悪魔 wvnlm 07

 光が消え去ったのち、半壊して空を望めるようになった部屋には、『ミライア』が倒れ伏していた。
 ……ジュネスが勝ったのだろうか?
 戦いの余波を受けてはまずいと考えて、少し離れたところから見ていたが、佇むジュネスに駆け寄る。
「ジュネス! 無事か?」
『……あぁ』
 言葉少なに応える友人に、微かな違和感を覚える。
『くくく』
 小さな笑い声が聞こえた。
 その元は――『ミライア』。
「ま、まだ生きていたのか……」
『流石にQvhfh・Xsirhgの全魔力を利用した攻撃となると危なかったがね。我にならば耐えきれぬことはない。憐れな人の子よ。そして――Qvhfh・Xsirhgよ』
 彼の瞳が向かう先は――ジュネスだ。Qvhfh・Xsirhgではない。
 そう、信じ込もうとした。しかし……
『Hzgzm・Ofxruviか。貴様もこちらへ来ていたとはな。人とは強欲な生き物よ』
 その言葉は、どう聞いてもQvhfh・Xsirhgのそれだった。
「じゅ、ジュネスはどうした!」
 叫んだ私に、Qvhfh・Xsirhgは憐憫の瞳を向けた。
 一方で、Hzgzm・Ofxruviは馬鹿にした笑みを浮かべて、こちらを睥睨している。
『憐れだな、人の子よ。貴様らの英雄『ジュネス』は死んだ。この『ミライア』と同様に、我ら悪魔の強大な魔力に圧倒されて消滅する寸前よ! ふふふ、はーっはっはっはっ!』
「くそッ!」
 絶望に膝が崩れ、私はがしっと床を叩く。何度も何度も叩く。
 ジュネスは口が悪い。目つきも態度も悪い。彼を嫌う者も数多い。嫌わずとも、恐れる者は数知れない。万に一つ好意を向けられたとして、そこには畏れのような感情が含まれがちだ。よって、彼は友人があまり居ない。
 それでも、私は彼が好きだった。彼は紛れもなく友人だった。
 愛すべき友人の姿も声も、そして、辛辣な言葉も、二度と……
『がっ! き、貴様、何を――』
 聞こえてきたのは『ミライア』の声。
 ゆっくりと顔を上げると、そこには片脚を失った『ミライア』が居た。
 ぶんっ。
『ぐおおおぉおおお! 狂ったかぁ! Qvhfh・Xsirhg!!』
 更に片腕を失って、『ミライア』は咆えた。
『狂ってなどおらん。これが俺の意思だ』
 ぶんっっ!!
 友人の姿を奪った悪魔が腕に力を込めると、鈍い音が響いて『ミライア』の腹が割けた。失われた脚から、腕から、そして、割けた腹から夥しい量の血が流れ出る。
『Qvhfh・Xsirhgぅううぅう!!!!!』
 叫んだ『ミライア』は、残った腕を掲げて闇を放つ。闇はQvhfh・Xsirhgと、私に向かって直進した。
 ちらりとこちらを見たQvhfh・Xsirhgは、闇を避けようともせずに、両の腕を掲げた。
『Hzev Fh, Uzgszi』
 光の壁が生じた。神々しい護りの防壁がQvhfh・Xsirhgと、私を包んだのだ。
 ……なぜ私まで護る? Qvhfh・Xsirhgは、悪魔なのではないのか?
『光を扱う、だと? 貴様、闇の眷属たる誇りを忘れおったか!』
『誇り、か。それより俺は、自身の欲に正直で居たいがな』
 そう言ったQvhfh・Xsirhgは、腕を大きく振るう。それに伴い『ミライア』の体が大きく軋んだ。
『があああああぁああぁあ!!!!!』
 叫ぶ『ミライア』。先程の衝撃で、彼女は上半身のみの姿となっている。
『貴様! 貴様あああぁああぁあ!!』
『悪いが……滅びろ』
 ぶん。
 Qvhfh・Xsirhgの呟きに続いて、虫が飛ぶような低い音が響いた。
 そして、『ミライア』は――Hzgzm・Ofxruviは、この世から跡形も無く消滅した。

「……ジュネスをどうする気だ!」
 Hzgzm・Ofxruviが滅びようとも、終わりでは無い。この国には、いや、私にはジュネスが必要なのだ。
『カリム・ログタイム、か。逆に問おう。どうして欲しいのだ?』
 何?
「決まっている! ジュネスに体を返せ!!」
『……ふむ。この体はいつ俺に奪われるか知れん。ジュネス・ガリオンは間違いなく危険な存在だ。それを貴様は、眼前で俺の力を目にしたことにより、知ったはずだ。それでもか?』
 確かに、Qvhfh・Xsirhgの力は凄まじい。ジュネスがQvhfh・Xsirhgの力をギリギリまで引き出して、ようやくHzgzm・Ofxruviに有効打を浴びせたのに対し、Qvhfh・Xsirhg自身はHzgzm・Ofxruviが弱っていたとはいえ簡単に……
 ジュネスが何かの拍子にQvhfh・Xsirhgと成れば、世に危険を放つことになる。
 しかし――
「それでもだ」
 言い切る。
 すると、Qvhfh・Xsirhgは憮然とした表情でこちらを見た。Hzgzm・Ofxruviを赤子の手をひねるように滅ぼした悪魔である。私などは息をするのと同じように殺せるだろう。事実、ジュネスの両親は簡単に命を奪われたという。
 恐怖を覚えないわけではない。逃げ出したい。けれど、逃げない。逃げてたまるか。
『ふっ』
 そこで、Qvhfh・Xsirhgが突然に笑み浮かべた。
 ……なんだ?
『やはり貴様らは――人というのは面白いな。絶望のみを好む悪魔にはない何かがある。……いいだろう。貴様の願いと、俺の欲求は矛盾せぬもの』
 楽しそうに笑いながら、Qvhfh・Xsirhgは言う。
 どういうことだ? こいつの欲求とは、何なのだ?
『たかが数十年。されど数十年。人の短き生を懸命に生きよ、ジュネス・ガリオン』
 呟いたQvhfh・Xsirhgが崩れ落ち、そして、床に我らが英雄、ジュネス・ガリオンが転がった。
 今度こそ、事件は幕を下ろしたのだ。

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