第4話『命を狙われる者』04

 登校風景はいつも通りだった。体育祭以来、鵬塚に対して軽い挨拶をする先輩後輩たち。朝の散歩としゃれ込む犬と飼い主。家の前でラジオ体操をしているご老人。常と違わぬ平和さだ。
 鵬塚もまた、知人たちと挨拶をかわす度にニヤけていて、平素通り不審である。
 一方で、常と異なり不審な様の者もいる。尚子だ。
「ま、真依。もっと周りを警戒しないと。いつ銃撃されるか……」
 絶えず視線を彷徨わせ、犬すら警戒する様は、いっそ滑稽だった。
「特定されてるわけじゃないんだ。いつも通りにしてた方が安全だろ」
「手当たり次第に襲うかもしれないでしょ」
「あら。相変わらず仲良しね。富安くん。速水さん」
 潜めた声で言い合いをするために顔を近づけていたら、登校中の天満舘先輩に冷やかされた。諏訪先輩も彼女の隣にいる。生徒会コンビは優等生らしく、毎朝同じくらいの時間に同じ場所を規則正しく通過する。こちらもいつもの時間に登校すれば、接触するのは道理である。
 一見したところ、彼女たちもまた平素と変わらぬ様子だった。昨日に襲撃されたわりには、緊張している様子など微塵もなかった。俺らと違って慣れたものなのだろう。
「あの、会長。昨日、大丈夫でしたか?」
 って、アホ!
 尚子の問いかけを契機として、天満舘先輩と諏訪先輩の視線が少し鋭くなった。
 鵬塚兄は正式な手順を踏まずに昨夜の襲撃を知ったという。現時点で俺達が天満舘先輩を心配するのは、どう考えてもおかしい。そしてやはり、直接的に襲撃の件を尋ねずとも、天満舘先輩と諏訪先輩はこちらへ対して疑念を抱いたようだった。
「どういうことかしら、速水さ――」
 詰問調の言葉を遮って、電子音が鳴った。演歌の着うたのようだった。
 天満舘先輩が鞄からおもむろにスマートフォンを取り出した。
 女子高生の着うたが演歌か。趣味が渋い。いや、それはこの際、どうでもいいか。
「……はい」
 尚子のみならず、俺や鵬塚にも訝る視線を向けたままで、天満舘先輩は電話に出た。
 彼女の隣では、諏訪先輩が敵愾心むき出しで構えていた。まさか、いきなり殴りかかってくることはないかと思うが、先日拳銃保持者を容易く制圧した男から睨まれるというのは、中々に恐ろしい。
「えっ! ひかっ! は、はい。いえ、もったいないお言葉。はい。はい。それでは、失礼いたします」
 慌てた様子で電話対応していた天満舘先輩は、頭を抱えながら諏訪先輩の肩を掴んだ。
「隼人。問題ないわ。照様が彼らに情報を下賜したそうよ」
「……」
 諏訪先輩は戸惑った様子で眉を潜めたが、こちらへ向ける視線から敵意は消えた。
「この間の件といい、不思議な子達ね。どうしてあの方が……いえ、やはり深くは聞かないわ」
「は、はあ」
 正直、仮に尋ねられたとしても、俺らにも何が何だかさっぱりなのだから、何も答えられないのだが……
 いや、恐らく鵬塚兄が手を回して何かしただろうことは分かる。奴は盗聴と盗撮で今の状況も把握したことだろう。都合の悪い展開に転ぶ前に、裏から何かしらの手を打ったのだろう。しかし、具体的な説明は間違いなく無理だ。
「……ん……い……」
 その時、鵬塚が緊張した面持ちで一歩前に出た。
「……何かしら、真依ちゃん」
 事態が好転したとはいえ、この状況で仲良しこよしとはいかないのは仕方がない。応対する天満舘先輩の態度は、いつもよりも当然ながら堅かった。
 先輩達と顔見知り程度の間柄になっているとはいえ、人見知りレベルマックスの鵬塚は、相手の態度が硬化していると必要以上に緊張してしまうらしい。不自然な間があいた。
 妙な緊張感の中で、鵬塚が意を決したように口を開く。
「……よ……ざ……ま……!」
『……』
 先輩達は揃って沈黙し、苦笑した。
「富安くん。今のって挨拶でいいのよね?」
「そっす」
 そう。鵬塚はいつも通り、おはようございます、と挨拶したのだ。
 あいつにとって、親しい先輩との朝の挨拶は大切な一大イベントである。空気を読むスキルも底辺を這いずり回っているような奴だからして、これまでの緊張感の伴ったやり取りにもさほど頓着しなかったと見える。剛胆というか鈍感というか馬鹿というか。
「ええ。おはよう。真依ちゃん」
 コクコク!
 天満舘先輩の笑顔での挨拶を受け、鵬塚は嬉しそうに頷いた。平日はほぼ毎日このやり取りをしているというのに、よく飽きないものだ。
 すっかり弛緩した空気の中、天満舘先輩はいつも通りの柔らかい笑顔で、諏訪先輩はいつも通りの仏頂面で、二、三言葉を残して先へと向かった。
 例の襲撃者に対するのとは別の緊張感を、朝っぱらから無駄に感じまくってしまった。ったく。
「ご、ごめん……」
 尚子がしょげかえっている。
「バーカ」
「っぐ」
 ここぞとばかりに馬鹿にしてやると、尚子は悔しそうにこちらを睨みながらも文句を懸命に呑み込んでいる。殊勝で結構なことだ。いつもこれだけしょげてくれてりゃ、静かで助かる。
「よーっす。泰司。転校生と速水も」
「あ。野村。おはよ」
「おー。太郎」
「……お……よ……」
 同級生の友人、野村太郎が脳天気な顔で俺らの横に並んだ。今度こそ、緊張感とは無縁の時が訪れた。
 その後はテキトーな馬鹿話をお供に、我らが八沢高等学校への路を歩んだ。

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