「泰司ー! 今日もお迎えよー!」
翌日、部屋で授業中に見るグラビア雑誌の選別に精を出していると、母親の声が聞こえた。
窓から差し込む朝日を瞳に入れながら、思わずため息をつく。
お迎えというのは言うまでもなく鵬塚のことだ。あいつは毎日、俺を迎えに来る。親友は一緒に登校しなければいかんのだそうだ。まあ別に、一緒に登校するくらいどうということもないのだが、問題なのは、何名かのクラスメイトや知り合いに、俺と鵬塚が付き合っているとか勘違いされていることだ。まったく、冗談ではない。見た目のよさはともかくとして、俺はもっと普通の人間が好きなんだよ。
そんなことを考えながら、俺は鞄を持って玄関へ向かう。今日のメイングラビアアイドルは、胸は小ぶりだが長身スレンダーという、俺的にベストな体系の子だ。授業時間が楽しみだ。
「うふふ。今日は両手に花ね」
廊下でのすれ違いざま、母がにやけた顔で妙なことを口にした。
意味がわからない。
がちゃ。
気にせず扉を開けて外に出る。朝日がさんさんと照りつけていた。その逆光がまぶしくてよく見えないが、玄関前に誰かが立っている。
まあ、疑わずとも、俺の親友様である鵬塚真依だろう。
「おはよう」
「……はよ……」
「おっはよう」
朝の挨拶に返答する声が二つ聞こえてきた。何で二つなんだ、と訝しんで、声の発生源に瞳を向けてみる。
まぶしさを我慢してよくよく見てみると、鵬塚と――
「何やってんだ、尚子」
尚子が鵬塚にぴったりよりそって立っていた。どこぞのカップルだろうか、というほどの密着具合だ。
「何って、親友との登校を楽しもうかと」
コクコク。
非常に嬉しそうに頷いている鵬塚。
もう直ぐ九月ということで、若干涼しくなってきている。それでも、いまだに夏の暑さは健在だ。そんな状況で熱々カップルのように密着されて、よくぞあのように嬉しそうにしていられるものだ。
まあ、濃厚な女の友情を初ゲットしたわけだから、浮かれる気持ちも分からなくはないが……
昨日、鵬塚兄の車には尚子と鵬塚だけが乗った。一方、俺は独り辞退して帰路についた。理由は単純。面倒だったからだ。どうせ鵬塚兄も、用があるのは尚子だけだっただろうからな。
さて、あの様子だと尚子は、俺が受けたのと同じような説明を鵬塚兄から受けて、やはり俺同様によろしく頼まれたのだろう。ファンタジーフリークである尚子のことだ。ファンタジーを体現したかのような鵬塚のことをよろしく頼まれたら、そりゃあ気合を入れて世話を焼くだろうよ。
「あ。そうだ。泰司」
ゴソゴソと鞄を探りながら、尚子がこちらに呼びかけた。
何の用だ?
「はい」
「……何だこれは?」
「本よ」
そう。俺の手には本が乗せられていた。『風の山』と題されている。訳本らしい。原作者はイギリスのファンタジー作家。ならば疑いようもなく――
「ファンタジー小説か」
「そう。あたしは昨日読み終わったから読んでいいよ。どうせ放課後に読む本、持って来てないでしょ?」
……そうだった。トラックに轢かれかけたというショッキングな事件のせいで忘れていたが、俺はもう帰宅部ではないんだった。ああ、さようなら。愛しい帰宅部ちゃん。
空の遥か向こうに帰宅部ちゃんの影を見ながらたそがれていると、尚子は更にもう一冊取り出し、真依はこれね、と口にして鵬塚に手渡した。『谷の魔法使い』という本だ。これは確かシリーズものの一作目だったはずだ。今は何巻まで出ているのかしらないが、たまに本屋で新刊が発売されているのを見かけるから、まだ続いているのだろう。
「面白いよ。ドキドキワクワクな冒険ものではないけど、ほのぼのした日常ファンタジー。十二巻まで出てるから、気に入ったら続きも貸すね」
コクコク。
いかにも魔法使い然とした奴が描かれた表紙を眺めつつ、鵬塚は嬉しそうに頷いた。
……楽しそうで何よりだな。
「おおおおぉおおぉおおぉお!」
と、いきなり聞こえた大声。
デジャブってやつを感じるんだが……
「泰司が両手に花で登校してやがる!」
「やっぱ太郎か」
「泰司! 鵬塚だけでは飽き足らず――って、何だよ。速水か」
確か、太郎と尚子は中学で同じクラスになったことがあったな。だから、俺と尚子が幼馴染なことは知っているはずだし、あいつら自身も知り合いのはずだ。
「何だって何よ? 野村」
「特に深い意味はねぇよ。速水なら別に泰司と一緒にいても珍しくない――いや、珍しいか。高校入ってからは、速水から逃げてたもんな。どうしたんだ?」
「もう逃げる意味がないからな」
文芸部に入ってしまったのなら、逃げても体力の無駄だ。まあ、まだ放課後に部活をさぼるという目的で逃げるつもりではあるが…… それはいま言うべきことではない。
「てーことは、遂に文芸部に入っちまったのか」
「そういうこと。野村もサッカー部と掛け持ちでいいから入んない?」
「パス」
手をひらひらと振って太郎が拒否すると、尚子はさほど残念そうでもなく、残念、と口にして笑った。
俺が拒否ったときもそのくらいあっさり引き下がってくれよ、マジで。
くいくい。
ん?
昨日に引き続き、俺の服の裾が主張をした。
「……のし……ね……」
満面の笑みを浮かべて、本日も聞き取りづらい言葉を紡ぐ一風変わった少女、鵬塚真依。彼女の先の言葉は次の通りだ。
――楽しいね
俺は、隣を歩く星選者殿の髪をガシガシと撫でつつ、まあな、と短く返事をして、笑った。