「さて」
購買へ向うために立ち上がる。母さんが弁当を作ってくれることもあるが、今日は五百円を渡されてパンを買うように言われたのだ。このところ暑いからな。夏バテでだるいとかそんなとこだろ。
鞄を探り財布を取り出し、しっかりとズボンのポケットに突っ込む。そして――
「ん?」
ふと視線をやった先で、鵬塚が何をするでもなく机に向っている。まさかあのまま寝ているわけもあるまい。
「鵬塚」
呼びかけてみると、一応反応を示す鵬塚。こちらに顔を向け、しかし、瞳は俺に向いていない。
「飯、食わないのか?」
コクコク。
涙目で頷く。
というか、涙目? こいつはもしかして……
「弁当を忘れたのか?」
コクコク。
……やっぱりか。自主的に食わないのなら、涙を溜める意味が分からんしな。
しっかし、転校初日から遅刻はするわ。弁当は忘れるわ。散々だな、こいつ。気の毒すぎるし、ちょっとは親切心を出してやってもいいか。
「購買でパン、買ってきてやろうか?」
あ。視線があった。
俺の言葉に驚いたように瞳を上げた鵬塚と眼が合った。直ぐに逸らされたが。
「どうする?」
コクコク。
再度問うと、一生懸命首を縦に振る。
……腹が減ってるんだな。
「判った。購買、売ってる種類はそれほど多くねぇし、何買ってきても文句言うなよ? あ。アレルギーとかあるか?」
フルフル。
無いみたいだな。なら、遠慮なく気の向くままに買ってくるとしよう。ああ、そうだ。大事なことを忘れるところだった。
「じゃあ金くれ。俺もそれほど持ってないもんでな」
コクコク。
頷いて鞄を探りだす鵬塚。大きめのショルダーバッグのサイドについているファスナーを開け、中身を手に取る。しかし、そこから取り出したものはハンカチとちり紙のみ。財布らしきものは見当たらない。しまっている場所を間違えたらしい。違う場所も探る。飴が出てきた。筆記用具が出てきた。携帯電話が出てきた。しかし、財布は出て来ない。
しばらくすると、鵬塚はこちらを向いてマゴマゴとしだした。
要するに……
「財布、忘れたのか」
コクコク。
再び涙目で首を縦に振る。
ふぅ。
ここまで不幸な奴を久し振りに見たぞ、俺は。
勿論、世界中に目を向ければこいつよりも不幸な奴なぞ星の数ほどいるだろう。けれど、俺が自分の目で見、この手で触れられる距離に存在する人間だけに限定するならば、彼女は間違いなく最も不幸な人間だった。
乗りかかった船というやつか……
「金は立て替えといてやる。明日返せよ」
また眼が合った。鵬塚が瞳を見開いてこちらを見たからだ。今度は視線を逸らさない。そして、
フルフル。
慌てて首を横に振る。
これは、明日返すことを拒否しているのではなく、立て替えて貰わなくてもいい、と主張しているのだろう。
「遠慮するな。別に奢ろうってんじゃない。明日返して貰うんだからな」
そう返答すると、鵬塚は困ったようにキョロキョロしていたが、しばらくすると、立ち上がって深く頭を下げた。礼を言っているのだろう。つまり、買ってきて下さい、ということだ。
ならば、さっさと購買に向うとしよう。あんまり遅くなると何も買えない事態もあり得るしな。
「オッケー。じゃあ、行って来る」