番外編2『季節と戯れる者』冬

 ……ん。朝、じゃないな。外暗いし。
 あと信じらんねぇくらい寒いし。二度寝だな、二度寝。ふあぁあ。
 ごろり。
 かぁ。枕の感触がたまんなく気持ちいい。これだから二度寝はやめらんないよな。
 ばんっ!
「泰司っっ!! 起きなさいっっ!!」
「どわっ」
 突然の大音量に、枕にうずめた顔を慌てて上げる。
 部屋の扉は開け放たれており、そこには鬼の形相の母親がいた。
「な、何だよ。こんな朝早くに――」
「何寝ぼけたこと言ってるの! もう起きないと遅刻よ!」
 は? 何言ってんだ。こんなに暗いのに。
 そのように考えながら、俺は枕もとの時計に瞳を向ける。
 ……あれ?
「7時50分だと!? こんなに暗いっつーのにか!?」
「曇ってるのよ。まったく……目覚ましかけてたんじゃないの?」
 そんなことは俺が聞きたい。いつの間に止めたのやら。
 とにかく、早く支度しなければ。鵬塚と尚子は8時くらいに来るのが通例だ。
「母さん、飯は?」
「当然出来てるわよ。着替えたら下りてきなさい」
 ばたん。
 扉が閉まるのと同時に、俺は着替え始めた。

 くうぅう……
「さっみぃ」
 両腕で体を抱きながら、俺は階下へと向かう。
 確かに今は冬と呼ぶに遜色のない時季ではあるが、それにしても寒すぎる。昨日の2倍は寒いぞ。
「今日は冷え込むらしいわよ。コートとマフラー、ちゃんとしていきなさいよ?」
「へいへい。いただきまーす」
 がたっ。
 母親の忠告に適当に返事しながら、俺は食卓につく。父親は既にいないようだ。毎朝7時40分には家を出るのだから、当然だろう。
 かり。
 チーズの乗ったトーストをかじると、微妙な温度だった。焼いてから時間が経っているのだろう。勿論、寝坊した身としては文句など言えない。
 ぴんぽーん。
 その時、チャイムが響き渡った。鵬塚と尚子が来たらしい。
「2人の相手してるから1分で準備しなさい。女の子を寒空の下で待たせるんじゃないわよ」
 とことこ。
 そう口にして、母さんは玄関へと向かう。
 もぐもぐもぐ。ごくごくごく。
 俺はトーストを大急ぎで咀嚼し、牛乳を一気飲みする。
 そして、洗面所に向かって歯磨きをして、寝癖を直し、冷水で顔を洗った。
 くぅ。
「よし。目が覚めた」
 続けて、2階の自室へと駆け上がり、鞄を手に取る。家に教科書など置いていないため、準備に時間はかからない。
 おっと。グラビア雑誌を忘れるところだった。迷っている時間もないから、とりあえず最新号を持っていこう。
 だだだだだ。
 鞄に雑誌を無理やり押し込みつつ、俺は先ほど駆け上がったばかりの階段の駆け下りる。
 あとは廊下を駆け抜け――
「待たせた。鵬塚。尚子」
 ゴールたる玄関へご到着だ。
 って、ありゃ。
「尚子はどうした?」
 いつもいる顔がいなく、戸惑い尋ねる。
「尚子ちゃん、風邪引いたみたいよ。ほら。真依ちゃんのメール」
 俺の母親の言葉に続いて、鵬塚が携帯電話の液晶画面をぐいと突き出してくる。
 そこに書かれている文面は以下の通りだ。
『ごめん。風邪引いちゃった。泰司とのつまらない登校で今日は我慢してね。 尚子』
 ……あいつはいちいち俺に喧嘩を売らなけりゃ気が済まんのか。
 朝いちで軽くイラっとさせられた。
「……はよ……」
「……ああ。おはよう」
 コクコク!
 こいつは、いつも楽しそうでよろしいですなぁ。ふぅ。

「うっわぁ。えらく寒いと思ったら、こいつのせいか……」
 俺は思わず眉を顰め、どんよりと曇った寒空を見上げる。
 しんしんしんしん。
 空からは白銀の結晶が間断なく降ってきていた。
 この時季ともなれば雪が降ってもおかしくはないが、それにしたって初雪くらいもうちょっと慎ましやかに降ってくれんもんかねぇ。朝早いってのに、既に積もりっぷりが半端ないぞ。
 通り道は近所の方々が頑張ってくださったようで、それなりにすっきりしている。しかし、特に積もっている箇所に瞳を向けてみると、腰くらいまでの高さがあるというのは豪雪と呼べなくもなかろう。勿論、この程度で豪雪など片腹痛いわ、とお怒りになる地方の人々もおられようが。
「……ごい……む……ね……れい…ね……!」
 テンションが朝からだだ下がりである俺とは対照的に、鵬塚のテンションは非常に高い。先ほどから瞳には好奇の光が宿りっぱなしだ。
 改めて彼女の様子に注意してみると、コートのあちこちには新雪によって描かれた白模様が散在し、着けている手袋には雪の塊がこびりついている。
 俺の家に到着するまでの間も、テンション高く雪と戯れていたのだろう。
 まあ、去年までは外に出られず、当然雪を目にすることもなかったのだろうから、このテンションの上がりっぷりも理解してやれんことはないが……
「お前、ちょっとは加減しないと風邪引くぞ」
「……? ……た……いよ……?」
「今は動いてるから温かいかもしれんがな。八沢高校は暖房設備が整っているとは言い難い。学校についてから辛い目を見ても俺は知らんぞ」
 そう忠告してやると、鵬塚は神妙な顔つきでコクコクと頷いた。
 理性的な大人の判断をする余裕はまだ持ち合わせているようだ。さて、出発するか。雪中行軍の始まりだ。
 ざっざっざっ。

 道中、雪だるまを見つけた。
「……ご……ね……」
 そわそわと俺の顔色を窺う、星選者殿。
「作ってる暇なんざねぇ」
 しゅん。

 道中、雪ウサギを見つけた。
「……わい……ね……」
 再びそわそわと俺の顔色を窺う、準ニート。
「そんな暇ねぇって言ってるだろーが」
 しゅん。
 つか、この辺りに南天なんてあったか?

 道中、幼稚園の敷地内で雪合戦に興じる園児どもが見えた。
「……のし……そう……」
 みたび、そわそわと俺の顔色を窺う、小動物。
「だからそんな暇――」
「……りたい……!」
 鵬塚は珍しく語気強く、俺の服裾を引っ張りながら主張した。
 その表情には、どこか必死さが窺えた。
 ……ふぅ。
 まぁ俺に取っちゃ、雪なぞ毎年見てるし鬱陶しいだけの存在だ。けど、こいつにとっちゃ人生で初めて目にしたわけだし、俺の想像以上に素晴らしいものなのかもしれんな。本とかで見て、雪に並々ならぬ期待を寄せていた可能性も大いにある。
 そこまで想像しちまえば、こいつの願いを無碍に断ることは、俺にはもう出来ない。我ながら困った性分だ。
「わかった」
 ぱあぁああぁあ。
 俺のひと言に、これ以上に幸せなことはございません、とばかりに顔を輝かせる鵬塚。
 しかし、雪合戦は寒さに耐え得る限りは、続けようと思えばいつまでも続けられる遊び。遅刻しないためには制限事項が不可欠だ。
「ただし、時間もないから1発勝負だ。どっちかが雪玉を1発でも食らったら終わり。いいな?」
 コクコク!
 嬉しそうに頷く鵬塚。
 ふっ。しかしその笑顔、直ぐに曇らせてみせる。幼少時より雪に慣れ親しんだ雪国っ子を舐めないで貰おう。雪素人の準ニートなぞ、瞬殺してくれるわ!
 ざっざっざっ。
 鵬塚から数メートル離れ、俺はしゃがみこんで雪玉を数個作る。鵬塚も俺にならって新雪を楽しそうに固めている。
 それぞれが十数個の雪玉を所有したところで――
「よし! 開始だ!」

 びゅっ!
 鋭い一閃が俺から大きく外れた中空を飛び行く。
 いつもの調子で足を踏ん張った鵬塚が、新雪の下に隠れた凍った道路にすべり、バランスを崩した結果だ。俺の視線の先で彼女は、つるっと見事にすべっている。
 ふっ。ここで攻撃するのは卑怯だ、などと仰るなかれ。勝負の世界は非情なのだ。
 ひゅっ。
 それでも手加減して緩い山なりな玉を放る。
 すると、鵬塚は俊敏に反応し、寸でのところで降り来る雪玉を避けた。こいつは普段どんくさいくせいに、いざ運動となると性能が良くなるな。
 びゅっ! びゅっ!
 しかし、足元が安定していないと狙いが定まらないのだろう。先ほどから驚異的なスピードの弾を放ってはいるが、それが俺の体に突き刺さることはない。
 ひゅっ。ひゅっ。
 そして俺の方も、狙いはきちんと鵬塚に定まってはいるのだが、鵬塚の運動性能が良すぎて当たらない。
 困ったことに長丁場になりそうだ。
「わあ。あそこのおにいちゃんとおねえちゃん、すごーい」
「おねえちゃん! ぜんりょくとうきゅうじゃなくて、すこしてかげんしたほうがねらいがさだまるよ!」
 と、聞こえてきたかしましい声は、先ほど幼稚園内で雪合戦をしていた園児のものだった。
 全員、園内と外界とを隔てている柵のところへ集い、こちらに好奇の視線を向けている。その視線の中に、俺があそこに通っていた頃に世話になった保母さん――美智子先生のものもあった。頬に手を当てて苦笑しているその姿に、思わず顔が熱くなる。流石に恥ずかしいっつーの。
 とはいえ、ここで勝負を投げるのも如何なものか。
 美智子先生は実は俺の初恋の相手だ。格好の悪いところなど見せられん。
 まあ、ここで勝利したとしても決して格好などつかないが、それでも、一度始めた勝負を途中で投げ出すよりはマシだろう。
 びゅっ。
 その時、園児の助言を受けて鵬塚が放った玉がこちらへと真っ直ぐ飛び来た。先ほどまでの剛速球よりは劣るものの、それでも中々の速度を誇るそれは、俺の体の中央めがけて中空を翔け抜ける。
 まだ距離があるため、避けることは容易い。しかし、それでは面白くない。
 ふっ。鵬塚よ。俺――雪国っ子との埋まらぬ差を見せてやろう。
 ひゅっ。どんっ。
 おおおおぉおぉおぉお!
 俺の行動に起因して、どよめきが生まれる。園児たちはやんややんやと手を叩いて喜んでいる。
「すげええぇえ!」
「とんでるゆきだまにゆきだまをあてるなんて、そんなことできんのかよ!」
「泰司くん、凄いわねぇ」
「おにいちゃん、かっこいい!」
 大絶賛の園児たち。苦笑を浮かべていた美智子先生も、楽しそうに微笑んで感心してくださったご様子。
 よし!
「……けな……」
 真剣な瞳をこちらへ向け、軽く微笑みながら鵬塚が呟いた。その内容は『負けない』。
「俺もここまで来たら負ける気はねぇ。とことんやるぞ、鵬塚」
 コクコク!
 熱い戦いが続く。

「というわけで遅れた。あと、鵬塚は雪で濡れまくって体が冷えたらしく、ストーブの近くの席にしばらく移動させてやってくれ」
 ぶるぶる。
 青い唇を真一文字に閉ざして体を振るわせる小動物を目にし、ストーブの近くの席に座っていた女子の1人が立ち上がった。その顔には当然ながら苦笑が浮かんでいた。
 そして、キムティーを筆頭にクラス一同もまた同じ表情。
 ついでを言うならば、先ほど鵬塚の替えの靴下やらホッカイロやらを車で運んできた鵬塚兄もまた、呆れた様子で苦笑いしていた。
 ……そういう視線を向けられるようなことをしていた自覚はある。自覚はあるから、そろそろ勘弁してくれ。マジで。

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