖忌は幽々子に対して慇懃に頭を下げ、しかし、女性――八雲紫に対しては鋭い瞳を向ける。
その視線を受けると、紫は肩を竦めて苦笑する。
「あら。私にも八雲紫という名があるのだけどね。それにしても、先ほどはにやにやと何を考えていたのかしら?」
「ぐっ! う、五月蝿い! 貴様のような妖怪、本来であればこの屋敷の敷地内に入った瞬間に斬るべきところ。それを、一応は幽々子様の御友人あるということで見逃しておるのだ。そうだというのに、恩を仇で返すような態度をとりやがって……」
「何よ。生短き人間の青春を応援してあげようという親切心が伝わらないのかしら?」
「余計なお世話だ!」
顔をつき合わせて睨み合う人間と妖怪。その傍らで、屋敷の主はやはり首を傾げている。
「何だかよく分からないけれど、二人とも仲良しね」
『良くない!』
息もピッタリに叫び、それから二名は再び鋭い視線をぶつけ合う。
「八雲! もう我慢ならん! 今日こそはたたき斬ってやる!」
「出来ないことを口にするものではないわよ、妖忌」
軽い笑みを浮かべて構えを取った紫。その全身からは、目視できる程の妖気が立ち上っていた。
妖忌はそれに気圧されしながらも、腰に納めていた刀を抜き放つ。そして――
「もう。二人とも止めなさいな。桜に笑われてしまうわよ」
幽々子が可笑しそうに笑い、言った。
妖忌と紫は瞠目し、それから苦笑する。幽々子が口にしたとおり、屋敷の庭を飛び交う花弁が笑い声を立てているように感じたから。
「花見に来といて喧嘩してたんじゃ、なるほど笑われてしまうわね」
「そうよ」
女性陣が声を立てて笑った。
一方で、妖忌は刀を納め、肩に舞い落ちた花弁を払いながら口を開く。
「何だ、八雲。花見ならばこの間にもやっただろう。御師様と飲み比べをして、翌日に痛む頭を抱えながら帰ったことを忘れたか?」
「忘れてないから来たのよ。貴方の師匠と再戦しようと、ね」
不敵に笑った紫を目にし、妖忌は肩を竦め、よくやるぜ、と呟いた。そんな彼の頭にひらひらと桜が舞い落ちる。それを見て取った幽々子は歩み寄り、徐にその花弁に手を伸ばした。
「妖忌。ほら、桜が」
「こ、これはかたじけない。感謝いたします」
「うふふ。いいえ、どういたしまして。それにしても、毎年のことながら綺麗に咲いているわね。きっと、この屋敷の下には死体だらけなのね」
悪戯っぽく笑って、幽々子が言った。
そんな彼女を瞳に入れ、紫が微笑む。そして、言葉を紡ぐ。
「桜の美しきはその下に眠りし命に依らん。誰が言い出したのか、少し的を射ているのが不思議なものね」
幽々子が目を瞠る。そして、桜の根元に視線を送った。そして口を開く。
「あら。そうなの。じゃあ、本当に死体が?」
「いいえ。そこは眉唾もいいところ。けれど、桜の美しさは忌み事を封ずる楔と成る。あの美しさを代償として、此岸に溢れる忌み事を封ずることができる。仮に死という忌み事を堰き止めるならば、それは死体が桜の下に眠っているというくだんの話と似通っているでしょう?」
もっとも死を封じたなら桜は逆に咲かなくなるけれど、と話を結び、紫は笑った。
人間達は、そのような妖怪の様子を瞳に映し、適当に相槌を打つ。そして、屋敷の庭を見回した。見たところ、全ての桜が咲き誇っている。楔としての役目を担っているものはなさそうだ。
それは喜ばしいことに、彼らには思えた。仮に忌み事を封ぜられたとして、それで美しき華が失われたのでは仕方がない。巡る季節の中で一時しか咲き誇れぬのだ。その尊き存在を犠牲にすることもあるまい。
「さて、幽々子様。花見をするのならば準備もあります。御師様の元へ向うとしましょう。それとまあ、八雲も来るといい」
妖忌が声を上げ、歩みを進める。その際の発言に対して紫が噛み付き、また少しばかり騒々しくなった。
一方で、幽々子はなぜか不満そうに頬を膨らめる。そして、小走りで言い合いをしている二名に寄った。
「妖忌」
「いかがいたしましたか? 幽々子様」
呼びかけた主に、庭師は慇懃に尋ねる。
しかし、少女はそれが気に食わない。
「幽々子」
「は?」
「私のことも呼び捨てにして。幽々子と」
「い、いえ。それは……」
「昔はそう呼んでいたでしょう。それが最近は幽々子様幽々子様って他人行儀で…… そのくせ紫のことは呼び捨てだし」
「ゆ、幽々子様はお仕えする御方。呼び捨てなど畏れ多く存じます。それに、八雲はただの知人ですし……」
「ほらまた! 幽々子って呼んで!」
「い、いえ…… その……」
詰め寄った幽々子から顔を逸らし、妖忌は困った様子で口ごもる。
一方、紫は彼らの様子を少し離れたところからニヤニヤと眺め、ついには堪えきれなくなったようで声を立てて笑い出す。
「八雲! 笑っていないで助けろ!」
「助けろと言われてもね。貴方も知っての通り、幽々子はこう見えて意外と頑固だし、流石の私もそれは無理ね」
肩を竦めて紫が言った。そうしてから、呆れた瞳を妖忌に向ける。
「というより、呼び方くらいご希望通りにしてあげればいいのでない? 当の主が呼び捨てにしろと言っているのだから」
「そうそう。紫の言うとおりよ」
顔を寄せて直ぐそばで抗議する主。その主から必死に意識を逸らそうとするかのように、妖忌は紫を睨みつける。煽るんじゃない、と抗議する声が聞こえるようであった。
「と、とにかくまずは御師様の元へ向かいま――」
「幽々子」
「御酒やつまみの準備が――」
「幽々子!」
頬を膨らませて抗議の声をあげる幽々子を瞳にいれ、妖忌は深く息をつく。そして覚悟を決めたように瞳を細める。
「承知いたしました」
「本当!」
幽々子の顔に喜色が浮かぶ。
「ええ。ただし一度きりですよ」
「……まあ、この際いいわ」
少しばかり不満そうではあるが、幽々子はにこやかに笑う。
そして、妖忌が自分の名を口にする瞬間を今か今かと待つ。期待に満ちた瞳で彼を見つめる。
妖忌の頬が軽く染まったのは、緊張のためかはたまた……
「ゆ――」
ざわっ。
風が吹いた。強い風が桜花を舞わせる。屋敷の庭は色彩豊かに染まり、優美な光景が生まれた。
しかし、その光景すら霞むような輝きが妖忌の前には在った。
「……えーと。相も変わらずほのぼの恋愛劇が展開されているわけですが、そもそも私達は『嬢の亡骸を堰き止む封の始まり』とやら見に来たわけよね?」
「そうよ」
尋ねた霊夢に、紫が軽く微笑んで応えた。
それを目にした霊夢は、短く息を吐いて瞳を細める。そして面倒臭げに、楽しそうに笑っている幽々子や妖忌、過去の紫を見た。そうしながら徐に口を開く。
「封の始まりとはつまり、封印としての西行怪の始まりのことでしょう? で。あっちにはそれらしい巨大桜がある」
彼女の視線の先には、確かに巨大な桜があった。白玉楼で目にしたものよりは小ぶりであるようだが、それでも他の樹木を圧倒して存在している。
霊夢は続ける。
「そして貴女は言った。嬢の亡骸を堰き止む、と。そこから大方の予想はつけられるけれど、それは置いといて、何でまたこんなのを見せられないといけないのよ。さっさと西行怪誕生の瞬間を観て、過去の上映会を終了とすればいいでしょう?」
鋭い視線を向けられ、紫は苦笑する。
「それで済ますつもりならば、そもそも私は貴女達をここまで連れて来ないわ。ただひと言、西行怪が封じる者の名を口にして、封を解くなと言い含めるだけにとどめる」
応えた紫の視線は、幽々子を追っていた。
しかし、直ぐに視線を移して妖夢に向ける。そして、続ける。
「けれど、少なくとも貴女はそれではいけない。これからも幽々子の側にいる貴女は、どういう過程で、そして、なぜ、西行怪が封となったのか、それを知っておいて貰いたいの。そして――」
言葉を途中で切り、今度は霊夢、魔理沙、咲夜を順に見る。そうしながら紫は笑った。
「あの子が今なぜ封を解こうとするのか、それを知って貰いたいの。あの子はその理由を知ることができない――知らせるわけにはいかない。だから、せめてその事実を、生短き人の記憶にくらいは留めて置いて欲しい。それが、私ができるせめてもの手向けかと、そう思うわ」
悲しそうに微笑んだ紫を目にし、生短き者達は首を傾げた。
「どうして外に出てはいけないの?」
屋敷からの外出を止められ、幽々子は妖忌に尋ねる。その妖忌の傍らには紫がいた。
妖忌は暗い顔で主に対する。
「近在の里で病が流行っているようです。皆一様に、突然倒れてそのまま…… 大事をとってしばらくは外出を控えていただきたく御座います」
「病…… 妖忌は外に出ているでしょう? 大丈夫?」
「は。俺はこれといって何も」
「そう」
安堵したように息をつき、幽々子は微笑む。その一方で、窓から遠くを見やり悲しそうに瞳を伏せる。
しかし、直ぐに笑みを浮かべて口を開いた。
「なら少しお昼寝するわ。実は昨日、あまり眠れていなくて」
「そうですか。では寝床の準備を――」
「大丈夫よ。そのくらいは自分でするわ。あ、紫。せっかく来て貰ったみたいなのに悪いけど……」
幽々子がすまなそうに言葉尻を濁すと、紫は気にするなというように軽く手を振る。そして微笑んだ。
それを見てとると、幽々子はゆっくりとした歩調で自室へと向かう。部屋の前に至ると襖を静かに開け、中に入った。しばらくはごそごそと物音をさせていたが、直ぐに静かになる。おそらくは眠りについたのだろう。
その気配を察知すると、妖忌と紫は顔を見合わせて庭に出る。幽々子の部屋がある場所から充分離れた箇所へ向かい、それから漸く口を開いた。
「先ほどの話は本当なのか? 八雲」
硬い表情で妖忌が訊く。
紫もやはり険しい表情で頷く。そして話し始めた。
「ええ。幽々子には死を操る力がある。その力はこれまで微弱なものであったのだけれど、ここ最近強くなってきている。それが――」
「流行病の正体……か。しかし、幽々子様のあのご様子では、あの方自身はご存知ないのか?」
「ええ。教えていないからね。知らないのであれば知らないままの方がいいとは思わない? 人とは違う身である私であれば、人をいくら手にかけたとして気にもしないけれど、貴方たち人はそうはいかないでしょう?」
「……感謝する」
神妙な顔つきで妖忌が低頭した。
幽々子にはまだ知らされていないが、実は幽々子と妖忌の師である武士や、使用人の者達も幾名かが、里の人々と同じような状況で亡くなっている。それが己のせいだと知ったなら、いまだ年若い西行寺の主は何を想うだろう。
しばらく低頭したままでいた妖忌は頭を上げると、苦笑している紫を瞳に映し、尋ねる。
「それで、その力を封じることはできないのか? 人ならざるお前ならば――」
「可能よ」
憮然とした表情を浮かべてあっさりと応えた紫に、妖忌が喜色満面の顔を向ける。
「本当か! ではそれで――」
「ただし」
希望を口にしようとした人間の言葉を、妖怪が遮った。その瞳には影が落ちている。
「能力というのは人の命に宿るもの。能力を封じるということは即ち、命を封じることと同義」
紫の言葉に、妖忌は戦慄を覚える。
「それはつまり……死ぬ……ということか」
かぶりを振り、紫が続ける。
「それとは違う。仮に生を封じれば、人は死ぬ。けれど、命を封じるということは違う。命を封じると、人は生きることも、死ぬことすらもできない。輪廻転生の理を脱し、人としての全てを捨て、物言わぬ石ころのように在るだけの物に成る。それは、死よりも残酷な道標」
「そんなこと……!」
「できやしないでしょう?」
青い顔で呟いた妖忌に、紫は寂しそうに笑って応じる。
尋ねられた人間は黙って頷くことしかできなかった。その人間を瞳に映し、妖怪が言葉を続ける。
「だから、現状で一番いいのは幽々子が割り切ること。人が死のうがどうしようが知ったこっちゃないぜきゃっほぉい、と叫びながら死神さながらに人の生を刈り取れるほどに割り切ってしまうこと」
「……お前なりに溜飲を下げようとしているのかもしれんが、笑えんぞ」
真面目な顔で妙なことを口走った相手に、妖忌が呆れた様子で声をかけた。
それには応じず、紫は真面目な表情のままで再び口を開く。
「幽々子が自身の力について最期まで知らずに済むのならそれでいい。けれど、周りで人死にが頻発したら何かを察しそうなものよ。せめて、常に側にいる貴方が死ななければ、他の死は偶然と言い張ることもできる。けれど……」
口にした者はそこで言葉を止め、かぶりを振った。そのようなことは不可能だと。死は誰にも等しく訪れる。妖忌だけがそれを避けることなどできるはずがない。
しかし、当の妖忌は紫の言葉を耳にすると、強く、雄雄しく、笑った。そして、
「それならば任せろ。俺は――死なん」
言い切った。
紫は目を瞠り、ぽかんと呆ける。そうしてしばらくすると、我に返って瞳を細める。
「死なんって、あのね。これは気合とかでどうにかできる問題ではないのよ?」
「俺はあの方を、俺に希望を教えてくれたあの笑顔を、輝きを、護り続けると誓った。だから、俺は幽々子の為だというなら、決して死なん」
「だから、そういう感情論とか根性論でどうにかなる話ではなくて――」
「俺は、死なん」
めげずに、妖忌が再度言い切る。
その様を瞳に映し、紫は苦笑する。そして、軽くこぶしを握り、頑固な人間の肩をこつんと叩く。
「わかった。任せたわよ」
「ああ。任せておけ」
その時、一陣の風が吹いた。風は冷たく、妖忌と紫の体を凍てつかせる。
体を震わせた二名は顔を見合わせてから屋敷を目指す。春と呼ぶには少しばかり肌寒い季節。そのような季節にもかかわらず巨大な桜は見事な色彩を地に放っていた。
彼は予感していたのかもしれない。この日、自分の美しさが必要になることを……
「……何か、雲行きが怪しくなってきたぜ」
「ええ。というか、あの、八雲様? わたしはこれまで、妖忌様は幽々子様よりもお年を召しているものとお見受けしておりました。けれども、ここまでを見る限り御二人は同い年くらいに見えるのですけれど……」
妖夢が今更な質問をした。
紫は苦笑し、ひらひらと手を振る。
「それに対する答えは簡単よ。幽々子は完全な霊体だから年なんてとらない。それに比べて、妖忌は――半人半霊種は緩やかながら年をとる。それだけのこと。貴女だって、そのうち幽々子よりも年をとって、瞬く間に御婆ちゃんよ?」
「はあ」
直ぐに老人と成ると言われたところで実感が沸かないのだろう。妖夢は曖昧に相槌を打ち、沈黙する。
すると、皆一様に黙り込む。あまり楽しい展開を見込めない現状を思い、鋭い瞳を携えて口をつぐむ。
そうしてしばらくの時が経ち――
「いやあああぁあああぁああぁあっ!」
屋敷に悲鳴が響いた。その元は――
「幽々子様!」
妖忌は素早く駆け、幽々子の部屋に飛び込む。刀を抜き放ち、構えた。しかし、主の部屋には賊も不審者も見当たらない。
一方、幽々子は部屋の片隅で小さくなり、乱れ髪を整えるでもなく頭を抱えて震えていた。
刀を納め、妖忌は彼女へと歩み寄る。
「……妖……忌……?」
「ゆ、幽々子様。何事で御座いますか? 先ほどの悲鳴は――」
「……貴方も……死んでしまったの……? わたしの……せいで……」
「!」
虚ろな瞳の少女が発した言葉に、妖忌は絶句した。喉が急速に渇いていくのを感じながら、努めて平静を装い言葉を紡ぐ。
「何を仰っているのですか? 俺はここにいます。ほら。ここにいます」
「……そ……う…… 貴方は大丈夫なのね…… よかっ……た……!」
妖忌の右手が幽々子の左頬に触れ、温かみが彼女を安心させる。確かな生の証左を得て、幽々子は微笑んだ。しかし、直ぐに怯えた瞳を見開き、妖忌の後方に虚ろな視線を送る。
「?」
妖忌は彼女の様子を目にし、彼自身は気配を感じないながらも、後方に何かがあるのだろうかと振り向く。左足を引き、右足のつま先を後方へと向ける。そうすると、腰に差した刀がちょうど幽々子の目の前に在る形になった。
そして、それを目にした幽々子は――
「一体どうされたのですか? 何もいないようで――」
ちゃっ。
妖忌は言葉を途中で止め、振り向く。腰の刀が抜かれた感覚があったためだ。しかし、だからこれからどうなるのかとそのとき問われていたなら、何も起きない、と答えていたことだろう。ただ腰の刀が抜かれた。それだけのことだ、と。
しかし勿論、そのあと起こった事は、刀が抜かれた、という事実のみに留まらなかった。
開け放たれた襖から微かに差し込む光が反射する。そして、部屋が朱に染まった。
飛び散った紅と、倒れ行く者の鮮やかな色彩の髪。あたかも桜花が咲き乱れるようだと、妖忌は錯覚した。
しかし、今現在散ろうとしているのは花弁ではない。季節の巡りとともに再び訪れるそれではない。
「幽々子っ!!」
倒れようとする者の名を叫びつつ、妖忌は彼女を抱きとめる。そして、刀で綺麗に切れた首筋の傷を強く抑える。どくどくと紅が溢れていた。
どう楽観視したところで、そのままでは危険であることが明白だった。幽々子の瞳は力を失い、妖忌が呼びかけると辛うじて反応を示す程度の力しか持たない。
彼女はそのような状態で唇を震わせる。何かを伝えようと試みる。
「……っ……」
声にならない声を上げ、幽々子は瞳を閉じる。しかし、まだ微かに息をしていた。
妖忌は彼女の名を叫びつつ、ひとりの怪の存在を思い出す。人を遥かに凌駕する力を有した存在。彼女であれば…… 少なくとも、妖忌はそう夢想した。それゆえ――
「八雲! 出て来い! 八雲!!」
すっ。
空間に生まれた切れ目から、金の髪を揺らしながら女性が躍り出た。紫だ。
「八雲! いつも馬鹿ばかり言っているお前だが、たまにはその身に宿った力を有効活用してみろ!」
「……妖忌」
「お前の力なら、このくらいの傷なぞ直ぐに癒せるのであろう? ほら、早くしろ!」
「妖忌」
「大丈夫だ、幽々子。八雲が来た。直ぐにこの程度治してくれる。なあ! そうだろう? やく――」
「妖忌!」
腕をだらりと垂らした幽々子を抱き、その顔を覗き込みながら間断なくしゃべり続けていた妖忌。しかし、紫の鋭い声を受け、ゆっくりと視線を上げる。その瞳に、力はなかった。
「もう……死んでいる。……分かる……でしょう?」
紫の言葉を耳にし、妖忌は呆ける。
世界の全てが色を無くしたかのように、そう錯覚し、そして、瞳を擦る。それでも、世界はまだ白く染まっていた。何もかも。紅も、桜花も、そして、鮮やかな色彩を放っていた笑顔も。白く還った。
そうして更には、空気が無くなった。いや、そうではない。息が上手くできないのだ。当たり前のことができない。彼女の存在で保たれていた世界。その全ては崩壊した。妖忌は何もできない。呆けることしかできない。
ずっと、ずっと、彼の心には闇があった。誰かを蹴落とし、醜いことをして生きなければいけない現実。それに押し潰され、深い闇が彼を包んでいた。その彼を、幽々子が救った。彼女の笑顔が彼に光を当てた。闇を払った。
その光は――消えたのだ。
何度も胃の中の物を戻しそうになりながら、妖忌は何とか呼吸の方法だけは思い出す。そして、弱弱しい瞳を失われた光に向ける。
眠る様に瞳を閉じている少女は、しかし、その胸を上下させることはない。そして、彼女の顔からは血の気が失せ、その頬の赤みは消えていた。いつも彼に向けていた笑みを浮かべることは、決してもうない。
死んでいた。
「っが…… あ、ああ…… ああぁああ。うわあああぁあああぁあ! ああああああああああああああああああああっ!!」
寝かせた幽々子の死体の傍らに座り込み、妖忌は瞳を伏せていた。その背後には、やはり暗い表情の紫がいる。
「何が……起こった?」
妖忌が訊いた。
「幽々子は俺が死んでいるかと訊いた。目の前で動く俺がいるのにだ。それはつまり――」
「彼女が死を与えた者達がここに集ったようね。今までの幽々子の能力であれば、微弱なものであったゆえ、そんじょそこらの霊では彼女の存在を感知できず、彼女のせいで死んだなどとは分からなかった。けれど、年を重ねたためか、幽々子の能力は近隣の里を脅かすほどに絶大なものとなった。霊体としてこの世に留まっている者ならば、その異様さを感じ取れるほどに。そして――」
「恨みつらみをまくし立てたといったところか……」
呟いた妖忌。しかし、紫はかぶりを振って否定する。
「一部にはそういう輩もいた。けれど、そんな輩は、私が事前に察知して近づけなかった。問答無用で、輪廻転生の理に戻ることすらできぬように滅した。完全に消した」
冷たい瞳で妖怪が語る。
人間もまた、冷たい瞳でただ聴く。
「幽々子のもとを訪れたのは悪意などない、だからこそ私も対応が遅れた、そんな者達。幽々子の能力を忠告し、制御法を学ぶように進言しようとした人物。そして、最期に主の顔を見ようと集った者達。この西行寺に仕える者達」
「……そうか」
幽々子が悲鳴を上げたのは霊に恐怖したためではなかった。近しい者の生命を奪った自分自身に恐怖したためだったのだ。
そして、彼女は刀で自害をする直前、妖忌の背後――正確には彼の肩口に、漏れ出る不可視の何かを見た。それが何と呼称すべきものなのか、それは分からない。気力か、生命力か、はたまた霊魂か。とにかく、彼の生命が脅かされる兆候を見たのだ。
それゆえ――
「俺は死など怖くなかった」
妖忌が表情もなく呟いた。
紫は彼をちらりと目にしただけで、何も口にしない。
言葉が続く。
「仮に幽々子の能力でこの命が彼岸へ旅立とうとも、それならばそれでよかった。この世界は幽々子がいなけりゃ糞ったれだ。何の価値もありゃしない。煩わしいことや腹の立つことが溢れていて、全て、誰も、何もかも、消えちまえばいいもんばっかりだ。だから、この身が滅びるというなら、それはそれでよかった。ただひとつ、神様って奴が本当にいて、ただひとつだけ確約してくれるなら、俺は他はなんだってよかったんだ。俺は……ただ――」
ひたすらに続いていた言葉。その言葉は途切れる。
嗚咽とともに途切れる。
心の底から願っていたこと。想っていたこと。それはもはや裏切られた約束。
「あいつが幸せに……俺が相手じゃなくてもいい。幸せな家庭を持って、生きて、ずっとずっと笑っていて……俺を救ってくれた光を放って……そうしてくれさえすれば、それだけで……それだけでよかったんだ。……それなのにっ!」
泣き崩れ、妖忌は途切れ途切れに、何で死んじまうんだ、と言葉を搾り出した。もはや言っても詮方ないことを、疑問を、呟き続けた。
紫はそんな彼を一瞥し、呟く。
「人間は愚かね」
そうとだけ口にして、それからしばしの沈黙。
妖忌の絶望の呟きだけが部屋を満たす。
そんな彼の様子を目にし、紫は深く、本当に深く息を吐く。そして、横たわる幽々子の元へ向かう。綺麗に拭われた顔は、本当に眠っているように見えた。
「貴方がそう想うように、この子は貴方に生きて欲しかった」
絶望を吐き出すことを止め、妖忌が唇を強く噛む。
紫はひと呼吸置き、先を続ける。
「そんな簡単なことが本当に分からないというなら、救いようがないわ」
「……うるさい」
弱弱しい瞳で、愚かなる人はそうとだけ呟いた。
「なあ、八雲」
「何よ」
襖を全て開け放ち縁側に腰を下ろした二名。漸く少し暖かくなってきた春風を頬で受け止め、舞い散る花弁を瞳に映し、小さく微笑む。
「お前はいつか話したよな? 桜には忌み事を封じる力があると」
「ええ」
「ならば、あの巨大な桜で幽々子の生を封じてくれないか?」
妖忌の言葉を受け、紫は訝しげに眉を顰める。
「生を?」
「ああ。死を呼び込む能力が宿っている命を封じたらろくなことにならない、というのはこのあいだ聞いた。ならば能力はそのままでいい。あいつが輪廻転生の理に即して再び顕界で生を受け、同じ苦しみを味わわないように、この糞みたいな世界に生れ落ちないように、幽々子の生を封じてくれ。ただひたすらに、死と共にいられるように、この世でいらぬ苦しみを背負わず、冥界に在り続けるように……」
乾いた瞳で咲き誇る桜を目にしながら、妖忌が言った。
紫は何かを口にしようと顔を上げ、しかし、何も口にせずに瞳を伏せる。そうしてしばしの静寂ののちに――
「……結界、生と死の境界」
彼女の呟きに伴い、辺り一面が光に包まれた。巨大な桜が発光し、全てを白く染めた。全ての辛さを、全ての悲しみを消し去るかのように、強く強く輝き、闇を照らした。
例え一瞬でも、世界が幸福で在るように……
春風の中、全ての花弁を失った樹木が聳え立っている。天を突くほどに巨大なそれは、晴れ渡った空の下、つやつやとした葉を風に揺らしていた。さわさわと耳障りの良い音が、優美な庭に満ちている。
呆けた様で葉桜を眺めていた妖忌は、ゆっくりとした動作で隣に座る者に瞳を向ける。
「これで……?」
「ええ。これで幽々子は、これから冥界の住人で在り続ける。ちょうど閻魔から、冥界の主として誰か選出して欲しい、と頼まれていたから、彼女にやって貰うことにするわ。彼女に宿る能力も、冥界の主人として遜色ないものであるし」
「そうか」
呟いた妖忌は立ち上がる。そして、懐にしまった小刀に手を伸ばす。
「止めておきなさい。そうして死んで冥界に向かったとて、直ぐに輪廻転生の理に即してこの世へ――顕界へ向かうことになる。ましてや、幽々子に会えたとて、彼女は貴方のことも、私のことも覚えてやいない」
「覚えていない……だと?」
からんっ。
小刀を地面に落とし、妖忌は呟く。
紫が首肯し、続ける。
「ええ。人は死し、冥界へ至った時、全ての記憶を失う。次の生へ備えて。勿論、偶に記憶を抱いたままで次の生を生きる者もいるけれど…… 今回に限って言えば、幽々子の記憶はない。記憶もまた、あの桜に封じてしまったから」
「なぜ!」
「貴方が願ったように、悲しみを、苦しみを、彼女に背負わせないために。彼女の能力が冥界の主として当然のものであると、そう信じられるように。此岸の記憶は封じた方がよかった。違う?」
尋ねられると、妖忌は沈黙し、それをもって肯定とした。
そして、弱弱しく笑う。
「すまない。感謝する」
その言葉を受けた紫もまた弱弱しく笑い、そして再び口を開く。
「あの桜――西行怪が二度と咲くことなどないように、願わくば、彼女の命が再び悲しみに触れることなきように、あの桜には凶悪な化け物でも封じられている、というような伝説をでっちあげましょうか?」
「さいぎょう、あやかし?」
紫の言葉の中に聞き覚えのない単語を見出し、妖忌が訊く。
問われた怪は頷き、続ける。
「ええ。西行寺幽々子の生が封じられた桜という意味で――西行怪。中々いい名前だと思わない?」
「いいかどうかの是非は別にして、生が――ある意味で人が封じられているのだ。怪とつけるのも妙なものだがな」
呆れた瞳を携え、人が言った。
一方で、怪が可笑しそうに笑い、口を開く。
「私は悠久の時を生きて、多くのものを見てきた。そして偶に、人なのか怪なのか区別がつかない時がある。人が怪に、怪が人に思えることがままある。人と怪の――人妖の境界など曖昧なもの。そして、この顕界で幽々子の能力は怪しい、説明のつかない不可解なものであった。妖怪として異端視されてしまうに足る命だった。ならば、この世界――貴方の言う糞みたいな世界においては、幽々子の生は怪だったのよ。そして、唾棄すべき人よりも、私は怪である彼女が好きだわ」
言い切り、紫は瞳を閉じた。
隣で妖忌は瞠目し、それから微笑んだ。そして――
「八雲」
「何?」
「俺が怪になることはできないか?」
尋ねられると、紫は嘆息して笑う。
「確かに人と怪の境界など曖昧だと言ったけれどね。それは例え話。貴方が怪になることなど不可能よ」
その答えを耳にすると、妖忌は、そうか、と呟いて腰を屈める。先ほど取り落とした小刀を手に取る。
「ならばこの道しかなかろう。人の身で冥界へ向かうことなどできまい。そうであるならば…… 例え僅かな時しかまみえぬとて、彼女が俺のことを記憶に留めておらぬとて、な」
妖忌は瞳を閉じ、手にした小刀を両手で持ち直した。それを喉元に向ける。
そして――
がっ!
勢いよく喉元へ向かった凶刃は、しかし、寸でのところで止まった。紫が手のひらを突き出し、止めた。
「せっかちな男ね。少しはゆとりを持ったらどう?」
そう言って笑い、紫は小刀を妖忌から奪う。掌でそれをいじくり、そして、拳を握ることで粉砕した。
「さて。物騒なものを排除したところで、先ほどの続きよ」
「続き……だと?」
地面にぱらぱらと落ちる小刀の破片を目で追っていた妖忌は、訝しげな瞳を紫に向ける。
「ええ。人が怪になることは、まず無理と言っていい。それは先にも口にした通り。けれど、貴方が望むように、冥界に向かうことができ、更に、永き時に耐え得る身体を手に入れる方法がある。貴方が、再び幽々子と共に在れる方法がある」
「ほ……んとうか……?」
妖忌は瞠目し、ゆらりと足を踏み出す。頼りない足取りで紫の元へと向かう。
「本当よ。ただし、完全な霊体で在り続け、決して輪廻に組することのない幽々子に比べ、その方法で得た身体は緩やかとはいえ転生の時へと向かう。年を重ね、顕界へと旅立たねばいけない時が来る。結局は、貴方達の別れを先送りにするだけの結果を迎える」
しばし沈黙が続いた。
そして、妖忌が言の葉を繰る。迷いなき瞳で、紫を見る。
「その道を選ぶことは愚かなのやも知れん。だが俺は、俺の全てである彼女を――光を望む。頼む、八雲」
愚かな人の望みに怪は苦笑した。そして、瞳を閉じて呟く。
「……人間と妖怪の境界」
風が吹く。春の息吹ともいうべき暖かな風が。
その風に抱かれて、ひとりの人がその生を終え、新たな命として始まった。人ならず、魂ならず、そして、人であり、魂である者。
その者と妖怪は人の世を離れ、死者の世を目指す。
「風が……」
冥界を流れる風が女性の頬を撫で、過ぎ行く。女性の緩やかな桃色の髪はふわりとたなびき、彼女の視界を覆った。そして、その覆いが除かれたとき――
「……貴方は?」
女性の前に跪く一人の男性がいた。黒髪を短く刈り、紺色の着物を身に着けている。腰には大振りの刀を二本差し、そしてもっとも特徴的なことに、彼の周りを霊魂が漂っていた。その霊魂は、男性の中に在るはずのそれであるようだ。
その男性はゆっくりと顔を上げ、言の葉を繰る。
「私の名は妖忌。人と霊との間に生まれし半人半霊種。冥界の主たる西行寺幽々子様の元で我が力を揮いたく参上いたした次第に御座います」
「西行寺……幽々子…… そう。それが私の名なのですよね。そして、私は冥界の主。遥か昔からそうであった筈なのに、どうにも記憶が曖昧で――」
「春だから」
幽々子の言葉を遮って、何某かが言葉を紡いだ。その者は幽々子の直ぐ隣の空間を開き、異次元より姿を見せる。
その者に瞳を向け、幽々子は訝しげに首を傾げる。
「……春……だから?」
「そう。春には誰しも呆けてしまうもの。冥界の主とてその例外ではなかったということよ」
言い切り、新たに現れた者は幽々子に向けて右手を差し出す。
「私の名は八雲紫。貴女と友達になりたいの」
「友達……ですか? あの、八雲様」
「紫でいいわ。様もいらない。友達なのだから」
突然のことに幽々子は戸惑った表情を浮かべるが、微笑んで自分を見つめている紫を瞳に映し、やはり自身も微笑む。そして、紫の名を呼び、よろしくと口にして手を握り返した。
そうして彼女は、跪く妖忌に瞳を向ける。
「妖忌様でしたね」
「西行寺様。私のことも妖忌と呼び捨てになさって下さい」
「わかりました。それでは妖忌。貴女も私のことは幽々子、と」
「それは……いえ、承知いたしました。それでは幽々子様と」
妖忌の言葉を耳にし、紫が声を立てずににやにやと笑う。幽々子は彼女に背を向けていたために気づかなかったが、妖忌は気づき瞳を細める。しかし、直ぐに畏まって低頭した。
「それで妖忌。貴方の姓は?」
「俺――いえ、私の姓で御座いますか? 私のような下々の者には姓など……」
「……そうですか。しかし、この冥界で働いて貰うとなると、何かと煩わしい政に関わる機会もあります。その際に姓もないというのは、旧態依然とした者達に対する際に障害となる事もあるでしょう」
困った顔をした幽々子を瞳に映し、妖忌が焦った表情を浮かべる。それに気づいた幽々子は慌てた様子で手を振る。
「ああ。勘違いしないで下さい。貴方を側に置くことを断ろうというのではありません。ただそうなると、姓を私が与えるのがいいかと思い、考えていたのです」
「幽々子様がで御座いますか?」
「ええ。不満ですか?」
突然の言葉に妖忌が呆けていると、幽々子が訊いた。
尋ねられた妖忌は両手を懸命に振って否定を表し、それから畏まった。
「身に余る光栄に御座います」
それを受け、幽々子は安心したように微笑む。そして――
「では決めました。妖忌。貴方に魂魄の姓を与えます」
「魂魄……」
「ええ。貴方の――半人半霊種である貴方の側に控えた魂。その魂の清らかさに感動致しました。私は貴方よりも清く澄んだ魂を有した者に終ぞ出逢ったことがありません。それゆえに、貴方の姓は魂魄。これからも魂魄の姓に恥じぬように、その清らなる魂と共に生きなさい」
そのように口にして、幽々子は優しく微笑んだ。そうしてから、悪戯っぽく口元を歪める。
「……冥界で『生きなさい』というのも妙な話かしら?」
口に手を当てて、幽々子が笑った。
紫もまた続いて笑う。
風が、二名の笑い声をさらっていく。
その一方で、妖忌は跪きうつむいたままで震えていた。頬を伝う暖かさを隠すために、うつむいたままで……
「妖忌?」
「有り難く賜ります!」
訝しげに幽々子が尋ねると、妖忌は大きな声で返し、そして立ち上がった。その顔には笑顔が浮かんでいた。
その様子を目にしていた紫は嘆息し、それから意地悪く笑う。そして、やはり意地悪い言葉を発するために口を開く。
「それにしても幽々子。よくもこんな怪しげな奴を即決で側に置く気になったわね。私なら御免だわ」
そこで、笑顔を浮かべていた妖忌は、一転してまなじりを吊り上げる。そして紫に詰め寄り、怒鳴り散らす。
「何だと八雲! 貴様よくもそんなことが言えたもんだな! 貴様の方がよっぽど怪しいじゃねえか!」
「あら。私のような美人を怪しいなんて心外だわ。私に比べ、貴方は刀を所持した目つきの悪い凡夫。どう考えても貴方の方が警戒されてしかるべきではなくて?」
「だあれが美人だ! 何千歳にもなる糞婆のくせしやがって!」
「ああ!? 何ですって!?」
「やるってのか!」
額と額をぶつけ合って怒鳴り散らし始めた妖忌と紫。
幽々子はあっけにとられた様子で彼らを目にしていたが、ふいに笑い出す。
「くすくすくす。御免なさい。でも何だかおかしくって。それに不思議ね。少し、懐かしい気がするわ」
その言葉を受け、紫が嘆息し、口を開く。
「きっと、それも春だからよ」
「そう…… 春は素敵ね」
呟いた幽々子は辺りを見渡す。乱雑に生えた木々と、少しばかり荒れた大きな屋敷。風雅と呼ぶには少しばかり雑に過ぎるけれど、それでも春の息吹がそこここに雅を添えていた。
その光景を瞳に映してから、幽々子は視線を妖忌へと向ける。
「先ほどの紫も本気ではなかったとは思うけれど、改めて否定しておきます。貴方は決して怪しくなどないわ。貴方と共にいる清らかなる魂こそがその証左です。それと――」
風が吹く。一陣の風が吹く。
それに伴い、桜花が三名を包んだ。桜の樹など見えぬようであったが、なぜか、数多の桜花が辺りを包んだ。
幽々子が口を開く。
「貴方の妖忌という名が気に入りました。呼び易いから、というのも妙な理由ですが、私は、好きですよ」
強い風が吹く。桜花が三名の視界を覆い、過ぎ去る。
その間に妖忌は深く深く低頭した。そして、
「有り難き……幸せ」
そう口にした。それから急ぎ振り返り、後方に視線を向け、そのまま――主に背を向けたそのままで、叫ぶ。
「幽々子様!」
「ん?」
呼びかけられると幽々子は軽く微笑んで、妖忌の背中へ向けて訊き返す。
紫はその隣で苦笑していた。
妖忌が続ける。
「庭の管理を任せて下さい。この庭を桜で満たしましょうぞ。春で満たしましょうぞ!」
春と共に再び始まった彼らがいつまでも同じ時を刻めるように…… そして――
「ええ、いいわね」
「八雲! お前にも手伝って貰うぞ。顕界から桜を調達だ」
「はいはい」
いつか別れが来ようとも、共にいた日々が確かに在ったことをここに刻むために……
「これが、昔あったことよ」
過去の冥界の中空を漂いながら紫が言った。
眼下の者達をつまらなそうに見ていた霊夢は嘆息する。
「西行怪の下には冥界の姫の生が。そして、姫君が封を解くことを望むのは――自身の生を望むのは…… これはわざわざ口にするのは野暮ってものかしらね」
霊夢の言葉を受け、魔理沙が苦笑して頷く。
「だぜ。しっかし、そういう理由ならわたしは別に封印を解いてもいんじゃねえのって気がしなくもないわけだが…… あんたとあの男としちゃあそうもいかんわけか」
尋ねられ、紫は肩を竦める。
「幽々子の命に宿ったあの力は、顕界に在れば必ず不幸を呼び込む。私達はあの子に悲しみを、辛さを味わわせないと誓った。ならば、私達が選ぶ答えはひとつ」
「まあ道理ね」
咲夜が特に感慨もなさそうに呟く。
その一方で、ぐずぐずと涙と鼻水を流している妖夢が、漸く泣き止んだようで口を開く。
「あ、あの…… 幽々子様と御爺様――いえ、妖忌様の御関係はわかりました。そして、幽々子様が西行怪の封を解こうとなさる理由にも見当がつきます。しかし、そうなると妖忌様は――」
「まだしぶとく生きているけれど、そろそろ半人半霊種としての生を終えるわ。輪廻転生の理に即して顕界に旅立つ日は近いでしょうね。私が生と死の境界を操って、顕界へと旅立たないように騙し騙し努力してきたけれど、もしかしたら今頃おっちんでる可能性もあるわ。あのじじい、こっちが善意でマヨヒガに連れてって処理をしてやってるってのに、言うこと聞かずに修行とかし出すし、勝手に抜け出してマヨヒガ見学とかし出すし、うざいったらない」
後半は愚痴となっていたが、紫の口にした言葉は妖夢に衝撃を与えた。それゆえ――
「う…… お、お、お……」
「ん? 大丈夫?」
「どうした?」
なにやら呻き出した妖夢に、霊夢、魔理沙がそれぞれ尋ねた。
しかし、妖夢はそれには応えずに、
「おじいさまあああぁあああ! ややややや八雲様! 早く帰りましょう! 直ぐに帰りましょう! ちょっぱやで帰りましょう!」
半泣きで紫に詰め寄った。
紫は一筋の汗を流しながら、妖夢に揺さぶられるままになっている。そして、左右にゆれながら言葉を紡ぐ。
「落ち着きなさい、妖夢。過去での時間経過は現代での時間経過に影響しない。直ぐに戻ろうと、ゆっくり戻ろうと――」
「は、早く……帰り……ま…… う、うわあああああんっ!」
妖夢が感極まったようで、堰を切ったように泣き出した。
紫は困ったように頬をかき、他三名は両手で耳をふさいでいる。
彼女達はそれぞれに嘆息し、それから、ひとところに集まる。
そして――
「御久しぶりですな、幽々子様」
マヨヒガの優しい風の中、すっかり白くなった頭髪を長く伸ばした男性は優しく笑み、言った。魂魄妖忌その人である。
その姿を瞳に映し、幽々子は鋭い瞳で口を開く。
「妖忌。貴方、突然姿を消したと思ったら――」
「西行寺様。わたくしどもが御連れ致したのです。このマヨヒガの地であれば、外の地よりも輪廻転生の理による束縛は弱い。紫様はこの地で魂魄殿の生を冥界に留めんがための法を探っておりました」
そして、そのあいだ幽々子をマヨヒガへ近づけないようにしたのもまた紫であった。いらぬ期待を持たせず、いざという時の失望を回避するために。しかし、いま幽々子は紫の意思によりここへ来ている。つまりは――
「しかし、そのようなことは無理であったのですよ。儂はもうじき顕界へ向かうこととなります。いや、八雲殿や藍殿、そして橙殿はよくやって下さった。これが儂の寿命という奴なのでしょう」
妖忌が微笑んだ。
幽々子は眉を顰め、視線を落とす。
「時に幽々子様。西行怪のことで御座いますが――」
そこで藍が驚いたように視線を妖忌に向ける。彼女は紫から事実を教えられていた。そしてそれゆえ、妖忌が最期に思い切った発言をしてしまうのではないかと勘ぐったのだ。
しかし、そうではなかった。妖忌は瞳だけで藍を制し、それから幽々子に鋭い視線を送る。
「かの巨大桜が封であることは貴女様も諒解されているはず。にもかかわらず、どうやら冥界の主としてあるまじき行動を取っておいでのようですな」
「それは……! けれど私は――」
「かの封を解くこと、それ即ち、冥界を危険に晒すことなので御座いますよ! 幽々子様は彼の世の主としての誇りを無くされたか!?」
「聴いて、妖忌! 私は――」
懇願するような瞳で妖忌を目にし、幽々子は口ごもる。それもそのはずである。彼女は自身が本当に望むものを知らない、いや、知れないのだから。
苦しげな顔で唇を噛む幽々子を、妖忌は細めた瞳で優しく見つめる。
「かつて貴女様は仰いました。貴女様から賜りし我が魂魄の姓。その姓に恥じぬよう、清き魂と共に生き続けよ、と。この生が終わろうとも、輪廻の中でこの命が在り続けるのならば、この魂魄妖忌、貴女様の御言葉を胸に在り続けましょう。だから、貴女様もまた冥界の主である西行寺幽々子の名を汚さぬよう、誇り高く在り続けて下さい。俺の――いえ……儂の光で在り続けて下さい」
からんっ。
そう口にした妖忌は手にしていた刀を取り落とした。いや、違う。刀を握る手が消えかけていた。冥界を離れ、新たなる旅路に出ようとしていた。
「妖忌!」
「終にこの生を手放す時が来たようですな」
幽々子には見えた。幾度も目にした光景。生が旅立ち、次の生へと巡る瞬間。
今がその時だった。
「……妖忌……」
「……どうかそのような顔をなさらないで下さい。儂は――」
「御爺様!」
空間の切れ間がマヨヒガに現れ、そこから少女が飛び出した。妖忌と同じく魂魄の姓を受けた妖夢だ。
「おお、妖夢。そうか……八雲殿が――」
「いまだ慣れないわね、八雲『殿』というのは」
同じく切れ間から紫が、そして顕界の住人達三名が飛び出した。
そして、紫に何か応えようとする妖忌に視線を送り、幽々子と妖夢を顎で差す。自分はいいからその二人の相手をしてやれということだろう。
妖忌は軽く頭を下げ、そして、口を開く。
「妖夢よ。幽々子様を頼むぞ。修練を怠らず、護るべきものを護れ。魂魄の名に恥じぬ生をまっとうしろ」
「お……じい……さまぁ」
顔をくしゃくしゃにして妖夢が妖忌にすがり付いた。
「馬鹿者。泣く奴があるか。背筋を伸ばせ。しゃんと立て。強く在れ」
声をかけられても、妖夢は湧き出てくる涙を止められなかった。祖父の口にする通りに強く在ろうとしたができなかった。押し寄せる感情を制御できなかった。
妖忌は苦笑して幽々子に瞳を向ける。
「この通り不肖の弟子ですが、どうか貴女様の御側に置いてやって下さい」
幽々子もまた軽く微笑み、口を開く。
「勿論よ。嫌がっても冥界に留めるわ」
彼女がそう応えた時、妖忌にすがり付いていた妖夢の身体がすり抜けた。そして、地面に倒れこむ。
「本当にここまでのようじゃ」
「御爺様!」
妖忌の言葉を耳にし、妖夢は急ぎ立ち上がる。そして、頬を拭い、腰の刀を抜き放ち、高く高く掲げた。
真っ直ぐと前を見つめ、雄雄しく立ってみせた。
妖忌はそれを瞳に映し、一度大きく頷き、笑う。
そうしてから、幽々子に瞳を向ける。
風が二人を包む。暖かな春の風が。それと共に桜花が、出会いを誘い、そして、別れを惜しむ桜花が、二人を包んだ。
「幽々子様。いずれまた桜花が誘う折に、お逢い致しましょうぞ」
「ええ。それまで元気で。……今まで、御疲れ様でした。妖忌」
――もったいなき御言葉
魂魄妖忌はそう言葉を残し、春の風と共に、新たな生を受けるために、旅立った。
その旅路を祝福するように、桜花は、舞い、踊る……
顕界にある巨大な建物――ビルディングの一室にて、新たな生命が息吹こうとしていた。
古より信ずる対象を遷移させてきた人類。しかしそんな彼らも、新たな生命が誕生する瞬間だけは古より変わらずに、喜びと共に迎えるようだ。産声を上げた新生児を瞳に入れ、白衣を身に纏った女性や男性は笑顔を浮かべる。
「男の子ですよ」
声をかけられた母親もまた笑む。そして、彼女の手をずっと握っていた父親も嬉しそうに相好を崩した。
一方、生まれ出でたばかりの赤子はというと――
「あら?」
産湯に赤子を浸けていた女性が呟いた。
「どうしたの?」
「いえ。この子いま、何かを話したような気が……」
そう口にしてから、女性は苦笑して口を開く。
「なんて、まさかですよね?」
辛うじて残っていた前の生の記憶。その生において愛した者の名は、現世を忙しく生きている者達の耳に届くことはなかった。
――幽々子……
「妖忌?」
白玉楼の庭で騒いでいる者達を瞳に映して縁側で微笑んでいたその地の主は、聞こえるはずのない声を耳にした気がした。しかし、そんなはずはなかった。それゆえ、彼女は自身の弱い心を嘲り、苦笑した。
そして、再び瞳を喧騒へと向ける。夜桜の下で騒いでいる者達へ向ける。
「それでは四十三番! 霧雨魔理沙、歌います!」
「それじゃー、友達のよしみで伴奏したげるー」
「いやまて。お前の演奏、ちょいと逝きそうになるとかそういう効果があるだろ」
「だいじょぶだいじょぶー。例え逝ってもちょうどここが冥界だしー」
「いや、それは大丈夫ではないだろ」
「では四十四番目はうちのから……美鈴。何かしなさい」
「がんばれー、めーりん!」
「ふえ! 私ですか? えっと、えーっと…… こ、こうすると親指が切れま――」
「はい次。咲夜」
「それではナイフを使った曲芸でも」
「わわ! 凄い! 凄いですね、藍様!」
「そうね、橙。さてそれでは四十六番はわたくし、八雲藍がいかせていただきましょう」
「お。狐が何かするぞ! よっ!」
「九尾の狐の芸なんてそうそう見れるものじゃないし、期待できそうね」
「……ルナサ姉さん」
「……ええ、メルラン。藍殿もそれなりに御酒を召されていたようだし、もしかしたらまた」
「? どうしたのよ?」
「実は、その……」
「九尾の狐殿は酔いだすと――」
「八雲藍、脱ぎます!」
『待てええぇえ!』
桜花が舞う風雅な庭にて、人、怪、そして霊が笑顔で騒いでいた。それを眺めつつ、冥界の、白玉楼の主たる西行寺幽々子は微笑む。
「ご機嫌ね、幽々子」
「紫。それに妖夢も」
「御隣、宜しいですか? 幽々子様」
泣きはらした瞳の少女に問われ、幽々子は優しく微笑み、首肯する。
妖夢は幽々子の左隣、紫は右隣に腰を下ろし、しばし沈黙が続いた。庭での喧騒のみが三名の間に流れる。そうしてしばらく経ち、紫が口を開く。
「命は巡るもの。特に人の命は直ぐに冥界に戻る。いつかまた、桜が咲き乱れる頃にやってくるわよ」
「ええ。そうね」
風で流れてきた桜花を手に乗せ、幽々子が呟く。
そして、再び沈黙が訪れる。
次にそれを破ったのは妖夢だった。
「私もいつかこの世を去る身。なれど、それまでは全てをかけて貴女様を御守りします。魂魄の姓に恥じぬよう強く、雄雄しく、幽々子様と共に在ります。ですから……」
どうか元気をお出しになって下さい。そう結び、妖夢は泣き出しそうな顔で笑った。
彼女のそんな様子に幽々子は微笑み、そして立ち上がった。
「二人とも、有難う。私はもう大丈夫」
そう呟いて、彼女は歩みを進める。その先では、騒々しき宴が続いていた。
紫と妖夢は顔を見合わせて微笑み、それから、冥界の姫と同じように足を踏み出す。守るべき者と、肩を並べて共に在るために……
「五十八番! 八雲藍、脱ぎま――」
『だから待てえええぇえぇええ!!』