第4話『命を狙われる者』11

 目覚めは爽快だった。いつも通りの七時に起床することがこんなにも幸福だなんて、思いもしなかった。どうやら、昨夜は誰も襲撃されなかったらしいな。それはそれで、クロードが襲撃者である確率を高めてしまうことになるのだが。
 昨日の八天武終了後の帰宅時に、鵬塚兄から電話が入った。その時点で、襲撃がない可能性は示唆されていた。
 八天武では、武道系の部活が大活躍していた印象が強かったが、玄人目で判断を下すと、星選者だと誤認されそうな実力を示した者は一人としていなかったのだという。仮にクロードが例の襲撃者であるのなら、八天武でめぼしい者を見つけられなかった以上、その夜は襲撃しない可能性が高いのではないかと、鵬塚兄は予想した。
 その予想が当たったわけだ。クロードはただのアホ説を押す俺に不利な状況である。いや、そこは別に当たらんでもいいのだが。
 まあ、今はいい。結局は予想の範疇でしかない。可能性が上がっただけで、何も明確にはなっていないのだから、無駄に頭を悩ませたりせずに、暇つぶしのためのグラビア雑誌選びに精を出すとしよう。

 受験を意識し始めただるい授業が終わりを告げ、これまただるい放課後を迎えた。グラビア雑誌を没収されたり、弁当を忘れていたりと、細々としたハプニングはあったが、おおむね平和な学校生活だった。これで何も考えずに帰宅できるのであれば万々歳なのだが、そうは問屋が卸さないし、鵬塚兄妹も尚子も許さない。
 まあ、今日はついに文芸部とクロードの勝負がある日であるし、そこまで無性に帰りたいわけでもなく、寧ろ、帰るのはさすがに不人情が過ぎるのではないかと思ってもいる。
 後輩の岬も今日は付き合うようで、文芸部の番になったら電話くださいス、と言われた。教室でクラスメイトとだべりながら待つのだと。付き合えやと文句を言いかけたが、先輩に囲まれて長時間体育座りさせるのは気の毒であるし、何より、星選者関係の事情を相談しづらくなるので、岬がいない方が何かと都合はいい。今度何かをおごらせる約束を取り付け、許してやった。
「さっき書記の子に聞いたけど、うちのは体育館に移動してやるんだって」
 ダイエット部とクロードがバランスボールに乗っていられる時間が長い方が勝ち対決をしている中、尚子が視線をボールと戯れる者たちに向けたままで言った。初見でバランスボールまで乗りこなすクロードは、相も変わらず優秀である。無駄に。
「わざわざか? ここでよくね?」
「あたしもそう思ったけど、手押し相撲とは言え、真依とクロードの対決は注目度が高いんですって。これも体育祭での活躍の成果ね!」
 偉そうにふんぞり返っているが、別にお前の手柄ではないぞ、尚子。鵬塚も鵬塚で、笑顔でぺちぺち拍手しているが、お前は賞賛する側ではなく、賞賛される側だぞ。
 ちょっとずつズレている二名は適当に無視して、ダイエット部に注目しよう。あのバランスボールを乗りこなす様が、クロードに星選者だと誤認されるに足る卓越ぶりであるか否か、見極めねば。
 いや、見極められねえけど。そもそも、俺らにその素養は備わっていない。このダテ眼鏡を通して監視している鵬塚兄か、彼が判断を任せている某かが見極めればいいのだ。まあ、そういう意味では、こうしてしっかり視線を向けることが最も肝要である。
「そこまで。クロードくんの勝ちです」
 ダイエット部代表がバランスボールから転げ落ち、勝敗が決した。何とも平和な光景であるが、この時を因として、帰宅風景が物騒になり得るのだからして、油断は全くできない。
「ありがとうございました。クロード先輩もよろしければダイエット部へ顔を出してくださいね」
 一年生の女子が丁寧に頭を下げて、そのように声をかけて、去った。
 勝負をした代表は、おしなべてこのように勧誘の言葉をかけていくが、今回のダイエット部に関して言えば、流石に奇異に感じずにはいられない。そもそも、クロードにダイエットの必要性を感じないからだ。引き締まった身体には、余分な脂肪など見当たらず、寧ろ、筋肉質で太りづらい体型なのではないか。
 とはいえ、ダイエット部の代表もそれほど太っているわけでなく、一般的な高校生という体型だった。ダイエット部という名になってはいるが、実質、適度な運動をする健康的な部という感じなのかもしれない。
 いや、まあ、んなことどうでもいいんだけどな。
 それよりも、文芸部の出番が近づいていることに意識を向けなければなるまい。この空き教室で行う勝負はあと五つで、あとは、グランドに移動して、野球部、ハンドボール部との勝負、体育館に移動してドッジボール同好会、バレー部、バスケ部との勝負、そして、最後に俺ら文芸部との勝負という段取りになっている。
 文芸部がトリを飾るのは如何なものかと思わなくもないが、生徒会とクロード自身の意向だというから仕方がない。
「夏の大三角を為す星三つを答えよ!」
 おっと。いつの間にか、天文部とクロードの勝負が始まっていたようだ。しかし、クイズ対決となれば、注視している必要はないか。鋭い動きをして星選者と誤認されるようなことは、万が一にもあるまい。
 というか、勝負内容によってはこの上なく平和だな、空き教室での勝負は。
 是非、文芸部も平和に終わりたいところだが、鵬塚が無駄にやる気を出していやがるからな。張り切りすぎて星選者らしさを出してしまわないとも限らない。かなり不安だ。
「デネブ。アルタイル。ベガ」
 おっと。どうやらクロードは星の知識も豊富らしい。わぁ、凄いなぁ。どうでもいいなぁ。
 その後も九問が天文部より提示され、クロードはほぼ全てに即答していた。後半の二問は十数秒ほど煩悶し、ようやく答えを得ていたようだが、結局のところ、正解を導き出した。文武両道でイケメンでフランス人とは、死角が無いな。
 当然ながら、天文部との対決はクロードの勝利となり、対戦者同士による握手と、天文部による軽い勧誘の言葉で幕を閉じた。
 さて、次も文化部との知識を競う勝負のようだ。もういい加減、飽きてきたので、視線だけを向けて目を閉じていよう。視界をシャットアウトするだけで、何となく疲労感がやわらぐ気がしなくもない。

 その後、空き教室での勝負を終え、予定通り、グラウンドに移動した。クロードは、野球部の投手からホームランを打ち、野球部の四番から三振を奪った。ハンドボール部のキーパーが護るゴールのネットを揺らし、エースの放つシュートを見事に弾いた。
 一対一じゃないのかよ、と思う無かれ。あまりにクロードが優秀過ぎるが故の慈悲らしい。嘆願した各部の部長が哀れである。
 というか、何なんだ、こいつの運動性能は。鵬塚も大概だが、こいつも異常だぞ。寧ろ、クロードが星選者なのではないかという混乱を来しそうだ。
 まあ、鵬塚も星術がばれる危険性を一切考慮せずに本気を出せば、クロードと同程度のパフォーマンスを出せるのかもしれんし、天満舘先輩や諏訪先輩も事情は同じなのかもしれんが、これまでの俺の人生における常識から判断すると、クロードは間違いなく異常だった。
 奴がイケメンであるために、弱冠のやっかみが生じていないとは言わないけれども。
「何かもう、優秀さだけで判断するなら、クロードが襲撃者の可能性って相当高いわよね」
「まあなぁ。ただ、逆に、襲撃者がここまで目立つかっていう疑問も覚えなくはないけどな」
「確かに。でも、あたし達としては最悪値を想定しておく一択よね。真依。ホントの本気は駄目だよ、やっぱり」
「……を……つけ……」
 気をつけるだけでなく、厳守して頂きたいね。当人であるはずの星選者殿が一番お気楽な気がするぞ。
 ああ。そろそろ岬に連絡しておくか。今は体育館に移動中だが、ドッジ、バレー、バスケの勝負内容如何によっては、直ぐに文芸部にお鉢が回って来ないとも限らん。
『はい。もしもし。岬ス。そろそろスか、富安先輩』
「おう。今、全員で体育館へ向かってるとこだ。残り四勝負だからな。見逃したくなけりゃ早めに来い」
『了解ス』
 天満舘先輩が前線に立って案内している影響で、体育館へ向かう隊列は整然としている。いつかの体育祭の行進のように壮観だ。これで軍歌でも響けば完全に戦前の学校であろう。いや、戦前の学校のこと、そんな知らんけど。
 暗くなり始めた空にはぼんやりと月や星がきらめき、我ら八高生を見守っている。そのような情景に加え、歩きながらの楽しげなお喋りなどがそこここから聞こえてきて、至って平和だ。体育館でも、そして、鵬塚の今後の人生でも、こんな平和が続くといいのだがな。

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