番外編2『季節と戯れる者』秋

 星選者たる鵬塚真依が、俺こと富安泰司のクラス――2年7組に転校してきてから約1ヶ月が経った頃のこと。台風がやってくることの多い秋口に、例に漏れず激しい風雨が町を直撃したのは昨日の夜中。このまま台風様が猛威を振るって下されば明日は学校が休みか、とワクワクしていたのだが……
 ちゅんちゅん。
 目覚めと共に耳をついたのは、雀の元気そうな鳴き声だった。カーテン越しに見える早朝のお天道様も、陰りの『か』の字すら見せずにさんさんと照っている。
 どちくしょう。
 何だな。毎年思うのだが、台風というのは空気をもっと読むべきではなかろうか。なぜにこうも、夜中のうちにやってきて夜中のうちに去るなどという、全く意味のないことをしてくれやがるのだ。朝になっても猛威を振るっていてくれれば、クラスの連絡網も活躍の場を貰えて喜ぶだろうに。
「泰司ーっ! そろそろ起きなさーいっ!」
 布団にくるまって無駄にイライラしていると、階下から母親の声が聞こえた。
 ……まあそうだな。往生際悪く寝ていても遅刻するだけだ。大人しく登校の準備を始めるとするか。どうせ鵬塚と尚子がいつもどおりの時間に迎えに来るに決まっているんだ。
 しゃっ。
 カーテンを開け放つと、無駄に爽やかな光が差し込んできた。1日が始まった。

 とんとん。
「いってきやーす」
 ナイキの運動靴に足をねじ込みつつ、やる気ゼロで形式的に挨拶を口にする。
 ふぁあ、ねみぃ。
 ちなみに、玄関口には既に鵬塚と尚子がいる。朝早いってぇのに随分と元気そうだ。そんだけ元気なんだ。俺の分も張り切って登校してくれりゃあ、俺は自主的に休校とさせていただくが……
「いってらっしゃい。尚子ちゃん、真依ちゃん。今日も泰司をよろしくね」
「任せて下さい。小学生の時みたいに『台風だから俺は自主休校』なんて真似はさせませんから」
 と、幼稚園来の付き合いである速水尚子のお言葉。
 小学生の時にもそんなことしたんだったか? やべぇな。俺の脳、進化してないぞ。
 くいくい。
 ……俺の右腕の袖が自己主張をしている。朝から何とも元気なことだ。人ではないはずの袖さんはいつからこんなにお喋りになったのだろうか。
 ――などと脳内でふざけていても仕方がない。袖を引っ張る奴に瞳を向ける。
「……はよ……」
 常に違わず聞き取りづらい俺の親友殿――鵬塚真依の声。どこのニート様かという社交性のなさには、毎度のことながらほとほと呆れるが、転校初日は更に視線すら合わさんかったからな。あの時に比べれば幾分かマシだろう。
「ああ。おはよう」
 コクコク!
 挨拶を返すと、鵬塚はいつもどおり非常に嬉しそうに頷く。毎朝毎朝よくも飽きんもんだ。
「さて。んじゃ行くか」
「そうね。遅刻してもなんだし。じゃ、おばさん。いってきます」
 ぺこり。
 元気よく手をふる尚子と、静かに頭だけ下げた鵬塚。いつも通りの朝――だったらよかったのだが……

「魔法が出てくる作品が多いからライトノベルも読むけどさ。萌えっていうのを意識しすぎじゃないかなぁって思うんだよね。可愛い女の子が『別にあんたのためじゃないんだからね』とか言ってるのが嫌とは言わないけど、それよりももっと世界観というか、ファンタジーな雰囲気というか、そういうのを大事にして欲しいなーって。勿論、ちゃんとそういうのも大事にしつつ、萌えも大事にしつつな作品だってあるわよ。でも『まずは萌え』みたいな萌え第1主義が目立ってるなぁとも感じるわけでね。そこら辺をどうにかして欲しいなぁと常々思ってるんだけど、どう思う?」
「どうでもいい」
 がしっ!
 尚子の長い独白を一蹴したら、殴られた。
「いってぇな!」
「やかましい! 人が話を振ってるのにどうでもいいとはどういうことよ! せめて何か意見を述べなさい!」
「ライトノベルなんざ読んだことがねぇよ! 何でもてめぇの尺度で話してんじゃねぇ!」
 はっ。
 俺が言い返すとアホ尚子は鼻で笑って、やれやれとでもいうように首を左右に振った。何ともむかつく反応だ。
「文芸部員にあるまじき言葉ね。よりよいファンタジー作品に出逢うために選り好みせず読みなさいよ」
「……前から思ってはいたが、お前の文芸部員像は間違ってると――」
「ま、泰司なんてどうでもいいわ。真依はどう思う?」
 このやろう……
 鵬塚に抱きつきながら質問している馬鹿を睨みつけるが、相手はどこ吹く風で全く気にしていない。非常にむかつく。
「……し……え……よく……から……ど……イト……す……よ……も……ち……とい……ば……がい……タジ……が……き……ち……が……ジー……じが……ら……」
「だよねー。あたしもあたしも。海外ファンタジーのワクワク感は他の追随を許さないっていうか。さすが真依、わかってるー」
 今にも消え入りそうなか細い声を瞬時に理解し、尚子は満面の笑みを浮かべて鵬塚を抱きしめた。  相変わらず鵬塚の言葉は分かり辛いことこの上ない。アレを理解できる人間はそうはいないだろう。よく尚子も判別できるものだ。まぁ、俺も人のことは言えないが……
 ちなみに先の言葉は『私、萌えとかよく分からないけどライトノベルも好きだよ。でも、どっちかといえば海外ファンタジーの方が好き。あっちの方がファンタジーって感じがするから』だ。こいつはもっと一般人に優しい話し方を心がけてくれないものだろうか。
 ふぁあ。
 おっと欠伸が。どうにも朝は苦手だ。まあ、夜中2時までふぇありーているのコミックス読み直しとかやっている俺が悪いんだが……
「あ!」
 ――ん? 今のは……鵬塚か? どうしやがった。あいつがひと言とはいえはっきり言葉を発するとは、尋常ならざる事態だぞ。もう八沢高校の敷地内に入っているし、以前のようにトラックが俺らを強襲しようとしているということもあるまい。
「どうしたの、真依?」
 尚子が尋ねる。
 すると、鵬塚は視線を左へ向け、左手の人差し指で視線の先たる左側を示す。そちらには我らが八沢高校所有のグラウンドがある。
 グラウンドがどうしたというのか。眠い目を擦りながらそちらへ視線を送ると――
「わあぁ。まあ、朝まで雨続きだったみたいだし、そりゃこうなるかぁ」
 感心したように、尚子が言った。
 彼女と俺の視線の先には常とは異なる光景があった。サッカー場や野球場にとどまらず、何故か小学校かの如く鉄棒や昇り棒などの遊具もある我らが八高グラウンドは、大量の水で満たされていた。とは言っても、グラウンド中に水が張られていて水深5メートルの湖さながら、などということは当然ない。せいぜい、大きめの水溜りが空の爽やかな青色を映し出しているくらいのものだ。
 俺が小学生だったならば、うおー海だー、とテンションを上げて突っ込むところだが、高校生にもなってそんなこたぁしない。
 というか、もうちょい排水技術をどうにかしろよ校長。
「こういう景色も懐かしいわねぇ。小学生の頃は、雨続きの翌日はグラウンドの海で遊ぶのが楽しみだったもんだけど、いつから気づきもしなくなったのかしら」
 何やらおセンチな発言をしているのは尚子だ。
 気持ちは分からなくもないが、それが大人になるということだろうさ。様々なことに意識を配らなければいけないというのに、瑣末なこと――でっけぇ水溜りに感動している暇などあるまい。
 まあ、だからといって俺に『意識を配らなければいけない様々なこと』とやらがあるのかと問われると困るがな。あえて言うならば『ふぇありーているの続きどうなるんだろう』くらいか。もしくは進路。
「懐古主義を気取ってる暇があったら行こうぜ。まだ余裕はあるが、そろそろやべぇぞ」
「……そうね。今回ばかりはあんたの言うとおりね。悔しいことに」
 んなことで悔しがらなきゃいかんとは、忙しい奴だ。
 ふあぁああ。
 盛大なあくびをしてから歩を進める――が。
 がしっ。
 俺の服裾が自己主張しやがった。気づかなかったふりをしてズンズン進もうかと試みたが、意外と力強い主張のようで容易には進めない。
 ふぅ。
 仕方がないので振り返る。
「どうした、鵬塚」
 尋ねると、星選者殿はキラキラした瞳を俺と尚子に向けた。
「……み……たい……てこ……」
 訳すと『海みたい。見てこうよ』だとよ。何と厄介なことを言い出す奴だ。是非とも駄目だ、と一蹴させていただきたい。
 だが、そのように断ってしまうのは得策ではないかもしれない。あとでシスコン症候群たる鵬塚兄から苦情の電話が入るのは当然として、更に悪いことには、こいつのグラウンド海への期待度合によっては、星選者殿が傷ついてしまった代償として、自然災害が猛威を振るってしまわんとも限らない。
 ……くそ。
「どうするの、泰司?」
 似たようなことを考えたのだろう。尚子が囁き声でこちらに伺いをたててくる。流石のこいつも、全校生徒が登校してくる目の前で幼稚な行為に走るのは恥ずかしいらしい。
 とはいえ、ここは仕方がない。
「ちょっとだけだぞ」
 コクコク!
 嬉しそうに激しく頷く鵬塚。
 その様子を瞳に入れ、尚子はため息をつきつつ苦笑いしている。
 さて、覚悟を決めるか。

「うお! 見ろよ、ミズカマいたぞ!」
「ホント!? わぁ、久しぶりに見た。ほら、真依。これがミズカマキリって言って、小学生のアイドルなのよ」
「……っこ……い……!」
 グラウンドに下り、俺たちは巨大な水溜りを覗き込みながら騒いでいる。
 こいつらアホか、と登校する人々から好奇の瞳を向けられること数分。もはや恥ずかしいという感情など消え去ったわ。
 って、ちょっと待て!
「おい! あそこ!」
 叫びつつ、岸辺から少し離れた位置を指差す。そこには憎いあいつの姿があった。太陽の光を反射して黒光りするボディが、俺の心を躍らせる。
 尚子もそちらを凝視し、そして、気づく。
「ゲンゴロウ!!」
「ああ。あれはモドキじゃねぇ。間違いなくゲンさんだ」
「……んご……う……?」
 鵬塚は疑問符を顔に貼り付けつつ、俺らが凝視している方向を必死に探っている。
 少し解説が必要か。
「ゲンゴロウっていうのは、こういう風に海が出来た時であっても必ずしも拝めるとは限らない、非常に希少な種なんだ。彼には似たような外見の『ゲンゴロウモドキ』という偽者がいて、そちらにはよくお目にかかるんだが……」
「凄いよ、真依。初のグラウンド海でゲンさんに出会えるなんて!」
「……んさ……しい……」
 両手を胸の前で組んで、非常に嬉しそうな表情の鵬塚。
 冷静になると、何とアホなことで喜んでいるものだ、と無慈悲な突込みを入れたくなる状況だが…… 少々麻痺してきたのだろうか、俺も不思議なほどテンションが上がっていた。馬鹿にする気など全く起きない。それどころか、感動すら覚えている。
 あぁ、ゲンさんにお目にかかったのは5年ぶりくらいか。
 だがしかし――
「残念なのは、ちょっと捕まえるのが無理そうなことね」
 尚子の言うとおりだ。
 ゲンさんは今、岸辺から3メートル程はなれた深みをゆうゆうと泳いでいる。長靴など当然装備していない俺らには、手出しすること能わぬ深海だ。
「だな。まあ、こうして拝めただけでも僥倖だったさ。さて、そろそろ――」
「……か……て……」
 ざっ。
 幾分現実に立ち返り、行こうぜ、と宣言しようとした俺の言葉を遮ったのは、真剣な表情の鵬塚だった。その際の彼女の言葉は『任せて』だ。
 まさかこいつ、ローファーで水溜りに突っ込むつもりか? やりたいなら止めやしねぇが……
 しかし、俺の予想は外れた。
 ふわっ。
 心なし、柔らかな風が辺りを包んだように感じた。星に選ばれた者の願いに呼応して、大気が優しい笑みを浮かべているようだった。
 そして、鵬塚の足が数センチ浮いた。
「って、待てええぇええぇえっ!!」
「きゃ」
「ちょ、危なっ!」
 大衆監視の中、空を飛んでゲンさん捕獲に乗り出そうとしたアホ星選者殿をひっぱり返そうとしたところ、バランスを崩した。
 俺と鵬塚が倒れようとしているのを目にし、尚子が慌てて支えようと試みるが――
 ばしゃああぁあんっ!
 盛大な水しぶきが上がった。

「と、ゆーわけで。着替えてたら遅れた。以上」
 キムティーこと担任の木村熊夫とクラスの面々に呆れた視線を浴びせられながら、俺はようやく説明を終えた。
 隣では、俺同様ジャージ姿の鵬塚が申しわけなさそうに頭を下げている。
「なるほど。事情は分かった」
 そう言って深くため息をついたキムティー。肩をすくめたその姿からは、呆れてものも言えん、といった思考が窺える。
 まあ、気持ちは分かる。仮に俺が高校教師だったとして、生徒が水溜りで遊んでいて遅刻しました、などと口にしたら同じように思うだろう。だが、むかつくからそういう反応は遠慮願いたいものだ。言えた義理じゃないから言わんけど。
「まあ、色々と言いたい事はあるが、今はひとつだけにしとこう」
 ひとつで済ませてくれるなら万々歳だ。何なりと謹んで拝聴しよう。
『小学生か』
 仲良く声を揃えるキムティーとクラス一同。
「……くしゅん……」
 鵬塚の慎ましやかなくしゃみを耳にしながら、俺は思った。
 ――その突っ込みはもう古いぞ、お前ら。

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