第3話『地を駆け回る者』10

 玄関口がある南棟へと辿り着く。体育祭の最中という状況ゆえ、人の姿はない。あたかも休日のようである。だからこそ、犯人グループも校舎に潜むという無茶を決行するに至ったのだろう。
「永治さん。特に変わりないか?」
 鵬塚兄所有の高性能アイテム、小型トランシーバーに向けて尋ねる。
『犯人たちに移動なし。岬くんたちと雑談しているよ。高校生を目の前にして学生時代を思い出しているようだね』
 ……案外いい奴っぽいな、銀行強盗ども。
 しかしまあ、銃を手に高校生を軟禁している以上、同情の余地はない。数分後にはあっさり地に伏してもらうことになるだろう。
 なるべく足音を立てたくないということで、上履きは履かずに靴下のまま廊下を歩む。しかし、これから走ることになるのだから、その際に裸足というのはまずい。1年5組へ至る直前に履くことにしよう。上履きを手に持ち、1年生の教室がある東棟へ向かう。
 すっすっすっ。
 抜き足差し足忍び足。音も立てず、声も立てずに先を急ぐ。まず目指すべきは、今現在俺たちがいる南棟の3階だ。八沢高校の校舎は各階ごとに棟を行き来するスロープがあるが、そのいずれにも屋根がない。つまり、1階のスロープを通って、1年生の教室がある東棟へ向かってしまうと、犯人共から丸見えになってしまう可能性があるのである。
 まあ、犯人共がのんきに岬たちを相手にして雑談しているのであれば、無用な一手間であるのかもしれないが、事が事だ。注意をしすぎて悪いことはないだろう。
 続けて東棟へ向かうスロープを渡る。その際、微かに声が聞こえてきた。八沢高校はクーラーが利いていないから、犯人共は不用心にも窓を開放しているのだろう。
「全てを社会のせいにする気はない。けど、努力して大学に入って、いい会社に入って、そしたら不況の煽りで倒産だ。入社したばかりで貯蓄なんて雀の涙だし、このままじゃ死ぬしかない」
 何やら不幸自慢をしている。本気で同情の余地があるな。
「まあだからって、大学に行ったって仕方ないとか、勉強なんてしても意味がないとか、そんなことは言わんよ。目標を定めて、それに向かって努力するのは大切なことだ。勉強に限らず、部活、趣味でもいい。俺らも毎日部活で汗を流したり、バンド組んで文化祭で演奏したり、色々やったよな?」
「そうだね」
「懐かしいわね」
 本腰入れて雑談してるな、こいつら。
 おっと、東棟へ続く扉の前についた。さて……
 がしっ。
 ? 尚子に腕を掴まれた。
「何だよ?」
 声を潜めて尋ねると、文芸部部長殿は同じく潜めた声で応じる。
「この扉は開閉の際に大きな音がするわ」
 なるほど。そういうことであれば……
 視線を巡らせると、3階の教室の窓が全開だ。あそこは――1年7組か。
「永治さん。1年7組の教室内、並びに、同教室を視界に入れることが可能な範囲には誰かいるか?」
『ちょっと待ってくれるかい? ……盗聴器で物音は拾えないし、熱源探知機に反応があるのも1年5組と、君たちがいるスロープだけだ。誰もいない』
 よし。盗聴器だけでなく熱源探知機もあったのか、という事実が多少気にはなったが、そこは気にしないことにしよう。誰もいないというのであれば――
「鵬塚。そこの窓から侵入する。音を立てないようにな」
 1年5組の教室を見下ろしても、犯人共や岬たちは窓辺に居ないようだ。ならば、星術で飛んだところで見とがめられることもない。
 コクコク。
 素直に頷いた鵬塚は、まず尚子の手を取った。そして、さして集中するそぶりも見せずに、重力に逆らって飛び上がった。尚子の足も床を離れる。2人はスロープから身を乗り出して、大地から数メートル上空を漂った。
 すっ。
 特に物音も立てずに、彼女たちは1年7組の教室へと姿を消した。そうしてしばらく経ち、鵬塚のみが戻ってくる。
 とっ。
 スロープに足をつき、今度は俺の手を取る鵬塚。そして――
 すぅ。
 体中を風が駆け抜けたような感覚が走る。その直後、俺の足はスロープから離れた。ふわりふわりと中空を漂う。鵬塚の先導で大地を見下ろす位置に移動して、心許なく1年7組の窓辺まで移動した。
 慣れないと不安だな、この感覚。眩暈を感じた時に似てる。
 とっ。
 無事、普段1年坊主どもが授業を受けている教室に降り立った。尚子は既に教室の出入り口まで移動している。
 俺は鵬塚に手で合図をして、尚子のいる場所へ向かう。あとは階段を下りてしまえば、犯人共がいる1年5組の教室である。ここから先の行動についてはあらかじめ打ち合わせしてある。つまり、あとは行動あるのみだ。
 踊り場で1度足を止めて、俺らは持って来た上履きを履く。
 そして、俺だけ足音を立てて1年5組へと向かった。まずは、犯人共の分散だ。

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