第4話『命を狙われる者』12

「どもス。先輩がた」
「ギリギリよ、岬」
 いつも通りのテキトーな挨拶と共に岬が現れたのは、バスケ部とクロードの1on1が始まった頃合いだった。この次が文芸部の出番であり、八天武の最後の勝負となる。ちなみに、ドッジボール同好会とバレー部の出番は既に終わっていた。
 ドッジボール同好会との勝負は、クロードのボールが同好会の代表者の顔面に直撃し、顔面セーフで助かりつつも気絶するという状況に陥り、生徒会の判断でクロードの負けということになった。運動部としては珍しく部費アップの恩恵を得たドッジボール同好会の面々は、気絶した代表者を胴上げして騒いでいたが、代表者は気の毒だった。
 バレー部はどうやって勝負するのかと思っていたが、クロードと代表者がそれぞれ同じ正セッターからトスを受けてスパイクを打ち、対戦相手がレシーブをしていた。勝ち負けの判断が難しそうな気がしたが、クロードのスパイクの鋭さとレシーブの柔らかさが、素人目にも群を抜いて優れていたため、誰からも文句が出ずにクロードの勝利となった。
 そして、今、奴はバスケ部のポイントガードを見事に翻弄している。凄まじい気迫で抜きにかかったかと思いきや、反応して動いた相手を嘲笑うかのように一歩後退して柔らかく跳ね、スリーポイントのラインからシュートを打った。弧を描いて宙を舞ったボールは、ボードにもリングの縁にも触れず、リングの真ん中を通ってゴールネットのみに触れ、小気味のいい音を立てて勝負の終わりを告げた。
「完敗だ。他の部からも誘われているかもしれないが、うちに入らないか?」
「ふん。気が向いたらな」
 もはや見慣れてしまった勧誘風景を横目に、俺たち文芸部は揃って移動した。鵬塚のみが体操着に着替えているのは、当然ながら、部代表として勝負に望むためだ。見物人たちもそれを分かっているのだろう。鵬塚に向けて激励の言葉を投げかけている。
 色々な奴から声をかけられて嬉しいのか、鵬塚が力強くコクコクと頷いている。どう控えめに見てもやる気に満ちあふれてしまっている。このままでは上がりきったテンションのままに、クロードとの真剣勝負に突入してしまいかねない。
「おい。忘れているようだが、適度に手を抜いて臨めよ。少なくとも、例の疑惑を向けられないように最新の注意を払え」
 コクコク!
 そんなやる気に満ちあふれた首肯で応えられても、全く信用できないのだが……
 当てにはならないが、ホットラインを使おう。
「おい。このテンションはまずくないか?」
『苦労をかけるね。万が一に備えて保険は用意しておくよ』
 残念ながら、やはり当てにならなかった。鵬塚兄は相変わらずシスコンだった。鵬塚の望みを第一に考えたい気持ちは分かるが、その結果として発動する『保険』が恐ろしくて気が気ではないぞ。
「鵬塚。少し落ち着け」
「……だ……じょ……き……ちょ……てな……よ……」
 大丈夫と口にしつつ親指を立て、緊張していないことを主張しているが、そんなことは心配していない。残念ながら、鵬塚は相変わらずアホだった。
 もういっそ棄権するか?
 いや、それはそれで失敗だ。鵬塚はクロードとの勝負を望んでいる。更には、クロードと親友になることをも望んでいる。後者はクロード次第となるが、前者は労せずとも直ぐに叶うのだ。そのような彼女のささやかな望みを叶えずして、今回の騒動だけを乗り切っても、何も意味が無い。
 あとは、現状を冷静に分析するだけの理性が鵬塚に残されていることを祈るばかりだ。
「それでは、八沢高天下一武道大会最後の勝負となります。クロードくんと最後に競い合うのは、文芸部代表、鵬塚真依さんです」
 歓声が上がった。戦いの後に盛り上がることはあっても、戦う前にここまでの盛り上りを見せたのは、これが初めてだ。
「頑張れよ、無口っ娘!」
「真依ちゃん、ファイト!」
「頑張ってください、真依先輩! でもクロード様にくっつかないでくださいね!」
 最後の一年生女子のようなクロード贔屓も多いが、鵬塚への声援は数え切れない程だった。伴って、鵬塚の頬は緩みまくり、ニコニコと嬉しそうに笑んでいた。
 いよいよ、棄権させるのは難しい状況になってしまった。鵬塚だけでなく周りも納得しないだろう。
「ま、真依? ちゃんと加減しなきゃ駄目だよ?」
 尚子のやつも危険を感じたのだろう、忠告をしているが、鵬塚のテンションは上限を知らずに上がっていった。
「……が……ばる……!」
 それは、加減することを頑張るのか、勝負を頑張るのか、どちらなのだろうか。希望としては前者なのだが、残念ながら後者のような気がする。
「勝負内容は事前の申請通り、手押し相撲です。両者、位置についてください」
 手押し相撲と耳にして、観衆の熱が少し冷めた。確かに、盛り上がりに少し欠けるかもしれない。しかし、それでいいのだ。盛り上がりすぎると困るのだ。
 声援がおさまった中、鵬塚とクロードが相対した。鵬塚も160センチはあるけれど、クロードは更に20センチは高い。並ぶとその差が目立った。
「……ろ……く……ねが……す……!」
 丁寧に頭を下げた鵬塚に対し、クロードは目つき鋭く相手を見おろして佇んだままだった。傍目にはかつあげするヤンキー外国人といった風だ。
 そういや、クロードは手押し相撲のルール、知ってるのか?
 生徒会の書記の子に尋ねると、事前に通達済みとの回答があった。最後の勝負前にルール説明をするのは野暮に過ぎるとの判断が下ったらしい。分からなくはない。
「それでは、始め!」
 パァン!
 開始の合図と同時に凄まじい衝撃音が体育館に鳴り響いた。それが掌のぶつかり合った音だと気づいたのは、二人が後ろによろめいて同時に一歩後ずさってからだった。
 審判を務めている生徒会役員が数名で相談し、数十秒ののちにフクちゃんが代表して口を開く。
「同時に足をついたと判断し、勝負は継続とします。お二人とも、再度、位置について」
 生徒会副会長の言葉通り、鵬塚とクロードは再び向かい合った。数秒の沈黙が生じ、フクちゃんから後を引き継いだ司会が再会の合図を口にした。
 パパパン!
 連続で高い音が響き、二人が再び、軽くよろめく。しかし、今度は一歩も動かない。体勢を立て直して、パパパン、パパン、と相手の手の内を探るような小競り合いが何度か続いた。いや、小競り合いという表現は不適切かもしれない。いずれの激突も、例えば、俺や尚子であれば容易く足を動かしてしまい、直ぐに負けてしまうような衝撃を生んでいた。
 鵬塚とクロードの戦いは、ひょっとすれば、本日の運動部連中との戦いのレベルを優に超えてしまっていたかもしれない。
「あっ! 真依先輩っ!」
 よく朝に挨拶して通り過ぎていく後輩が悲鳴に近い声を上げた。鵬塚が左半身をよろめかせたためだ。体勢を崩し、右手だけを露出させていた。
 クロードにとってみれば、絶好の機会だったろう。しかし、チャンスはピンチなのだ。
「ぐっ」
 軽く呻いて、クロードが大きく前のめりによろめいた。彼は、好機をつかみ取ろうと左手を勢いよく打ち出したのだが、その動きを読んでいた鵬塚が突きだしていた右手を一気に引いたのだ。力の行き場を失ったクロードの左手は空間へと吸い込まれ、大きく体勢を崩す要因となってしまった。
「――っなくそ!」
『おぉ!』
 マジか。すげえな、あいつ。
 そのまま倒れてしまうかと思われたクロードは、口汚い気合いの言葉と共に踏みとどまった。そこここから称賛の言葉と拍手が捧げられた。
 これで鵬塚に授けた作戦は尽きた。あいつには誘い引き以外の技は教えていない。誘い引きに失敗したらもう力いっぱいぶつかれと教えてある。
 彼女は素直に、その教えを守る気らしかった。
「……ち……おう……!」
 馬鹿が脳みそ筋肉なことを言った。打ち合おう、と。
 鵬塚語を解さないはずのクロードは不適な笑みを浮かべ、コクリと頷いた。場の空気に呑まれたのかもしれない。あいつも馬鹿だ。
 パァン!
 初手と同じ衝撃音が駆け抜けた。やはり二者は同時に足をつき、やはり同じ判定が下って勝負再開の運びとなった。
 パアァン!!
 パアァンッッ!!
 気のせいか、彼らが掌をぶつけ合う程に衝撃音が激しくなっていく気がした。もはや技も何もない、力と力のぶつかり合い。脳筋の所業である。
 しかし、誰も苦笑い一つ浮かべない。二人の掌のぶつけ合いはもはや別次元で、今までで最も天下一武道大会の名にふさわしい様相を呈していた。さながら、サイヤな星のかたとナメックな星のかたが戦いを繰り広げるかの如くであった。
「速度で打ち勝った方が勝つわね」
 天満舘先輩がバトル漫画のようなことを呟いた。この人は馬鹿というより、ノリがいいのだろう。
 速度、か。力の勝負に見えたが、これは打点の位置を競う争いだったようだ。打点を殺されてしまえば、力がどれだけ強くても一撃の重さは半減以下となる。鵬塚もクロードも最高のパフォーマンスを出すための打点を探り出し、その点を奪い合う戦いを続けていたらしい。
 まあ、そこまで実際に考えてやっているかは分からんが。結局のところ、勘でそこら辺を無意識にやっている可能性は高そうだ。どちらも脳筋な印象しか、今のところないからな。
 何度目になるか分からないぶつかり合いの後、やはり何度目になるか分からない再開を経て、数秒間の沈黙が生まれた。何十秒にも何分にも感じられる数秒間だった。その時間はやがて終わりを告げ、両者の腕が動いた。
 彼らの腕の速度は既に常人のそれではなく、容易に目視できなかった。凄まじい速度のぶつかり合いの結果、伸びきった鵬塚の腕と、少しばかり肘の曲がったクロードの腕がぶつかり合った。
 インパクト時の衝撃の強さは、一方にとってのみ最高のパフォーマンスを約束した。即ち、鵬塚にとって、だ。
『ああッッ!!』
 見物人が皆、声を上げたのと同時に、クロードのみが大きく後ろによろめいて、片脚を後退させてしまった。
 再度、沈黙が落ちた。今度は一分くらいは続いただろうか。
「……あ。ほ、鵬塚さんの――文芸部の勝利です!」
『……わああああぁああぁあぁ!!』
 思い出したように勝利を宣告した審判の言葉を受け、やはり思い出したように歓声を上げる八沢高生一同。体育館が歓声で揺れたかのように錯覚した程の熱気だった。
 冷静に考えると、手押し相撲で何をそこまで興奮してるんだってとこだが、まあ熱い戦いだったのは確かだ。ご近所からの苦情の声には真摯に対応して頂こう、先生方に。
 おっと。着信だ。鵬塚兄からいい絵が撮れた旨の報告だろうか。俺のダテ眼鏡、鵬塚や尚子のヘアピンを通して映像を、やはり俺らに仕掛けている盗聴器を通して音声を拾い、早速編集作業に移っているのではあるまいか。流石はシスコンだ。
「もしもし」
『帰りは気をつけなさい。こちらでも保険を用意した』
「……おう」
 やべえ。忘れてた。
 隣で瞳を潤ませて感激している尚子も同様だろう。皆に祝福されて大喜びの鵬塚など、言わずもがなだ。
 負けたはずなのに笑っているクロードの顔が、少し怖かった。

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