空気を振動させて絶望を強いる物音が響き渡った。しかし、廊下が赤で染まることも、恐怖の悲鳴で溢れることもなかった。
八沢高校南棟の3階を満たしたのは、戸惑いだった。
「まったく…… 挑発する必要など皆無だろ? 俺の苦労を少しは減らしてくれないか、会長」
そう言ったのは、生徒会書記諏訪隼人先輩だった。彼はいつの間にやら女の犯人の目の前にたち、彼女の腕を取って、銃口を天井に向けさせていた。先程の発砲はそちらへ向けて放たれたようで、真新しい銃創が出来ている。
「うふふ。隼人がいるからこそよ。せっかくだし盛り上げなきゃ」
「……ふぅ」
ごく自然に会話する2名。
一方で、俺や犯人2人は混乱していた。諏訪先輩の素早すぎる動き、天満舘先輩の異常な落ち着きぶり、何をとっても非日常すぎる。
「な、何なのよ!」
女が叫びつつ、諏訪先輩の腕を振り払って再度銃を構える。しかし、今度は発砲する前に――
がくっ。
女の体が崩れ落ちた。諏訪先輩の拳が、彼女の腹に入ったためだ。
「なっ! ちぃ!」
今度は男が銃を構える。相方が制圧されて逆上したようだ。今にも発砲しそうである。
にもかかわらず、先輩方は落ち着き払っていた。
「佳音、頼む」
「えー? 仕方ないなぁ」
あくびをしながら言った諏訪先輩に、天満舘先輩は不満げに頬を膨らまして、それでもため息混じりに頷く。そして、両の手で何やら印を組んだ。
「臨」
ぱんッ。
……は?
えーとだな。男の体が吹っ飛び、それっきり動かなくなった。
「端っからそれをやりゃあ、この女に発砲させることもなかっただろうが。ったく」
「それじゃつまらないでしょう? こうして後輩が見ているんだから見せ場を作りたいじゃない」
いや、別にそんなサービスはいらんが…… というか、どういう状況だ?
「あの……」
「質問はなしだ。こちらもそちらの事情は聞かない」
声をかけると、諏訪先輩が問答無用で言った。
天満舘先輩も続く。
「上がわたしたちに何も伝えず用件を押しつける時は、そうするのが賢明よね。まったく、天原の民は便利屋さんじゃないんだけどね」
? さっぱりわからん。
まあ、質問はなしと言われているのだからして、これ以上は聞かんが…… 永治さんによるてこ入れの結果、といったところだろうか? 内閣総理大臣殿が無理を通して、天満舘先輩たちを動かしたという構図が最もあり得そうだ。
天満舘先輩たちがそもそも何者なんだ、という疑問も沸くが、そこは気にしないことにしよう。
がちゃッ!
「……み……す……くん……!?」
その時、スロープに続く扉が開いて、鵬塚が顔を出した。ということは、残りの1人についても既に制圧済みなのかと思われる。なお、焦った表情を浮かべているのは、先程の銃声が原因だろう。
「あら。真依ちゃん」
鵬塚の姿を瞳に入れると、天満舘先輩はにっこり微笑んだ。
取り敢えず、火急の事態ではないことは伝わったのだろう。彼女の険しかった表情は一転、訝しげなそれに変わった。
「……と……ちょ……?」
「え? あれ? 生徒会長? 諏訪先輩も居るし…… どういうこと?」
鵬塚の後ろから顔を出した尚子もまた、しきりに首を傾げている。やはりこちらに訝しげな視線を向けてくるが、すまん。俺も状況がよくわからん。
俺らが戸惑っている一方で、天満舘佳音生徒会長は腕時計に瞳を落とし、微笑んだ。
「昼休みもそろそろ終わりね。さあ、グラウンドへ戻りましょう。青組には負けないわよ、真依ちゃん」