第5話『学びを修める者』14

 修学旅行がいつ中止になってもいいように逢坂を楽しんでいたのだが、結局、そのような連絡は来なかった。たこ焼きを食べていても、逢坂城を観覧していても、昼に鵬塚がハンバーグを食していても、スマホやケータイが着信音をけたたましく鳴らすことはなかった。やがて夕刻となり、梅田駅へ戻ってホテルへと向かうと、八沢高校の面々が揃っていた。
「おう。文芸部共、無事到着だな」
 キムティーが軽く手を上げて迎えた。彼の隣で3組の担任が手元の用紙に何かを書き込んだ。恐らく、到着したかどうかのチェック用紙だろう。
 至って普通の反応にやや戸惑う。
「……天橋立で何かなかったっけ?」
 鵬塚兄が奇跡の手腕で色々と誤魔化した場合を想定し、ぼかした聞き方をしてみた。
「彗星の件か?」
 そうだよな。流石に誤魔化せてないよな。特に八沢高校の関係者は、あの時間なら近在にいた可能性が高いし。
「中止かもって話してたんですけど……」
「そういう話もあったぞ」
 尚子の疑問に対する返答は、予想通りのものであった。しかし、実際のところ、中止にはならなかったらしい。
「けど、特に被害らしい被害もなかったわけだし、別に中止しなくてもいいだろ。せっかくだし」
「後で色々問題になったりしないか?」
 特に昨今は、直ぐにイキるモンスターなペアレンツがいる。
「そん時はそん時だ」
 軽いノリのキムティー氏である。隣の3組担任が苦笑している。
 しかしまあ、せっかくの修学旅行が中止になるよりかは、何倍もいい。特に鵬塚にとっては、念願の修学旅行なのだ。俺らは小学校や中学校でも修学旅行を経験しているのだからして、多少の被害で済むが、鵬塚は一生で最後の修学旅行になる。中止になってしまっては、その被害は甚大なものになる。
「んなことより、とっとと中入れー。ロビーに班の奴らが揃ってたら部屋の鍵受け取って夕飯まで解散な。確か、富安と鵬塚の班は揃ってたぞ。速水とドラノエのとこはどーでしたっけ?」
「速水のところは揃っていますよ。ドラノエの班は1人まだ来ていませんね」
 他の八沢高2年生の面々も、彗星などに負けることなく、修学旅行を楽しんで梅田まで辿り着いたらしい。皆、たくましくて何よりである。
 というか、公共機関も普通に動いていたのか。それは流石に鵬塚兄の力かもしれない。いくら何でも、日本全体がキムティーほどお気楽ではないだろう。
「おっ。泰司。お前、彗星見たか?」
 ロビーでサッカー部連中とだべっていた太郎が、駆け寄って来た。
「まあ、一応。お前は?」
「それがさぁ、直ぐ移動したから見られなかったんだよな。途中で少し電車が止まって、そこで彗星のこと知ったんだけど、直ぐ動き出したし、大したことなかったんだろ?」
 どこまで正直に言っていいものか。鵬塚兄の話していた感じだと、自衛隊が迎撃したような体になっているのだったか。
「あー、海と山に少し落ちたみたいだけど、大概は空で弾けてたな。花火みたいで楽しかったぞ」
 ということにしておこう。
「マジで? 天橋立に全く興味なかったからさっさと移動しちまったけど、少し散歩してればよかったなー。そしたら見られたし」
 そんないいものではなかったけどな。
 まあ、曖昧に笑っておこう。
 尚子に目配せすると、彼女は小さく頷いて話を逸らす。
「野村達はどこ見て回ったの?」
「ん? なんば香月行ってお笑い見てたぞ。あと、たこ焼き」
 たこ焼き、人気だな。
「……わ……い……の……そ……!」
「お笑い楽しそうだっつってる」
 太郎が不思議そうな顔をしたので、鵬塚語を翻訳した。
「おう。面白かったぞ。テレビで見るより臨場感っつーの? そういうのがあったな」
 鵬塚の瞳が輝いたが、流石に今からは無理だ。諦めろ。
「あと、ナンパ橋でナンパに挑戦した奴がいてさ」
「どうだったんだ?」
「撃沈。三回挑戦したんだけど、心バキバキに折られて撤退してたわ」
 三回も挑戦したのは勇者と言えるだろう。誰だか知らんが、お疲れさんだ。
 結局、この調子で、夕飯の時間が近づくまで雑談に興じ、残り少ない修学旅行の時間を過ごした。ちなみに、最後の夕飯もやはり――いや、敢えて言うまい。察してくれ。

 朝食もまた例の肉料理を食したあと、バスに乗り込んだ。バスには見覚えのある巫女服がいた。
「皆様、お早う御座います。梅田から卿都駅までのご案内は、一昨日より引き続き、わたくし、天津内女が担当させて頂きます。1時間弱の旅程となりますが、何卒よろしくお願い申し上げます」
『よろしくおねがいしまーす!』
 久しぶりに見る巫女服のバスガイドは、やはり心臓に悪かった。個人的には、ベルトワーズよりもこいつの方が怖い。
 あと、何名かがにやついた様子でこちらを見ているのが、本気でうざい。まだ惚れていると思われているのだろうか。冗談ではない。俺は巫女服を着た変な女性よりも、普通のバスガイドの制服を着た女性の方がいい。いや、そういう問題でもないのだが。
「バスガイドさんは彗星が墜ちた時、どこにいたんですかー?」
「わたくしは卿都市におりました。ニュースで彗星の件を知った時には皆様のことがとても心配でしたが、特に何もなかったご様子で、何よりでございました」
 微笑む様子は可愛らしくも美しく、バスの中で迫られた恐怖の記憶が薄れそうになる。ふと、いい匂いがしていた記憶も蘇ってくる。
 いや、待て。騙されるな。あの巫女は危険なんだ。修学旅行のいい思い出に脳内変換してはいけない。天津照の関係者であることを考えると、今後も関わる可能性が否定できない。そういう意味でも油断は大敵だ。いつ精神に異常をきたすような措置を取られるか、分かったものではない。
 頭を数度振って、惑いを振り払う。
「どした、泰司?」
「いや。一時の惑いに負けないよう、精神を集中しようかと思ってな」
 懸命に内女さんの残像を頭から追い払おうと努力しつつ瞑目していると、太郎が俺の手を唐突に掴んで高く掲げた。
 何だ?
「バスガイドさーん! 富安くんがバスガイドさんにガチ恋してまーす!」
「は?」
 いや、待て。なぜそうなった。
「あらあら。どうしましょう」
 どうもしなくていい。
「ほら、泰司。告白だ!」
「しねぇよ!」
 何故そんなことをしなければならぬのか。そもそも恋もしていない。
「わたくしはストレートなプロポーズが嬉しいですね」
 悪ノリするな!
「……ん……って……!」
 頑張らねえよ!
 我らが2年7組のバスは、梅田のホテルを出立してから十数分は同じネタで騒いでいた。マジでうざかったし、精神力を削られた。
 くそ。涙が零れそうだ。

 バスが卿都駅にたどり着き、天津内女と別れを告げて乗り込んだ新幹線は、数分と経たずに静まり返っていた。数日間の旅程で疲れが溜まっていたのだろう。そこここから寝息が聞こえていた。
 欠伸をかみ殺しつつ、周りに視線を投げると、隣の太郎も誰もかれも、座席で眠りこけている。往路での騒音が嘘のような静けさだった。当然ながら、少し離れたところに座っている鵬塚もまた、大人しく寝息を立てていた。
 ああして眠っている分には、社会不適合者としての奇抜さなど微塵も感じさせず、ただの美しい少女でしかない。こうして寝顔を目に出来るのが幸運に思えるのだが、口を開けば残念な少女であることを実感し尽くしている身では、決して喜ぶ気になどなれないのが実情だ。天津内女を相手にする以上に、あり得ない。
 しかしながら、恋慕でなく、友愛であれば、感じ入るのはやぶさかではない。
 当初は正直、彼女の境遇に対する同情心や、親切心で接していたものだが、ここ数か月でいいところも悪いところも知ったためだろうか、共に過ごし、語らうことを楽しく思い始めた。親友という言葉も、素直に受け入れる気になっていた。
 だからこそ、どうにもベルトワーズのことが気にかかった。
 恐らく彼女は、鵬塚の幼少期に深く関わっているだろう。不幸な境遇を築いたのも彼女のように思える。当然、良い印象は生まれない。相対した時に憤りすら感じた。その余波が残っているのか、確実に疲れを感じている身ながらも、どうにも眠りにつくことが出来ないでいた。
「……」
 鵬塚の寝顔がだらしなく蕩けた。口をもごもごと動かしていた様子から、何か寝言も口にしていたかもしれない。
「ったく」
 妙に張りつめていた緊張の糸が切れた。
 色々と気にかかるし、不安を覚える要素も多いが、当の鵬塚が夢の世界で喜びを感じつつ帰路に着くことが出来るのなら、今回の修学旅行は大成功と言えるだろう。
「……」
 また何か寝言を口にしているだろう親友殿を確認してから、目を閉じた。先程までの妙に冴え冴えとした意識は失せていた。
 今どうにもできないことを、何時まで気にしていても仕方がない。そうやって気持ちを切り替えられるようになったのは、今後の人生にとって有益な学びなのではあるまいか。このまま心地よい眠気に誘われ、夢の世界に旅立つとしよう。
 おやすみ。

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